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第19話 交差する疑念

【処刑まで――あと5日】


 薄暗い裏路地の奥。フードを下ろしたマコト・ハーリアは、驚きに声も出せない俺の顔を見て、ふっと小さく息を吐いた。


「やはり君か。最初に見かけたときは分からなかったよ」


 マコトは、探るような鋭い視線で俺の顔をじっと凝視した。


「……何か、変わったな」


「いろいろあったんだ」


 ごまかすように短く返す。魔女タバサとの契約、一度しか使えない命がけの魔法。それらをここで簡単に説明することはできなかった。


「それより、マコトこそ。もうガレイド王国に帰ったんじゃなかったのか?」


 俺の問いに、マコトは周囲を警戒するように路地の入り口へ視線を向けた。大通りからは、依然としてエリシアの処刑を求める民衆の狂気じみた怒号が響いてきている。


「ここでは話せない。ついてこい。人目につかない場所がある」


 マコトは再び俺の腕を引き、入り組んだ路地のさらに奥へと足早に進んでいった。


     ◇


 連れてこられたのは、王都の町外れにある古びた宿だった。


 裏口から中に入ると、カウンターにいた店主がマコトを見て軽く顎を引いた。マコトも小さく頷き返し、そのまま俺を促して二階へと上がる。店主は俺の顔を見ても詮索するような素振りは一切見せなかった。


 簡素な部屋に入り、扉の鍵を閉めたマコトは、窓の外の様子を軽くうかがってから言った。


「ここは安全な場所だ。今のところはね」


「さっきは助けてくれてありがとう」


「礼には及ばない。あのまま放っておいたら、君は危なかっただろう」


 広場で剣を抜いた男の血走った目を思い出し、俺は小さく息を吐いた。彼女の実直で素早い行動がなければ、今頃どうなっていたか分からない。


 マコトは木製の椅子を引き、俺にも向かいのベッドに腰掛けるよう促した。


「……何から話そうか。私がここにいる理由だったな」


「ああ。本来なら、君と別れたあと、国に帰るつもりだったんだろ?」


 俺が尋ねると、マコトは少し表情を険しくして腕を組んだ。


「そうだ。だが、以前君に話しただろう。この国は何かがおかしい、と」


「……」


「あの疑念を捨てきれなかった。だから帰国を遅らせて、調査を続けていたんだ」


「調査?」


「ドラゴンが現れた原因について、何か手掛かりがないかと思ってな。だが、今のところ確かなものは何もない」


 マコトは悔しげに目を伏せた。


 王都周辺の森に出現するはずのないドラゴンが現れたことは、国境を接するガレイド王国の騎士団にとっても極めて重大な事件だ。だが、一個人が異国で秘密裏に調査を進めるには、限界があるのだろう。


「そんなときに、聖女様が殺された。そして、エリシア様が犯人として捕らえられた」


 マコトの言葉に、部屋の空気が一段と重くなった。


「……ああ」


「エリシア様には、私も世話になった。負傷して動けなかった私を保護してくれた方だ。あの恩は忘れていない」


 真っ直ぐな瞳で、マコトはそう断言した。義理堅い彼女にとって、恩人が殺人犯として捕らえられた現状は、簡単には割り切れないものだった。


「聖女様を悼む気持ちは分かる。だが、真相も分からないうちから、一人の人間を殺せと叫ぶ。……どうして、ここまで一斉に処刑を求める?」


 その違和感は、俺自身も強く感じていたものだ。


 確かな証拠があるのかと尋ねただけの商人が、あっという間に異端者扱いされ、大勢に囲まれて剣を向けられる。あの広場の熱狂は、明らかに異常だった。


「俺も、何かがおかしいと思う」


 俺は顔を上げ、マコトの真摯な目を真正面から受け止めた。


「エリシアは、アウロラを殺してなんかいない」


 迷いのない俺の言葉に、マコトは静かに目を細めた。


「君は、エリシア様を信じているんだな」


「ああ」


 部屋に短い沈黙が降りた。


「……なぜ、そこまで言い切れる?」


 不器用で、誤解されやすくて、それでも一生懸命に深紅の花を育てていたエリシア。彼女のすべてを知っているわけではない。アウロラを殺していないという客観的な証拠だって、今の俺には何一つない。


 それでも、あいつがそんなことをするはずがないと、俺の心が告げている。


「証拠があるわけじゃない。でも、俺はエリシアを信じてる。だから、俺自身の目で真相を確かめたい」


 俺が偽りない本心を口にすると、マコトはふっと肩の力を抜いた。


「……誰かが、この状況を利用している可能性はないだろうか」


「誰かが?」


「まだ何も分からない。竜の事件と聖女様の死が、直接つながっているとも限らない。だが、何もかもを偶然として片づける気にはなれないんだ」


 マコトの言う通りだ。


 エリシアの両親の不審な死。不自然なドラゴンの出現。聖女アウロラの殺害。そして、沸騰したようにエリシアの処刑を叫ぶ王都の民衆。


 これらがすべて別々の偶然だとは、どうしても思えなかった。だが、それを裏付ける証拠は何一つない。今の俺にできるのは、目の前の疑問を一つずつ追いかけることだけだった。


「俺は、エリシアの処刑を止める」


「……何を言っているんだ。そんなこと、できるわけが……」


 屋敷の封鎖や民衆の暴動を目の当たりにしているマコトは、呆れたように言いかけた。


 だが、ふと、その視線が俺の右手に止まった。


 袖口から、タバサとの契約によって刻まれた黒と深紅の聖痕がわずかにのぞいていたのだ。


「……それは何だ?」


 俺は反射的に右手を引き、袖で紋様を隠した。


「見たことのない紋章だ。君の雰囲気が変わったのも、それが関係しているのか?」


「……借り物の力だよ」


「借り物?」


「詳しい話は、今はできない。でも、エリシアを救うために必要なんだ」


 マコトはしばらく俺の目をじっと見つめていた。俺が何か途方もないものを背負い、危険を承知で動こうとしていることを感じ取ったのだろう。


 彼女はそれ以上、紋様の正体を無理に問い詰めることはしなかった。


 少しの思考の後、マコトは小さく息を吐いた。


「……君一人で何とかできるとは思えないな」


「分かってる」


「なら、私も手を貸そう。エリシア様には、借りがあるからな」


 思いがけない言葉に、俺は目を見開いた。


「いいのか? 君は他国の騎士だ。俺に協力すれば、立場が危うくなるかもしれない」


「それは分かっている。だが……正直に言えば、私一人での調査は行き詰まっていたんだ」


 マコトは自嘲気味に笑った。


「この国は、明らかにおかしい。だが、一人で裏を嗅ぎ回っても何も見えてこない。そんな時に君が現れた」


「俺が?」


「ああ。聖女殺しの容疑者を奪還する……そんな大事件を起こせば、この不自然な状況を作り出している『何か』に、否応なく触れることになる気がしてな。淀んだ現状を動かすための、きっかけというわけだ」


 マコトは立ち上がり、腰の剣に手を置いた。


「それに、君一人をこんな無茶に行かせるなんて、私の性分に合わない。エリシア様にも恩があるからな」


「……」


「勘違いするな。私はまだ、君の話をすべて信じたわけじゃない」


「それでいい。俺も、まだ何も証明できていないから」


 俺たちは、まず互いに得ている情報を共有した。


 そして、処刑台へ直接跳躍してエリシアを救出するという、俺のまだ不確かな計画の断片を聞き、マコトは頭を抱えるように息を吐いた。


「……一度しか使えない力で処刑台に飛び込み、エリシア様を連れて逃げる? 本当に無茶苦茶だな」


「それができるかどうかも、まだ分からない。でも、何もしなければ、エリシアは処刑される」


「君一人では、処刑台にたどり着くことさえ難しいだろうな」


 マコトは厳しい表情のまま、一つ頷いた。


 相手は王国の正規兵と、怒り狂う群衆。いくら俺が空間を跳躍できたとしても、処刑台に現れた瞬間に蜂の巣にされる可能性は高い。


「……分かってる」


「なら、私が警備の目を引きつける方法を考えよう。少しでも可能性があるなら、試す価値はある」


 その言葉に、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 決して楽観的な作戦ではない。失敗すれば二人とも命はない。


 それでも、俺一人ではゼロだった可能性を、彼女が現実的な形へと引き上げてくれたのだ。


「……だから、せめて無駄死にだけはするなよ」


「ありがとう。努力するよ」


 薄暗い宿の一室で、俺たちは互いの目的のために動き出す。


 期限まで、刻一刻と時間は削られていく。


それでも、一人ではなかった。わずかでも、前に進むための道が見えた気がした。


【処刑まで――あと5日】


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