【力とは何か編】第十二段 忠清、合議をもって世を治めること
【力とは何か編】第十二段 忠清、合議をもって世を治めること
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由井正雪の乱から幾年か経った。あの幼かった家綱も、いつしか将軍として世に座り続けている。だが、この将軍自身は、生涯病がちで、自ら政を主導する力には乏しかったと聞く。それでも下界は、思いがけぬほど落ち着きを見せ始めている。この不思議を、我はようやく解き明かせた気がする。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
家綱の御代、その病弱ゆえ、将軍自ら政を主導すること叶わず、老中・大老による合議にて幕政運ぶこと、常となり候。中にても酒井忠清なる者、若くして老中首座に抜擢され、この体制の中心にあり~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
家綱の御代は、その病弱さゆえに、将軍自らが政を主導することができず、老中や大老による合議によって幕政を運ぶことが、常のやり方になっていきました。中でも、酒井忠清という者が、若くして老中の首座に抜擢され、この体制の中心を担っています。
忠清の家、酒井雅楽頭家は、家康公以前からの譜代の名門です。この家に生まれた忠清は、之長、元長、信長、久秀といった、力を求めて成り上がり、そしてその力ゆえに滅んでいった者たちの末路を、家に伝わる記憶として、幼い頃から聞かされて育ったに違いありません。加えて、自らが仕える将軍・家綱その人が、幼く病弱で、一人の力に頼ることのできない政の中枢にいる。忠清は、伝え聞いた昔の教訓と、目の前で日々起きている現実、その両方から、同じ一つの答えを導き出していったように、私には見えます。
その答えとは、こうです。一人が力を持てば、その者は必ず、最大の的になる。だとすれば、そもそも力を一人に集めなければよい。忠清は、この当たり前でありながら、これまで誰も本気で実行してこなかった道理を、実際の幕政という形にまで仕上げてみせました。老中たちが合議によって政を進める体制を整え、将軍という一人の人物に頼らずとも世が回る仕組みを、確かなものにしたのです。
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我は、これを聞いて、深く感じ入るものがあった。之長から数えて、もう百五十年近くになる。この間、無数の男たちが、刀を、茶器を、人の心を、情報を、それぞれの形で力を蓄えてきた。そのどれもが、根を辿れば「攻められないための備え」だった。だが、力を蓄えれば蓄えるほど、その者は皮肉にも、誰よりも狙われる立場になっていった。信長がそうだった。久秀がそうだった。利休でさえ、そうだった。誰も彼も、同じやり方で答えようとして、同じ結末を迎えてきたのだ。
忠清は、この百五十年、誰も抜け出せなかった構造そのものを、疑ってみせた。力を蓄えて身を守るのではなく、そもそも一人が力を持つという状態自体を、危険なものとして退けた。これは、刀でも、茶器でも、人心でも、情報でもない、まったく新しい種類の「攻められないための備え」だ。狙うべき的そのものを、なくしてしまうのだから。
これはまことに、大した男だと思う。伝え聞いた昔話を、ただの昔話として聞き流さず、そこから世の構造そのものを読み解き、政策にまで昇華させてみせた、その聡明さには、心から感心する。百五十年にわたる秩序の崩壊と再生の繰り返しが、ここにきてようやく、次の段階へと移った。これはもう、単なる政策の一つではない。【力とは何か】という、我が長らく問い続けてきたものへの、一つの、成熟した答えなのだと、我は思う。
「篁様、これにて、政元の暗殺よりこの方、幾多の争いを見届けて参りました報告、下界の安定を見ましたので、ひとまずの区切りとさせていただきとう存じます」
我がそう書き終えたところで、篁様より、思いがけないお言葉を頂戴した。
「長いこと、御苦労であった。これよりは、好きに下界を眺め、気になったことを、思うがままに書き記してくれればよい」
この一言に、我は正直、しばし言葉を失った。何百年もの間、常に「報告せねばならぬ」という務めを胸に、下界を見つめ続けてきた。政の大事件を追いかけるあまり、珠光のような静かな芽吹きを見逃したこともあった。だが、これよりは、その務めから離れてよいという。
思えば、生前の我は、「つれづれなるままに」、誰に頼まれるでもなく、ただ心の赴くままに筆を執っていた男だった。それが死してのち、何百年もの長きにわたり、義務として下界を見張り続けることになろうとは、我自身、思いもよらぬことだった。だが、これでようやく、本来の我に戻れるのかもしれない。
次に筆を執る時は、もう報告書としてではない。ただ気になったことを、気になった時に、気の向くままに書き記していこうと思う。
兼好法師の黄泉報告書【力とは何か編】
---完---
【力とは何か編】、最後までお読みいただきありがとうございました。
このシリーズを書き始めた頃、私は「下剋上」を、刀による成り上がりの物語としてしか捉えていませんでした。ですが、久秀、利休、家康と書き進めるうちに、力の形は刀から茶器へ、茶器から人心へ、人心から情報へと、姿を変えながら移り変わっていくことに気づきました。
そして最後に辿り着いたのが、酒井忠清という人物です。彼が編み出した「合議制」は、これまでの誰とも違う、力を独占しないという答えでした。この結論に兼好を導けたことは、書き手としても、大きな達成感がありました。
兼好はここで、義務としての報告者から、本来の随筆家へと戻っていきます。
またいつかお会いできるかもしれません。
その時はよろしくお願いします。
竹の春と猫




