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仮番のはずが、本当の番は宿敵の人狼公爵でした  作者: ワシワシ/三月ふゆ


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8

 その後しばらく、リーゼとルシアンは何度か連れ立って森へ入るようになった。

 名目はいくらでもつく。仮に結ばれた番として、行動を共にすること。群れへの示し。結界外縁の見回り。魔物の発生状況の確認。どれも間違いではない。

 けれど実際に森へ足を踏み入れてみると、リーゼはすぐに思い知った。

 一人で狩らなくていい、というのは、こんなにも楽なのか。

 前世では、精髄を集めるために、長時間ひとりで森を彷徨い、魔物を斬り、血を流し、倒れそうになりながら帰っていた。それが当然だと思わされていた。

 でも今は違う。

 ルシアンがいる。

 背中を預けてもいい相手がいる。

 魔物が飛び出せば、片方が引きつけ、片方が急所を断つ。リーゼが踏み込めば、ルシアンはそれに合わせて敵の退路を塞ぐ。ルシアンが囮になる時は、リーゼが迷いなく喉元へ刃を入れる。

 息が合う。

 最初の数回こそ驚いたが、もう今では、どちらが次に何をするか何となくわかるようになっていた。

「右」

「見えてる!」

 飛びかかってきた獣型の魔物の前脚をリーゼが払う。

 転がった身体へ、ルシアンの剣が斜めに走った。

 黒い飛沫が散り、森の湿った土へ吸い込まれていく。

 少し遅れて、魔物はどさりと崩れた。

「今のは俺の手柄だな」

「最後だけ取ったくせに」

「最後を取るのが大事なんだよ」

「悪役のセリフじゃない」

「ヴィランて最近、舞台で人気だと聞くな」

「はあ?」

 いつものやり取りだった。

 腹が立つのに、少し笑ってしまう。

 森の中でそんな余裕が持てること自体、一周目のリーゼには考えられなかった。

 今日は二体目までを倒したところで、二人は小さく開けた岩場へ腰を下ろした。

 深い森の中にぽっかり空いた場所で、頭上から差し込む光はもう傾きかけている。木漏れ日が、足元の草や岩肌へまだらに落ちていた。

 リーゼは革袋から小瓶を取り出し、魔物の核から精髄を抽出し始めた。

 慣れた手つきだった。

 刃先で硬い殻を割り、薄い管で滲んだ光の粒を吸い上げる。かつては、この作業を終える頃にはいつも指先が震えていた。

 疲労と、失血と、魔力切れで。

 でも今日はまだ余力がある。

 それが少し嬉しかった。

「だいぶ顔色がいいな」

 隣でルシアンが言った。

「そりゃ一人でやってないもの」

「もっと早くそう言えばよかったのに」

 リーゼは手を止めずに答える。

「言っても、聞く人がいなかったの。私は跡取りじゃないし、父は女を軽視してる」

 ルシアンが少し黙った。

 その沈黙の意味は、考えないことにした。

 小瓶の底に淡く光る精髄がたまっていく。思っていたより上質だ。これだけあれば、結界補助にも、薬にも、かなり使えるだろう。

 その時だった。

「……あら」

 聞き覚えのある、やわらかい女の声がした。

 リーゼの手がぴたりと止まる。

 振り向くと、木立の向こうに二つの影が立っていた。

 オリアンダー。

 そして、ミレイユ・エデル。

 淡いやさしげな栗色の髪を整え、いかにも心細げな顔でこちらを見ている。森に似つかわしくない、けれど絶妙に汚れない服装だった。

 どうしてここに。

 いや、わかる。

 精髄だ。

 この森だ。

 この二人は、結局そこへ戻る。

 リーゼの喉の奥に、じわりと嫌なものが広がった。

「こんなところで会うなんて、奇遇だね」

 オリアンダーが笑う。

 まるで茶会ででも出くわしたみたいな口調だ。

 リーゼは立ち上がらなかった。

「奇遇じゃないでしょう」

「そうかな」

「何しに来たの」

 オリアンダーではなく、先にミレイユが一歩出た。

「リーゼ様」

 その声は震えていた。

 怯えたようで、けれどどこか決意した響きもある。

「お願いです、誤解なんです」

 ルシアンが露骨にうんざりした顔をした。

「何が」

 答えたのはリーゼだった。

 ミレイユはぎゅっと両手を握りしめる。

「オリアンダー様は……あの方は、本当に、たくさんのものを背負っていらっしゃるんです」

「へえ」

 ルシアンの声は冷たい。

 ミレイユはびくりと肩を揺らしたが、それでも続けた。

「満月の力をきちんと手に入れるには、精髄が必要で……家の支えも、結界の加護も、たくさんの力が要るんです」

 リーゼは小瓶を握ったまま、黙っていた。

「オリアンダー様には、リーゼ様のお家の支援と、リーゼ様ご自身の力が必要なんです」

 必要。

 その言葉が、腹の底へ重たく沈む。

 ああ、そうだ。

 結局そこなのだ。

 好きだの番だのではなく、必要。

 役に立つから。

 使えるから。

 前世で、自分が血まみれになって精髄を抱えて帰った夜のことが脳裏によみがえる。指先まで痺れて、外套の内側が血で張りついて、それでも「さすがリーゼだ」と笑われただけで報われた気になっていた、あの愚かな夜が。

 その果てに、殺された。

 目の前のこの二人に。

 事情があろうが、知ったことではない。

「私は弱いから……リーゼ様みたいにはできません」

 ミレイユの声が少し掠れる。

「リーゼ様には敵わないんです。だから、どうか……どうか、オリアンダー様に協力してあげてください」

 ルシアンが、短く鼻で笑った。

「知らねぇよ」

 あまりにもまっすぐで、ミレイユが息を呑む。

「ルシアン様……」

「必要だから何だ」

 ルシアンは立ち上がった。

 その声は低く、さっきまでの軽さが消えている。

「だからリーゼが削られて当然だって?」

「そんなことは」

「言ってるのと同じだろ」

 森の空気が一気に冷える。

 オリアンダーが一歩前へ出た。

「感情的になるな、フェンリル公子」

「お前が言うな」

「ミレイユは事実を説明しているだけだ」

「事実?」

 ルシアンの目が細くなる。

「お前が自分で集めろよ」

 オリアンダーの笑みがわずかに引きつった。

「君には関係ない話だ」

「ある」

 ルシアンは一歩も引かない。

「リーゼを使う話なら、答えは知るかだろ。自分でやれ。それから、番の俺に、関係は全部ある」

 リーゼはその背を見ていた。

 前世では、こんなふうに誰かが怒ってくれることはなかった。

 必要だから。

 強いから。

 できるから。

 そう言われれば、そういうものかと自分を削るしかなかった。

 でも今は違う。

 違うのだと、目の前で誰かが言っている。

 そのことが、胸の奥へ熱く刺さる。

「リーゼ」

 オリアンダーが、今度は少し強い声で名を呼んだ。

「君だってわかっているはずだ」

「わかってるわ」

 リーゼは立ち上がった。

 精髄の入った小瓶を袋へしまい、まっすぐオリアンダーを見る。

「だから、余計に知ったことじゃないの」

 オリアンダーの顔から、完全に人のいい仮面が消えた。

「本気でそう言っているのか」

「本気よ」

「自分がどれだけの価値を持っているかもわからずに?」

「価値?」

 リーゼは笑った。

 うまく笑えていたかはわからない。

「道具として?」

 ミレイユが涙ぐんだ目でこちらを見る。

「そんな言い方……」

「じゃあどういう言い方をすればいいの」

 リーゼはもう、彼女にまで気を遣う気になれなかった。

「必要だから差し出せって言いに来たんでしょう」

「私は、オリアンダー様のために……」

「私は、私のために生きる」

 言い切った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。

 オリアンダーの表情が、どす黒く歪む。

「ふん」

 短く吐き捨てるような声だった。

「ルシアンに入れ込んで、随分安くなったものだな」

 リーゼの背筋が、ぴんと張った。

 でも、その次の瞬間にはルシアンが前へ出ていた。

「今のは聞き捨てならない」

「事実だろう」

 オリアンダーは笑う。

 もう穏やかさを装う気もないらしい。

「番を気軽に乗り換え、森で男と乳繰り合って、そのうえ家の支援まで引き上げる。売女のすることとしては、ずいぶん筋が通っているじゃないか」

 森が静まった。

 風の音すら、一瞬止んだみたいだった。

 リーゼは息を忘れた。

 そうか。

 この男は、最後にこうなるのだ。

 前世では、自分が死ぬ寸前に向けられたあの顔と、同じ顔だ。

 ルシアンが剣を抜いた。

 ためらいがなかった。

「リーゼ」

 低い声だった。

「少し下がってろ」

 オリアンダーも剣を抜く。

「何をする気だ」

「決まってるだろ」

 ルシアンの目は、冷えきっていた。

「彼女の名誉を汚した報いを受けてもらう」

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