第五十五話 囚人と再会と
「ラグス、どうやってここまできたんだ?」
ディックが、そうラグスに問うが曖昧な笑みを浮かべるだけであった。
「そうか、ラグスも罠で落ちてきたのか?」
曖昧な笑みをどう理解したのか、ディックはそうラグスに更に問う。それに対してラグスは、笑みを浮かべたまま首肯したのかどうかすら、定かではない程度に首を縦に振る。実際のところ、ラグスはディックと会ってから一切の言葉を並べてはいない。しかし、それでもディックたちのこれまでの行動から発される信頼感らしきものが、ラグスの怪しげな行動を肯定的にとらえてしまっていた。
「だとしたら、二人で上に戻る方法を探さないといけないな」
ディックは方策に算段でもつけているのか、やや上方を見ながらつぶやく。その時、ラグスの目元がピクッピクッとなにかストレスを感じているかのように引きつったことにディックは気がつかなずにいた。
これまでディック一人で迷宮内を探検してきた、というより彷徨っていたのが正確である。これは現在位置がわからず、かつ方角すら定かではないのでディックには如何ともしがたかった。それゆえに彷徨うしか方法がなかったといえる。しかも、一人で彷徨っていたことから、失敗したら永遠に合流できないこととなっていた。
こと、ラグスと合流し、安心感もましたのか、ディックが過去にラグスに告げた言葉がディック自身に突き刺さる。あの時はラグスを心配して発した言葉ではあったがそれが自分に返ってくるとは、と自嘲気味の笑みを一瞬ディックは浮かべた。
しかし、今は一人ではない。ラグスと二人になることで、これまでよりも役割分担ができる分、負担が軽くなることは想像に難くない。更に複数あった目的である仲間との合流がすべてではないが一部達成したことになる。このことから安心感と安堵感がディックの頬を更に緩めさせようとしていた。
その時、ラグスの腰元から不穏な金属音が聞こえた。頬を緩めつつあったディックは、その顔面を凍らせて素早くラグスを見やる。ラグスは腰元から剣を抜き放っていた。
「なっ、ラグス!」
そうディックが声を掛けた瞬間、ラグスはディックへと猛然と切りかかってきた。最初の袈裟切りを何とかバックステップで距離を取りつつ躱すと、途中であった言葉を再度紡ぐ。
「どういうことだ、ラグス!」
そう言いながら、腰に括り付けてあるサクスを抜き構える。それを見たラグスは曖昧な笑みはそのままに鋭く舌打ちをした後に再度切りつけてきた。
ディックの足元はそれ以上下がると水の中に入ってしまうためバックステップという選択は取れなかった。なぜならディックの戦闘スタイルは回避を主としたであるため、水の中では回避行動に大きく制約がつくからであった。そこでディックが取った選択は、ディックから見て右側から打ち下ろされる剣撃に対し、避けつつラグスの背後を取るというものであった。
重心がやや右前方に傾いているディックをみて背後を取られるのを嫌ったのか、ラグスは斜めに打ち下ろそうとする剣の軌道を無理矢理に変化させ、横を通り過ぎようとするディックを切りつけようとする。しかし思っていたよりも早い移動に剣で切りつける軌道では間に合わないと判断したのか剣の柄頭でディックの背中を強打した。
その衝撃につんのめりながらディックはなんとか前方へ跳躍し、前転をすることでラグスから距離を取ることはできた。しかし、背中から体に響くような痛みが発せられている。その痛みに耐えながらラグスのいる方向へ体ごと視線を向け、さらに声を発する。
「なぜだ、ラグス!」
その問いに対しても曖昧な笑みで返すラグス。その笑みは張り付いているようにディックには見えた。
これまで一度も言葉を発していないラグス。常によくわからない笑みを浮かべているラグス。そして意味もないはずなのに攻撃をしてくるラグス。いつものラグスではないことにディックはこの時初めて気がついた。ラグスが何かしらの精神異常状態を作り出され、ここに居るのであればそれが誰に、いつ、どのような方法でそれが行われたのかはわからないが、これまでの行動は納得はできなくとも理解はできる。しかし、問題は、それを解除する方法が皆目見当もつかないことであった。
さらにそれが前提であれば、ディックがこれまでラグスに行った問いは意味がないこともわかる。ディックは奥歯を噛み締めたのかギリリッと音がし、眉間に激しく皺が寄った。
もしラグスの精神異常を引き起こしているものが魔法的な方法の場合には、今いる魔力濃度の高い場所は、有利になりはすれど不利にはならない。しかし、ディックにとって今いる場所はこの階層において貴重な陸地であり、ここから移動することは不利になることはあっても有利になることは難しい。今痛みを発している背中はその不利にならないための代償であるのだから。
もし毒物であった場合には、この場所での戦闘は特に問題はない。しかし、これを解除するためには、その毒物に対応した解毒薬が必要となる。
二つの仮説が成り立つが、そのどちらもディックにとってあまり好ましくない結果を生み出す。
これまでのこの迷宮のあり方からみて、魔法的な方法によって引き起こされているほうが可能性が高いが、特定まではいたらない。
ディックは、毒物について好悪は別にして職業的にその知識を有している。他人に対し何かしらの行動を促す程度に強力な毒物に対しいくつか思いつくものがあるが、それにしてもなにかしらの命令を与えられる状況がなければならない。魔法的な方法であれば、ロイの分野であり、ディックにとっては手も足も出ない状況になるが、それにしたとしても他人を操るにはある程度命令を与えられるようになる必要があろうし、状況が複雑になればなるほど、その頻度は比較級数的に増すであろうことは想像に難くない。自律判断とはそれほどに高度なものであり一朝一夕になせるものではない。
このことから考えられることは、ラグスがどのタイミングでこの精神異常を引き起こしたかにもよるが魔法もしくは毒物を使っているのであれば、ラグスを操るなにかがラグスの近辺にいる可能性が高い。
そこまでの考えに至ったかどうかは定かではないが、ディックは一瞬で周囲に視線を巡らせる。そして視界の端に男が立っていることに初めて気がついた。それは驚愕を伴ってのものであった。
ディックは、この迷宮においては斥候的な役割を果たしているがここに入る以前も、似たような職業であった。そのために気配察知については相応に修練を積んでいたし、それに伴う自信もあった。しかし、この迷宮に入れられる際に、熟練度の初期化が行われたことによって、その能力は大きく減退したことはたしかに理解していたし、それ相応の注意は当然に払い続け意識的に熟練度を上げようと試みていた。そしてある程度の成果は見えていたのである。
しかし、その男は悠然とそこに立っていた。つまり、驚愕とはディック自身の能力の不甲斐なさへの驚愕であり、さらにその能力を上回る男の存在へのものであった。
果たしてその男とはザイードである。ザイードはディックが気がついた瞬間、旧知の仲に会ったかのように気安い態度で片手を上げた。
「よう、初めましてだな」
そうザイードが言った瞬間、ラグスがディックへの攻撃を再開したのであった。




