王の孤独
しばらくすると、くぐもって胸に響く声がぽつりぽつりと聞こえてきた。
「・・・以前レミーが生まれる前に呪い師から言われた・・・俺はずっと孤独だろうと・・俺が心を移す者は全て死ぬと・・・馬鹿らしいと言ってその男をその場で切った。だが・・・男の言ったように憎からず思い始めていた王妃は死に・・・可愛がっていた子も死んだ・・・」
イレーネはそんな事が?と思った。しかし、
「偶然でしょう?」
アランはイレーネの胸の中で首を振った。
「嫌、違う。子が死ぬのはこれで三回目だ・・・もう偶然とは言えない。今に皆死んでしまう。レミーさえも・・・」
イレーネは驚いた。そんなに子供が死んでいたとは知らなかったからだ。
王には数多くの子を産んで妃となった女達がいる。
短期間に良く出来たものだと感心するぐらいに同じぐらいの子供がいたが・・・
ナイジェルは冥の花嫁を待っていて特殊だったが、普通の王位継承者はそんなものだろう思っていたが更にこんな理由があったのだ。
自分の孤独を埋める事が出来ると信じた、愛する子供を欲していたのだろう。全て死ぬと言う暗示に無意識に抵抗していたのかもしれない・・・・
イレーネの胸に何かが広がった。同情だろうか?それもあるかもしれない。
だがもっと熱いものが込みあがってきた。
失礼で我が儘で、どうしようにも無い男。でも大胆で行動力があって何よりも目が離せないぐらい強烈な印象の魅力的な人―――
空っぽになっていた心にこの男は土足で踏み込み居座ったのだ。
イレーネはこの男が好きになってしまったのを認めずにはいられなかった。そう思うと自然と手が動いて、アランのレミーと同じ柔らかでくせのある金の髪を優しく撫でた。
アランはビクリと身体を震わせ顔を上げた。
そしてイレーネが聖女のように慈しむように微笑んでいるのを見たのだった。それと同時に枕元の台に置かれた刺しかけの刺繍が目に入ってしまった。あの紫色の糸で刺し始めていたものだ。一気に先日の情景を思い出し、悲しみより怒りが勝った。
イレーネは一瞬のうちに彼の瞳が紫に変わるのを見て何故?と思う間もなく唇を奪われた。
そして顔を離した彼の下で驚くイレーネに、アランは怒りを燻らせながら言った。
「同情はいらない!だが、今日は貰ってやる!」
イレーネは逆らわなかった。自分など手頃な間に合わせだろうと思った。それでも彼がそう思っても良いと思ったのだ。少しでも彼の心が癒せるのなら・・・
そう思ったイレーネは身も心も彼のするままに委ねたのだった。
朝の訪れは早かったのか遅かったのか分からなかった。イレーネは途中で気を失ったからだ。彼の姿はすでに無かったが体中に昨晩の余韻は残っている。イレーネは火照る頬にいつの間にか自由になっている手を当てた。熱が出てきたようで身体もだるかった。イレーネは後悔はしていない。
でも今後の事など何も考えられず幸せの余韻に浸りながら再び眠ったのだった。
アランは夜が明けと共に自室へ戻っていた。
夜は使う事のなかった部屋だが、女達を渡り歩くのも飽きたのか最近は良く使っている場所だ。しばらく寝台に腰掛け呆然自失の様態となっていた。
そしてどれくらい時間が経ったのだろうか?急にわなわなと震えだすと、目につくものは全て力任せに投げ蹴飛ばしたりした。窓硝子にさえ椅子を投げつけ、その音に驚いた警備兵や侍女達が駆けつけたが、怒鳴られて追い出された。
辺り一面散々な状態となったがアランの気は済まなかった。
今度は二振りの聖剣を抜き、寝具や天幕にいたるまで滅茶苦茶に切り裂き始めたのだ。
王のあまりの様子にクロードが呼び出された。
急ぎ駆けつけたクロードが見たものは、酷い有様の室内と狂ったように聖剣を振るう王だった。
幼い頃から知っている気心しれた彼でもそんなアランを見たのは初めてだった。侍女が言うように本当に彼は狂ってしまったのかと思ったぐらいだ。
流石の彼でも中に踏み込むには躊躇したが、大きく息を吸って声をかけた。
「陛下!聖剣は妖魔を斃すもの!そのように扱うものではございません!」
アランの動きがピタリと止まり、そして入り口に立つクロードを振り返った。
「・・・・クロード・・・」
王は正気だと、クロードはほっとした。
「どうされたのですか?このように荒れて・・・」
アランの手から聖剣が滑り落ちたがそれを気にする事も無く、ふらふらと歩き切り刻んだ寝台に腰掛けて頭を抱えた。
クロードは近くへ寄ると、アランは唸るように何か言っていた。
「・・・居場所をやると言ったのに・・・あの糸を見たら全て飛んでしまった・・・しかも初めてだったなんて・・・だが・・またあの糸が目に入って何も考えられなくなってしまった・・・なんていう事をしてしまったんだ・・・・俺は・・・」
クロードは意味が分からなかった。だから何が?と訊ねた。
するとアランは顔を上げた。
それは驚くぐらい後悔した様子の顔だった。これも多分初めて見る表情だと思う。
「イレーネだ!あれに・・・酷い事を・・・」
「まさか・・・あの方に手を出されたのですか?何という事を・・・そんなに向こうの皇帝と張り合いたかったのですか?それとも只の興味本位ですか?あんなに清廉潔白に務められていた方を、他の女のように扱ったと?」
クロードはアランを責めた。女好きの王だが彼女には敬意を払っていたから良かったと思っていた。
またそうあるべき人物だと思っていたからだ。彼女は皇帝ナイジェルが常に気をとめる所謂帝国の大事な客人のような者だ。それを毒牙にかけてしまうとは―――
「その様子なら合意では無いのでしょう?何という事を・・・あの方は未だに皇帝が大事になさっていると言うのに・・・」
アランは笑いだした。何に対して笑っているのか?
「イレーネはあいつのものなんかじゃなかった・・・そんなんじゃない・・・まさか男が初めてなんて思うか?七年だ!七年もあいつの妻だった女だそ!それが・・・」
クロードは耳を疑った。
「まさか何かの間違えでは?」
「俺が間違えると思うか?そんなもの・・・ああそうだ。何故気がつかなかった?口づけ一つでさえ、たどたどしくぎこちなかったのに・・・俺の勘は最初から当たっていたんだ。いつもまるで生娘みたいだと思っていた・・・まさか本当にそうだったとは・・・それを無理矢理・・・最低だ・・・」
アランはそう言って今度は力無く嗤った。
クロードは事の経緯はだいたい分かったが、それにしてもこの有様。ただの癇癪だけとは説明がつかないが・・・つけるとしたらある仮定が想像出来た。
「それでどうなさいますか?彼女を妾の一人に?そうはいきませんね。ご身分が高いので妃に・・・嫌、空いている正妃にでもなさいますか?」
アランは考えてもいなかったと言うように驚いたような顔をした。そして一瞬のうちに暗く沈んだ。
「承知する訳がない。事情は知らんが、まだあいつの事が好きなんだからな。昨日は俺に同情していたところを無理やり押し倒しただけで・・・初めてだったから驚いて逃れる術もなかったはずだ。もともと俺は嫌われている・・・それにもっと嫌われただろう」
こんな気弱な王もクロードは初めて見た。本当に珍しい事ばかりだ。それもそうだろうとクロードは思った。そして仮定が確信に変わったのだった。
この王は初めて女性を愛したのだろうから―――
「そうはおっしゃいましても王のお手がついた女人は後宮の住人になって頂く必要があります。お子が出来ていたらいけませんので・・・」
それこそアランは飛び上がるように驚いた。
「俺の子・・・ああ・・そうだ。駄目だ!絶対に駄目だ!」
アランは忌まわしい呪い師の言葉が頭に浮かんできた。
〝心を移すものは死ぬ〟
授かったかもしれない子よりも先に、イレーネがこのままでは彼女が死んでしまうと思った。そんな事は絶対に避けなければならない。
(まだ間に合うのか?彼女を俺は守れるのか?)
急に思いつめた様子のアランにクロードは声をかけた。
「陛下、どうなされましたか?いずれにしても先程の件は私にお任せください。私が万事取り計らって手配いたしますので王はご安心してお待ち下さいませ」
クロードはこの意外と本命には不器用な王に代わって力を貸すつもりになっていた。ところがアランは何もするなと言ったのだった。彼の態度に不審を持ったが今はそれ以上言えなかった。
<閑話> 静かな夜
夜はこんなに静かだったのだろうか?とアランは思った。そして寝床がこんなに冷たかっただろうかと・・・寝台代わりの女達の身体は確かに暖かかった・・・しかしその肌も今は暖かいと思わないのだ。
何故だろうか?とアランは思った。日中はまだいい。何だかんだと忙しいし煩いクロードに、問題ばかりを持ってくる重臣達に囲まれているから寂しく無かった。
(寂しい?)
「ふん!何考えてるんだ!」
自分の思いに悪態をついたアランだったが、陽が落ち辺りが静かになってくると無償に寂しくなるのは本当のことだった。だからそれを吹き飛ばすように後宮で騒いでいた。
その寂しい心に忍び寄ってくるのはあの呪い師の言葉だった。寂しくなればなるだけその声が大きくなる感じだ。しかし今一人で自分の部屋で夜を過ごしているが寂しいとは思わなかった。
軽く目を閉じるだけで今日のイレーネの姿が浮かんでくるのだ。つんと澄ましていたり、王である自分を本気で怒ったり、思いがけず微笑んでいたりなどなど・・・からかいがいもあって毎日楽しい。そんなことを思い出しているだけで心が温かくなって寂しさを感じないのだ。
良い酒よりも女の肌よりも暖かいものがあるとは思わなかった。
何故だろうか?
―――そして、また子供が死んだ。
この数日、イレーネに会っていない。目を閉じても悲しみで彼女の姿を思い出せなかった。悲しみと寂しい心に広がるのは、あの呪い師の声だけだった。心を移す者は全て死ぬ・・・ずっと孤独だと・・・・・・
そしてまた心が孤独を埋める暖かさを求める―――
足元に子を亡くした妃が泣きすがっていた。
「陛下・・・私も・・・私も我が子を亡くし、悲しみに胸が張り裂けそうです・・・どうかお情けを。陛下の力強い腕で私を抱いて、どうか悲しみを忘れさせて下さいませ・・・」
虚ろな瞳でその女を見下ろしていたアランは思い出した。女の肌が暖かかったことを・・・
「―――そういえば…お前は暖かかったな・・・」
アランは喜びに輝き立ち上がった女の顔など見てもいなかった。慣れた手つきで彼女の肌に手を這わせると、露にした胸のふくらみに顔を埋めた。
「あっ・・・陛下・・・」
女は歓喜の声をあげてのけ反ったが、アランの手がピタリと止まった。
「違う・・・」
「え?」
アランは一言、違うとだけ言って顔を上げると、女の身体を突き放した。
「へ、陛下!どちらへ!私を・・・私を一人にしないで下さい!陛下・・・」
女が再び泣こうが喚こうが、アランはその部屋を出て行くのを躊躇わなかった。そして足は自然にイレーネの部屋へと向っていたのだ。
何が違うのか分からない。しかしあの女は違うのだ。少しも暖かいと思わなかった。心はただ〝違う!〟という言葉だけが繰り返していた。
イレーネの部屋に入り寝室へと真っ直ぐに向った。
怒るだろうか?という気持ちさえ浮かばなかった。ただ寒かったのだ。寒くて寒くて仕方が無かった・・・
そして扉を開けた―――そこにあるものが暖かなものだと信じて。
「誰?リリー?まさか・・・陛下・・・」
「陛下?どうされたのですか?」
イレーネの気遣うような優しい声にアランの心が少し温かくなった。
(・・・やはりイレーネは暖かい・・・)
そのイレーネが何処かへ行こうとした。
(イレーネが行ってしまう!)
アランは彼女を無理矢理引き戻して言った。
「何処にも行かないで・・・此処にいてくれ・・・」
そしてその暖かさを欲した。何故なのかは分からない・・・しかし彼女の温もりだけが自分を癒してくれると信じた。
木々を渡る風の音だけが聞こえるような静かな夜だった―――
とうとう・・・アランが―――!!の巻でしたがイレーネ押し倒しはノーカットバージョンあり、実はノリノリで書いていまして(笑)でも全年齢対象枠での投稿なので大幅にカット致しました。やらかしたアランの今後を見守ってくださいね。