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32.オイジュスの若者たち

「しかし、本当にこんなことをしていいのだろうか」


 その日の夜、ジャスミンの部屋でエドガーがため息をついていた。穏やかな彼は、そうしていると少々気弱に見えなくもなかった。


 公爵夫妻を説得するために、みんなで一芝居打つ。エドガーも一度はその考えに賛成していたものの、時間が経つにつれ悩まずにはいられなかったのだ。


「オイジュスの家をこのままにしておいてはいけない、それは分かっているんだ。でも、跡継ぎとして僕を推すのは……」


『何を言っているの、お兄様。お兄様以上に適任な方など、どこにもいないわ』


 宙にふわふわと浮いたジャスミンは腰に手を当てて、胸をそらしている。まるで、子供を叱りつけている母親のような表情だ。


「そうは言っても、他にも跡継ぎとしての資格を持つ人はいるだろう。……そう、例えばメイナード様とか……オイジュスの血をより濃く引いているのは、僕ではなくあの方なのだし」


『駄目よ、叔父様じゃ無理』


 エドガーの言葉を、ジャスミンは即座に却下する。


『叔父様が当主になったら、それこそオイジュスの家はめちゃくちゃよ。親戚たちにいいようにされて、内側から食い荒らされてしまうわ。その点、お兄様なら』


 きらきらとした青い目で、ジャスミンはエドガーをまっすぐに見る。


『オイジュスの分家にしてお兄様の実家であるハルモニア侯爵家がこっそりと後ろ盾についてくれるから、親戚たちの横やりだって十分に防げるわ。ハルモニアは分家の中でも一番強いし、有能な人材もたくさん抱えているもの』


 ジャスミンがそんなことを指摘したのが意外だったのか、エドガーが驚いたような顔で彼女を見つめ返した。


『そうやって、少しずつオイジュスの家を立て直していけば、親戚たちだって好き勝手はできなくなる。お兄様の手腕なら、きっとやりとげられるわ』


「……思ったよりも、君はしっかりと考えていたんだね。いきなりハーヴェイが訪ねてきた時は何事かと思ったし、こっそりと話したいことがあるからオイジュスの屋敷まで来てくれと言われた時は混乱したよ」


 エドガーは横を向いて、ジャスミンから視線をそらす。そうして静かに、ため息をついた。


「そうして、この屋敷で君と再会できた時は……驚きで、心臓が止まるかと思った。こうしてまた君と話すことができて、とても嬉しい。そして、君がいなくなってしまったことが、さらに悔やまれる」


『……そう、ね』


「僕の知っている君は、無邪気で甘えたがりの、ちょっと幼い少女だった。でも君は……このオイジュス家を継ぐにふさわしい淑女に育っていたんだね」


『ありがとう、お兄様』


 それきり二人とも、黙り込む。やがてエドガーが顔を上げ、ふわふわと浮かんでいるジャスミンの頬に手を伸ばした。


 けれどその手は彼女の頬をすりぬけて、何もない宙をさまよう。


「こうして君と話すことはできても、君に触れることはできない。やはり君は、もうこの世のものではないんだね」


 エドガーの手に、ジャスミンが自分の手を重ねる。二人とも、泣きそうな顔をしていた。


「……君と再会したことで、余計に君をなくしたことを思い知らされた気がする」


『それでも私は、もう一度お兄様に会えてよかった。話せてよかったって思うわ』


「……そうだね。僕もそう思う。悲しいけれど」


 触れられない手をしっかりと重ね合わせたまま、二人は視線を合わせずに語り合う。


「ユリさんたちが、君を公爵夫妻に会わせないと決めた理由が分かるよ。それでなくても心の均衡を欠いているあの二人に、今の君という存在は猛毒だ」


『……だから、お兄様に助けてほしいの。お兄様がオイジュスの家という重荷を背負ってくれれば、お父様たちが私にのめり込んでしまっても、オイジュスの家は、この国は守られるわ』


 しょんぼりとそう言ったジャスミンをはげますように、エドガーが笑いかける。


「無念を残していってしまった君のためにも、確かにここは僕が頑張るべきなんだろう。……そのために、多少強引な、というよりこずるい手を使ってでも」


 穏やかだったエドガーの目が、きらりと強い光を帯びる。先ほどまでは迷いをあらわにしていた彼の顔が引き締まり、まっすぐにジャスミンを見返した。


「僕はオイジュスの家を背負う。本来君が受け継ぐべきだったものを、次の世代に渡すために。君がここにいた、その証しを残していくために」


『……ありがとう。そして、ごめんなさい。私が生きていれば、こんなことを頼まずに済んだ。お兄様も、もっと別の生き方ができたかもしれない』


「謝らなくていいよ、ジャスミン。一番辛いのは君だろう。人生を途中で断ち切られて、大切な者たちと切り離されて……」


 エドガーが優しく語り掛けると、ジャスミンの青い目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。実体のないその涙の粒は、ただの光のかけらになって空中に散り、消えていく。


 彼はただ、それを見守ることしかできなかった。




 それからしばらくして、二人は長椅子に並んで座り、静かに語り合っていた。突然の別れからの時間を埋めるように。


「……君が亡くなったっていう知らせを聞いた時は、驚いたよ。ついこの間まで元気にしていたのに、って」


『自分でも、死んだという実感がないの。風邪をこじらせて、苦しいなって思いながら目を閉じて……次に気づいた時にはもう、あの小鳥の置物のところにいたから。状況を理解するまで、少しかかったわ。しかもその後すぐに、疲れてまた眠りについてしまったし』


「でも、こうしてまた君と話すことができた。ユリさんが近くにきたのをきっかけに、目が覚めたのだったかな?」


『ええ。ユリの近くにいると、元気がわいてくる気がするのよ。不思議な絆のようなものを感じるわ』


「……やはり、ユリさんがローズなんだね。ハーヴェイから話は聞いていたけれど、あまりにも君に似ていて、驚いたよ」


『ええ。本人はそう呼ばれることを嫌がっているけれど……でも、私たちは対の存在。それは、彼女も感じ取っていると思う』


 長椅子の上に腰かけるようにして浮いていたジャスミンが、ふと目を輝かせて隣に座るエドガーのほうを向いた。


『ねえ、思いついたのだけど……お兄様、どうにかしてユリを口説き落としてはくれないかしら? お兄様とユリが一緒になれば、私たちみんな一緒にいられるわ』


「それはできないよ、ジャスミン。そんな理由で近づいたら、ユリさんに失礼だよ」


 穏やかな、けれど悲しげなエドガーの返事に、ジャスミンも残念そうに口を閉ざす。


『……でも、やっぱり彼女と離れたくないの。私、小さな頃からずっと、ローズのことを思っていたのよ。お祖父様が生きておられた間は、彼女の名前を口にすることすら許されなかったから……』


 しょんぼりしてしまったジャスミンをなぐさめるように、エドガーが微笑みかける。


「だったら、そんなややこしいことをしないで、彼女に正面から頼んでみればいい。また会いに来てくれませんか、と」


『でも、ユリがそのお願いを聞いてくれるかしら……』


「僕が協力するよ。君はあの小鳥の置物に宿っているのだろう? あれを持ち出して、どこか別の場所で会えばいい。僕が責任持って、あの置物を、君を守るよ」


 エドガーのその提案に、ジャスミンがぱっと顔を輝かせる。それからがばりと、エドガーに抱き着いた。


『ありがとう、お兄様!』


 ジャスミンのうっすらと透ける体越しに、エドガーの顔がかすかに見えていた。


 普段は穏やかな笑みを絶やさないその顔は、ほんの少しゆがんでいた。まるで、泣き出しそうになっているのをこらえているかのように。


 きゃあきゃあとはしゃいでいるジャスミンの声に紛れ込ませるようにして、エドガーはぼそりとつぶやいた。


「……だから、どうかもう、いなくならないで」

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