最終章 再び緑のコートで。 三
「梅崎くん、懐かしいね、今、どうしてるかな?」
私はタケルの気持ちをはぐらかすように、問うてみる。タケルは、ふっと笑った。
「アイツ、全然変わんないよ。ていうか、もっと浮世離れしてる。この間会った時も、ロボット工学がどうとか、わけわかんない話してた。アイツがどんな顔して、楓誘ったりしたのか、まったく想像もつかない。」
私も、よく顔を思い出せない。思い出すのは、大きな紺色の傘と、私に傘を持たせて、さっさと電車を降りてしまった後ろ姿だけ。
「そっか。懐かしいな。」
「会ってみたいか?」
「ううん、気持ちを知ってしまった以上、友達にはなれない、て、私、言いきっちゃったから、会わないよ。」
「そっか。楓は相変わらずきっぱりしてるな。」
タケルの言葉が途切れる。なんとなく、タケルの膝のあたりを見つめると、ジャージに包まれた右足の膝だけが、不自然にふくらんでいる。怪我でもして、サポーターを巻いているのだろうか。そう言えば、クラス会で会った佐山くんが、タケルがプロに入ってすぐ大きな怪我した、って言ってたな。なんの怪我だろう。
「……それきり、梅崎は『消しゴムの子』について話すことも無かったんだけど、二学期の始業式、突然梅崎が言ったんだ。『あ、望月さん、髪形変えてる。しかも笑ってる。片思いの相手と、うまくいったのかな。』って。」
始業式の前日、私は太郎に髪を切られて、そして美容院に行って、久しぶりのショートボブになった。そして、匠とパートナーシップを結んで、私が笑えるようになったあの頃。梅崎くんの目にも、止まっていたんだ、私の変化。
「その時、続けて言った。『望月さんのうまくいった相手が、初恋のバスケの人だといいんだけど、これが天野だったら、なかなか笑えないな。ま、僕には関係のないことか。』ってひとりごとみたいに。」
そう言えば、梅崎くんを断るときに、私、匠と友達って言った。何度も絵を描いてもらってる、とも。我ながら余計なこと言ったなと思ったけど、匠のことをよく知らない人から陰口たたかれてるのが、私は我慢ならなかったから。
「俺がそっち見たら、確かに楓が、あの頃と似た髪になって、それで前みたいにニコニコしてて、俺、わけわからなかった。あんなに頑なに、暗いままだったのに、なんで急に立ち直ってんの?とか、なんで突然、あの髪なんだよ、とかいろいろ思った。」
「あれは、ちょっと事故で…。ほんとは切るつもりなかったんだけど、やむなく。」
言い訳しながら、私はいつも、無意味にタケルを混乱させてばかりだな、と反省する。
「梅崎の『消しゴムの子』って楓だったのかよ。初恋の子って、駆だろ?うまくいくとかあり得ないだろ?天野?誰だよそれ、みたいな感じで。それで、始業式から無理やり梅崎連れだして、全部話しさせた。梅崎は、なんで今さらそんなこと聞くんだ、みたいなびっくりした顔してた。だから、俺、バスケつながりで、望月の好きだってやつわかるかも、って言ったんだけどさ…。」
「うん……。」
「問題はそっちじゃなかった。天野って名前にはピンと来なかったけど、クラスの女子が似顔絵王子がどうこう、とか今度描いてもらうとかいう話はしてたから、そいつだって言われて、なんとなくわかったけど、腑に落ちなかった。梅崎は『女の子みたいな顔して、チャラチャラしたヤツだよ。』とか言うけど、俺ははっきり顔も見たこと無かったし。」
「うん……。接点無さそうだもんね。二人。」
私はため息をつく。同じように女の子からの人気は高かったけど、ベクトルが違いすぎるというか。
「でも、その日の午後、俺、見たんだ、二人を。視聴覚室の前で、窓越しだったけど。楓は天野に髪の毛とかいじられて、ちょっと邪険にしてる風ではあったけど、それでも完全に心許してる笑顔で、そして、天野は、楓の前髪上げて、額に触ってた。その瞬間、俺、なんかわからないけど、ものすごく腹が立った。」
あの日、誰にも見られていないと思っていた視聴覚室の前で、私は、匠に髪を切ったことを、とがめられていた。それをタケルに見られていたなんて。
「なんで、駆以外の男に触られて、楓は笑顔になってるんだよ。って、吐きそうなぐらい腹が立った。ものすごく勝手なんだけど、楓が立ち直ってないのは荷が重かったくせに、駆のことを忘れて、全然違う男とくっつくとか、それは違うだろ?おまえ、梅崎に言ったんだろ?一生駆を想って生きていくって、なんだよ、それ。って、自分の行動、全部棚に上げて、楓に腹が立った。それ以上に、楓の気持ちがわからなかった。」
「そっか……。」
私は目をつぶった。徐々に見えてくる、タケルの本心。
「だから、俺、もう我慢できなくなって、楓に直接聞くことにしたんだ。今、楓が駆のこと、どう思ってんのか。」
そして、私は廊下で、タケルに呼び止められたんだった。はっきりあの日のことは覚えている。
「話してみたら、楓は全然、駆のこと忘れてなかった。駆の写真見せただけで、一時間ぐらい泣きっぱなしで、なんか、俺、それ見てどっかで安心した。これだったら、天野だろうが誰だろうが、入る余地無いなって。」
「そうだったね、みっともないぐらい泣いたね、あの時。」
「もう、俺の中でも、楓を好きっていう気持ちは消えたって思ってた。ただ、楓は、駆を一生思い出として大事に抱えて、そして笑顔で生きていくなら、それでいいんじゃないか、って思ってたんだ。俺のことは最初っから眼中になかったのは、痛いほどわかったし。」
「そうだね。私もそれでいい、って思ってたよ。駆の思い出さえあれば、私は一生、一人でだいじょうぶ、って思ってたんだ。」
「でも、楓が、笑顔で、俺と駆の思い出を語り合う、そんな日が来るとか、全然思ってなかったから、俺、すごくなにか許された気がして、あの平穏がありがたかった。あのころ、遠くで見るしかなかった笑顔が、すぐ近くにあって、それが駆の思い出がもたらすものだとしても、俺は気にならなかった。」
週に一度の、特別な時間。それをタケルが大事にしてくれてることは、私も当時からひしひしと感じていた。
「天野とどういう関係なのか、とは気にはなってたんだけど、つきあってるわけでもなさそうだったし、少なくとも、俺は楓が全然まだ駆への気持ちを残してるから、安心しきってた。駆の思い出さえあれば、楓はいくらでも、俺と会い続けてくれるんだろう、って勘違いしてた。あの日まで。」
タケルの声が、またかすれてくる。タケルは、あの怒りをあらわにした日を思い返しているに違いない。
「楓がつまんない噂気にして、もう会うのやめよう、って言われた日、俺は絶望した。気づかないふりしてたけど、楓の笑顔が、ずっと近くで見ることができて、俺、全然楓を忘れてないっていうか、むしろ、あの頃より楓に恋してた。楓と会うようになって、ほかの女に全然興味むかなくなってたから。でも、楓は駆のもんだから、って自制してたんだけど、あの日、それが振りきれた。」
タケルのこぶしが、強く握りしめられる。
「俺から離れて、楓はどこ行くんだよ、って思った。俺以上に、駆の思い出語り合えるヤツ、いるわけないだろ?それとも、駆のことを忘れて天野のところに行くのか?って思った。許せるわけないだろ、そんなの。絶対、楓は手に入れてやるって、俺、思って、そして、楓をここに連れてきた。」
そう言って、タケルはコートを見渡した。
「ここが護岸工事でつぶれるなんて大嘘ついて、楓連れてきて、駆が言うだろう言葉を、全部言ってやった。駆なんて単純だから、駆が何考えてるかなんて、簡単に想像つくし、駆の言葉で楓を混乱させて、気力も体力も、全部失わせて、そして……。」
タケルは悔恨の表情を浮かべて、黙り込んだ。私も何も言えなかった。ここの対面で行われた、儀式のような、長い口づけ。あれはタケルの確かな意思表示だった。私はそれをただ、人形のように受けるのに精いっぱいだった。私はあの瞬間、タケルに負けたんだ。
「……卑怯で、最低なやり方だってわかってた。何よりも、駆自身は、楓の幸せを願っても、俺だけには楓を譲りたくはなかっただろうな、とは思うんだけど、それでも、俺は楓が欲しかった。」
低い声で、タケルは話を続ける。
「最初が少々乱暴なやり方で、反則的でも、最終的に楓を幸せにすりゃ、結果オーライだろ、って無理やり自分を納得させてた。小松の周辺が、小松に肩入れして、やたらと変な噂流すのは参ったけど、時間が解決するだろ、と思って放置してた。だいたい、俺、小松を彼女なんて言ったことねえよ、て思ってたんだけど…。」
タケルは悔しそうに言う。
「さすがに小松自身が、ノートの内容で楓本人を引っ掻き回しに来たのには切れたけど、これまで便利に小松を使ってたのは自分だから、あんまり強くも言えなくて……そしたら、事件が起きて、そして、天野にキレられて……。その時、天野って、意外と楓に本気だったんだ、って驚かされた。」
あの日、匠が真剣にタケルに刃向かっていた日、タケルは、見せびらかすように、私を抱き上げて、保健室へ連れて行った。
「梅崎の言うことなんて、全然大嘘で、別にチャラチャラしてないし、こいつ、楓にマジじゃん、これは、下手したら本気で持ってかれるな、て危機感あったから、あの日、理事長の目の前で、天野に牽制入れた。小松の周辺を抑えることにも成功した。さすがに小松、弱ってた。気の毒だとは思ったんだけど、俺はもう小松にそんな気になれないし、小松は冬の大会が終わったら退部届出す、って言ってたから、今までの小松に報いるためにも優勝しなきゃな、と思ってたんだ。」
タケルはため息をついた。
「楓が小松のこと気にしてんのも、嫉妬されてるみたいでちょっと気分良かったから、小松の退部の話は、伏せておいた。どうせ冬の大会終わったら、小松も消えるし、あとは楓と二人の時間をしっかりとれば、楓はそのうち、ちゃんと俺に本気になるだろう、って思ってた。」
タケルは、ボールをネットから取り出して、ゴールに投げた。ボールは板に当たって、フェンスのほうへ逸れて行った。
「俺、楓のこと、見えてるようで何にも見えてなかった、ていうか、見ないふりしてた。なんでちゃんと、大事にしてやらなかったんだろうな。あの頃の俺、最低だわ。楓に夢中なのに、楓本人がつらそうなの、軽く見てた。そりゃ、逃げられるよな。ごめんな、楓。」
あの日から、三年経過したんだ、という時の流れを感じた。タケルも大人になって、あの時の傲慢さは微塵も見えない。
「俺、楓から駆を奪っただけじゃなくて、楓自身の心も殺そうとしてた。謝って済むことじゃないけど…。結局、俺が怪我が治りきらなくて、球団から見放されつつある。それは、自分のしてきたことの報いだと思う。そんなんじゃ償い切れないけどな。」
タケルは自嘲するように笑った。
「……楓がいなくなって、俺がボロボロになったから、見るに見かねて、小松が戻ってきてくれたけど、俺、楓が諦めきれなくて、楓の友達に付きまとって、だいぶ迷惑かけた。楓の友達にも謝っておいて。
「凛音だったら、大丈夫。……小松さんはいまは?」
「ああ、一緒に住んでる。小松には苦労かけ通しだ。…だからあのまま、楓を東北に連れて行っても、きっと楓に迷惑かけたと思う。こんな男、楓は見限って正解だよ。」
タケルの笑いが痛々しい。
「いい時も悪い時も、一緒にいてくれるなら、小松さんの愛は本当だよ。大事にしてあげてよ。私は、そこまでタケルにつくしてあげられなかったと思う。自分の夢をかなえなきゃいけないから。」
そう言って、私はベンチから立ち上がった。
「楓は……いつから天野と?」
「大学進学が決まって、こっちに戻ってきてから。今は、私たちも一緒に住んでる。」
「やっぱり、そうなったんだ。」
タケルはふっと笑う。
「私は今でも、やっぱり、駆が好き。……でも、匠も大好き。大事に想ってる。匠も、私の駆への想いを理解してくれてる。駆の絵を、何枚でも描いてくれる。今日も、神社に行って、小学校時代の私と駆の絵を描いてくれたの。」
「そっか……。駆も喜ぶだろうな…。駆に告白させてやれなかったこと、俺、後悔してる。」
「だいじょうぶ、駆から、ちゃんと聞いたから。」
私はにっこりと笑う。あの時、太郎のおかげで、私は駆自身の口から、駆の気持ちをはっきりと聞くことができた。すると、タケルは意外なことを口にした。
「……ていうことは、駆の幽霊、やっぱり楓のところにも出てきたのか?」




