31.役者はそろった、さてどうしよう
エドガーと話をするためにハーヴェイたちが出かけていってから、十日以上経っていた。
そろそろ何か進展があるかもしれないなと、シオンお父様やジャスミンとそう話しながらひたすら待っていたある日。
「ただ今戻った。待たせて済まない。エドガーとの話はすぐに済んだのだが、悪天候に邪魔されて戻るのが遅れた」
そんな言葉と共に、ハーヴェイが姿を現した。その後ろには、知らない青年。さらに一番後ろには、ステファニーとダミアンさんもいた。状況から察するに、そちらの青年がエドガーだろう。
こっそりと、エドガーらしき青年を観察する。ハーヴェイと同じ十八歳だと聞いているけれど、年の割に落ち着いた雰囲気だ。そして、少々線が細い。
天人の里の薬師、病人を見ている時間よりも薬の研究をしているほうが長い老人と、ちょっと感じが似ている。
とはいえ、あのメイナードのように生気に欠けている訳ではない。穏やかなその目には、強い意志と高い知性が見て取れる。ジャスミンが跡取りとして推すのもうなずける、そんな青年だった。
「あなたがユリさんですね? 初めまして、僕はエドガー。ジャスミンと……ローズの親戚です」
エドガーは私がローズなのだと、少なくともオイジュス公爵夫妻がそう考えていることを知っている。そうして今彼は、ジャスミンにそっくりな私の姿を目にした。けれど彼は、それでも私のことをユリと呼んでくれている。
「はい、私がユリです。こちらは私の兄のシオン」
「どうぞよろしく、エドガー様。妹はこの家を継ぐつもりはない、けれどこの家がこのまま宙ぶらりんになっているのも心苦しい。そんな思いから、あなたに声をかけることとなりました。突然のご無礼、どうぞご容赦のほど」
お父様が優雅にお辞儀をして、そう答えた。エドガーには、天人の存在はまだ伏せておくことにしているのだ。
彼はきちんとした人物だというジャスミンのお墨付きをもらっているし、ハーヴェイの友人ではある。けれどそれでも天人の存在については、気軽に話していいことではないのだ。
そんな私たちの内心を知るはずもないエドガーは、礼儀正しく言葉を返している。
「……オイジュスの跡継ぎは誰であろうと構わないと、僕はそう考えています。ただ、かつてジャスミンが僕のことを買ってくれていたと、そう聞いて……一度、あなたに会っておきたいと、そう思いました」
その言葉を聞いて、ついこっそりと部屋の片隅にある小机を見る。その上に置かれた銀の小鳥は、ごく当たり前の置物のような顔をしてたたずんでいた。
そこにはいつも通りにジャスミンが宿っているけれど、今彼女はおとなしく息をひそめている。彼女がここにいることをエドガーに明かすかどうか、私たちはまだ決めかねていたのだ。
きっと、ジャスミンはどきどきしながら話を聞いているのだろう。そう思った時、ふといたずら心がわき起こった。エドガーに向き直り、そっと切り出す。
「あの、エドガー様。一つ、聞きたいことが……その、ジャスミンのことで」
「どうぞ、ユリさん。あなたにとってジャスミンは、きっと特別な存在なのでしょうから。彼女について知りたいと思うのは、当然のことです」
「その……エドガー様から見たジャスミンは、どんな女性だったのでしょうか。エドガー様は彼女のことを、どう思われていたのでしょうか」
私の問いに、お父様やステファニーたちが目を丸くする。首尾よくエドガーをここに連れてくることができたら、どんな風に話を進めるのか。それについて、ある程度は事前に打ち合わせてはいる。
けれど私のこの問いは、その予定には入っていない。いきなり何を言い出すのかと、みんなの顔にはそう書かれていた。
そして当のエドガーは、悲しそうに微笑んで目を伏せた。部屋に、緊迫した沈黙が満ちる。
「……彼女は僕にとって、可愛い妹のようなものでした。僕は彼女の幸せを、何よりも願っていました。それなのに、あんなことになって……」
エドガーの声に、ほのかな涙がにじむ。ハーヴェイがもらい泣きしかけたのか、こっそりと目元を押さえていた。
「……せめて、彼女が生きた証を残していってほしい。そのために、オイジュスの家が末永く、つつがなく保たれてほしい。そんな僕の思いも、現当主である公爵様には届かないようでした。それがもどかしくて、口惜しくて」
弱々しい声でそうつぶやいて、エドガーが私をまっすぐに見る。きっと彼は、私の中にジャスミンの面影を見ているのだろう。だから静かに、彼の目を見返していた。
どことなくしんみりしたその時、可愛らしい叫び声が響いてきた。
『お兄様、エドガーお兄様あ!』
そんな声と同時に、ジャスミンがふわりと空中に躍り出てきた。彼女はそのままエドガーに飛びつく。
魂である彼女は、彼には触れられない。けれど私には、彼女がしっかりと彼の首元に抱き着いているように見えていた。
「えっ、ジャスミン!?」
しかし当然ながら、エドガーは目を極限まで見開いて、呆然とジャスミンを見つめるだけだった。ジャスミンは彼にすがったまま、くすんくすんと鼻を鳴らしていた。
「……まさか、君がここにいたなんて……」
『ユリが来てくれたおかげで、目覚めることができたの。こうしてお兄様に会えて嬉しいわ』
ジャスミンについて大まかな説明を受けたエドガーは、戸惑いつつもどうにか彼女の存在を冷静に受け止めたようだった。思っていたよりはずっと、立ち直りが早い。
「それで、公爵様たちはこのことを知っているのだろうか?」
『いいえ、知らないわ。……今のお父様たちの前に私が姿を現したら、余計に事態が悪くなるかもしれないから。私、もう一度お父様とお母様と話したい。でも、今のままでは、それも難しくて……』
ジャスミンの声に、どんどん涙がにじんでいく。
『だからお兄様、お願い、オイジュスの家を……』
エドガーは目を見開いて、それから私たちを見渡した。
「……ハーヴェイ、どうして君がこうもかたくなに僕をここに連れてこようとしたのか、理解できたよ。こうなったら、僕も覚悟を決めよう。ジャスミンのために」
ほんの少し女性的な、線の細い容貌からは想像もつかないくらいに力強く、彼は言い放った。
「僕は、ジャスミンの思いを受けて、オイジュスの家の跡継ぎになれるよう努力する。彼女が安心して、両親と会えるように」
『お兄様……』
ジャスミンは感動でぼろぼろ泣いている。そこに、お父様がそっと口を挟んだ。
「決意していただいて、ありがとうございます。けれど具体的にどうするのか、その算段はついているでしょうか?」
「あいにくと、何も。だから、みんなの力を借りたい。僕一人では思いつかなくとも、みんなの知恵を合わせれば、きっと何かいい案が生まれると思うから」
「ええ、喜んで力を貸しましょう」
それから私たちは、みんなで顔を寄せ合って相談し始めた。
公爵夫妻のことをよく知っているジャスミンとエドガーを中心に、お父様とダミアンさんが年長者としての意見を述べ、ステファニーとハーヴェイが貴族の若者目線で言葉を添えている。
つまるところ、見事に私だけが役立たずになってしまっていた。私は貴族どころかそもそも人間の社会についても疎い。
仕方なく口を閉ざしたまま、みんなの話に耳を傾ける。ちょっとだけ、しょんぼりしながら。
『ずいぶんとふてくされた顔だね。君は仲間外れにされたと思っているのかな?』
頭の中に、そんな声が響く。お父様ときたら、話し合いの最中だというのに、術を使ってこっそり内緒話を持ちかけてきたらしい。
『仕方ないでしょう。この話し合い、私の出番はなさそうです。……もうちょっと本腰を入れて、人間の、貴族のことを学んでおけば、もっと何かできたかもしれませんが』
『そう思えただけでも上出来だよ。うん、君が成長してくれて私は嬉しい。旅を再開したら、もっと色々なところをめぐって、もっともっと人間たちについて学んでいこう』
『お父様ったら……まだオイジュス公爵家の問題も片付いていないのに、もう先の話ですか』
『いいじゃないか。楽しい未来を思い描いていると、心が浮き立ってくるだろう?』
そうやってお父様と話していると、ちょっとだけ気分が明るくなるのを感じる。たぶんお父様は、私を励ますために内緒話を始めてくれたのだろう。
『それに話し合いの間はともかく、いざあの公爵夫妻を説得する段になったら、君は重要な役割を担うことになるだろうからね。仲間外れどころか、主演女優だよ』
『えっ? 私が、演じるのですか? 何を? どうして?』
『ちょうど今、そんな感じに話がまとまったよ。聞いていなかったのかな?』
ぽかんとした時、ジャスミンがふわりと私の前に舞い降りてきた。やけに張りきった顔で。
『ふふ、頑張ってねユリ。私とあなたがどれだけ息を合わせられるかに、この勝負はかかっているわ』
私の両手を取ってはしゃぐジャスミンの向こうには、ちょっぴり楽しそうな顔のエドガー、ステファニー、それにハーヴェイがいた。ダミアンさんもおかしさを隠し切れない顔をしている。そして隣を見ると、お父様が茶目っ気たっぷりに片目をつぶっている。
公爵夫妻を説得する。そんな目的のもと話し合っていた彼らは、どうも少々面白そうな作戦を打ち立ててしまったらしい。それも、私が上の空になっている間に。
何をどうするのか全く分かっていなかったけれど、ひとまずジャスミンにうなずく。
「……ええ、よろしくね」
私の言葉を聞いて、全員がにっこりと笑った。この場の空気が、一気に明るくなる。
「それでは、さっそく練習を始めようか」
エドガーの合図で、ハーヴェイとステファニーが立ち上がった。こんな状況で不謹慎なのは分かっているけれど、秘密の作戦に秘密の練習、そんな言葉にちょっとわくわくしている私がいた。
ふと、天人の里でのことを思い出す。あそこでもよくこうやって、年の近い子供たちが集まって、色々と遊んだり、いたずらをたくらんだりしていた。ちょうど、今私たちがしているのと同じように。
天人も人間も、そう違うものでもないのかな。なんとなく、そう思えた。




