第五十九話 囚人と白い植物と
ゴポッ
そんな奇怪な音が聞こえた。音の聞こえた方向に視線を移動させる三人。そこには未だ白い粘着質な液体を吐き出すラグスがいた。
「ラグスさん!」
ロイが駈け出そうとするがすぐに立ち止まり、体を淡く数回光らせる。それを横目にディックとザグンがラグスに駆け寄る。
「ラグス!」
水中に頭まで没するのを防ぐためか、ザグンが抱き起す。その瞬間ザグンの顔に喜色が浮かんだ。
ラグスは、異様であった。目も鼻も口も耳もそして額からもおそらく体中の穴という穴からこの白濁した粘着質な液体を吐き出していた。左下椀が骨折しているのかだらんと垂れたままになっており、通常ではありえない位置で曲がっていた。
それを目にしたザグンが腰に下げた鉄の棒を手にし、その腕でラグスの左腕を固定。そのまま左腕を引き抜かんばかりに一気に整復する。
「がああああああああああああああああっ」
まるで獣が吠え猛るかような声が迷宮内に響き渡った。それを聞いた瞬間、ディックとロイが目を合わせうなずき合った。
ロイは引き続き、体を淡く光らせると同時に、ラグスの体へと青白い光が飛び、抱きしめるかのようにラグスの体内に滲んでいく。
ディックは自分の上着をククリで切り裂き始める。ザグンは、元に戻したラグスの左腕に鉄の棒を添え木のように当て、ディックの切り裂かれた上着を包帯代わりに巻き付ける。
その一連の動作が一段落ついた時にはラグスはぐったりとしていた。
一瞬の静寂があたりを包む。全員の呼吸音が聞こえるほどの静寂。その呼吸音が一つだけ違和感を覚えるものであった。
ロイが一瞬だけ疑問符を表情に浮かべ、なにかに思い当たったのか他の二人に声を掛ける。
「その液体のせいで呼吸が困難になっているかもしれません!」
その声が耳に届き、数瞬間があったが、ザグンが決意の表情でラグスの鼻に口を当て一気に吸出し、脇に吐き出す。数度繰り返すと呼吸音が落ち着いた様子であったのを確認しザグンは安堵の表情を浮かべる。
「なんとか、なりそうだな」
ザグンのその言葉に力強くうなずく二人。しかし問題はまだ山積みであった。
「このままでは水に浸かっているだけで体力を消耗していくかもしれません。急いでどこか陸地に移動すべきかと。あとあれだけの騒ぎを起こしたのですからもしかするとモンスターも……」
ロイが周囲を見回しながら、二人に注意を向ける。ディックが自分の後方を親指で示しながら、
「陸地ならこっちにある」
その言葉にザグンが強くうなずき、ラグスを抱え上げる。俗に言うお姫様抱っこスタイルであった。
ディックの先導でラグスを抱き上げているザグン、その後ろにロイが続く。その行進は全くの無言であり、それゆえの焦りに似た空気が隊列にはあった。
いまだに死んではいないとはいえ、ラグスがどのような状態なのかわかるはずもなく、今採っている行動が正しいのかどうかすらわからない。しかし、現状維持では確実に悪化の一途をたどるであろうことを予測していたからであった。
事実、腰まで浸かる水は清廉とは間違ってもいえなさそうであり、汚濁とまではいえないにしてもラグスにとって良い要因は何一つないといえる。
水をかき分ける音と無言の行進は、しばらく続いた。
少なくともまだ到着しないのかと思い始める程度の時が過ぎ去った頃、ようやく前方にぼんやりと谷地坊主のような盛り上がりが見える。ロイがそれを視界に入れた瞬間、言葉を発した。
「まさか……」
そこで言葉をきり、ディックを視線でうかがう。
「陸地っていうのは、あの魔力溜りのことだ……」
申し訳なさそうに目線を伏せたディックがザグンとロイの二人に告げる。
「ふむ、致し方なかろう。あそこで休ませるしかあるまい」
決然として、ザグンがそういう。確かにそれ以外にこの近くには陸地といえるものがなかったからである。ザグンとロイが来た道を引き返したとして途中で魔物に出会う可能性も否定できない。この状態で魔物と出会うのはいささか分が悪すぎる。かといって魔力溜りで気軽に休憩というわけにもいかない。緊急避難的処置としても覚悟のいる行動であった。それ故のザグンの断定的な物言いであった。
ロイが軽く頭を振り、谷地坊主のような陸地を見据えながら
「そう、するしかありませんね」
そういって強くうなずく。ディックはいまだ視線を下にさげていたが、二人の言葉を聞くとそのまま、谷地坊主のような陸地にむかって先導を続けた。
谷地坊主のような陸地には、前にみた魔力溜りのように白い植物が群生しており、薄らと発光しているようであった。松明の明かりがなくても何とかなりそうであった。
「松明どうしましょう」
ロイが二人に質問した。
「ふむ、少なくともラグスが目覚めるまでは、ここで休憩するしかあるまい」
「そうですね。ではディックさんもいることですし、一旦消しておきますか」
二人の会話に、ディックが感心したように目を軽く開く。
当然であるが、松明は延々と燃え続けるものではない。また、一度消してしまえば、また再度点火する必要がある。ロイの質問は、消してしまえばとっさに移動することができなくなることを前提としたものであり、そのことを踏まえたうえで時間的指定、つまりラグスの気が付くまでという指示をザグンが出したのである。それと同時に火打石はディックが持っていることをザグンに示唆し、火は点火できるとあえてディックの名前をだしたのだった。
短い会話の中で、そこまで情報のやり取りができるほどにザグンとロイの仲が深くなっていることに対してディックは感心したのである。まさに阿吽の呼吸ともいえる会話であった。
「できるだけあの白い植物には近づけないようにしたほうがいいでしょう」
ラグスを地面に横たえようとしていたザグンに対して、ロイが注意を促す。それにザグンは頷きを返して、ラグスを白い植物から極力離れたところで地面に降ろす。
ラグスの穏やかな呼吸音を再度確認した後、ザグンはその場にどっかりと腰を下ろす。
「さて……」
ザグンは、ディックにこれまでの動向について聞き、それをディックが訥々と語った。




