35歳のシンデレラ アラブの女神編 5
夫の葉尊から、連絡があったのは、それから、数日後のことだった…
あろうことか、日中に、自宅に電話があった…
いや、
自宅ではない…
私のスマホに、だ…
私は、その時間、なにをしていたのか? と、言われれば、自宅で、パソコンをいじっていた…
まあ、平たく、言えば、ネットサーフィンをしていたわけだ…
アラブの王族について、アレコレ、情報を集めていたのだ…
ちょうど、夫の葉尊から、電話が、あったのは、そんなときだった…
手元に置いた、スマホが鳴り、
「…お姉さん…ですか?…葉尊です…」
と、声がした…
運動神経抜群の私は、すばやく、スマホをとった…
わずか、数秒後だった…
相変わらず、すばやい…
やはり、私は、できる女だ(笑)…
内心、そう自画自賛しながら、電話に出た…
「…葉尊…どうした? …私だ?…」
私は、鼻息荒く、返答した…
葉尊に、なにか、あったに違いないからだ…
真っ昼間に、妻である私に、電話をくれたことなど、なかった…
だから、きっと、葉尊の身になにか、あったに違いなかった…
6歳年下の葉尊から、頼られる私は、いつも、強気…
どんなときにも、強気…
それが、私だ…
いわば、年下の夫が、私を頼るべく、強気を演じているのだ…
夫の葉尊は、大金持ちの子息であり、私は、平民出身…
誰が、どう見ても、玉の輿に乗れたのだから、夫の葉尊に、心の底から、感謝しないといけないのだが、それもあって、強気だった…
それが、私だった(笑)…
「…スイマセン…お姉さん…お忙しいところ…」
なぜか、夫の葉尊が、下手に出た…
夫の葉尊は、クールの社長…
当然、忙しい…
対する私は、専業主婦…
当然、暇だ(笑)…
が、
なぜか、夫の葉尊は、そんな私の実情が、わかっているにも、かかわらず、いつも下手だった…
「…大丈夫だ…葉尊…私は、暇だ…」
私は、葉尊を安心させるべく、言った…
「…どうした? なにか、あったのか?…」
「…それが…」
葉尊が言い淀んだ…
「…バカ…昼間から、電話をかけてきて、はっきりと、要件を言え!…」
私は、怒鳴った…
繰り返すが、どんなときも、強気…
それが、私だ…
「…お姉さんが、お忙しいと思いますが、今日、これから、クールの本社に来て、頂けないでしょうか?…」
「…これからか?…」
私は、唖然とした…
いまだかつて、夫の葉尊が、私に対して、そんなことを、言った覚えがなかったからだ…
そんなことを、考えていると、
「…スイマセン…お姉さん…突然のことで…」
と、葉尊が、詫びた…
が、
葉尊は、私の夫だが、6歳も年下だ…
私から見れば、少々頼りない…
だから、怒っても仕方がない…
私が、面倒をみてやろう…
そう、思った…
そう、心に決めた…
なんといっても、私の夫だ…
面倒を見て、やらねばならん…
「…クルマの用意は、しますので、これから、すぐに、自宅にクルマをまわします…」
葉尊が言った…
が、
私は、それを断った…
「…ダメだ…葉尊…」
「…どうして、ダメなんですか?…」
「…いちいち、この家にクルマをまわすなんて、時間がかかる…」
「…」
「…それに、この家から、オマエの会社まで、行くんだって、タクシーに乗ってゆくより、電車で、行った方が、早い…」
「…電車で?…」
「…そうさ…都内は、みんな、そうさ…クルマはいらん…これから、電車に乗って、ゆく…」
私は、そう言うと、すぐに電話を切った…
そして、まるで、神速のごとく、部屋を出た…
すでに、服のことすら、考えなかった…
夫の葉尊の一大事…
そんな小さなことに、こだわっていられなかったからだ…
葉尊が、昼間、自宅にいる私に電話をくれたのは、初めてのことだった…
当然、私は、暇だが、だからといって、昼間から、妻である私に連絡をくれる葉尊では、なかった…
ビジネスとプライベートを、きっちりと、わける男だったからだ…
ひとたび仕事に向かえば、妻も家庭も忘れて、仕事に全力投球…
葉尊は、そんな昔ながらの古風な男の中の男だった…
が、
そんな葉尊から、昼間、私に、連絡があるとは?…
私は、驚くと、同時に、着の身着のままで、外に出た…
この矢田トモコ、35歳…
これまでの人生の、最大の危機かもしれん…
そう、思った…
そう、思いながら、街を歩き、地下鉄に乗った…
と、いっても、私の服は、いつものまま…
白いTシャツに、ヨレヨレのジーンズ…そして、足元は、スニーカー…
すでに、中学時代から、いつも、この格好だった…
このスタイルだった…
それが、この歳まで、延々と続き、この矢田トモコ、35歳のスタイルになったのだった(笑)…
別に、この歳まで、気合を入れて、化粧をしたいとも、思わなかった…
そもそも、私は、美人でもない…
本当に、どこにでもいる、ありきたりな女だった…
それが、わかっているから、化粧に気合を入れるわけでもなかった…
私は、ボンヤリと、そんなことを、考えながら、クールの本社に向かった…
港区の芝浦に着いたのは、それから、まもなくだった…
私は、クールの本社ビルの前に立った…
身長、159㎝のカラダで、立った…
すると、
なぜか、突然、恥ずかしくなった…
実は、いきなり、夫の葉尊に呼び出されたものだから、いつもの、Tシャツに、ジーンズと、スニーカーで、構わないと、自分自身に言い聞かせていた…
だから、
誰か、クールの関係者に、
「…奥様…その恰好は?…」
と、咎められたら、
「…葉尊に呼び出されたから、着の身着のままで、やって来たのさ…」
と、言い訳するつもりだった…
が、
さすがに、このクール本社の巨大なビルを見ると、私のその決意も揺らいだ…
私の鉄の意思も揺らいだのだ…
そのとき、偶然、風が吹いた…
すると、一気に、寒さを感じた…
ピューと、風が吹いただけで、まるで、私の心の中にも、風が吹いた感じだった…
これから、クールの本社ビルの中に入り、受付で、
「…私は、矢田トモコさ…このクールの社長夫人さ…さっき、夫の葉尊から、呼ばれたのさ…さっさと、葉尊に、連絡しろ!…」
と、高飛車に言いたかったが、その決意が揺らいだ…
やはり、陰で、
「…なに、あの格好? …ホントに社長夫人なの? …社長は、あんなにイケメンなのに…」
と、いう声が聞こえてきそうだった…
いや、
間違いなく、聞こえてくる(涙)…
それを、考えたとき、思わず、足がすくんだ…
どうして、いいか、わからなかった…
が、
グズグズしていては、いけない…
事は、一刻を要するのだ…
そう、思ったときだった…
私の手前で、いきなり、大きな白いクルマが、停まった…
正直、見たこともないクルマだった…
外車であることは、わかる…
私が、驚いて、その外車を見ていると、
「…アレ、ロールスロイスじゃない?…」
と、いう声が聞こえてきた…
…アレが、ロールスロイス?…
私は、間近に見ながら、考えた…
…本当なら、クールの社長夫人なんだから、あんなクルマから、降りねばならんかった…
そう、気付いた…
あの白いロールスロイスから降りれば、この矢田トモコも金持ちに見えるからだ…
この白いTシャツに、ジーンズ、そして、スニーカーの格好でも、金持ちに見えるからだ…
私は、それを思った…
そして、一体、どんな人間が、そんな高級車から、出てくるのか、考えた…
と、
そのときだった…
あろうことか、ロールスロイスのドアが開いた…
私は、なんの考えもなく、そのドアを見た…
すると、
な、なんと、私と同じく、白いTシャツに、ジーンズ、そして、スニーカーの女が出てきた…
私は、ビックリした…
まさか、こんな高級車から、そんな恰好をした女が出てくるとは、思わなかったからだ…
私は、わずか数メートル先の距離の、その女に釘付けになった…
それが、いけなかった!…
な、なんと、その女は、外見も、私そっくりだった…
その女は、私だった…
いや、
私に瓜二つだった…
顔も、身長も、年齢も同じ…
ほぼ、同じだった…
同一人物かと、見間違うほど、同じだった…
そして、私は、その人物に、見覚えがあった…
かつて、煮え湯を飲まされた経験があったのだ…
同時に、私が、この世の中で、もっとも、苦手とする女だった…
私は、驚いて、ほぼ硬直した状態で、棒立ちで、ロールスロイスから、降りた女を見ていた…
それが、いけなかった…
女が、私の存在に気付いたのだ…
ふと、私の姿を見ると、
「…矢田…オマエは、矢田トモコじゃないか?…」
と、気さくに、声をかけてきた…
私は、あまりの恐怖で、
「…」
と、答えることが、できなかった…
すでに、カラダが、硬直していた…
その場で、瞬間冷凍したように、カラダが、ガチガチに固まっていた…
「…なんだ、オマエ…」
なおも、その女が、気安く、声をかけてきた…
「…アタシを忘れたわけじゃあるまい? …矢田? …スーパー・ジャパンの矢口…矢口トモコさ…」
女が、自分の名前を名乗った…
私は、その瞬間、
内心、
「…忘れるわけないだろ!…」
と、怒鳴ってやりたかった…
「…忘れたくても、忘れられん! オマエのことを、忘れることなど、出来ん…」
と、心の中で、怒鳴った…
なにしろ、今を去ること、6年前、この矢口トモコに、私は、身代わりにされたのだ…
外見が、そっくりなのを、いいことに、こともあろうに、この矢田トモコを身代わりにしたのだ…
そんな経験は、35年、生きてきても、これまで、一度もなかった…
一度も、だ!…
忘れたくても、忘れられん、経験だった…
完全な黒歴史だった…
正直、二度と会いたくなかった…
顔を見るのも、嫌だった…
私は、そんなことを、考えながら、その場に、唖然として、立ち尽くしていた…
呆然として、立ち尽くしていた…
すると、こともあろうに、目の前の矢口トモコが、
「…どうした? …矢田? …アタシのことを、忘れたわけじゃあるまい?…」
と、上から目線で、聞いてきた…
私は、ふと、思った…
あのとき、六年前…
スーパー・ジャパンは、倒産寸前だった…
が、
その後、経営再建に、成功して、業績が、回復したと、テレビや、ネットで知った…
この矢口トモコは、そのスーパー・ジャパンの経営者の娘だった…
いや、
もしかしたら、今現在、この矢口トモコが、経営者かもしれなかった…
スーパー・ジャパンのトップかもしれなかった…
が、
臆することはない…
この矢田トモコは、今、日本を代表する、総合電機メーカー、クールの社長夫人だ…
しかも、単なるサラリーマン社長ではない…
オーナー経営者だ…
だから、私と矢口トモコは、立場は互角…
共に、オーナー経営者だからだ…
ただし、
スーパー・ジャパンは、所詮は、日本の流通産業…
安売りのスーパーだ…
それに、比べ、クールは、世界に知られた、日本の総合電機メーカー…
当然、クールの方が、格が上だ…
当たり前のことだ…
つまりは、私の方が、今や、この矢口トモコよりも、立場が上…
六年前とは、立場が、逆転したわけだ…
私は、それに、気付いた…
それに、気付いた私が、黙っていると、
矢口トモコが、キラリと、目を光らせた…
私同様の、細い目を光らせた…
そして、言った…
「…矢田…まさか、オマエ、今は、アタシより、自分が、偉くなったとでも、思っているわけではあるまい?…」
グサリと、私の本音を突いた…
「…勘違いは、いかんゾ…」
…勘違い?…
…なにが?…
今は、私の方が、立場が上のはずだ?…
と、一言、言ってやりたかったが、言えんかった…
目の前に、この矢口トモコを見ると、言えんかった…
あの一度だけだが、矢口トモコの住む豪邸に招かれた光景が、脳裏に受かんだ…
正直、これまで、見たこともない、豪邸だった(涙)…
それを、思い出すと、とてもではないが、この目の前の矢口トモコに、デカい態度など、取れなかった…
取れなかったのだ(涙)…
だから、
「…いえ、とんでも、ありません…この矢田トモコ、35歳…お嬢様に、お世話になった御恩は、忘れません…」
と、頭を下げた…
…本当は、お世話をしたのは、私だ!…
…この矢田トモコが、お世話したんだ!…
…アンタが、私を世話したわけじゃない!…
と、声を大にして、言ってやりたかった…
が、
言えんかった(涙)…
とてもじゃないが、口に出せなかった…
なぜだかは、わからない…
外見は、私そっくり…
なにも、変わらない…
でも、
言えんかった(涙)…
ひょっとすると、これが、格の違いかもしれんかった…
人間の格の違いかも、しれんかった…
突如、私は、思った…
この、私そっくりの矢口トモコを、目の前にすると、どうしても、一度訪れただけの、矢口トモコが住む、豪邸が、脳裏に受かんだ…
そして、それを、思い出すと、この眼前の私そっくりの六頭身の女が、まるで、皇族かなにかのように、光って見えた…
輝いて、見えた…
所詮は、私とは、身分違い…
古い言葉で、言えば、殿上人…
天皇のお側に仕える人間だ…
私とは、身分が、違う人間だ…
私は、それを身に染みて、悟ったのだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…矢田…」
と、矢口トモコが、上から目線で、私に声をかけた…
「…なんでしょうか?…」
「…一度、世話になった人間の恩義を忘れては、いかんゾ…」
と、矢口トモコが、またも上から目線で言った…
…世話になった恩義だと?…
…一体、どの口が言うんだ?…
…何度も言うが、世話をしたのは、私だ!…
頭に来たが、やはり、言えんかった(涙)…
真逆に、
私の口から出た言葉は、
「…お嬢様に受けた恩義は、この矢田…決して、忘れません…」
と、まるで、家臣のような言葉だった…
自分でも、情けなかった(涙)…
実に、情けなかった(涙)…
でも、逆らえんかった(涙)…
その私に、
「…矢田…いい心がけだ…その心を忘れるで、ないゾ…」
と、矢口トモコが、声をかけて、その短い足で、スタスタと、目の前のビルに入った…
私は、ホッとした…
矢口トモコがいなくなったからだ…
誤解があるかもしれんが、私は、この矢口トモコが、嫌いなわけではない…
ただ、苦手なのだ(涙)…
目の前にすると、まるで、蛇に睨まれたカエルのように、足がすくむ…
緊張で、カラダが、ガチガチになる…
なまじ、外観が、そっくりなだけに、余計に、生まれの差…
身分の差を痛感するのだ…
私は、矢口トモコがいなくなったことから、安心して、頭を上げた…
目の前に矢口トモコがいるだけで、怖くて、頭も上げれんかった…
私は、ホッとして、頭を上げると、ふと、誰か、こちらを見る視線を感じた…
思わず、私は、その視線の主を振り返った…
それは、まだ若い長身のブロンドの美女だった…
白人の美女だった…
私は、矢口トモコ同様、その顔に見覚えがあった…
よく知っている女だったからだ…
その女は、バニラ…
バニラ・ルインスキーだった…
私が、もっとも忌み嫌う、生意気な女だった…
もっとも、見られたくない姿を、こともあろうに、バニラに見られた瞬間だった…
私の弱みを握られた瞬間だった(涙)…




