★人間を作り出したのは神か?それとも自然と猿から進化して人間になったのか?☆
都内の図書館の中庭は、夕方になると風が柔らかくなる。
美咲はカードゲームのデッキケースを指で弾きながら、ベンチに座るトオルを見上げた。
「ねぇ、おじさん。人間って、どこから来たと思う?」
唐突な質問に、トオルは読んでいた哲学書を閉じた。
彼は四十歳。美咲から見れば“ちょっと変わった大人”で、
でも誰よりも話を聞いてくれる存在だった。
「どうしたの、急に」
「学校でさ。進化論の話をしてて……。
人間は猿から進化したって言うけど、神様が作ったって信じてる人もいるじゃん。
どっちが本当なんだろうって」
トオルは少し笑った。
「美咲は、どっちだと思う?」
「うーん……。どっちも“ありそう”って思っちゃう。
だって、神様がいないって証明できないし、
進化論も“そうだったかもしれない”って話でしょ?」
「なるほど。いい視点だね」
トオルはベンチにもたれ、空を見上げた。
「人間はね、“分からないもの”を前にしたとき、
それをどう扱うかで文明が変わってきたんだよ」
「どう扱うか?」
「そう。
神を信じる人は、“世界には意味がある”と考える。
進化を信じる人は、“世界は偶然の積み重ね”と考える。
どちらも世界を理解しようとする努力なんだ」
美咲はデッキケースを握りしめた。
「でもさ、もし猿から進化したなら……神様って、人間が作ったってこと?」
「そう考える人もいるね。
でも逆に、“進化という仕組みを作ったのが神だ”と考える人もいる」
「え、そんな考え方もあるの?」
「あるよ。
人間は“意味”を求める生き物だからね。
進化と神を対立させる必要は、本当はないんだ」
美咲は少し黙り、風に揺れる木の葉を見つめた。
「じゃあさ……人間って何なの?」
トオルは本を膝に置き、ゆっくりと言った。
「僕はね、“人間は問い続ける生き物”だと思ってる」
「問い続ける?」
「そう。
自分は何者か。
どこから来たのか。
どこへ向かうのか。
なぜ生きるのか。
なぜ死ぬのか。
こういう問いを持つのは、人間だけなんだ」
「たしかに……犬とか猫はそんなこと考えなさそう」
「うん。
そしてね、美咲。
人間が“失ってはいけないもの”って、僕はこの“問い続ける力”だと思う」
美咲は目を丸くした。
「問い続ける力……?」
「そう。
もし人間が“考えるのをやめたら”、
それはもう人間じゃなくなる。
ただ生きて、ただ消費して、ただ時間を過ごすだけの存在になる」
美咲は息を飲んだ。
それは、どこか胸に刺さる言葉だった。
「でもさ、おじさん。
考えるって、しんどいよ。
悩むし、苦しくなるし。
答えなんて出ないことばっかりだし」
「そうだね。
でもね、美咲。
“答えが出ない問い”を抱えながら生きるのが、人間なんだよ」
「……なんか、難しい」
「難しいよ。
でも、美咲はもうその道を歩き始めてる。
さっきの質問だってそうだ。
“人間はどこから来たのか”なんて、
普通は考えないまま大人になる人も多い」
美咲は少し照れたように笑った。
「じゃあ、私ってちょっと偉い?」
「偉いよ。
問いを持つ人は、いつだって強い」
風が吹き、桜の花びらが二人の間を横切った。
「ねぇ、おじさんはどう思ってるの?
人間はどこから来たって」
トオルは少しだけ考えた。
そして、静かに語り始めた。
「僕はね……“人間は自然の一部であり、同時に自然を超えようとする存在”だと思ってる」
「自然を超える?」
「うん。
猿から進化したというのは、生物学的な話。
でも、人間は“意味”や“物語”を作り出す。
これは自然界にはない力だ」
「物語……」
「美咲が好きなカードゲームだって、物語があるだろ?
キャラクターがいて、世界があって、戦いがあって、成長がある。
それを作ったのは人間だ」
「たしかに……」
「神という概念も、物語の一つだ。
でもね、美咲。
“物語を作れる”って、すごいことなんだよ。
それは、自然界のどんな生き物にもできない」
「じゃあ、人間は……物語を作る生き物?」
「そう。
そして、自分自身の物語を生きようとする生き物だ」
美咲は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「おじさん……。
じゃあさ、人間が“無くしてはいけないもの”って、
問い続ける力と……物語を作る力?」
「僕はそう思う」
「でもさ、最近の大人って、物語を持ってない人多くない?」
「多いね。
仕事に追われて、生活に追われて、
“自分の物語”を考える余裕がなくなる」
「それって……悲しくない?」
「悲しいよ。
だから僕は“ニート再生学校”を作りたいんだ」
美咲は目を見開いた。
「え、あれ本気だったの?」
「本気だよ。
働く前に、“自分の物語”を取り戻す場所が必要なんだ。
人間はね、物語を失うと弱くなる。
でも物語を取り戻すと、どんな人でも立ち上がれる」
美咲はしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「……おじさんって、神様みたいだね」
「僕が?」
「うん。
だって、人の物語を作る手伝いをしてるんでしょ?
それって、ちょっと“創造主”っぽいじゃん」
トオルは照れたように笑った。
「そんな大層なものじゃないよ。
でも……そうだね。
人の人生に寄り添うって意味では、
“物語の神様”みたいな役割かもしれない」
「ねぇ、おじさん」
「ん?」
「私ね……自分の物語、ちゃんと作りたい」
トオルは優しく微笑んだ。
「美咲ならできるよ」
「でも、まだ何も分かんない。
神様がいるのかも分かんないし、
人間がどこから来たのかも分かんないし、
私が何になりたいのかも分かんない」
「それでいいんだよ」
「いいの?」
「うん。
“分からないまま進む”のが、物語の始まりだから」
美咲は空を見上げた。
夕暮れの空は、紫とオレンジが混ざり合っていた。
「じゃあさ、おじさん。
私の物語の第一章は……今日から始まるってことでいい?」
「もちろん」
トオルは立ち上がり、軽く伸びをした。
「美咲。
人間がどこから来たかは、誰にも分からない。
でも、“どこへ向かうか”は、自分で決められる」
美咲は笑った。
「じゃあ私は……自分の物語を探す旅に出るよ」
「いいね。
その旅は、きっと面白い」
風が吹き、桜の花びらが舞った。
美咲はその一枚を手のひらで受け止めた。
「おじさん。
人間が無くしてはいけないものって……
“問い続ける心”と“物語を作る力”。
それで合ってる?」
「うん。
そしてもう一つある」
「え、なに?」
「“誰かと語り合う勇気”だよ」
美咲は目を細めた。
「……それって、今日の私?」
「そう。
美咲は今日、自分の物語を一歩進めたんだ」
夕暮れの図書館中庭で、
二人の影がゆっくりと伸びていった。




