人殺し
朝食を食べ終わった後、俺はすぐに本屋に向かうべく自転車にまたがっていた。
日曜の朝から本屋に行くなんて、暇人だなと思うかもしれないが、高校一年生の日曜日なんてそんなものである。
そこまで熱心に勉強はしないし、部活にも入っていない俺は暇なのだ。
まあ、一応、俺の通っている学校は県内トップクラスの進学校なのだから、暇があったら勉強をした方がいいのだろうけれど。
なんで俺みたいな人間が、こんな進学校に入学できたのかというと、友達がいないため遊びに誘われることもなく、部活もやっていなかったためすることがなく、なんとなく勉強をしていたら、みるみる成績が伸びたというわけだ。
そう考えると、ぼっちもなかなか優秀なところがある。
ちなみに俺のモットーは「友達がいないことを恐れるな、偽りの友達がいることを恐れよ」だ。
自分では結構かっこいいと思っているのだけれど、妹からは酷評をいただいている。
それにしても今日の日差しは肌にしみる。
まだ7月3日だというのに、もうこの暑さ。
8月に入ったらどんだけ暑くなることやら、考えただけでも恐ろしい。
俺は暑さを吹き飛ばすようにペダルを漕ぎ、自転車を本屋に向かわせた。
本屋の中はエアコンが効いていて、とても涼しい。
まさに地獄から天国に来た気分だ。
一生ここで暮らしたいと思う。
なんで俺が本屋に来たのかというと、それは当然、漫画の新刊を買うためである。
進学校の生徒ならみんな小説ばかり読んでいると思ったら大間違いだ。
漫画だって、ものによってはとてもためになるんだ。
俺がそんなことを考えて本を探していると、不意に視界に一人の女の子が映った。
桜井咲だ。
完璧人間の桜井咲だ。
桜井咲——俺と同じクラスの同級生。
肩より下に伸びる綺麗な黒髪、すぐに折れてしまいそうな華奢な体、桜色の唇。
そして何と言っても、大きなおっぱい!
桜井咲を一言で表すなら、百人のうち百人がおっぱいと答えるだろう。
それくらいにおっぱいがすごい。
まあ、勿論、すごいのはおっぱいだけではない。
勉強の成績も超一流。
前にあった模試では、余裕の全極一位だった。
容姿端麗、眉目秀麗。
眉目秀麗は男のことをいう言葉だっけ?
とにかく、天才美少女だ。
「あっ、黄緑くん」
咲は俺に気付いたらしく、声をかけてきた。
「黄緑じゃない、汽水だ」
いや、最初の『き』しかあってねーよ。
全国模試一位のくせに、クラスメイトの名前を覚えてないのかよ、まあ、わざと言っているのだろうけれど。
「こんなとろこで何をしているの?」
「本屋にいるんだから、本を買いに来たに決まっているだろう」
俺は当たり前だろ、といった感じで言った。
「意外だなー、汽水くんは本を読まないタイプだと思ってたよ」
「本と言っても、漫画だぞ」
「あー、エロ漫画ね」
「勝手に決めつけるなや!」
こいつは、男子高校生なら間違いなくエロ漫画を買うと思っているのか?
「咲は何を買いに来てたんだ?」
俺は社交辞令的に言葉を発した。
別に咲がなんの目的に本屋に来ようが、俺の知ったことではない。
まあ、正直な気持ち、休みの日に咲と出会えたのは嬉しい。
私服も見れたしな。
制服よりも胸を強調している私服だ。
これはもしかして、俺を誘ってるのか?
「エロ漫画を買いに来てたんだよ」
「えっ!? まじで!?」
エロ漫画だと!?
こんな天才美少女が、エロ漫画!?
いや、待てよ、こういう天才だからこそ、意外にもエロ漫画を買ったりするものなのかもしれない。
知らないけど。
「エロ漫画ほど素晴らしい作品はこの世にないと思うの」
「そ、そうか?」
ちょっと同意しかねるが、こんな天才が言うのだからそうなのだろう。
とりあえず、エロ漫画を選ぶのに同級生の、しかも異性がいるのはまずいだろうから、俺はとりあえずその場を離れることにした。
それにしても、咲はとても話しやすい。
なんで友達のいない俺が、こんなに仲良く同級生と話しているのかというと、それには深いわけがある。
いや、浅いわけがある。
簡単にいうと、いつも一人でぼーっとしている俺を心配して、咲が親切にも声をかけてくれたのだ。
可愛くて勉強ができるだけでなく、性格もいいなんて、完璧すぎて困る。
何を隠そう、俺は咲に惚れている。
まあ、大抵の男子なら、みんな咲に惚れているだろうけれど。
咲のおっぱいに惚れているだろうけれど。
俺は漫画コーナーに行き、ずらっと並んでいる本に目を通す。
やっぱり何度見ても、漫画が綺麗に並んでいるのは気持ちがいい。
しかし、俺が欲しい漫画はそこには置いてなかった。
よくあることだ。
自分の欲しい巻だけ売っていないことは日常茶飯事。
仕方がない、家に帰ったら通販で買うとするか。
俺は漫画コーナーを離れ、もう一度、咲がいたところに行ってみたが、そこにはもう咲はいなかった。
帰るとするか。
自転車置き場に行き、自転車にまたがる。
直射日光を浴びていた自転車はかなりの熱を帯びていた。
俺は全速力で家を目指していた。
こんな暑い日差しの中は、一秒でも早く抜け出したい。
そんな思いで、俺は全力でペダルを漕いでいた。
人生でいちばんのスピードを出しているのではないだろうか?
このスピードなら競輪選手も夢じゃない。
まあ、そんなに甘い世界ではないだろうけれど。
そんなことを考えがら俺は自転車を走らせていた。
そして——。
俺は横から来たおばあさんに気付かなかった。
気付く間もなかった。
それは一瞬の出来事だった。
本当に一瞬の出来事だった。
最初、何が起きたのかさっぱり理解することができなかった。
しかし——。
俺は間違いなく。
確実に。
轢き殺しをしてしまった…………。
俺の目の前にはぐったり倒れたおばあさんが一人。
ピクリとも動いていない。
これは間違いなく死んでいる。
人間の死体なんて見たことはないけれど、それでも、これは死体だと直感でわかった。
俺は、死体を作ってしまった。
人を殺してしまった。
周りには誰もいない。
今、このことを知っているのは俺だけ…………。
どうしようか…………。
普通の人ならすぐに救急車を呼ぶのだろうけれど、これはもう遅い。
遅すぎた。
俺が全力で自転車を漕いでいた時点で、もう遅かった。
いや、俺が本屋に行った時点で、もう遅かった。
こういう運命だったのだろう。
学校の交通安全の授業で知った知識だと、こういう場合は、俺が多額のお金を払わなくてはいけないはずだ。
いや、正確には、俺の親が払うのか…………。
所詮世の中、お金か…………。
まあ、今はそんなことを考えている場合じゃない。
しかし、意外にも、俺は冷静だった。
こんな状況で冷静だというのは、場違いかもしれないけれど、運良く俺は冷静だった。
案外こういった場面に直面したら、人間は冷静なのかもしれない。
そんなことを頭の中で考えていると、いきなり。
本当にいきなり。
死体がふっと消えた。
どう表現すればいいのかわからないけれど、本当に死体がふっと消えた。
そうとしか言いようがない。
そして、死体があったところから、一万円が出現した。
「一万円…………?」
俺はつい口に出して言っていた。
死体が消えて、一万円が出現…………。
全く状況が飲み込めない。
いや、この場合、無理にでも飲み込むしかないのだろう。
俺はどうやら、人を殺すと、その死体が消え、お金が出てくる能力を持っているらしい。
普通に考えたらありえないことだけれど、実際に目の前で起こっているのだから仕方がない。
「このお金、もらっていいのかな?」
俺は自転車から降り、お金を拾いに行った。
俺は一万円を手にいれた。
人を殺して、お金を手にいれる…………。
ゲームみたいな話だな。
もしかすると、俺の住んでいる世界はゲームなのかもしれない。
初めて知った。
初知りだ。
それにしても、少し心配だ。
まず間違いなく、警察が俺を捕まえることはできないだろうけれど、それでもやはり心配だ。
きっとおばあさんは、行方不明ってことになるだろう。
まあ、心配するだけ損ってことかな。
それより今は、人を殺すことによってお金を手にいれる能力を手にしたことを喜ぶべきだろう。
これなら、人を殺し放題、お金稼ぎ放題だ。
人生ウハウハだ。
これからの生活が楽しみだぜ。
俺はとりあえず、自転車にまたがり、家に帰ることにした。