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13.敵って、そういうことでしたか

 私はシオンお父様に手を引かれて、王宮のだだっ広い廊下をゆったりと歩いていた。


 天井がとても高く、幅も広い。ここまで広いと、馬車で駆け抜けることだってできそうだ。こつこつと靴音が響いているのが、まるで音楽のようにすら聞こえる。


 やけに上機嫌なお父様が、そっと耳元でささやきかけてくる。


「私も王宮に来たのは初めてだね。しっかりと目に焼き付けておこう、ユリ。ここのことを、里のみんなに話してやれるようにね」


「はい、お父様……じゃなかった、シオン。……あの、これ本当に続けるんですか? 落ち着かないんですけど」


 なぜだか分からないけれど、お父様はこの大舞踏会の間だけ名前で呼んでくれと頼んできた。特に断る理由もないからと承諾したのはいいものの、やっぱり落ち着かない。


 お父様は一人前の天人で、見た目はここ十六年変わっていない。だから、せいぜい二十歳くらいにしか見えない。


 そして私は十六歳、まだ一人前ではないので、見た目通りの年だ。親子だと名乗るには不自然なので、普段は兄妹ということにしてある。


 しかしこうやって寄り添って、親しげに名前を呼び合っていたら、もっと別の、親しい間柄……要するに、恋人同士に見えてしまうのではないか。そんなことに、今になって気づいてしまったのだ。


「もちろんだよ、ユリ。ここからはいっそう、気を引き締めていかないといけないのだからね」


「……大舞踏会って、そこまで気合を入れなくてはいけないんですか? ただふらふらして踊って、適当にお喋りしていればいいってステファニーから聞いてますけど」


「それで合っているよ。でも私には、もう一つどうしてもしておかなくてはいけないことがあるから。それには、君の協力が必要不可欠なんだ」


「さっぱり話が見えてこないんですが」


「君は分からなくていい。ちょっと協力してもらえればそれでいいんだ」


 お父様は青紫の目で、哀願するように私の顔をのぞきこんでくる。子供の頃から数え切れないくらい見た、お父様の『お願い』の顔だ。


 私はこの顔に弱い。困ったような笑顔でじっと見つめられると、お願いを聞いてあげたいなという気分になってしまうのだ。お父様もそれを分かっているのか、どうしても私が譲れないと思っている時は、この顔をしない。


 裏を返せば、頼み込めばここで私が折れてくれるに違いないと、お父様はそう考えている訳で。


「……分かりました。協力します。シオンは昔から、言い出したら聞きませんし」


「ありがとう、助かるよ。君の広い心に感謝する」


 これではどちらが親なのか、分かったものではない。天を仰ぎたくなるのをこらえながら、しずしずと廊下を進んでいった。




 やがて私は、異変に気がついた。そろそろ大舞踏会の会場である大広間に近づいているらしく、あちこちで着飾った人々とすれ違うようになっていたのだ。


 それだけなら、特に問題はない。というか、当たり前のことだ。


 当たり前でなかったのは、周囲の人々の反応だった。私たちが近づくと、みな目を真ん丸にして道を空け、そのまま立ち尽くすのだ。


 声をかけてくるでもなく、邪魔をしてくるでもない。ただうっとりとしたような視線だけが、私たちを追いかけてくるのだ。


「……注目されてますね。どう考えてもシオンのせいですね、これ」


「いや、君のせいでもあるよ。君はとっても可愛らしいから」


「それを言うなら、あなたは美しすぎるんです。ダミアンさんがその服を用意したそうですが、ちょっと気合いを入れすぎてますよね。美しすぎで、似合いすぎです」


 そこまで言って、小声で付け加える。


「……もっとも私も、あなたのそんな姿が見られて嬉しいんですけど」


 返ってきたのは、それはもう幸せそうなため息だった。


「ああ、ユリにそう言ってもらえるなんて……やはり、大舞踏会に来ることにして良かった」


 隣をちらりと見ると、お父様は感動に打ち震えていた。そんな姿も絵になるのだから、色男は得だ。


 などと考えていたら、向かいから知った顔がやってきた。私たちをここに誘った、アンテロース伯爵家のハーヴェイだ。


 彼もまた、しっかりと着飾っていた。それはよく似合っていたけれど、何というか少々気合が入りすぎていて暑苦しい。それに気のせいか、ちょっぴり鼻息が荒い。牛か。


 うっかり牛が着飾っているところを想像してしまい笑いをこらえる私に、ハーヴェイはゆったりと歩み寄ってきた。


「ああ、もう来ていたのか。ユリさん、シオン殿。二人とも、とても麗しい。先日の茶会の時も、天使の兄妹のようだと思っていたのだが……今日の貴方たちは、さらに美しい。となると、いったい何に例えればいいのやら」


「こんにちは、ハーヴェイ様。お褒めいただき、ありがとうございます」


 きざったらしく長々と挨拶してくるハーヴェイに、礼儀正しくお辞儀をする。それからちらりと横目でお父様の様子をうかがった。


 前にお父様は、この大舞踏会で敵がどうのこうのと剣呑なことを言っていた。そしてその敵の中に、このハーヴェイも含まれるのだと言っていた。


 これは絶対に、何かあると覚悟しておいたほうがいい。お父様は変なところで行動力があるから。


「お久しぶりです、ハーヴェイ殿。……今日は一日、私がユリをエスコートしますので」


 お父様も丁寧に挨拶の言葉を述べていたけれど、微妙に目が笑っていなかった。お父様とハーヴェイは見つめ合ったまま、微妙によそよそしい笑顔を浮かべあっている。


 この二人、どうしよう。空気が悪くなっているけれど、どちらをどう止めたものやら。気まずい思いをしていると、後ろからおっとりとした声が聞こえてきた。


「あら。ユリ、そちらの方はお知り合いなのですか?」


 ちょうどその時、ステファニーとダミアンさんが追いついてきたのだ。私たちと同じように、ダミアンさんがステファニーの手を引いている。とても微笑ましい、仲のいい親子の姿だった。


 振り返り、二人に笑いかける。助かった、この二人を巻き込もう。


「ええ、こちらはアンテロース家のハーヴェイ様よ。別の町で知り合った方なの。彼に誘われたのがきっかけで、この大舞踏会に出ることにしたの。ハーヴェイ様、こちらはダミアンさんとステファニー。ウラノスの本家の方々です」


 それから五人で、当たり障りのないお喋りをする。先日の一件もあって、ハーヴェイと二人きりになるのだけは絶対に避けたい私には、この状況はありがたいものではあった。


 しかし今度はお父様の言動が妙だった。なぜか私の腰をしっかりと抱いているし、隙あらば私に話を振って、『シオン』と呼ばせようとしてくる。


 お父様の意図が分からないまま、ひとまず流れに乗っていると、やがてハーヴェイがおそるおそる尋ねてきた。


「その、気のせいだろうか……貴方がたが、先日よりも親密なように思えるのは……」


「ええ、せっかくの晴れ舞台なので、私たちも包み隠さず、ありのままをお見せしようと思いましてね」


 すかさずお父様が、にこやかにそんな言葉を返す。私を抱き寄せているお父様の腕に、さらに力がこもった。ここはどうか口を挟まないで、ということなのだろう。


 そうしてお父様は、美しい唇をゆっくりと動かして、ひときわ意味ありげにささやいた。ぞくぞくするような、甘く低い、つややかな声で。


「実は私たちは、血がつながっていないのです。ですから……ね?」


 その言葉に、ハーヴェイがすっと眉をひそめる。どうやら少々深刻な話になりそうだと判断したのか、ダミアンさんがステファニーを連れて半歩後ろへ下がった。


 ハーヴェイはいつものきざったらしい雰囲気を引っ込めて、かすかに青ざめた顔でつぶやく。


「……なるほど、そういうことだったのか。貴方がたの関係がよく分からないと、最初からそう思っていたのだが」


 彼のただならぬ様子に、ようやくお父様がやろうとしていることに思い当たった。


 お父様は、先日ハーヴェイが私に告白したのを、たぶん式神か何かを通して聞いていた。


 そうして私が彼の告白を受け入れるつもりはなく、かといってどうやって断ればいいのか分からずに困り果てていることに気づいていたのだろう。


 君は彼を追い払えない。ならば、彼のほうから引きたくなるように仕向けるまでだよ。そんなお父様の声が聞こえたような気がした。


 まずはこの大舞踏会の場を利用して、お父様の圧倒的魅力と私たちの親密さを見せつける。


 そうして、私たちは血がつながっていないのだから、いざとなればただの兄妹以上の関係にだってなれるのだと、お父様はそう匂わせたのだ。わざわざ名前で呼ぶように私に頼んだのは、きっとそのためだ。


 なんともまあ、大人げないやり口だ。ただその方法は、思いのほか効いているようだった。さっきからこちらの様子をうかがっていた若い男性が何人も、今のやり取りを見てそろそろと遠ざかっていくのが見えた。


 もしお父様がこの仕掛けをしていなかったら、今頃私はあの男性たちに囲まれ、順にダンスのお相手をする羽目になっていただろう。正直、考えただけで寒気がしてきた。


 なるほど、前にお父様が言っていた『敵を追い払う』というのは、そういうことだったのか。彼らは私にとって、ある意味敵のようなものではあるし。


「…………そうか。どうやら俺は、邪魔をしてしまったようだな。少し頭を冷やしてくる」


 難しい顔でそう言って、ハーヴェイもすごすごと引き下がっていった。ちょっと申し訳ないとは思ったけれど、それよりもほっとする思いのほうが勝ってしまっていた。


 ステファニーとダミアンさんが、ハーヴェイを追いかけるようにして離れていった。どうも二人は、彼のことを気遣っているらしい。


 ハーヴェイは思いっきり落ち込んでいるようだったし、そしてそれはお父様のせいだ。だから、誰かが彼についていてくれるのはありがたかった。


 正直お父様はやり過ぎなのではないかと、ちょっぴり罪悪感を覚えなくもなかったから。そもそも、元はといえば私がうまく彼をかわせなかったせいでもあるし。


 そうして二人きりになってから、お父様にささやきかける。


「その、ありがとうございます。私が貴族の男性との交流を苦手としていることも、ハーヴェイの誘いを断れずにいることも、知っていたんですよね」


「ああ。君には、人間の世界の中でも貴族たちの社会を見てもらおうということになった。平民の社会よりは、危険が少ない。でも男性が言い寄ってくる可能性はあるからね。君はとっても愛らしいから」


 そういうものだろうか。天人の里にいる間は、特に誰にも言い寄られたりしなかったので、いまいち実感がわかない。


「だったら、この大舞踏会を利用して、見せつけてやろうと思ったんだ」


「見せつける……ですか」


「そう。可愛いユリは私のものだから、手出しをしようなどと思わないように、ってね。友人になりたいというのなら歓迎するけれど、それ以上を望もうなどと思ってはならないよ、と」


 そう言って、お父様は私の手を取り、その甲にそっと唇を触れさせた。ハーヴェイに触れられた時は正直気持ち悪いとしか思わなかったのに、お父様が触れると胸が熱くなった。妙に胸が高鳴ってしょうがない。


「ふふ、いい顔をしているね。それじゃあ、今日のしかけの仕上げといこう。ほら、ユリ。こちらだよ」


 お父様に手を引かれて、大広間に足を踏み入れる。そこはダンスの場となっていて、たくさんの人たちがくるくると回っていた。


 まるで主賓のような態度で、お父様は堂々と大広間を歩いていく。やがて、王広間の中央、ひときわ大きなシャンデリアが飾られているすぐ下にたどり着いた。


「それでは、お姫様。私と踊っていただけますか?」


 冗談めかして、お父様が優雅にお辞儀をする。にっこりと微笑んで、お父様の手を取った。


 そうして、ダンスが始まる。前にハーヴェイのお茶会で踊ったものよりずっと広い場所で、ずっとたくさんの人たちと一緒に。お父様と触れているのは、苦にならない。このままずっと、ここで踊っていられそうだった。


 しかし、そうやって踊っていたら、また周囲の人たちの様子がおかしくなった。一人、また一人と、踊りを止めて立ち尽くしている。


 気がついたら、踊っているのは私たちだけになっていた。周囲の人たちの熱い視線を浴びながら踊るのは、どうにも落ち着かないものだった。


 そしてもう一つ、お父様もちょっとおかしかった。前よりももっと密着して、とびきり甘い砂糖菓子のような笑みを浮かべて踊っているのだ。


「……シオン、もしかしてこれも『見せつける』なのですか」


「そうとも。聞こえないかい? とってもお似合いの二人だって、そう噂する声が」


「私、そんなに耳は良くないので。……でも、聞こえるような、そんな気がします」


 いつもと同じ口調でそう答えつつも、妙な具合に胸が高鳴っていた。やけにくすぐったい気分で、不思議なくらいに楽しかった。


 こんなに楽しいのなら、大舞踏会とやらも悪くないかもしれない。私はそう思っていた。


「……ジャスミン!!」


 狂おしい悲鳴のような声が、大広間に響き渡るまでは。

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