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広く静かなリビングで結城美沙は一人、ソファに腰を降ろし最近にしては珍しく鳴った携帯電話を弄っていた。
瑞穂からのラブコールが結構頻繁に掛かってきていた携帯電話。それが鳴らないというのはやはり寂しいものだった。
元々、美沙も真人と同様、電話はあまり好きではない。特に携帯電話が普及してからは、365日何処に居ても捕まるという環境が良いと大半の人が好意的に受け止めているのにおかしさを覚えていた。
── 嫌なら電源を落とせばいい。
そう云う知人は肯定派だ。
何時如何なる時も携帯の電源はONにして、電池が切れそうになればそわそわ落ち着きを無くす。そう云うタイプにこの気持ちは分からないだろうなと苦笑いした記憶は、一回や二回ではない。
電源を落とすと云う行為をすれば確かに煩わしさからは開放される。ただ、いざという時に繋がらない電話に何の意味がある。そういう思考が電源を落とすのを躊躇わせる。
「結局、鳴れば煩わしいのに電源は落とせない。便利なのに不便な物よね。── そうは思わない? ねっ、里美さん」
「なるほど、神城があそこに来たのはそういう事でしたか」
気配は消していたつもりだったが、あっさりと美沙にその存在を看破される。だが、それは里美にとって驚くほどの事ではなかった。
「ん、まあね。良雄君から瑞穂達を見失ったと連絡があってね。それを真人君に伝えたら飛び出して行ったわよ。でも、貴女のその傷、真人君にやられた訳じゃなさそうね。
私の愛娘の才能を見誤って受けた傷って処かな」
ニコニコと全てを見透かしているかの様な美沙の口調に里美は、
「そういう処、相変わらずですね美沙さんは」
「あらら、そう云う貴女は大人になったわよ。十年前より綺麗になった」
「変わったのは外見だけですよ。中身は何も変わってない」
「ふーん、なら約束を守る為にここに来たって訳じゃないのかしら」
顎に指を当てて「変ねぇ」とばかりに首を傾げる。
「ええ、その通りです。今日は…… 」
…………………………………………………
「ゴメン、マサト…… 何も出来なかった」
買い物を諦め一同は帰路につく。その道すがら良雄の背の上でレイサッシュは三度目の謝罪をした。
「またか、いい加減そのブループから抜け出せよ。今回の事はどう考えても俺の思慮不足だ。俺に非があるのに、そんな謝り続けられると許されない気がしてくるだろ」
困ったようにそう云う真人の態度に、レイサッシュは居た堪れなくなり、その瞳からボロボロと大粒の涙を流した。
真人は今回の事を許されるべき事と思っていない。飽くまでも自分のミスとして、自分を責め続ける。その基点を作ってしまった自分をレイサッシュは許せなかった。
「なあ、ちょっといいか? 」
背中でレイサッシュに泣かれ、どうしょうもなく狼狽えてた良雄が我慢の限界とばかりに口を挟む。
「今回の件ってさ。誰も悪くないって考えられないなら、皆が悪いって考えればいいんじゃないか?
そもそも、俺らが弱いから藤さんにあそこまで追い込まれた訳だろ。弱い奴は一人で責任を抱え込む事は許されないと思うんだが、間違ってるか? 」
「お前…… やっぱ、頭悪いな」
良雄の言葉通りに考える事が出来ないから、この状況になっている。そんな単純な人間ばかりではないのだ。
「んだよ、馬鹿の頭にやっぱを付けるな。真性の馬鹿みたいじゃないか」
「真性の馬鹿なんだよ。そうじゃないなら生粋の馬鹿だな」
「う、生まれつきなのか? 」
「なのだ。ただ、そういう馬鹿は一家に一台必要なんだろうな」
真人は自分の背中で眠る瑞穂の体温を感じながら、瑞穂と美沙にとっての良雄の存在を想像して少しだけ妬け、大きく感謝していた。
自分の抜けた穴を、良雄は真人の代理ではなく個の存在感で埋めてくれた。
それが嬉しい。
良薬口に苦し、良雄が馬鹿なほど結城家には良い処方箋になっていたのだ。
「このタヌキ寝入り娘だって、相当感謝してるだろうしな。そうだろ?」
支える両手を揺らし、小判鮫のようにくっついている瑞穂に起きろと促す。
「まてまて、無茶をするなよ。何時ぞやは、起きるまで一週間掛かったんだぞ」
「あ? そりゃあ弱い魔法なんか使ってるからだろ。火薬の詰め過ぎた弾丸で銃を暴発させればダメージを受けるに決まってる」
この喩えは実に的を得ている。
銃を暴発させた狙撃主の末路は大抵死だ。そして、瑞穂にもそれは当て嵌まる。今まで無事でいられたのは運が良かっただけの話だった。
「けど、今回は術に見合った魔力の放出をして精神疲労を起こしているだけだからな。それほど気を揉む必要はねぇ」
「そうなのか? 」
「そうなのだ」
本気で理解していない良雄に、最も分かり易く伝わる方法を模索した結果の返事がこれだ。
嘸かし唖然とした表情をしているだろうと、真人がレイサッシュを見ると、唖然というよりは自分の考えが間違いではなかったと納得しているような顔をしている。ただ涙の跡はしっかり残っていた。
「レイはこの展開を予想してたみたいだな」
「まあ、ね。少しとはいえ魔導を齧ってるから、そんな事は充分有り得ると思ってたわ。けどさ、本当にそれだけ? 」
「それ以上に何があるって云うんだ? 」
「ん、明確な理由がある訳じゃないんだけど、魔力消費による精神疲労は丸一日寝ても回復しきれないものよ。でもさ、マサトはタヌキ寝入りって云ったわ。それって、ミズホは起きてるって事よね」
そう云われて、瑞穂は真人の背中でペロリと舌を出しながら体を起こした。
「やっぱり…… 」
「代われって云って代わらないからね」
「云わないわよ。でも、まだ30分も経ってないのに何で目が覚めたのか、その説明は求めるわよ」
「そんなの私に分かるはずないじゃない」
目覚めたからといって、完全回復をしている訳ではない。瑞穂は早々に考える事を諦めた。
「でしょうね。となれば、答えられるのはマサトだけって事よ。この短時間でミズホが回復した理由── 話してくれるよね? 」
自然と集まる視線。疲れきっている瑞穂ですら、真人の背中に顔を埋めながら耳を傾けている。
「んなの大した理由じゃねぇよ。瑞穂が消費した魔力の大半が碧眼の魔力だ。そして、俺の中にいるルゼルは碧眼を作り出した。謂わば同一の魔力を持つ存在。足りなくなった魔力の供給にうってつけなんだよ。俺の側にいれば、その魔力を吸収し回復は早くなる」
「だから、ミズホを…… でも、」
言葉を続けようとしたレイサッシュは、真人の目に「余計な事は云うな」という意思を感じ黙った。
真人にその意思がある以上、レイサッシュの答えは肯定されたと同然である。つまり、とんでもない量の魔力を瑞穂は真人から吸収していると云う事になる。
一歩…… 否、一秒毎に真人は疲弊していき、その分瑞穂が回復していく。それも等価ではなく、1回復につき真人は10のダメージを負う。
その身を削り魔力を瑞穂に供給する。
言葉にすれば献身的な行為と取れるが、真人の魔力と瑞穂の許容量を鑑みれば、巨大な貯水池に家庭用ホースで水を供給するような愚かな行為でしかない。それを知っている真人だからこそ、少しでも瑞穂を回復させる為に無理をして限界以上の供給をしているのだとレイサッシュは悟った。
「貴方も充分馬鹿じゃない」
覚悟と瑞穂への思いの深さにレイサッシュは、僅かな嫉妬を感じそう呟き、真人は無言で苦笑いを浮かべるのだった。
「アホらしいわね。私は疲れたから少し寝るわ。貴方、私を起こさないようにしながらも、急いで家に帰りなさい」
「はぁ? 」
背中を貸している良雄にしてみれば「なんつう我儘な」と、レイサッシュを放り投げたくもなるのだが、震えながら顔を伏せているレイサッシュを背中に感じ、これは仕方無し文句呑み込んだ。
「真人、悪いけど先に行く。多分、この人もそれを望んでるしな。行くぞ、ベル」
終始無言で真人達の後を歩いていたベルも、良雄が進むスピードを上げるとそれに合わせ付いて行った。
「ったく、余計な気をつかいやがる…… 」
ほんの少しスピードを上げた良雄に付いて行くのも厳しい。瑞穂を背負ってなければその場にヘタレ込みそうだった。
── ちっ、腹が痛ぇ。
痛みを抑えていた魔力は全て瑞穂に渡っている。正直、良雄と供に歩いていけば最後まで保たなかったかもしれない。
真人は歩幅を狭く、震動が少ない方法を選び、ゆっくりと前に進んで行った。




