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『月の迷宮』  (第1巻) 「禁断の塔の戦いへの叙事詩より」  作者: nico


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29 第七章 『春の森』 その2



 それから何度か月が満ち欠けを繰り返したその日の夕刻、いつものようにシャールは突然、サアラの小屋の前に姿を現した。

 そんな時にはいつも決まってサアラは、家の中で昏倒している。

 ・・サアラを長椅子に横たえてから、シャールはぺリに言った。


「ペリさま・・もうすぐここともお別れです」

「え・・ほんと」

「ええ、本当は出発の日まで黙っていようと思いましたが・・長いことあなたのお世話をしてくれたサアラにお別れを言う暇を与えないのでは、ちょっと気の毒ですから・・」

「やさしいのね、シャールは・・」

「そこが弱みなんです、私の・・」

「では、あのお山に入るのね」

「はい・・」


 それからシャールは、何か譫言を呟くサアラの枕元に耳を近づけ・・看守るように聞き始めた。


 そしてそんな時のサアラの目覚めは、いつもとは違う。目覚めるなり、そのパッと見開いた美しい瞳はすぐ目の前の相手に向けられ、深いため息と共に安堵の色を見せる。


 その後はいつも長居することなく、シャールはすぐにサアラの許を去る。

「ペリさま、次回、あの月が満ちる夜の前に迎えにまいります」



「どうなされました・・リデンさま」

 リデンの侍従ハマが尋ねた。

「えっ・・」

 リデンが驚いたように言った。

「いえ、最近、よくため息をつかれますので・・。報告が途絶えているのが、ご心配なのでしょうか・・」

「それもありますが・・」

 そう言って言葉を濁すと、リデンの忠実なる下僕ハマは、やや揶揄するようなそれでいて元気づけるような調子で言った。

「憂いなき『精霊の森』の女王リデン・・兵士達に平和を与え、心さすらう者には安らぎをもたらし、傷ついた者にその力を蘇らせる麗しき森の精霊リデン。そのリデン様ご自身が、何を思いわずらうや・・」

 

 ハマは美しい精霊の女王に絶対の敬愛の情を抱いていて、その精霊の強い力を信じていた。

 しかしこれまで何があろうと、近頃のような様子を見たことはなかった。


 リデンはそんな忠臣ハマの大仰な言い回しに、思わずクスリと笑いを漏らした。

 それを見て、ハマは嬉しそうに自分でも笑った。


「実はね、ハマ・・誰かが、私の夢を盗んでいるようなの」

「夢を盗む・・?リデンさまの・・?」

「ええ・・夢が私に語るのだけれど・・何が起こっているのか、これから何が起こるのか・・誰がそれを目論んでいるのか。でも・・しばく前からなのだけれど・・私が目覚める前に、誰かが私の夢の中に入り込んで、それを全部どこかに持って行ってしまうのよ・・」

「うう~ん、つまり、夜、リデンさまがお休みの間にですかな」

「ええ・・時々、お昼寝の時もね・・」

「じゃ、寝ずの番をお付けして、リデンさまが目覚める前に、その不埒な盗人をとっ捕まえましょうか・・」

「いい考えだわ・・」

「で、その眠らせ強盗は・・もしかして、群れをなしてますか」

「羊じゃないわ・・」

 ハマはちょっと頭を掻く。

「一頭・・いえ、一人・・」

「・・ご存じなので、どんな輩か」

「あなたと話していたら・・何となく、分かって来たような気がするわ・・」


 ハマは安堵したが・・絶対的な存在である森の精霊の女王として、僅かまだ十年程前に即位された今上のリデン様は、その純白の髪がリデンとしての稀有な資質を証明しているとはいえ・・やはり、まだお若いのだと思った。



 カン達三人が、神官の見習いとして何とか『月の神殿』の内部に潜入してから、既に半年近くも経っていた。

 事前の計画としては、神殿に潜入した後、直ぐにもペルの行方を探すため、その内部の様子を探索するつもりだった。

 ところが、神官養成所の出入り口は全てしっかりと設錠してある上、常時監視までいる。脱走を試みる者が、相次いだためらしい。

 それで不本意ながらも、『魔月の神官』養成コースで学ぶ羽目になった。


 何か甘い言葉で誘われたらしい見習い達は、皆、最初は不満気だったが、常に何かの薬草の香りと静かな唱和の中で次第にトロンとして・・一様に、従順な態度に変わっていった。

 三人は自分達もそうなることを恐れて、常に意識的に過ごしていた。

 しかし、ただそれだけで免れているとも思えないふしがあった。何かと呑み込まれ易いコウでさえ、思いの外しっかり意識を保っていた。


 めでたく初級を修了した後は、養成の場を神殿内に移され、実習課程が始まった。そしてその実習の大半を占めるのが何と、その神殿内部の探索だった。


 その岩窟の内部は一見、曲がりくねった一本の通路が通っているだけで、その果ては行き止まりだった。

 しかし、その通路の岩壁の至る処に同じ作りの扉があり、そこに嵌め込まれた可動式の格子が扉の鍵になっていた。何本かの格子を動かすとその鍵が外れて扉が開く仕掛けになっているが、その扉の格子は全て動かし方が違い、一つの扉を開けても・・その先にまた同じような扉がある。

 先に行くに従い、その格子鍵は更に複雑になり、その全ての作動方を覚えなければ、この神殿内部の行き来そのものが出来ない・・と云う凝り様だ。

 で、思わずヒステリーでも起こしたのか、壊された格子が幾つかあり、それはそのまま開かずの扉になっている。


 ・・と云うことで、三人も、忍耐強く更なる修業を続けるよりなかった。

 夫々、分担して格子鍵の暗証丁番号を記憶し、一体どの厨子の中に我らが姫君はおわすのか・・と探したが、一向にその姿は拝めない・・。

 

 おまけに、些か危惧していた事が起り始めた。

 コウが落ち着きを失くして怯えがちになり、カンの視力も急激に低下して来た。『癒しの泉』の効力が、失われてきたのだ・・。

 今まで平常でいられたのは、『リデンの森』での滞在期間が見えないバリアとなって、三人を守っていた故だった。


 更に思わぬことが起った。新たにコウの封印されていた記憶の幾つかが蘇ったのだ。それも、ジュメが『月の鏡』の水面を通してコウに伝えた話の核心とも思える部分が・・。

 これは何としても、ミタンに伝えなければならない。

 三人は近々、何か『魔月』に関する重要な儀式が始まると云うことを掴み、それに紛れ込むつもりだった。が、その前に、コウを脱出させることにした。何度も森を彷徨ったこともあってか、コウには森林の地形に対する土地勘のようなものがある。一人でも何とかミタンへの路を見つけられるだろう。



 

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