おまけ 砕けたクッキーの絆
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ジェットは公職家の料理人見習いである
料理人見習いのジェットは公爵と顔を合わせることはほぼない。
突然公爵に呼び出され、緊張して執務室に足を踏み入れた。
「呼び出してすまない。特別報酬を出す。髪色を変えて学園に通って欲しい。強制ではないよ」
「学園の厨房にですか?」
「クローディアが来年から学園に通う。助けてやってほしい」
「お嬢様があの学園に?」
「ああ。ランスロットが通っているから・・・・」
クローディアがランスロットが関わると豹変するのは公爵家の常識である。
「クローディアを見守り危険があれば守ってやってほしい。権力でいくらでも、もみ消せるから遠慮はいらないよ。学園生活を楽しみながら先輩として暖かく見守ってあげてほしい。君にも良い経験になるよ」
「卒業したら戻していただけますか?」
「もちろんだよ。君はうちの大事な家臣だから。クローディアには内密に頼むよ。料理長には私がうまく言おう」
ジェットは公爵に恩があるので頷いた。学園への編入準備と併用して護身術を習う準備が整えられた。
孤児として公爵に保護されたジェットはクローディアをよく知っていた。
公爵家のお姫様。遠くから初めて見た時は苦労の知らない何も一人でできないお嬢様だと思っていた。ただ自分よりも幼いのに毎日勉強して常に笑顔を浮かべるのを見て違うと気づいた。庭で遊ばずいつも本を読んでいる。浮かべる笑顔もいつも同じ。人形のようなお嬢様が自分と同じ子供には見えなかった。
「お嬢様、おやめください。どうかお許しを」
厨房では悲鳴が響いていた。クローディアが厨房で料理人達に公爵のサインの入った紙を突きつけていた。
「私にお菓子作りを教えてください。お父様の許可はあります」
「お嬢様の美しい肌に傷など」
「傷など治りますわ。時間がありません。命令ですわ。私に逆らう覚悟はありますか?私はなんでも知ってますのよ。例えば・・・・」
クローディアは知識は勉強したので必要なのは経験だけだった。
手作りお菓子を作れるようになりたかった。笑顔で脅すクローディアに逆らえず、料理長はクッキーの型抜きをさせようと準備を整えると全て自分でやらせなさいと命令した。
公爵家のお嬢様が小麦粉紛れになり、落とした卵を片付けようと転び厨房では絶叫が繰り広げられていた。ジェットは周りほどクローディアに過保護ではなかった。
クローディアが厨房を占領する日は料理はデリバリーで用意させていた。
クローディアは料理人達の仕事の邪魔をしている自覚はあったので、手配はきちんとしていた。その日は賄いも豪華なものが手配されていた。
料理人達は手配は完璧なのに料理が下手なお嬢様に頭を抱え、絶叫しながら料理の指導をした。
「お嬢様、他のお勉強はよろしいんですか?」
「終わらせましたわ」
ジェットは後日エリーからクローディアが夜な夜な一人で勉強し、翌日教師に及第点をもらった話に苦笑した。クローディアは目的のためなら手段を選ばない。全てが婚約者のためというのはゆるがなかった。誰にも憎まれないのは婚約者に会うために努力しているだけなので、大きな実害はなかった。頭を悩ますのは娘の無茶を後になって知る公爵だけだった。
ジェットはクローディアの入学式の日に編入した。
昨日はようやくまともにお菓子を作れるようになったクローディアのクッキー作りに付き合っていた。自分以外も公爵が生徒を送っているのは予想していたのでずっと付き纏うつもりはなかった。
公爵にはクローディアに危険がなければ放置していいから時々気に掛けてくれと言われていた。
入学式で上機嫌に笑っているクローディアは有名になっていた。クローディアの希望で商家の娘という設定で入学していた。ジェットはランスロットが絡むと別人になるクローディアに笑った。念願のサプライズが叶うといいと思いながら教室で噂の蜂蜜色の新入生の話を聞いていた。
ジェットにとってクローディアは予想外の行動をしていた。
蜂蜜色の新入生が毎日鳩に餌をやっていると聞いて覗きに行った。
クローディアは木蔭でクッキーを踏みつぶし、鳩に食べさせていた。無表情でクッキーを踏みつぶす姿に、クッキーができあがるまでの大惨事を知っているジェットは複雑な気分だった。
なぜかクローディアはクッキーだけが作るのが下手だった。クッキーは何度も失敗したのにパイやマドレーヌやケーキは失敗しなかった。
毎日クッキーを焼いて踏みつぶすクローディアに、クッキーを哀れに思ったジェットが声を掛けた。
それからクローディアとジェットの時間が始まった。
ジェットはクローディアの手にある袋を受け取り、クッキーを口に入れた。自分が踏んだものを口に入れるのに驚いているクローディアに笑った。生粋のお嬢様には何度見ても信じられない光景である。
渡すつもりのないクッキーを毎日焼くクローディア。そして踏みつぶしている。
ジェットはランスロットの行動は知っている。ただ理由を話せばクローディアが傷つくのがわかっていた。
「ジェット、人は愚かですね」
「そうだな」
「気付かなければ幸せになれたんでしょうか」
ぼんやりと呟くクローディアの頭をジェットは撫でた。最近はクローディアは笑顔以外の見たことのない表情を浮かべた。ランスロットのこと以外でも人間らしくなってきたクローディアにジェットは笑った。
「そろそろ帰れ」
静かに頷き立ち去っていくクローディアを見送った。
「ようやく自我ができたわね」
ジェットの隣に座ったリリアンは残っているクッキーに手を伸ばして口に入れた。
「ランス様しかいない世界が変わるわ。ディアもバカよね。正直に話せば婚約破棄できるのに気付かない。優秀なのに肝心なとこが抜けてるのよね」
クローディアの報告は侍女のエリーの担当である。公爵はジェットには求めなかった。
「あのバカはどうしよう。最近はディアの態度に焦って余計に女の子で経験を積んでるのよね・・。逆効果なのに。夜会で社交の笑みしか向けられなくなって良い気味だわ」
あざ笑うリリアンをジェットは静かに見ていた。
「お嬢様は幸せになれるんでしょうか」
「なれるわよ。少しずつ前に進んでる。最近は楽しそうだもの」
リリアンであるアンリもジェットも望むのはクローディアの幸せだけだった。
クッキーを踏みつぶさなくなったクローディアの貴族らしくない学園生活に付き合うことにした。
「ジェット、私も木に登りたいです」
ジェットはクローディアを抱き上げて木に座らせた。足をブラブラさせて笑う姿に笑った。今更子供としての遊びを覚えはじめたクローディア。差し出されたパイを噛り付いて食べることを教えると目を丸くした。真似して頬張り、パイ生地が散らばり動揺するのも子供らしかった。
突然クローディアの顔が強張った。クローディアが緊張する原因は知っていた。
「見つからないから静かにしてろよ」
クローディアは一人で木から降りられないのでジェットの言葉に頷いた。
人を探しているランスロットを二人は静かに見ていた。ランスロットはクローディアに気付かず去っていった。
クローディアはパイを頬張った。パイ生地がこぼれても払えばいい。ランスロットを忘れるまでは話したくなかった。
口の中に広がる甘みと陽気に話すジェットのおかげで頭に浮かんだ影が消えた。クローディアは少しずつ自分の世界からランスロットを消す努力をしていた。
ジェットの学園生活は予想外ばかりである。
ランスロットとクローディアは仲直りした。ずっと一緒にいると思っていたのに違った。
時々クローディアはお菓子を持ってジェットに会いにきた。
木の上に座ってお菓子を食べるのは変わらなかった。
「ジェット、本物ってどうしたらわかるのかな。ランス様といると恋をしているのがわかります。でも時々わからなくなります。信じられなくなりました・・・」
クローディアの傷は深かった。与えられる言葉に喜んでもランスロットがいなくなり冷静になると不安に襲われた。
「本人に聞けば?」
「嫌われるのが怖いです。恋におかしくなって…。私は駄目ですわ。自分の気持ちさえ本物ならどうでもいいと諦めましたわ。でも」
クローディアがおかしいのは今更である。寂しそうな顔をするクローディアの作ったマドレーヌをジェットは口に入れて飲み込んだ。
レモンが混ぜてありサッパリしていた。ただクローディアの好みはもっと甘い物だった。
「相手は?」
「呼び出しですわ。長くなるそうです」
クローディアはランスロットのためにお菓子を焼かなかった。焼くのはジェットのためだった。
「行かないでって言えばいいのに」
我儘なのにランスロットには言えないクローディア。相変わらず女心に疎いランスロット。
「クローディア、次は俺のとこに行くって言って、笑顔で見送ってやれよ。きっとおもしろ、いや、先輩からの助言だよ」
クローディアは首を傾げながら頷いた。クローディアの相談相手はジェットだった。貴族の顔をしないで共にいられるのは楽だった。ジェットほど嘘のない感情豊かな人はクローディアの周りにはいなかった。なぜか懐かしい感じがして信頼できる気がした。深入りしないほどよい距離感が気に入っていた。平民の女の子達のなんでも全部知りたい病はクローディアにはドン引きだった。
クローディアは首を傾げた。なぜかランスロットの気配がした。
「ディア」
焦ったランスロットの声にクローディアが不思議そうな顔をした。ジェットが先に木から飛び降り、クローディアを抱いて降ろした。ランスロットが目を見張りジェットの腕からクローディアを取り上げた。
「ディア、何してるの?」
「ランス様、どうしました?」
「いや・・。終わったから、探しに」
赤面して口ごもるランスロットにクローディアが微笑んだ。
「ご用はなんでしょう?」
「ディアは何をしてたの?」
真顔で聞かれてもランスロットに話せなかった。
「内緒です」
人差し指を口に当てて微笑むクローディアにランスロットの顔が青くなった。
「クローディア、美味かったよ。またな」
「え?わかりました」
クローディアの頭をポンと叩いて明るく声を掛け立ち去るジェットに拗ねる顔を一瞬見せ、微笑んで手を振った婚約者にランスロットは嫌な予感しかしなかった。
「どんな関係?」
「内緒です」
動揺するランスロットと貴族の笑みを浮かべるクローディアにアンリが近づいた。
「ディア、お茶にしよう。あら、ランス様どうされたの?」
「アンリ?ランス様、具合が悪いなら休まれてください」
クローディアはランスロットの腕から抜け出した。
「大丈夫。ディア、僕と過ごそうよ」
「ディア、殿下から二人で食べてってお菓子が届いたのよ。お礼ですって」
「そこまでではありませんのに・・。でも殿下ならなんでも許してくださいますね。ランス様ゆっくり休んでください。失礼します」
クローディアはランスロットに礼をしてアンリと共に立ち去った。アンリは茫然としているランスロットをあざ笑った。
クローディアの世界はランスロットだけではなくなった。感情を殺さず、鉄壁の笑顔を作らない学園生活のおかげで違う世界の見え方を知った。
前のクローディアなら絶対にランスロットの側を離れなかった。今のクローディアは外に目を向けようとしていた。
ランスロットはクローディアの害虫駆除をしていた。クローディアとランスロットが恋人でも手を出そうとする生徒が多かった。そこでクローディアが男といると聞き慌てて探しに来た。
ランスロットはクローディアの不安に気付いていなかった。
自分よりアンリとの時間を優先したクローディアにショックを受けて立ち竦んでいた。
呆然としているランスロットをエリーが見つけた。
アンリと過ごしていた主を見て察しがついた。立ち去るエリーはランスロットに肩を掴まれた。
「エリー、ディアはどうして」
「お嬢様を放っておくからですよ。お嬢様は女性からの呼び出しと思っていますもの」
「は?」
「女心がわかるなど期待してませんが、もう少しお嬢様の言葉に耳を傾けて下さい」
エリーは鈍いランスロットにため息をこぼした。
翌日ランスロットはクローディアに弁明した。弁明するほど不審に思われているのに気付いていなかった。
ただその後から傍を離れないランスロットにクローディアは喜んでいた。クローディアはランスロットが傍にいれば余計なことは考える余裕はなくうっとりしてしまう。いつまで経ってもお互いに理解し合えない二人だった。それでもお互いに夢中な二人は一緒にいれば幸せだった。
後日、王子からクローディアの手作りお菓子を食べた話を聞いてランスロットはショックを受けた。アンリはいつまでも愚かなランスロットへの嫌がらせをやめなかった。
王子はランスロットとクローディアが言葉が足りないことに気付いていた。でも自分で気付いた方がいいかと温かく見守ることにした。
クローディアはランスロットにお菓子を作る気はなかった。
ランスロットのために作ったクッキーを砕いていた自分に戻りたくなかった。
クローディアは友人のためにしかお菓子を作らなかった。クローディアがランスロットにお菓子を作るのは傷が癒えた時である。ただそんな日は当分来ないと思うアンリはランスロットにクローディアのお菓子を自慢しに行った。悶々と悩むランスロットの相談相手は王子だった。
王子はランスロットの話を聞きながら相談相手を間違えていることは口にしなかった。残念ながら王子はアンリとクローディアの味方だった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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