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30.私の血族がまた増えた、でも実感はないの

 部屋に入ってきたのは、どうにも覇気のない人物だった。


 公爵夫妻よりも若いのは確かなのだけれど、妙に生気に欠けていて、若々しさがない。幽霊であるジャスミンのほうが、よっぽど生き生きとしているくらいだ。


「彼はメイナード・オイジュス。私の末の弟で、普段はオイジュスの別宅で暮らしているのだ」


「よろしく、ユリさん。ジャスミンがいるのかと、一瞬驚いてしまったよ。その姿といい、その赤い目といい、君が間違いなくローズなんだね」


 メイナードはそう言ってぼんやりと笑い、のろのろと手を差し出してきた。


 その手をにぎったのはいいものの、驚くほどの冷たさに思わず手を引っ込めそうになる。が、メイナードが手を放してくれない。


 どう言葉を返していいか分からなくて困っていると、すっと隣にシオンお父様が立った。


「初めまして、メイナード様。私はシオン、ウラノス男爵家の遠縁のものです。ユリはずっと我が家で、私の妹として育ってきました。それもあって、彼女はローズと呼ばれることに戸惑いがあるのですよ」


 その言葉に、ようやくメイナードは私の手を放してお父様に向き直る。やはりゆったりと握手をして、彼は続けた。


「そうでしたか、それはそれは……ですがこうして、無事に跡継ぎの娘が見つかったのです。彼女がローズとしての自覚を持てるように、協力をお願いしますよ、シオン殿」


 ひ弱そのものといった雰囲気のメイナードの顔に、笑みらしきものが浮かぶ。彼はお父様の手をにぎったまま、また私のほうを見た。


「私は君の叔父にあたるんだよ。両親には話しにくいこともあるだろうし、好きなだけ頼ってくれ。しばらくは、この屋敷に滞在するから」


「は、はい、ありがとうございます……」


 そうしてようやっと、メイナードは公爵夫妻と共に部屋を出ていく。お父様と私はしばらく無言で扉を見つめて、それから同時に大きく息を吐いた。


「叔父……ですか。また妙な人物が……」


「そうだね。何ともつかみどころがないというか……ただ、見た目通りの軟弱者ではなさそうな、そんな気がするよ」


「ねえジャスミン、あなたはメイナード様のことをどう思っているの?」


 机の上に置かれた銀の小鳥の置物に呼びかけると、すぐにふわりとジャスミンが空中に姿を現した。


『ううん……よく分からない方、かしら。いつもあんな感じで、ふらふらとして覇気がなくって。あんまり仲良くなりたいとは思わなかったから、できるだけ関わり合いにならないようにしていたの』


「そうなの……だったら、私もできるだけ近づかないでいようかな。メイナード様は、ちょっと……ううん、かなり苦手かもしれない」


 握手をした時の、彼の手の感触を思い出す。ひやりとしてぬめっとして、どうにも薄気味が悪かった。


 それに、あの目。笑みを浮かべているのに、あの目だけは笑っていなかった。どろんとしたあの色は、よどんだ水の流れを思い起こさせた。


 ぬめぬめとまとわりつくようなそんな記憶を追いやるように、小さく首を横に振る。


「どのみち、エドガーさんを跡継ぎにして、平穏を取り戻すまでの辛抱だものね。そうすれば心置きなくここを発てるし」


 その言葉に、ジャスミンが悲しそうな顔をする。


『ねえ、ユリ……あなたは大切な旅の途中だと聞いたけれど……ここを発ったらもう、戻っては……こないのよね』


「そのつもり……だけど」


『……やっぱり、寂しいわ。私、ずっとあなたに会いたくて、ずっとそのことが心残りで……やっと、こうして会えたのに……もう二度と会えないなんて』


「ジャスミン」


 しょんぼりしてしまったジャスミンに、お父様がそっと声をかける。


「君は、既にその生を終えた。本当は、いつまでもこうしてこの世に留まっていていい存在ではないんだよ。少しずつ、その気持ちに折り合いをつけていかなくてはね。……君に活力を与える薬を作った私が言うことでもないけれど」


『分かっているわ。私はもう死んだのだから、素直に天に召されなくてはいけない。分かっているのだけど……やっと、ローズに会えたのに……まだまだ、話し足りないのに……』


「お父様、ジャスミンに意地悪しないでください。彼女はまだ十五で亡くなったんですよ。もうしばらくこの世に留まっても、ばちは当たりません」


 ジャスミンを背にかばうようにして立ち、お父様をにらみつける。


 自分でも不思議な話だとは思うけれど、私にとってジャスミンは、とても大切な存在だと思えていたのだ。彼女と出会ってから、まだひと月も経っていないのに。


「そうは言うけれどね、ユリ。君だって知っているだろう。肉体を失った魂があまり長くこの世に留まっていれば、自分を見失って悪霊となることもあるのだと」


「それは、さまよえる魂がとびきり強い心残りを持っていたり、ひとりぼっちのまま放っておかれたりした場合ですよね。ジャスミンは、大丈夫です」


 一生懸命に言い張ると、お父様はやれやれとばかりに肩をすくめた。


「まあ、私たちが去ってしばらくすれば、いずれ薬の効果が切れて、彼女はまた眠りにつく、か」


 お父様のその言葉に、背後のジャスミンを振り返る。彼女は青い目で、じっと私を見つめていた。小さくうなずき合ってから、そろそろとお父様に声をかける。


「……あの、お父様」


「何かな、ユリ。君が何を言おうとしているのか、既に見当がついたような気もするけれど」


「その……もうちょっとだけ、薬を作ってはもらえませんか? 私ももう少し、彼女と話したいです……成人の儀を終えてから数年くらいは、こっそり会いに来ても大丈夫だと思いますし……」


『お願い、シオン様』


 二人がかりで、お父様をじっと見つめる。お父様は目を丸くしていたが、やがて額に手を当てて苦笑した。


「仕方ないね、分かったよ。まったく、その顔でねだられたらどうしようもないな。あの薬の材料は、まだ残っている。でも私はあの薬の調合には時間がかかるよ。それでもいいかい?」


 その言葉に、こくんとうなずく。公爵夫妻にメイナード、あまり顔を合わせたくない相手は多いけれど、こうやってジャスミンと話す時間を増やすためなら、我慢できる。


 それに、エドガーさんを跡継ぎにするという仕事も残っている。その間に薬を作ってもらえばいいと、そう思った。


「ふふ、姉妹の絆というのは強いものなのだね。この公爵家には思うところも山のようにあるけれど、君がそうやって彼女と絆を結ぶことができた、そのことは素直に喜んでおこう」


 それからお父様は立ち上がる。読みかけの本を机の上に置いて、なんだか意味ありげに笑いながら。


「それではさっそく、調合の準備をすることにしよう。ちょっと私の客間まで、必要な道具を取ってくるよ。この部屋には守りの術をかけてあるから、私が戻るまでここでおとなしくしていておくれ」


 お父様はそう言って、無駄のないしなやかな足取りで部屋を出ていった。そうして部屋には、私とジャスミンだけが残される。


 入り口の扉をじっと眺めていたジャスミンが、ぽつりとつぶやく。


『……シオン様って、やっぱり素敵ね』


「うん、私の自慢のお父様だから」


『お父様、ね……それだけでもないような気がするのだけれど』


「それだけでもないって、他に、何かあるの? 何のこと?」


『私の気のせいかもしれないけど……ねえユリ、天人はずっと若い姿で生きていて、そのせいもあって数十年の年の差夫婦も珍しくないって言っていたわよね』


「そうよ。お父様はかなり若いほうだし、まだ結婚していないけど。里の女性たちを、片っ端から振っちゃって。一生独り身でいるつもりですかって迫ったら、あいまいに笑ってごまかされちゃったし」


『だったら、やっぱり気のせいじゃないわ』


 ジャスミンがやけに嬉しそうに顔を輝かせている。しかし私は、何のことやらさっぱり分からない。


「ねえ、何のことなのか教えてよ。気になるわ」


『今は内緒。多分そのうち、嫌でも正解を知ることになるわ。他ならぬ、シオン様の口から。ふふ、この世に残って見届けたいものが増えちゃった』


 鼻歌を歌いながら、ジャスミンはふわふわと空中を漂っている。彼女がご機嫌なら、まあいいか。


 そう自分に言い聞かせて、私はまた彼女に話しかける。もっともっと、彼女と話していたかったから。


 もしかしたら私は、十六年の別離を埋めようとしているのかもしれない。ふと、そう思った。

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