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鈴蘭の魔法<最終話>

「・・・・それも良いだろう。目の前にいて触れる事も出来ないのなら・・・同じだろう。イレーネの愛する紫の瞳の男の下に戻してやるがいい・・・・きっともう帰りたいと思っているだろうからな。あんなに愛しげに刺繍を刺す姿を見なくなって俺もせいせいする」

 アランが自虐的に嗤って言った。

「刺繍?刺繍でございますか?あれは先日花嫁になられたツェツィーリア殿の為に刺されていると聞いております。なんでもツェツィーリア殿は皇帝の紫の瞳がとても好きだそうで、苦労してその色が手に入ったから急いで刺していると言っておりました」

 アランはわざわざ取って付けたような話をするクロードを睨んだ。


「今さら気休めか?」


「私が何故陛下に気休めを言う必要がございますか?女遊びは何時もの事、そんな事で一々構いません」

 アランはかっとした。

「女遊びだと!イレーネをそんなものと一緒にするな!イレーネは言っていたそうだ!好きな人の為に刺す?あっ・・誰が好きなとは言っていない・・・じゃああれはその女の事だったのか?」

「早とちりだったのでしょう?」

「しかし、娘達が紫の瞳の奴が好きか?と聞いたら、そうだと答えていた。これは聞き間違いでは無い。確かに〝そうね〟と言った」

 クロードは溜息をついた。

「〝そうね〟だったら〝そうよ〟という肯定では無いのですから、それは返事では無かったのでは?その後に何かしら続く感じの言葉だと私は思いますが・・・本当に最後まで聞かれましたか?」


 クロードに指摘されてアランは自信が無くなって来た。彼はイレーネの気持ちを確かめる為に探りを入れていたのだ。根回しは怠らないのが性分だ。その刺繍は自分も気になって聞きだしたばかりだった。そして彼女の心の在り処を確かめたのだ。だからクロードはこの話を簡単に終わらせるつもりは無かった。

「それに私がイレーネ殿から聞いた時は、その紫色は陛下貴方の怒った時の色もそうだと言われていました。私も言われて見てそうだと思いましたが、貴方は怒るとあんな色の瞳になられる。イレーネ殿はそう言って微笑んでおられました。私から見れば彼女があれを見つめている姿は、かの君では無く貴方を思い浮かべていると思っていましたが?」

「はは・・・そんな馬鹿な?それこそ幻想だ。万が一そうだとしても俺の気持ちは変わらない。俺が愛せば皆死ぬのだから・・・だから絶対にイレーネはいらない!」

 クロードは目を見張った。


「陛下!まさかあの戯言を言った呪い師の言葉を信じていたのですか?」


 アランは嗤っている。

「信じるしか無いだろう?全て予言通りじゃないか?」

「陛下・・・これは王族殺しの大罪でございます。ですから私は密かに調べておりましたのでまだ報告しておりませんが、一連の死亡事故は全て人の手によるものでございます」

「なんだと!」

「呪いなどという非現実的なものでは無いのは確かです。今回の三件・・・いえ、正妃の死亡も関わるかと思われます。巧妙で疑う余地が今までございませんでしたが、流石に子供だけで三件目となると偶然では片付きません。これは後宮の勢力争い・・・そして後ろにいる実家の陰謀かと思われます」

「信じられん!そんな愚かな事をする奴がいるのか!証拠は?」

「今しばらくのお待ちを・・・手は打っておりますので」


 クロードが瞳を細めて言った。この男がこういう顔をする時は、ほぼ間違いなく相手の止めを刺す。しかし本当なのだろうか?にわかに信じられない・・・

「そこで陛下は呪いとかいう懸念が無くなれば、イレーネ殿を迎えるおつもりでしょうか?もちろんそうされるのを私はお薦めいたしますが?」

 長い間凝り固まった考えはそう簡単に払拭できるものでは無い。それに先程の都合のいい話を真に受けて告白したものの、拒絶されたらと思うと答えられなかった。何と情けないと自分でも思うのだが・・・

 クロードは大きく息を吸い込むと怒鳴った。


「アラン・ドュ・オラール!貴方はいつからそんな情けない男になったのか!妖魔の大群にも怯まない勇猛果敢な王は何処にいった!好きな女ぐらいさっさと攫って来い!」


 そして咳払いすると胸に手を当てて深々と礼をした。

 彼の一喝に度肝を抜かれたアランだったが、豪快に笑った。

「確かにそうだ!俺は王だ!アラン・ドュ・オラールだ!誰も俺に逆らわせない。呪いがあるのなら倍に呪い返してやる!イレーネがあの男に心を残しているのなら帝国ごと葬ってやろう。三界の盟約なぞ俺は知らん!奴をぶっ殺して好きな女を俺は抱いてやる!」

 彼らしくなったと思ったら、物騒な事を言い出した主君にクロードは苦笑いをした。意気揚々と出て行く彼を見送りながら、先程、報告してしまった案件の処理にかかる事にしたのだった。これも程なく解決する筈だ。



 イレーネはツェツィーリアから贈られてきたものを見ていた。それは土に植わったままの沢山の鈴蘭だ。此処には無い品種のものでイレーネが幼年期過ごした田舎にあった花だった。懐かしくそれを眺めているところに台風の目がやってきた。

 息せき切ってやってきたのはもちろんアランだ。ずっと避け続けられたイレーネにとって久し振りに間近で彼を見たのだった。

 アランは勢いよくまるで吼えるように言った。


「イレーネ!俺の后になれ!」


 それはまるで彼がオラールへ来いと言った時とまるで同じだ。イレーネは自分の聞き間違いかと思った。

「何をおっしゃっていますの?わたくしに何をしろと?」

「聞こえて無かったのか?もう一度言う。お前は――」

 此処まで同じ問答だ。だが、アランは言葉を切って驚くイレーネをかき抱いた。そして耳元で囁いたのだ。

「俺はお前を愛している。だから后になれ。お前一人でいい。他に誰もいらない・・・」

「わたくしが・・・」


 イレーネは急な愛の告白に驚いて言葉が出なかった。本当に彼はいつでも唐突だ。

 返事をしない彼女を否ととったアランは抱擁を解くと、紫色に染まった瞳でイレーネを見下ろした。

「俺が嫌でも否とは言わせない!あいつがまだ好きなら奴を殺してやる!絶対に渡さん!帝国が懐かしいと、帰りたいと言うならお前の為に国だって奪ってやる!」

「何をおっしゃっていますの?わたくしが誰を好きだと思って・・・まさかナイジェル様?」

 アランは彼女の口からその名前が出ただけで全身の血が煮えくり返るようだった。もうその名を呼ぶのも許せない。


「うるさい!黙れ!その名を呼ぶのも許さん!」


 やはり彼は誤解しているのだ。しかもこんなに自分を欲してくれている・・・信じがたいことだがアランの瞳が嫉妬に狂っているのは明らかだ。

「アラン様・・・わたくしの心がお分かりになりませんか?あの夜・・・わたくしが何も思わず、貴方にこの身を許すとお思いでしたか?」

 あの夜と聞いてアランははっとした。イレーネが自分を訴えるような瞳で見上げている。

「わたくしがそのような女だとお思いですか?意に沿わない殿方に恥辱を受けるぐらいならその場で死を選びます」


「それじゃあ・・・」


 アランはイレーネが頷くより先に彼女を抱きしめた。

 沢山の花を愛でていた王はたた一つの大切な花を見つけたのだ―――


 それからイレーネは自分とナイジェルやツェツィーリアとの関係を話した。アランがそれを聞いているのかどうか分からない。とにかくイレーネを片膝に据わらせ抱いたまま、時折返事をしながら髪や顔や指先まで口づけの雨を降らせているからだ。そして側で見つけたツェツィーリアから届けられた鈴蘭を見つけると、さっと手折りイレーネの髪にさした。


「お前、この花みたいだな」


 何処かで聞いたような言葉だった。イレーネはあっ、と思った。

「アラン様は昔、デュルラーとオラールの境にある谷の都に来られたことございませんか?この花が一面に咲いた土地がある・・・」

 アランは少し首を傾げて考えた。

「ああ、一度だけ。ヴァランの目を盗んで国境を越えた事がある。そんな所も確か行ったかな?」

 イレーネはやはりと思った。彼はそんな些細な事は覚えて無いだろうが、イレーネにとってはとても大切な思い出だ。幼いイレーネに道を聞いてきた少年を案内すると、礼にと鈴蘭を髪にさして同じ言葉を言ったのだ。イレーネは思い出してクスリと笑った。


「なんだ?今、笑っただろう?」

 あの時聞けなかった事をイレーネは聞いてみる事にした。

「アラン様。わたくしがこの花みたいとは、葉の影に咲く花の様に地味だからですか?」

 アランは驚いたように彼女を見た。

「そんな訳ないだろう?気品があるのに可愛らしいからじゃないか。お前にピッタリだろう?透明感のある爽やか甘い香り・・・そうか!お前の香はこの花だな?なんだそうか!じゃあ俺はこの花の葉になろう。いつもこの花を守っている大きな葉のようにな」


 そしてひと笑いするとイレーネに口づけをした。甘く蕩けるようなアランの口づけにイレーネは目眩を感じるほどだった。深く合わせた唇を解く度に、アランが甘く切なくイレーネの名を呼ぶ。

 イレーネは幸せ過ぎて怖かった。だから思わずアランの腕をぎゅっと掴んだ。

「イレーネ?」

 彼女の瞳に涙を見つけたアランはその涙を唇でぬぐった。

「何故泣くんだ?」

 イレーネは涙で潤んだ瞳で愛しい人を見上げた。

「幸せ過ぎて…怖いのです…」

「――っ!ああああ――もう!そう言って俺を煽るな!これでも一応この場で押し倒さないように自制しているんだ!本当にお前って奴は、俺の気も知らないでまったく」

 イレーネがぱっと頬を染めた。それを見た途端アランが喚いた。

「うっ!そ、それも!ああああ――やめてくれ――っ!お、俺の心臓に悪いだろうが!」

 イレーネがくすくす笑った。


「陛下が遠慮する姿を始めて見ましたわ」

「当たり前だろう?こんな誰が来るか分からん所で、お前を裸になんか出来るものか!誰かに見られるなんてとんでもない!お前を見ていいのは俺だけなんだからな」

 イレーネがまたぱっと頬を染めた。

「うわっ!だからそれをやめてくれって――っ!畜生!」

 アランは堪りかねてイレーネに口づけをした。先ほどとは比べ物にもならない激しい口づけにイレーネは腰を引いてしまった。しかしそれを許すアランでは無い。流石にその場で押し倒しはしないが熱を冷ます必要があったのだろう。彼女を更に力強く引き寄せ、深く唇を合わせる。

 息さえも奪うかのような口づけにイレーネは甘く痺れた。

 束の間に解かれたアランの唇からもれる言葉。


「イレーネ…愛している…」


 甘い吐息のような声にイレーネは再び涙して、今度は自分から唇を重ねた。

 瞳を見開いて驚くアランが、再び口づけを深くする前にイレーネは唇を離して微笑んだ。

「わたくしも愛しております…」

 アランの息を呑む音が聞こえた。

「もう許さん!煽るなって言っただろう!」


 イレーネはアランの癇癪に困ってしまった。何をしても何を言ってもそうなるのだから……


 その後、クロードの摘発で後宮の陰謀は幕を閉じ、その件もあってアランは後宮を整理した。女達には恩給をとらせ、まさしくイレーネだけにしてしまったのだ。

 そして盛大な婚礼が執り行われる事となった。イレーネはいいと言ったのだがアランが聞かなかったのだ。結局のところナイジェルと張り合いたいのだろう。自分の方がイレーネを大事にしていると言いたいらしい。その上、自分は名を騙って勝手に参列したのにナイジェルにも自分は行ったのだから来いと招待したようだ。それが届いたらきっとナイジェルは苦笑するだろう。


「イレーネ!何をしているんだ?」

「文を書こうかと・・・」

 アランはむっとした。

「あいつにか?駄目だ!俺の用が先だ!」

 我が儘な王はそう言うと広げていた書紙をぐるぐると丸めてぽいっと捨てた。そして真剣な顔をして言った。

「お前の居場所はもうここだ!いいな、ここだからな!大丈夫だなんて言う呪文も唱えるな!そんなもの唱える前に俺が全部叶えてやる。だから我慢するな、全部俺に言え!分かったな?」

 イレーネは微笑んだ。

「はい、陛下。仰せのままに・・・」

 アランは満足して笑うとイレーネを抱き上げた。


 もう幸せの魔法はいらないのだ。もしかしたら鈴蘭の咲く谷でかけられた魔法が続いていたのかもしれない。この人と出逢う為に―――




<閑話> 誰のもの?


 イレーネがアランから結婚の申し込みを受けていた頃、レミーは出入り口の扉を見ていた。イレーネに帝国から何か届けものが来たとのことで、自分の部屋に戻ったまま帰って来ないのだ。

「レミー王子?続けますよ。宜しいですか?―――」

 レミーは教師の話す内容に身が入らなかった。それは覚えているものを何回も教えられるせいもかもしれない。イレーネがいれば彼女に褒めてもらいたいから大人しく聞くふりぐらいするのだが・・・

「先生、ごめんなさい。ぼくちょっとおでかけしてきます」

「え?王子?お持ち下さい!」


 レミーは足のつかない椅子から飛び降りて走り出した。勉強部屋を出ると侍女や乳母達がいたが、その彼女達にレミーは走りながら言った。

「イレーネをさがしてくるから!」

「王子!そんなに走ってはお怪我なさいます!王子―っ!」

 レミーにとって初めての体験だった。鉢植えや壷の後ろに隠れたりして彼女達の追尾をかわして逃げる。結構楽しいものだった。しかし目的は忘れていない。隠れやすい庭へ飛び出した。広い後宮の庭は所々垣根で区切られているといっても、全部繋がっているようなものだった。だからイレーネの部屋に続く庭の垣根をかき分けて進んだ。そしてようやく辿り着いた先で見たものに驚いてしまった。


(父上が!父上がイレーネを食べてる!!!)


 レミーは口づけを見た事が無かった。軽いものぐらいならあっても今、目の前で見たのはそんなものではなかったのだ。だからアランがイレーネに深く口づけをする様子を食べていると勘違いしたようだった。レミーは走って二人に近づくと、座っているアランの足を力いっぱい引っ張った。レミーは父親が恐ろしい化け物にでもなったと思ってしまった。声も出ないほど怖かったがイレーネを助けようと必死だった。アランは自分の足が引っ張られる感覚に思わず口づけを解いた。


「な、なんだ?」


 そして下を見る。レミーが歯を食いしばってアランの足を引っ張っていた。

「レ、レミー?」

 イレーネは口づけの余韻にぼうっとしていたが、アランのレミーと言う声を聞いて我に返った。

「レミー様!」

 レミーはイレーネの声を聞いて、ぱっと見上げた。大丈夫みたいだった。

「イレーネ、イレーネ!大じょうぶ?父上に食べられていない?父上が化け物になって・・・」

 イレーネは真っ赤になってしまった。アランはむっとしている。

「化け物?まったく何言っているんだ!折角いいところで邪魔をしやがって」

 レミーはぞっとした。

「いいところって?やっぱり父上、イレーネを食べようとしたんでしょう?」

「ああそうだ!今から食べようと思ったのに!あーしてこうしてと色々な!」


 こんな所で押し倒すのは我慢するとか言っていたアランだったが、口づけが深くなるにつれて理性なんかぶっ飛んでどうでもよくなっていたらしい。

「イ、イレーネ!にげよう!」

 レミーはイレーネのスカートの裾を引っ張った。よく見ればイレーネは父にもう捕まっているようだった。膝の上に乗せられて腕が絡んでいた。レミーはそのアランの腕を外そうと引っ張った。アランはその様子を見て、レミーが何を思ったのかようやく分かってきた。

「おいっ!チビ!さっきのは食べているんじゃないんだ!あれは愛しているって言う証拠!分かったか!」

「あいして?なぁにそれ?」


 レミーの何?が始まってしまった。


「愛しているっていうのは好きってことだ!」

「ええ――っ!すきなら食べるの?じゃあぼくも父上やイレーネをあんなふうに食べるの?」

「がぁ――っ!違う!」

「レミー様、あのですね――」

「イレーネ!お前は何も言うな!ここは男と男の話だ!こいつとは話をつけていないといけないからな!いいか?レミー、これはな・・・」

 アランはいきなりイレーネに口づけをした。アランの胸を押して反抗していたイレーネが瞳を閉じ次第に大人しくなった。アランはそれを見計らって片目を開けると、下から驚いたように見上げるレミーを見た。たっぷりと甘い口づけをしたアランが唇を解き、ぼうっとしているイレーネの頭を自分の胸に抱き寄せた。


「レミー分かったか?イレーネは喜んでいるだろう?これは男と女・・・恋人というものがするものだ!恋人っていうのは・・・う~ん・・・」

「こいびとっていうのはなぁに?」

「えっとだな・・・恋しい?愛しい?う~ん駄目か。分からんだろうな・・・あっ!そうだ!特別な専用というもんだ!だからイレーネはもうお前の専用ではないからな。俺の特別な専用だ!」


「父上!イレーネはぼくのせんようだよ!とったらだめ!だめ!だめ―――っっ!!」


「うわっ!ちょっと待て!うわっっ」

 レミーが真っ赤な顔をして怒るとアランの足を叩きだした。そして泣き叫びだしたレミーにイレーネが我に返った。

「レミー様?どなさったのですか?」

「ふん!放っておけ!甘やかすとつけあがるからな」

「何を言われたのですか?」

 自分の膝から降りようとするイレーネをアランは抱いて放さなかった。

「お前がレミーの専用ではなく、俺の特別な専用になったと言っただけさ!間違ってないだろう?」

 アランは男と男の話をすると言った。まさか?

「あなたって人は・・・こんな小さな子供に嫉妬なさっているのですか?」

 アランがむっとした顔をした。

「悪いか!チビでも男だ!お前を盗られてたまるか!」


 イレーネは呆れてしまった。ふて腐れているアランはレミーの攻撃をかわす訳でも無かった。それなりに自分も悪いと自覚しているのだろう。

「困った人ですこと・・・さあ、その腕を外して下さいませんか?そんなに捕まえていなくても、わたくしは貴方のものですからね」

「え?あ、ああ・・・」

 アランは優しく微笑むイレーネに毒気を抜かれて彼女を抱いていた腕を解いた。束縛の無くなったイレーネは彼の膝から降りるとレミーの前にしゃがみ込んだ。

「レミー様、わたくしは変わりませんわよ」

「おいっ!」

「父上!だまっててよ!」

「うっ――」


 真っ赤に目をはらしたレミーの迫力にアランは負けてしまった。それをちらりと見たイレーネが苦笑しながら言った。

「レミー様、わたくしは・・・そうですね・・お二人の言うレミー様専用ではなくなりますけど・・・」

 彼女の話を途中まで聞いたレミーが、ぶわっと涙をあふれさせて首を振った。

「まぁ、レミー様。そんなにこのイレーネを好いて下さるのですね?ありがとうございます」

「あーんイレーネ――だめぇ」

「レミー様、わたくしは貴方の専用ではなくなりますけど、お母様になっては駄目でしょうか?」

「え?おかあさま?ははうえ?」

「ええ、わたくしは貴方の父上と結婚しますからレミー様の母上にもなりたいと思うのですが・・・駄目でしょうか?」


 レミーはびっくりした顔をしたまま動かなかった。心配になったイレーネがアランを見上げた。彼はイレーネの口から結婚すると聞いて、にまにましている。

「陛下・・・わたくし・・・」

 心配そうに眉をひそめるイレーネにアランが、にやっと笑って片目を瞑り、下を指差した。イレーネが下・・・レミーをみると大きな瞳を輝かせて嬉しそうに頬を紅潮させていたのだった。

「ほんとう!ほんとう!イレーネ!ぼくの母上になってくれるの?ぜったい?ぜったいそう?」

「ええ、そうですよ」


 レミーの笑顔が更に広がった。そして飛び跳ねながらはしゃいでイレーネの周りを回った。それをひょいとアランが捕まえて抱えあげた。

「どうだ!チビ嬉しいだろう?ん?この父のおかげだからな!う~とこの俺に感謝するんだぞ!」

「うん!父上、おてがらだったね」

「お前!何ていう言葉をつかうんだ!それが生意気って言ってんだよ!」

「きゃー母上!たすけて――っ!」

 もう母と呼ばれたイレーネが頬を染めた。

「まだそう呼ぶのは早いだろうが!この――っ!すぐ甘えて!絶対許さん!イレーネは俺のものなんだからな!」

「いやだもん!ぼくの母上だもん!」

 子供相手に本気に剥きになるアランを困った人だとイレーネは思った。


(そこが陛下らしいのですけれどね・・・)


 しかし、もうそろそろ止め時だろう。

「―――そんなに喧嘩ばかりなさるようでしたら、結婚は考え直したほうが宜しいかしら?」

 ピタリと二人の動きが止まった。

「許さん!」「だめ―っ!」

 と同時に叫ぶ。イレーネが笑いを堪えながら黙っていると・・・

「な、なあレミー、俺達は仲良しだよな?」

「はい、父上、ぼくたちはなかよしです」

 ほらっ、と言うように二人で笑い合い心配そうにイレーネを見た。イレーネは堪らず、くすくすと笑い出してしまった。

「嘘ですよ。だけど喧嘩は駄目ですよ。分かりましたか?」


 アランはむっとはしたが肩をすくませてイレーネの唇に軽く口づけをした。そしてレミーの頬にも。小さな王子は嬉しそうに声を上げて笑った。レミーの教育係りはいなくなってしまったが優しい母親が出来たのだった。そしてレミーが少し大人になった時〝大人の秘密〟と言われていた〝好き〟の違いを理解した。だからとても父を尊敬してしまった。


「この父上が、あの母上を口説き落とすとはねぇ・・・」

 何年経っても相変わらず、傍若無人の我が儘し放題の父を見ながらレミーは何時も思うのだった。本当にお手柄だったと―――



<閑話Ⅱ> 安らぎの場所


 イレーネが溜息をついた。

「母うえ?」

 大人しく課題を書いていたレミーがその溜息に気が付いて顔を上げた。それはアランが自分の妃や愛妾達を整理するとイレーネに言った翌日の事だった。

 昨晩彼女の部屋に訪れたアランは意気揚々に言った。

「イレーネ!明日から俺の女達は全て暇を取らせる!」

「え?」

 驚くイレーネを素早く絡め取ったアランはその広い胸に愛しい彼女を収めた。力強い彼の腕の中でイレーネは、どきりと鼓動が跳ねたがその腕の中からするりと抜け出た。

「陛下、どういう事でございますか?」

 アランは抱擁から抜け出て詰問するようなイレーネに少し、むっとした。

「何が気に入らない?俺の女はお前だけでいいと言うことだ!」

 大喜びすると思っていた彼女の態度が予想外でアランはとても気に入らなかった。


 イレーネはその言葉を聞いてとても嬉しいと思う反面、自分が無視され続けた皇后時代のつらい過去も思い出したのだった。自分と同じ思いをする女達が沢山いると思うと複雑な気持ちだったのだ。

「・・・でも・・・陛下を本当にお慕いしている方はとても・・・つらいでしょう?」

「つらい?イレーネ、じゃあ、俺がその女の所に通ってもお前はいいと言うのか!」

 アランは苛々して怒鳴った。イレーネは心優しいから女達に同情しているのだろうが、逆に自分を独占したがらないという事実に腹が立った。アランはイレーネを唯一の女だと思っているのに彼女は自分を他の女と共有出来るぐらいの想いしか持っていないのかと思ったのだ。


「ああ!お前の気持ちは良く分かった!子供のいる女達だけ残そう!やつらは子供を盾に残りたいと煩いし、俺は女無しでは夜寝られないからな!何方道お前一人では無理だろうさ!心の広いお前の許しが出たのならそうする!」

 アランが烈火のように怒ってしまった。瞳が紫色に変化していたのだ。イレーネは彼が言うように他の女の所に行っても良いと言ったつもりでは無かった。自分のつらい過去が過ぎっただけだったのだ。

「へ、陛下・・・ア、アラン様・・・いや・・・わたくしは・・・わたくしは嫌でございます。朝も昼も・・・夜もご一緒するのはわたくしだけにして下さい・・・貴方の腕の中にいるのは・・・わたくし、わたくしだけで・・・」


 そこまで言ったイレーネは大粒の涙を落とした。後から後から涙がこぼれ落ちる―――イレーネは煌びやかに着飾った自分よりも遥かに美しい女達がアランの腕に抱かれるのを想像するだけで涙が止まらないのだ。

「イレーネ・・・」

 アランは涙するイレーネに驚いた。誇り高く気丈な彼女は滅多に泣かない。そのイレーネが嫌だと言って涙しているのだ。アランは思い出した。彼女は帝国で皇后の地位にありながら何年も皇帝に指一本も触れられず無視され続けていたのだ。そのイレーネが見せた同情は当然だろう。自分を軽くしか想っていないという証では無かったのだ。アランは浅はかな自分自身に舌打ちした。そして声を殺して泣くイレーネを優しく抱きしめた。


「すまん。お前の気持ちを分かってやれなくて・・・愛しているのはイレーネ、お前だけなんだ。だから他に誰もいらない・・・お前しか見ない俺の傍にいるよりも女達を出て行かせた方が言いと思ったんだ。絶対に振向く事が無い男の傍にいるよりも良いだろう?だから例え俺が好きで残りたいと言っても聞き届けるつもりは無い」

「アラン様・・・わたくし・・・」

 イレーネはそこまで言ってくれる彼に胸がいっぱいで言葉が見つからなかった。数多くの美しい花を愛で続けたアランがイレーネだけでいいと言ってくれているのだ。これ以上の喜びは無いだろう。涙で霞む瞳に愛しいアランが優しく微笑んでいるのが見えた。そし

て降りてくる優しい口づけ・・・イレーネは花園の女達に〝ごめんなさい〟と心の中で呟いた。


(ごめんなさい・・・この人だけは譲れない・・・)



「母うえ?なにかおなやみですか?」

 レミーの話し方はまるで大人のようだが年齢相応の可愛らしい顔を傾げて尋ねた。

「・・・レミーは兄弟達が遠くに行くと寂しいでしょうね?」

「きょうだい?ですか?えっと・・・ああ、あのぼくより後に生まれた父上の子どもたちのことですか?」

 イレーネは驚いてしまった。レミーがまるで他人のような言い方をしたからだ。しかし王位継承者であるレミーと他の子供達とでは格段に扱い方も異なり、血の近しい者という概念が無いのだろう。それに母親達が王への寵愛を争っていたのだから当然のように子供達は交流していない様子だった。


「・・・この後宮にはわたくしとレミー以外は誰もいなくなるのですよ」

 妃達は子供好きだったアランを自分達が追い出された場所へと引き寄せる為に誰もが子供を後宮に置いていく様子が無かったのだ。

「えっ?いなくなるの?」

「ええ、お父様が決められたのですよ」

「ふ~ん、そうなんだ。しずかになっていいね」

 レミーはそっけなくそう言うと課題の難問に取り掛かってしまった。しかしそれを書きながら顔を上げることなく質問してきた。


「それでどうして母うえが、ふぅ~っていってるの?へんなの。だって父うえをひとりじめできるんだよ。そういうことでしょう?みんな父うえのせんようだったし・・・だいたいせんようがおおすぎるんだもの。ぼくは他の子どもたちがいなくなってうれしいけど。父上はぼくだけのものになるんだもの」

 子供は正直だとイレーネは思った。だが自分はもっと我が儘だと思っている。昨日は女達に同情はしたが醜い独占欲が沸きあがってしまった。そして女達だけではなく子供達まで去ると知った今朝―――女達の作戦通りにその子供達に会いに行くであろうアランの姿を思うと心がざわめいたのだ。女達は華やかに装ってアランを誘惑するに違い無い。自分だけだと言ってくれる彼を疑ってはいないが気分が良いものでは無かった。


「レミー、一人占めは出来ませんよ。レミーもお父様がいなかったら寂しいでしょう?他の兄弟達も同じですから・・・お父様は会いに行かれるでしょう」

「誰がどこに行くって?」

「へ、陛下!」

 急に現れたアランにイレーネは驚いた。しかも怒っている様子だ。昨晩と変わらず沈んだ様子のイレーネにアランは怒っていたのだ。

「イレーネ、お前は何も心配することは無いと言っただろう?それともまだ俺が信じられないのか!」

「いいえ!わたくしは・・・ただ・・・」

「ただ?ただ、何だ!」

「ただ・・・」


 イレーネはアランに子供の為とは言っても元妻達の所へなど行って欲しく無かった。でも幼い子供達の事を思うとそんな非情なことなど言えなかったのだ。嫉妬する己が嫌で堪らなかった。だから唇をきゅっと引き結んで黙るしか無いだろう。

 アランはその様子を見れば当然のように憤慨していた。どんな事でも言って欲しい彼にとってイレーネの態度は勘に障るものだったのだ。

「イレーネ!言いたいことがあるのなら言え!」

「・・・・・・・・」

 黙りこむイレーネにアランが益々苛々してきた。そのアランの袖を引っ張るものがいた。二人の様子を窺っていたレミーだ。大きな声を出すアランがイレーネと喧嘩をしていると思ったようでレミーの瞳は涙でいっぱいだった。

「父うぇ~母うえをいじめないでぇ・・・」


 アランははっとした。レミーは泣き出してしまいイレーネの引き結んだ唇は震えていて今にも泣きそうだった。

「・・・・・・すまん。かっとして・・・お前が悲しむ理由を俺に言わないからつい・・・」

「だって、父上はぼくのきょうだいのところにあそびにいくのでしょう?ぼくはいやです。父上とまい日あえないのはいやです」

 レミーが駄々を捏ね出してアランはイレーネの浮かない顔の理由が分かったような気がした。

「イレーネ、もしかして俺が子供達の所に行くのが嫌なのか?」

 でもイレーネは黙ったままだった。

「イレーネ、俺が子供達というか・・・それの後ろにいる母親達に会うのが嫌なんだろう?そうなんだろう?イレーネ?」


 アランは上機嫌になって重ねて聞いてきた。イレーネの嫉妬が嬉しいのだ。こうなったらアランは答えるまで後に引かないだろう。イレーネは諦めて重い口を開けたのだった。

「・・・わたくしは・・・貴方を信じております。でも美しい方々が貴方を誘うと思うと・・・憂鬱になってしまいます・・・幼い子供達に父親は必要だと思うのに・・・わたくしは酷い女でございます・・・こんな醜い心を貴方に知られたくなかった・・・」


「お前は馬鹿だ―――」


 アランはイレーネを優しく抱きしめた。

「そんなこと醜くなんかない!お前に愛されているという証のようなものだから俺は嬉しい。それにお前がそんな事で悩む必要などない。俺は例え子供を餌にされようと会い行くつもりなど全くないんだ」

「でも、それでは子供達があまりにも・・・」

 アランは心配するイレーネを一度ぎゅっと強く抱きしめてその腕を解いた。

「まあ聞け。女共は俺が来ないと分かると子供は厄介払いしたくなる。元々、本当に可愛がっているものなどいなかったからな。俺の寵愛欲しさにそう装っていただけだ。今に俺に押し付けに来るだろうよ」

「そんな・・・自分の子供ですよ。そんな馬鹿なこと・・・」

「そう馬鹿な女達ばかりだ。俺はそんな女達の外側しか見ていなかったし、それだけで良いと思っていた結果だろう。それに・・・女達がそれでも尚、何かするようなら・・・お前を悲しませるのなら奴らが喜ぶ黄金と宝石で出来た棺に入れてやる」

「え?どういうことでしょうか?」


「全部、殺してやると言ったんだ」


 イレーネは驚いて息を呑んだ。アランは冗談を言っている雰囲気では無かった。低い声で言葉を紡ぐ姿は絶対権力者の顔をしていた。

「お前を悲しませること事態が既に罪なのだから死は当然だろう?扉を開けた中に全裸で立っていようものなら王に対する不敬罪だ。馴れ馴れしくするのもな」

 イレーネは背筋が寒くなる感じがした。アランの陽気で気さくな雰囲気に慣れていたが本来それが異例なだけだった。昔から帝国でもこのオラールでも絶対権威の王の勘気に触れればその場で殺されても仕方が無いのだ。

 憤りで瞳の色が紫に染まりかけているアランにイレーネは恐る恐る手を差し伸べるとその胸に寄り添った。


「恐ろしいことを言わないでください。わたくしは大丈夫ですから・・・」

「イレーネ・・・」

 アランを取り巻いていた憤りがすっと消えて、震えるように胸にすがるイレーネに口づけしようとした矢先レミーの邪魔が入った。

「父上、きょうだいたちの母うえを殺しちゃだめ!だって母うえがいなくなったらぼくと同じようにイレーネが母うえになるのでしょう?ぼくはいやだもん!母うえはぼくだけのものだもん!ぜったいいやだからね!いや、いや、いーや!」


 レミーが頬をふくらませて訴えるとアランを叩きだした。

「レ、レミー、分かった、分かったから。おいっ!叩くのは止めろ!お前、力が強くなったなぁ~おいっ!痛いって!」

 ぽかぽか叩かれるアランの姿にイレーネは思わずクスリと笑ってしまった。

「おいっ!イレーネ!助けてくれ――っ!」

 クスクス笑うイレーネにとうとうアランが泣きついて来たが、そこにはもう怖い顔の王はいなかった。息子に甘い父親の顔をしたいつものアランだった―――


 結局、アランの予想通り望みが無いと悟った女達はあっさりと面倒な子供達を手放した。後宮に引き取られる事となったその幼い子供達には、イレーネが厳選した乳母を付けることとなった。もちろん後宮を取り仕切るイレーネがその子供達の母親代わりのような存在だ。しかし捨てられたとは言っても本当の母親がいる以上、イレーネを母と呼ばせる事は無かったという。でも子供達は母親では無い母のような存在の不思議な女性イレーネに深い愛情と尊敬を抱いて育つ事となるのだった。


 艶かしい甘い香りが漂っていた後宮は子供の明るい笑い声と、豪快に笑うアランの風景が当たり前となった。

 そしてそこで優しく微笑むイレーネの姿―――この場所は孤独だったアランが本当に心安らぐ場所となったのだ。そこにまた一つ新しい家族が加わるのも近いだろう。


「魔法の呪文」終了いたしました。イレーネを救済する外伝でしたが如何だったでしょうか?

 そもそも次世代編を考えた時、冥の花嫁になった皇女(ナイジェルの娘)の相手は当然皇家の血筋でなければならない。となったら帝国内の普通の貴族では物足りない…と考えていて、じゃあオラールなんてどう?と閃き!えっ!じゃあ誰かを向こうの王家に嫁がせる?となり、そうだ!イレーネだ!となりました。


 イレーネはナイジェルの相手に選ばれたぐらいの皇家縁の血筋。そこでイレーネの相手はどんな人を?と想像した結果ナイジェルとは逆にと思うと…今まで私の好きなタイプでは無かった筈のアランが出来上がってしまいました。女は山のようにいるし、子供までわんさかいて、とてもロマンスの主役には不適合かと思ったのですが…意外とツボにはまりました(笑) それに俺様は好きでも、粗野で直情型は私の好みでは無かった筈ですが…書き始めるとイイかもなんて思い始めたら、あれよあれよとページが進み、あっという間に話が出来てしまいました(笑) やっぱり好きなものを書くと違いますねぇ~自分でも驚きです。まぁ~好きなものしか書かないと公言している私ですから許して下さいませ。


 次回は「魔法の呪文」の続編を出します。時系列的には直ぐ続きのようなものですから、もちろんイレーネやアランが出ます。しかし主役はクロードです。アランに名前を騙られ帝国でナイジェルに喧嘩を吹っかけて、知らないうちに名誉を地に堕とされてしまっていた…オラール王国首席宰相閣下です(笑)最初から名前が出ていたのに、出番の少なかった彼に主役の座を与えました。気に入って頂けたら幸いです。ますます広がる「盟約」シリーズを今後とも宜しくお願いします。


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