4
顔無しが声を失ったのは、無駄な動きと知りつつ体を横にして、良雄の突きを避けたのに、見えなければならないものが見えなかったからだ。
側面を向いた顔無しの目に映らなければならないもの── それは突きを交わされて流れていくはずの良雄の体だ。だが、見えるのは不自然に空中で止まっている木刀のみ、
「どうなっている…… 」
良雄の体を見失った事、その場に残された木刀。様々な疑問がその一言に集約されている。
常識的に考えれば有り得ないのだ。
百歩譲って良雄を見失ったのは自分の怠慢だとしよう。しかし、ならば何故、木刀はそこにあるのだ。もし、良雄が突きを交わされた瞬間に手放したとすれば力が加わった分、木刀がその場に留まるなんて事はない。
幾ら科学の観念が薄いセルディアの住人であっても、慣性の法則があるのは知っている。木刀がその場に留まっているのは、良雄が力を加えて止めたからなのだ。しかし、そうなると今度は良雄を見失った理由が不明になる。
顔無しは、一秒にも満たない時間で思考を混乱させていた。そして、ゆっくりと木刀が重力に引かれ地面に落ちると、無意識に視線が木刀を追う。
「なっ!」
視線が下がり、そこで顔無しはやっと良雄の姿を見つける事が出来た。
良雄は顔無しの左下に体を捻りながら居た。あまりにも近い距離と木刀に集中したが為、精神的な死角を創り出していたのだった。そして、それに気付いた時、既に何も出来ないと併せて気付く。
「流石にこりゃあ、痛ぇぞ」
良雄の捻れた体が元に戻ると、十分な反動が生まれる。その勢いを保ったまま落ちてくる木刀をキャッチし、顔無しの胴を斜め上に向かって凪ぎ払った。
「ふっ、ぐっ! ぎゃあぁぁ…… 」
影を扱うようになって、初めて感じる苦痛に思わず叫び声を顔無し発した。
脇から肩に強烈な衝撃が駆け抜ける。
「ま、それでも、生身よりはマシなんだろうがな」
振り切った刀をクルりと回し、鞘に収める仕草をしながら、良雄は顔無しに背を向けてそう云った。
「はっ、は、は、くそっ! 何なんだお前…… 」
呼吸を乱しながら、表情はなくともキツそうな声を上げる。
「何で大した魔力もない奴がこんな攻撃力を持ってる」
「そりゃあ、努力したからじゃないか。俺は秀明の様に頭がよくねぇ。ただ愚直に真人の何倍努力すれば、その差を詰める事が出来るのかだけ考えて剣を振り続けてきた。その結果が今なんだよ」
「ふざけるなよ、それは凡人の発想じゃないか」
魔力の強さが才能という主観の世界で生きてきた顔無しは、魔力の弱い良雄が自分に与えたダメージから、良雄が凡人だとは思えない。しかし、
「だから、凡人なんだよ俺は」
と、あっさり認める良雄。だが、それでいて、卑下するような態度でもない。
「けど、それがどうしたって云うんだ? 今の俺は自分の努力で積み上げた力がある。これを認めない道理はねぇさ。
寧ろ、お前みたいに人に与えられた力だけで、デカイ態度を取るような輩が自分を恥じるべきだと思う訳だ」
「なっ! 」
「この秀明に飲まされた悪魔喰いだっけ?
お前も持っているんだろ? で、その力を借りて影を動かしている。
どうにも俺は、そっちの才能は乏しいみたいでな。恩恵は微妙と云ったところ…… ふふん、どうだ。見事なまでに凡人だろう」
自慢になる話ではないが、今回に限り効果は絶大だった。良雄が普通でないのなら、顔無しは納得してしまう。普通だから、凡人だからショックが残る。
ただ、良雄はそこまで考えて物申しているのではない。思っている事をそのまま云っただけだ。
── あれが意図的に出来るなら結構ポイント高いんだけどね。
少し離れた場所から、良雄を見守っていた瑞穂が苦笑した。
瑞穂にとって、ここまでの結果は驚くような事ではない。
良雄は全力を以て、顔無しに挑んでいる。そして、良雄を一番理解しているのが瑞穂だ。
その瑞穂からすれば、至極当然の光景を見ているに過ぎない。しかし、だからこそ自分達の力のなさを痛感している。
良雄の全力を以てしても、顔無しの心を折りきれない。まだ万策尽きた訳ではないが、このままでは勝算は五分五分といったところで止まっていた。
── やっぱり、不確定要素を勝算に加えるのは無理があるのかな。
残された希望は良雄が云っていたやりたい事なのだが……
感覚的には出来るはずと、良雄は云っていたものの、ぶっつけ本番はやはり難しいようだ。
先程の交錯でも良雄は試そうとしていたようだが、失敗している。もし成功していたら、間違いなく顔無しの戦意はなくなっていた。
良雄がやりたい事の難易度は、今の瑞穂では伺い知り得ない。自分の出来ない事を容易に判断する事など出来ないからだ。しかし、良雄ならやれるのではないか? そう考える自分に違和感はなかった。
「だから苦労してんだよ。お前を追い払うのに必要なスキルみたいだからな」
そう云う良雄に、顔無しは意味不明といった雰囲気を醸した。
「分からないか? だったら、俺がやろうとしている事を教えてやるよ。
お前、俺の居場所を探る為に魔力の糸のような物を付けただろ。そして、それは影と本体を繋げている。
そうするとだ。その糸に俺の魔力を流せばどうなるか? 俺より魔力に精通しているのなら、容易に想像出来るだろ」
「なっ! 」
顔無しの顔が青ざめたような感じがした。
良雄の云っている事は理論上不可能ではなく、もし出来たならこれまでの比ではないダメージを受ける事になる。瞬時にその事を理解した顔無しの動揺がダイレクトに影に反映された結果だった。ただ、その一方で理論上可能だが、そんな高度な事を良雄が出来るのだろうか。と、いう疑念もある。
良雄がやろうとしている事は、自分の武器に魔力を纏わせて攻撃を当てた瞬間にその魔力を一気に放出させようという事なのだが、無機質な物体に魔力を纏わせるのは、一流の魔導師として認められる基準になる。それほどの事を良雄はしようとしているのだが、本人はまるで分かっていない様子なのだ。
普通なら出来るはずがない。と、決め付けて行動に移れるはずなのだが、これまでに見せた意外性が顔無しの判断を鈍らせていた。
── ほぼ100%、虚勢かブラフだ。だが、もし万が一……
そうして思考が止まる。
何度か思考のリセットをしてみても、結果は変わらない。ならばと、顔無しが出した答えは、シンプルの極みに行き着く。
── もう一撃も喰らわなければいい。
方法論無視のその思考は誉めらたものではないが、どのように強大な一撃であっても喰らわなければノーダメージなのだから、決して間違った結論ではない。寧ろ、何も結論着けないで迷っているよりはマシといえる。
何より、
「お前は本当に分かっているのか? 」
「何が? 」
「この勝負、どう足掻いてもお前の不利は変わらないという事に」
ここで互いの勝利条件を纏めてみる。
良雄の勝利条件は、
魔力を纏わせた攻撃を当てる。その上で、顔無しの戦闘意欲を削ぎとる必要がある。
代わって顔無しの勝利条件は、
良雄の攻撃を喰らわない事。だが、もし喰らったとしても魔力添付が成功しなければ、耐える事が出来き負ける事はない。
そして、前述のように魔力添付は一朝一夕で使いこなすのは不可能に近い。
これだけで顔無しが如何に優位な立場にいるか分かる。
「そんなん、互いに初めから分かってる事だろう。自分でそう云わないと不安なのか? 」
そう云われても顔無しは言い返す事が出来ない。まさにその指摘は正鵠を射ていた。
良雄が持つ潜在能力は、正直計り知れない。堅実な努力の積み重ねが、その能力を引き出す鍵となれば、不可能と思える事でも可能となってしまうのではないかと恐れが生まれる。その恐れを払拭する為に、態々優位性を口にしたのだった。
「ああ、そうだよ。今更隠しても仕方がない。どんな小さな可能性でも起こりうるなら恐れるべきだと判断したまでの事だ」
「ちっ、開き直りやがったな」
顔無しの答えは、良雄が一番聞きたくない答えだった。
消極的と思えるその答え。だが、裏を返せばどんな矮小な可能性でも油断しないという事なのだ。つまり、良雄が実力で顔無しを上回らなければ、攻撃は当たらない。
── 敵を知り、己れを知れば百戦危うからず、か。
弱者が強者に対して奇跡を起こす最大の要因が無くなった。それでも、良雄は負けるつもりなど毛頭ない。
戦闘力ではこちらが上と信念を持ち、再び剣を構えた。
「…… ふーん、あれが良雄の本気か。やっぱ猫被ってやがったな」
良雄と顔無しが、ぶつかり合う寸前、固唾を呑んで見ていた瑞穂に掛けられた声。
「お兄ちゃんっ! 」
瑞穂は緊迫な状況である事を忘れ叫んだ。
「よっ、久しぶり」
一方、声を掛けた真人はのほほんとした口調で云う。
「な、何で? 」
「色々するべき事が出来たんでな。緊急一時帰宅ってトコだな。
けどよ。詳しい話は後でするとして、今は良雄を見守るべき時だろ」
「それは、そうだけど…… 」
何故かは分からないが、真人が現れた瞬間に瑞穂の中で良雄を心配する気持ちは全く無くなっていた。
「ま、多分駄目だろうが見ててやれよ」
「え? 駄目って…… 」
「アイツのやりたい事は分かるけど、魔力操作は簡単じゃねーよ。
まして、無機物に魔力を溜めるなんてぶっつけじゃ、99%無理な事だ」
「だったら、見守ってるだけじゃ── !」
万が一、良雄が失敗した時の保険にとっておいた魔法。それを解き放つ為に印を組もうとした瑞穂を真人は制した。
「何があっても良雄は俺達が守る。だから、見せてほしいんだよ」
「見るって…… 」
── この目だ。
真人のこれまでと何も変わらない、揺るがない瞳を見て不安は一切吹き飛んだ。
「良雄が今持っている力と1%の可能性── どうなるのか。見なきゃ損だろ」
「損…… ね。お兄ちゃん、随分余裕があるみたいだけど確信があっての物言いよね? 」
「ま、そりゃあな。あの顔無し程度じゃ、相手にもならない程度の力はあるよ。だから、お前も無理はしなくていい」
止められて尚、組み上げる印を真人はその手を握り止める。
「厳しい事を云うが、その力はお前にゃ過ぎたもんだ。下手に使えば命を縮めるぞ」
「大丈夫よ。今までだって、一週間寝込めば完全復活してきたんだから」
「ばーか、一週間寝込む状態が普通な訳ないだろう。そんな事してっから、三ヶ月ぐらいで老け込むんだよ」
「老け込むって失礼ね。それに一年よ、お兄ちゃんが居なくなってから…… 」
── ああ、そういや時間の区切りが違う時があるって話だったな。
「それじゃ少しは変わって当然か」
「そ、当然なのよ」
── 変わったのは私じゃない。お兄ちゃんが変わったのよ。
真人にとっては三ヶ月でも、瑞穂にとっては一年なのだから、どちらがより新鮮に感じるかなんて議論は意味を成さない。だが、瑞穂は何も変わらないと思っていた真人の顔に幼さが宿っている事に気付いた。
何故、そんな表情が作れるようになったのか、聞きたい事が溢れ出す。だが、今は違うと唇をクッと締め、そっと真人の袖を掴むと視線を良雄に戻したのだった。
ずぶりと両足が地面に沈むような感覚を瑞穂は覚えた。
良雄と顔無しが生み出した気配が、周りの空気に重みを与え、それが自分の身に負荷を掛けているような感じだ。
「さて、どんな牙を隠してたか見せてもらうぜ」
周りの雰囲気に飲まれる事なく真人は呟く。
「いいえ、良雄君が隠していたのは爪よ」
「爪? 」
気になる一言だが、見ていれば分かるという瑞穂の表情に真人も質問を重ねるような事はしない。
そして、充分に練った気を爆発させるように良雄が跳んだ。
「鷹襲三爪撃っ! 」
良雄の叫びに、一度痛い目を見ている顔無しは咄嗟に思考を働かせた。
突きからの二連撃と読む顔無し。だが、良雄は突きではなく上段から斜めに剣を振り下ろす。
「くっ! 」
予想が外れ、回避後の反撃を捨てる──だけでは済まなかった。
余裕をもって交わした時とは違い、必死に首を捻り良雄の斬撃を交わし、何とか頭部へのダメージは受けないで済んだ。しかし、良雄の木刀は顔無しの肩に食い込む。
「くっ! 」
すると、攻撃を交わした事によって斜めに傾いた体が垂直に戻された。
「ここからだっ! 」
顔無し《ノーフェイス》の体が垂直になるや否や、良雄は持ち手を返し刃を再び頭部に向けて放つ。
「ちっ! 」
良雄の動きを見ていただけに、この攻撃にも反応するが、刃は顔無しの頭部をかすめて流れた。
── 交わしきったぞ。
肩に一撃は喰らったものの、その刃には魔力はなく、また返した刃を避けた事で、顔無しの悪い病気が再発した。
それは、捨てたはずの油断。
魔力が乗っていない剣戟に安堵し、良雄が叫んだ技の名前を忘れた。
「── 鷹襲三爪撃。爪は三本ある、か」
外から見ていれば、良雄が攻撃の度に連撃への布石を打っている事がよく分かる。真人は、良雄の動きを見ていて掛け値なしに凄いと感心させられた。
上空に流れた刃が三度帰ってくる。二度に渡り崩された顔無しには最早、その刃を交わす術はなかった。
「上空で獲物を見つけた鷹は、必ず獲物を仕留めるんだぜ」
静かに笑ながら放った良雄の剣戟は、顔無しの頭部を捉えて地面に叩き付けたのだった。




