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「まだよ」
チェスならチェックメイトの宣言は決着を意味する。
だが、これはチェスじゃない。
そんな希望とは云えない小さな光が、瑞穂の口から諦めの言葉を云わせない。
「まだ? 何に縋ろうって云うのよ。もう貴女に出来る事なんてないじゃない」
── 縋る、か…… そうね。私はいつも誰かに縋ってた。お母さん、お兄ちゃん、良雄君、レイ。一度だって自分に縋った事なんてない。
「あるわよ。私自身に縋れるもの…… 意地ぐらいだけど」
出来る事が意地を張る事だけなんて、情けないかもしれない。けれども、意地だけならこれまで何度も張ってきた。今回はその意地に縋る。
張る意地は死んでたまるか── と、いった所だ。
「意地だけじゃ、何も変わらないわよ」
「当然、貴女を倒す為の力はある。それに意地の全てをぶつけてやるわ」
「力…… って!」
「闇を焼き付くす煉獄の炎よ集え。我に宿れ。放て。焼け…… 」
セルディアの魔術士達の間で常に物議を醸し出す事案が存在する。それは、どの魔法が最強なのかという事だ。更にその話題になると必ずと云って三つの魔法が上がる。
『惑星衝撃』
『虚無消失』
『七聖竜の咆哮』
どの魔法も人が使うには過ぎたる力があり、伝説の魔法である。ただ、前述の二つとは比べて七聖竜の咆哮だけは毛色が違った。
惑星衝撃も虚無消失も、これまで誰一人使えた者はおらず、本当にあるのかさえ分からない正に伝説の魔法だ。
一方、七聖竜の咆哮は使用された事のある魔法である。その威力は一撃で大都市を消失させると云われている前述の魔法とは違い、廃墟にさせる程度の謂わば伝説級の魔法となる。しかし、それでも最強論争には欠かせない上に最強魔法に位置付ける魔術士がいるのは、使用条件が他の魔法と大きく違うからなのだった。
七聖竜の咆哮を使う為に必要なのは、大きな魔力と伝説として存在している七聖竜に認められる事だ。
伝説の竜に認められる必要があるから、伝説級から伝説の魔法に昇華している。そして、最も大切な事である認められる為の条件はない。
今の瑞穂の様に正しい呪を唱え、認められれば何かしらの反応がある。
「は、はっ、見習い魔術士以下のアンタがその魔法を使えるはずが…… 」
「そんな事はないわ。ミズホなら使えるはずよ。
── 云ったでしょ。ミズホには才能があるって、貴女と私どっちが慧眼かこれで分かるわね」
「ば、馬鹿なのっ! 例え使えたとしても、そんな放出量の大きな魔法を使っては精神崩壊を招き兼ねないわ」
「それこそ余計な心配よ。ミズホはどんな魔法を使っても、限界以上の魔力放出をしてきた。危険な橋を渡っているのは尤もだけど、七聖竜の咆哮だけが危険という事じゃないわ」
否、寧ろ大きい魔法だからこそ制御出来るという可能性がある。分がある賭けではないが、このまま何もしないでいるより遥かに建設的だ。
「我を含む全てのものを焼き払い、汝自身も全てを焦がせ…… 」
「ほら、いいの? 詠唱が終わるわよ」
「チッ、熊獣擬態っ! 」
焦りもあったのだろう。咄嗟に里美が術を発動させて瑞穂に迫る。しかし、
「無駄な事を…… 」
里美とは真逆にレイサッシュは冷静そのものにそう云い放つ。だが、里美はその言葉を意に介さず一撃を瑞穂に向けて放った。
カギッ!
金属音の様に鈍い音が響く。
「えっ? 」
何が起こったのか分からずに、攻撃を弾かれ里美は尻餅をついた。
「だから云ったのに、ミズホの腕に力が集まっているのに気付かなかったの?
既に術は発動している。なら、魔法障壁だって当然生まれてる」
魔法障壁は魔術士が魔法を使う時に身を守る楯の様な物だ。その壁は自動的に生まれ、術の強さに応じてその壁の強さも変わる。
「最強級の魔法障壁。中途半端な攻撃なんて全て跳ね返すに決まってるわ。でも、問題はそこじゃない。魔法障壁が生まれてるという事は、術が発動しているという事…… 」
「はっ! 」
「さて、どうするの? どっちが慧眼かなんてもう答えが出た訳だけど」
「じょ、冗談じゃないわ。こんな所でそんな魔法を使われたら…… 」
内外より全ての力の流失を止める結界があるとはいえ、一つの都市を壊滅させる魔法の威力を封じる事は出来ない。そうなれば相殺しきれなかった力が結界の外に被害を及ぼす。
「今ミズホを止めなければ、甚大な被害が出るわね。貴女もそんな嘘を捨てて本気になった方がいいんじゃない」
「アンタ、見抜いて…… って、確かにそんな場合じゃないわね。それじゃ六紅玉の本当の力を見せてあげる『超獣擬態』」
六つの紅玉が同時に輝き出す。
「さっき地面の下から放った力はそれね」
「その通りよ。四紅玉に封じた全ての力を残った二つの紅玉が制御する。
それがこの超獣擬態── これならば、魔法障壁程度なら越える事が出来る」
「結局、擬態って名前に騙されてたって事か。貴女の擬態は想像を封じてるのではなく、創造する魔法…… このぺてん師」
「真実を隠すのが隠形の基本なのよ。けど、これで曝け出した── だから、終わりにするわよ結城」
戦いに於いて、想像と創造にどれ程の違いがある。と、思う者もいるかもしれない。だが、六つの紅玉にそれぞれ獣の力が宿っていると考えて貰えれば、どの紅玉が発動したからどの術が来ると見極めようとする者が必ず出てくる。
そういった者達が一人でも居れば、戦術としては充分効果を発揮しているといえるだろう。だから、里美はレイサッシュに向けて、六つの擬態があるような嘘を発していたのだ。
「汝が通りし後、灰燼と化した夢を汝は見る…… 」
「させないって、云ってるでしょ! 」
犬獣擬態のスピードで間合いを詰めて、熊獣擬態のパワーで瑞穂が生み出した魔法障壁に触れる。だが、それだけではまだ足りない。
里美の攻撃は魔法障壁によって止められた。
「── 云い忘れてたけど、この術の創造モデルは雷獣よ。地を切り裂く雷撃を喰らってみなさい」
熊獣擬態の一撃は、魔法障壁に止められはしたが弾き返されはしなかった。そこに雷獣の雷の力が加わると、里美の腕が蒼白く発光し鋭い刃に変化し、障壁を切り裂いた。
「夢が夢でなくなる時、汝は己も消える存在だと気付く…… それでも放て」
「撃たせない」
切り裂いた障壁の合間から、雷が瑞穂に向けて放たれる。だがその瞬間、瑞穂の両目が大きく見開いた。
「七聖竜の咆哮が一つ、極竜炎ッ!」
そして、七聖竜の咆哮が他の魔法と決定的に違うもう一つの理由がこれだ。
七つの属性それぞれに特化した魔法の総称。それが七聖竜の咆哮の正体である。瑞穂が使ったのは七魔法の一つ〈極竜炎〉。
その効果は右手から放たれた炎が、八つの頭を持つ炎竜を形作る。そして、八つ頭が一つとなり、爆炎が弾ける魔法だった。
「チッ、押しきれ雷獣の爪っ! 」
まだ、発動しきっていない状態であるなら、貫く事が出来るはずだ。そうして放った里美の一撃と瑞穂の魔法が交錯した。
「流石、藤村先生。ありがと威力を削ってくれて、これで憂いなく放つ事が出来る」
「なっ、まさか業と術の発動を遅らせたとでも云うの…… 」
里美の攻撃は、五つの頭を吹き飛ばし消滅した。しかし、残った三つの頭が融合し炎を生む。そして、ガラすきになった里美へ向かって行った。




