第六十二話 それどころじゃないんです
「あなた、静様の何なのよ」
現在高等部棟と部室棟を繋ぐ渡り廊下です。
二年の先輩が私たちの前に立ちはだかっています。
こんな台詞、とても久しぶりに聞きました。
以前はよく父との関係を聞かれて「娘」だと答えることが多かったのです。信じてもらえませんでしたけど。
「何…と言われましても。後輩で、生徒会のメンバーですけど」
「しっ静様を最近名前で呼んでいるそうじゃないの! 何様のつもり!?」
何様と言われましても、ゲームで負けて芹先輩のお願いのせいで呼ぶことになったのですけど。
説明しないといけないのでしょうか?
面倒ですね。
タイミングが悪いことこの上ないです。
「婚約者の私を差し置いて、ベタベタとつきまとって!」
差し置くも何も、ベタベタしていませんし。そんな時間もありません。
とっても忙しいのです。
「急いでいるので、失礼します」
「待ちなさい! 話はまだ…」
「忙しいんです、後にしてください」
腕時計を見ると約束の時間まで後、数分です。
階段を駆け上らないといけませんね。
「水崎さん」
念のためにとついて来てくれている速水君が、にっこりと笑います。
「僕のことは置いていっていいよ。部室棟にいる風紀委員に連絡したから」
「ありがとう。それじゃ、また後で」
「はい、いってらっしゃい」
私はトントンとその場で軽く飛んで、ふうと息を吐いた後。立ちはだかっている二年生先輩の右横を抜けると見せかけたフェイントをかけて左側を走り抜けました。
「ちょっ!」
「おお。残像が見えた」
後ろで速水君のそんな声がしましたが、某スーパー宇宙人じゃないんですから、そんなわけないでしょう。
「待ちなさい!」
そう言われて、待つ逃走者はいないですよね。
もちろん私は急いでいるので立ち止まりません。
廊下は走ってはいけませんが、振り切るためとして速水君には見逃してもらうとしまして。
部室棟の三階に行くために駆け上り、何とか時間に間に合いました。
その部室のドアは重いので、勢いをつけて開けます。
ノックはしません。中に聞こえませんから。
二重扉になっていて、もう一つの扉を開くと音が一斉に襲いかかってきました。
そう、ブラスバンドです。
楽器ごとに練習しているので、ただいま絶賛騒音中ですね。
「あれ、生徒会?」
全体練習が始まる時間の前に来て欲しいと言われていたのです。
「これ、書類です。ホール舞台の使用時間などがかかれていますので、確認してください。判らないことがあったら、生徒会ホームページの右下にあるアドレスに連絡してくださいね」
書類を受け取ったのはブラスバンド部部長の男子生徒、楢島さんです。
「アイアイサー。これからOBが練習見に来てくれるんだよね。どう? 少し見ていかない?」
「あ、お邪魔じゃありませんか」
「観客がいると、少し違うからさ。一曲だけでも聞いてって」
「はい」
一応メールでその旨を静先輩に送ります。
やっぱり音が一つになると違いますね。
その迫力に圧倒されました。
一曲が終わった後、引き留められましたが仕事があると言って急いで部室棟を出ます。
実は体育祭に使うテントを新調するのだそうで、材質や色、文字の発注をしなくてはならないのです。
こういうのって学園がやるのでは?
ともかく、急いで生徒会室に戻りました。
音楽のおかげで気分が良くなり、すっかり例の二年生先輩のことを忘れていたのでした。