32 結局そのままのようです
シリウスののほほんぶりに毒気を抜かれた護衛騎士たちが下がったあとで、シュヴァルさんは姫様に頭を下げた。
「ただいま戻りました。姫君もお元気そうで何よりです」
「ありがとうございます。あちらの様子はいかがでしょうか」
「だいぶ落ち着いて来ていますよ。比較的人間慣れをしている者をつれてきましたので、大きな問題もなく復興に力を入れられそうです」
シュヴァルさんは魔族側の陣頭指揮を執るために大聖堂跡地に残っていた。
姫様が浄化をしたとは言え、散ってしまった瘴気で堕ちた魔獣が結構いるらしく、聖騎士や戦闘司祭と共に魔族が魔獣狩りに出ているらしい。
サッカーで遊んだミノタウロスのミノさんとオークのオーさんが積極的にフルボッコにしていて、子供たちのヒーローになったらしく、聖騎士たちが対抗意識を燃やしているって……聖騎士よ良いのかそれで。
まあともかく、シュヴァルさんこのあともしばらくアイツベルとの折衝で行き来することが決まっている。
その詳しい手はずを相談するために、いったん魔王城へ帰る手間を省略しようと、アイツベル王城で待ち合わせをしていたのだ。
だってシリウスならひとっ飛びだし。
シュヴァルさんの報告にほっとしながら、あたしが彼の分のお茶を淹れていると、シリウスが出し抜けにつぶやいた。
「あー良かった。シュヴァルがいてくれると安心するわー」
気楽にしていい、と姫様が言ってくれたそばからシリウスは羽を伸ばしている。
姫様との語りっぷりはどこか緊張していたの?って感じだけど。
「私がいない方が姫君との意見交換がはかどったのではありませんか」
「いやあ、それとこれとは別だよ。アイツベルの陛下に取って食われそ……げふん」
いやそこまで言っちゃえば言いよどんでも意味ないから。
けど、シュヴァルは咎めのもせずに軽く頭を下げた。
「残りの折衝は私にお任せを。あなたの治世を安泰に保つことが、私の役目でありますので」
「いつもありがとうな、負担をかける」
「好きでやっていますから、お気遣いなく」
シリウスが魔王をやれているのって、絶対シュヴァルさんがいるからだよなあ。
この二人の関係も不思議だと考えていれば、背後で薔薇が散った。
そっと振り返ってみれば案の定、姫様が口元を隠されて、シリウスたちを凝視していた。
滑らかな頬は鮮やかな朱に染まり、その碧色の瞳はきらきら……訂正ぎらぎらと輝いている。
「はう、そんな気安い言葉の交わし方……。たぎる、たぎりますわっ」
あたしはそれで気がついた。
姫様のご病気が出た、と。
「前々から素質はあると思っておりましたが、、年上従者攻めと主受け。こんな現実で見れるなんてっ!……若くして王位に就いた青年は、年上の相談役を頼みにしているうちに尊敬が恋心に変わった的な、そしてまさかのお父様良い味出してるぐっじょぶ! ああいける一冊でも二冊でも書けそうっ」
「ティアンナ様、声に出ております」
女官長のナターシャさんに冷静にたしなめたら、ぐるぐるおめめだった姫様の表情が一瞬で戻った。
けどちょっと遅い、シリウスとシュヴァルさんはめっちゃ驚いた顔をしてるから。
「少々取り乱しました、どうぞわたくしは気にせず会話をなさってください」
完璧な淑女のほほえみを浮かべるけれど、シリウスにもシュヴァルさんにも全部聞こえているから。
そう、姫様は男性同士の恋愛を題材にした物語も大好物で、好みの男性がいるとついかけ算をたしなまれるのだ。
姫様だけかと思えば、貴族のご令嬢や貴婦人の間で密かにはやっているらしく、定期的にお茶会という名の交流会が開催されているのだという。
しょせんは作り物の物語だし、偏見はそれほどないとは思うけど、姫様のこの趣味だけはよくわからなかった。
現実で絡んで欲しいわけではなく、その属性を持った二人がいちゃこらするのを妄想するのが楽しいのだ!と姫様は力説している。
とはいえ不快に思う男性が大半だから、姫様は普段は絶対に表に出さないのだが、この二人がよっぽどつぼだったのだろう。
衝撃から脱した様子のシリウスが、恐る恐る聞いていた。
「姫さん、その。……攻めの反対は」
「守るで、ございましょう?」
どうやらシリウスはそこそこ知識があるらしい。
腐女子、と呼ばれる人種を識別するための符牒を出したけど、姫様は引っかからなかった。
うん、冷静だったら姫様は絶対にぼろは出さないのだ。
けれど、シュヴァルさんは少し考えたあと、そっとつぶやいた。
「魔界では、性差がはっきりしない種族も多数いますので、同性間での恋愛も」
「シリウス様、近々アイツベルから親善大使として魔王城にお伺いいたします」
食い気味に宣言した姫様に、シリウスが面食らっていた。
「え、それはこっちも助かるけど、姫さんは大丈夫なの」
「問題ありません。魔界の状況を考えるに、一刻も早く聖女の浄化が必要でございましょう。今回の騒ぎで少々流言飛語が飛び交うことでしょうから、陛下も早急に魔族と関係の構築が必要だと考えていらっしゃるはず。ならば状況を鑑みるに、王族であり聖女であるわたくしが向かうことが、双方の友好の証として一番効果的だと思います、と言うかします」
「あ、はい」
真顔で迫る姫様に、シリウスが若干引きながらもうなずいた。
姫様の見事な公私混同理論武装に、ナターシャさんが天を仰ぐ。
姫様がやる気十分なのは良いことだ、と思うことにしよう。
というかここでもシュヴァルさんに踊らされている気がするけど。
今にも動かんばかりの姫様にシリウスがおろおろしているなか、あたしがそっと伺えば、視線に気がついたシュヴァルさんが、わずか笑んで見せた。
ああそう、企み通りってことですねそうですね。
……絶対敵に回したくないな。
「じゃあ、アウラ、魔王城の案内はお願いね。わたくしもなるべく早く行けるように陛下を説得するから」
「お任せください姫様っ」
姫様に呼ばれたので、反射的に返事をしたけど、あたしははてと首をかしげた。
あれ、「なるべく早く行けるように説得するから」って、まるで姫様と一時的にお別れするみたいじゃないか。
「え、あたし、魔王城に帰るんですか」
「むしろ何で帰らないと思ってたの!?」
シリウスの突っ込みに、あたしは首をかしげる。
なんか姫様の顔見てアイツベルに来たらいろいろ吹っ飛んでいたのだ。
いやでも、瘴気については姫様のおそばにいれば、大丈夫ってわかっている。
おかげでシリウスも一日滞在を延ばせたくらいだ。
いずれ姫様が魔王城にいらっしゃるのなら、魔結晶の精製もそのときやれば良いし、別に今行く必要ないんじゃないか?
「わたくしは一緒にいられるとうれしいけれど。こちらでのアウラも休職扱いだもの。まだわたくしのメイドだともいえるわ」
控えめながらも姫様に主張されたあたしは有頂天だ。
あたしだっていまでも姫様のメイドですともー!
というか、あたしが向こうに残らないといけない理由って、ほかにあったっけ。
「でも、アウラいいの?」
だが姫様に、なんだかものすごく心配そうにされてあたしは首をかしげた。
そこまで念押しされても困るのだけど。
ちょっと胸のあたりがすーすーするくらいで周囲に不都合なことはないと思うし。
「そっか、アウラはここが帰るところだもんな。寂しいなあ」
ただシリウスが、眉尻を下げてしょんぼりとするのには戸惑った。
そんなに惜しまれるほど何かやったつもりはないし、残念にされる理由がわからなかった。
けど、あたしが居なくなると、シリウスはまたあの広い部屋で一人なのか。
それはちょっと気になるような……あれ、なんか胸がちくちくしてきたぞ?
よくわからなくてあたしが首をかしげていたから、姫様やシュヴァルがどんな顔をしていたかなんて気にする余裕はなかった。
「アウローラさん。そのことについてなのですが、あなたに借財ができています」
「へ」
思わぬ言葉に、あたしは虚を突かれて顔を上げれば、シュヴァルさんがこちらを見ていた。
どこか困っているようにも、面白がっているようにも見える表情で。
「え、もしかしてあたしが割った窓とかえぐった床とかレブラントさんにたんこぶつくっちゃったやつとかですか!?」
「それは勤務中でしたから、免除ですが。シリウスの部屋を破壊した時、あなたは制服を脱いでいましたから、勤務時間外でしたね?」
……そういえば、シリウスを暗殺に行った時はいつもの戦闘服に着替えていた。
完全に自暴自棄になっていたから全く気にしてなかったけど!
えっと思い出せ、魔王城はたしか、制服を着て、着られない人はブローチをつけている間は勤務中だ。
それで魔王城内で起こした器物破損やケガをしたりさせてしまった場合の治療費は魔王城で面倒を見てくれる。
けど、勤務中じゃなかった場合は、壊した分を全部払う……!
あたしが叫ぶ前にシリウスが頭を抱えた。
「うわー思い出したー! 帰ったら全力で片付けなきゃっ。もしかして誰か部屋に入ってる!?」
「あなたがいやがると思って、立ち入り禁止にしてありますよ」
「さすがシュヴァル! 頼りになるっ」
シリウスはほっとしていたけど、あたしは全く安心できない。
あたしどれだけ壊したっけ。床に穴を開けて本棚と、中に収まっている本を散乱させたような。
あっ柱もやっていた気が。
自分でも顔から血の気が引いて、だらだら冷や汗が吹き出てくるのがわかる。
だが、せっかく姫様に会えたのに、離ればなれになるのは嫌だ。
いや、待てよ。あたしがアイツベル王宮で働いたお給料はそれなりにたまっているはずだ。
どれくらいあるかはわからないけどだいぶ補てんできるはず!
光明が見えた気がして姫様を見れば、碧色の瞳をきりっと釣り上げていた。ふえ!?
「アウラ、それはいけません。ご迷惑をかけた分、誠心誠意ちゃんと働いてお返ししなくちゃ。なによりあなたは魔王なのだから、魔王城にいることが自然だわ」
「あたしは、魔王なんてお断りなんです!」
「俺も向いてないと思いつつ何とかやってるから、大丈夫だって」
「あんたには聞いてない!!」
横やりを入れてきたシリウスにぎゃんとかみつけば、姫様は悲しそうに頬に手を当てた。
「王というのは確かに不自由なものね。わたくしは、そのお役目にずっと身をささげてきたけれど……アウラにそんな風に嫌われていたなんて」
「いやっ姫様が嫌いなわけじゃなくて、王族としての公務にまい進される姫様はとても素敵ですっ」
「でしたら大丈夫です。アウラならきっと良い魔王になります」
慌てて言い直せば、涙をぬぐっていたはずの姫様がすました顔に戻っていた。
いやわざとらしい気はしたけど姫様に限ってそんなことはあるわけがない。
あれ、これじゃあまるであたしが魔王でいることになる?
でも姫様がいうことも一理あるのだ。
自分が壊した分は自分で働いて帰すのが道理ではあるし、姫様に頼るのは良くない。
でも、でもぉ!
あたしがあきらめきれずに半泣きで見つめていれば、姫様はそれは優しく微笑まれた。
「きちんとお役目を果たしてから帰っていらっしゃい」
姫様にとどめを刺されたあたしががっくりと肩を落としていれば、とんと肩に手を置かれた。
気配で誰かはわかる。シリウスだ。
「大丈夫になるようになるべく早く頑張るからさ。それまではなるべくそばにいてくれたら嬉しい」
シリウスに慰めるようにつぶやかれて、あたしは面食らった。
まじまじと見ていれば、シリウスがきょとんとした表情で見返してくる。
「どうかしたか? だってほら君にきざまれちゃったもの、どうにかしなきゃいけないだろ。まだまだなにがあるかもわかんないし、やっぱ魔王城にいたほうが便利だと思うんだよ」
「あーうん、そういうこと」
「それ以外に何かあったか」
「何にもないわよ」
ほんとに何もないのだ。なんか、ちょっとそわそわっとしただけで。
釈然としないシリウスを放っておいて、あたしがいやいやながらもシュヴァルさんを見上げると、相変わらず読めない穏やかな表情で待っていた。
わかっているさ、こう言うしかないんだってこと。
うううせっかく姫様の下へ帰れると思ったのに!
「もうしばらく、お世話になります」
しぶしぶ頭を下げれば、シリウスがにへらと笑う。
「ああ、よろしくなアウラ」
その顔に、思ったよりもむかつかなかったのが不思議だったけど。
こうしてあたしは、魔王城でメイド兼魔王を続行することになったのだった。
いつまで続くのかなあ……。
これにて1章は完結です。
2章は原稿ができましたら投稿いたします。
ひとまずのご愛読ありがとうございました。




