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瑞穂を守ると高らかに宣言したは良いが、どうしたら確実に守れるのかレイサッシュには見えていなかった。
今のレイサッシュは翼をもがれた鷹だ。ぶっちゃけ大地を駆け回る鶏と何も変わらない。少しの経験を摘んだ猫にすら勝てそうにない。
どんなに無様だとしてもレイサッシュには、地を這いずりあるかないかもしれない好機を待つしかないのだ。
だが、レイサッシュはただの鶏ではない。その好機に一撃でも入れられば必殺になり得る毒をその嘴に宿した凶悪な鶏だ。猫が小鳥を弄ぶのと同じ様な真似をすれば、状況は一変する。
── 擬態は使えばタイムラグが出来る。一撃で決める気がないなら、必ずチャンスはある。
擬態の力は刹那の時間、真人の力を凌駕する程の力だが、それは部分限定の力なのだ。従って、レイサッシュを倒す為には移動に有する速度強化から、止めを刺す為の腕力強化へのシフトチェンジが必要になる。その隙をレイサッシュが見逃さず突く事が出来れば勝ちが見えてくる。
「そう上手く事が進めばいいわね。来なさい水竜の指環が生み出した力、六赤玉」
ただの隠形系魔術士には使えない魔法。擬態を可能にする赤玉が里美の周りを浮遊する。
「碌に精霊の加護がないこの地で、貴女が何処までやれるのかお手並み拝見させてもらうわ」
── 来るっ!
六赤玉の内の一つが輝きを放ち力を解放しようとしていた。
── どの赤玉にどんな力が宿っているかなんか分からない。けど、この一撃だけはわかる。これでしょ、
『犬獣擬態』
里美の発と同時に、レイサッシュが叫ぶ。そして、後方に大きく跳んだ。
速度強化で間合いを詰めるのは定石である。里美にしても読まれている事は承知だろう。そして、定石通りに事を進めるなら、その場に待機して里美の攻撃に対応する事になるのだが、そこまで定石に拘る必要はない。
定石に縛られていれば、里美の掌で踊らされて無様を晒すだけだからだ。
だからこそ、レイサッシュは大きく後ろに跳んだ。真人ですら、通常の状態でその速度を自在に操る事は出来ない。つまり、それ以上の速度を誇るが為に里美には自在性がない。曲がりなりに使えている様に見えるのは、目標地点を定め1と10を行き来しているからに過ぎない。
── なら対応方法は一つ。ゴール地点をずらしてやればいい。
バックステップを踏んで再び前へ跳ぶ。狩られる側のレイサッシュが一転、狩る側に代わった瞬間だった。
「成程、ちょっとは考えてるって訳ね。でも遅いっ! 亀甲擬態」
「なっ! 」
重力を右手に乗せて放ったレイサッシュの一撃を、里美は軽く片手で受け止める。
「擬態って、獣だけじゃないのね 」
里美の掌が亀の甲羅のような硬度になっている。全力で放ってしまった一撃だけに、レイサッシュの拳は砕けたように痺れている。
「犬、熊、亀── 貴女には三つ見せたわね。残り三つ、披露させて貰えるかしら、期待しているわよ。神官長様」
「このままじゃ済まさないわよ。絶対に許さないから」
里美の防御力は、能力全開時のレイサッシュを超えていた。絶対防御能力を誇る土の神官にとってこれは屈辱以外の何物でもない。
「追撃方法もないのにデカい口叩かないように」
「あら残念ね。まだ左手が残ってるのよっ! 」
里美の擬態とは違い、レイサッシュの術には持続力がある。利き腕ではないとはいえ破壊力は充分ある。
「そ、鳥獣擬態」
だが、当たらなければ攻撃力はないも同然だった。
里美はその背に翼を生やし高く宙を舞う。
「なぁー、そんなんありなのっ! 」
レイサッシュの拳は虚しく空回り、バランスを崩しながら「反則よ」とばかりに声を上げた。
これまでの擬態は肉体強化系の能力だったがこれは毛色が違う。この鳥獣擬態の特色は創造だ。幾ら水竜の指環の力があるとはいえ、ここまで系統の違う力を使えるのは常軌を逸している。
「あら、これで終わりじゃないわよ。鳥獣擬態にはオプションがあるの── 折角だから味わいなさい。
翼矢」
上空から落下しながら、里美の背に生えた翼が何百もの矢と化してレイサッシュを襲う。
「くっ! きゃっ! 」
崩れた体勢を早急に戻し、翼に対応しようとしたレイサッシュだったが、如何せんその数が多い。
初めの数発は腕を払う事で交わしたものの、一枚の羽が腕を貫いた後は払い除ける事もままならず、数十枚の羽をその身で受ける事になった。
「レイっ! 」
深刻な展開に瑞穂は叫び、レイサッシュに走り寄ろうとする。しかし、
「まだ、大丈夫…… よ。足手まといだから、アンタはそこに居なさい」
腕を振るい瑞穂を止めるレイサッシュ。
その腕を振った事により、刺さった羽がレイサッシュの体を離れ大地に溶けていった。
「これ、見た目程威力はないわ。深くは刺さってないし、周りの傷は掠り傷よ」
「ま、そんなもんでしょ。消えかけの魔力をちょいと飛ばしただけだからね。致命傷には程遠いはずよ」
「そ、なの…… 」
術を放った当人の説明に「ふぅ」と安堵の溜め息を吐く瑞穂。
「でもね。掠り傷とはいえ、それだけ傷を負えば戦いに支障が出るわ。残念だけどここまでね。レイサッシュ・ミルレーサー」
勝利を確信し、ゆっくりと里美はレイサッシュに近付いていく。
「…… 私はまだ負けてない」
青ざめた顔色で負けずとそう云うが、敗戦は濃厚だった。
「この環境だから私が勝ったとは云わないわ。けど、この環境で貴女はよくやったと誉めてあげる。サヨナラ、ゆっくり眠りなさい」
レイサッシュまで後三歩という所で、里美は歩みを止め右手を高々と上げた。そして、
「結局全部は見せられなかったわね。熊獣擬態」
簡単に人の命を奪える熊の一撃を──
「クスっ…… ようやく油断してくれた。感謝するわ、藤村先生。奈落落下っ! 」
レイサッシュの瞳に光が戻っていた。
否、初めから光は消えてなかったかもしれない。その光を見逃したのは里美の奢りであり、レイサッシュの云う通り油断だった。
力は残れど出来る事はない── そう判断をしたのは他ならぬ里美だからだ。
「なっ! 」
予期もしないレイサッシュの反撃に、どのような攻撃を受けたのかもはっきりしない。しかし、自分の体重を支える大地が無くなった事だけは辛うじて理解した。
「単なる落とし穴よ。全盛であれば一息で20mは掘れるんだけど、今は2mで精一杯かな。まったく、奈落とは名前負け甚だしいけどね」
「そんなもんで私をどうにか出来ると…… えっ! そ、そんな…… まさか…… 」
穴の下から上を見上げると掘られた分と同等の土が宙に浮いている。
「そ、私の奈落落下は土を消す訳じゃない。近くの空間に移動させるのよ。今回は真上に移動させて貰ったわ。術を使ってなければすぐに飛んで逃げられたでしょうね。けど、逃がしはしない。重力のオプションをつけて埋めてあげるわ。サヨナラ、先生」
決して力強くはないが、レイサッシュはふわりと指を二本、地に向けて降り下ろした。
「い、いやぁーっ! 」
里美の絶叫と供に大量の土が落ちる。そして、静寂が訪れたのだった。




