第五十九話 凛音との再会
十日後の日曜、私は凛音と駅で待ち合わせをしていた。電車から降り立った凛音は、私をしっかりと抱きしめた。
「久しぶり!楓。お帰り!」
「ただいま、凛音。」
小型のキャリーケースをゴロゴロと転がす凛音と駅を歩いた。今日は凛音はうちのマンションに泊まる約束をしている。だから、ちょっと荷物が多い。
「髪、だいぶ伸びたねー。」
凛音に言われる。
「うん。」
「匠くん、なんて言ってた?もう会ったんでしょ。」
私は何も答えず、ちょっと赤くなってうつむく。凛音は軽い笑い声を立てる。
「ま、楓の家に着いてから、あとでゆっくり聞く。それより、初めて楓の家にお邪魔するの、楽しみ。」
「そうだね。引っ越しの荷物もだいぶ片付いたよ。」
「そういえば、親友のサボテン、元気?」
凛音に聞かれる。
「うん、サボテンのほうは元気だよ。」
「……て、なんか元気じゃないのがいるの?」
「うん、アイロンが壊れた。」
「サボテンだけじゃなくて、アイロンも親友だったわけ?ほんと楓、不思議ちゃんだよね。こんな子だったけ?」
そう言って、凛音は笑いながらキャリーケースを転がして歩き、私は照れ笑いする。駅を出てしばらく歩くと、公園が見えてくる。
「あー、この公園久しぶり!だいぶ前、大輝とボート乗りに来たわ。」
凛音が言う。
「この遊歩道、綺麗だったよね、方向一緒なら、ちょっとそこも歩いていこうよ。」
そう言われて、私はちょっと困る。今日は日曜日だから、桟橋のところで、匠は似顔絵描きの看板を出している。
「途中から、土の道になるから、キャリーケース転がせないよ?」
「いいよー。軽いから、持ち上げたって問題ナシ!」
そう言って、さっさと橋を渡って、凛音は公園に入ってしまった。ま、匠は変装してるし、素通りするだけなら、たぶん気づかれることもないだろう。そう思ってたんだけど……。木立の道を抜けて、桟橋の近くに来たとき、凛音は声を上げた。
「あー、今日も似顔絵描きの人がいるー。ね、再会の記念に、一枚書いてもらおうよ。」
「えー。……写真でよくない?」
まさかの展開に、私は抵抗するけど、
「いいじゃーん。三年になって、受験を理由に匠くん、女の子の似顔絵描き止めちゃったんだよね。当分描いてもらってないし、自分の絵って興味ない?あ、楓、そういうの嫌いだったっけ?」
「いや、別に嫌いではないけど…。」
私は口ごもる。その間に、さっさと凛音は客用の小さな椅子に腰かけてしまった。その隣に、私も、もじもじとしながら腰かける。
「コンテのデッサンでお願いします。」
私はそっと匠に声をかける。匠は不機嫌そうに無言で描き始めた。
「えー、彩色にしようよー、どうせなら。」
凛音がブツブツ言っているけど、私はさっさと終わらせてしまいたい。匠もできれば、凛音にこんな姿、気づいてほしくはないだろう。けど、願いもむなしく、凛音は気づいてしまった。
「……ね、この絵描きさん、匠くんに見える……ていうか、匠くんじゃん!なにやってんの!こんなとこで、こんな変装して!」
あー。私はがっくりと肩を落とし、匠は舌打ちする。
「なんで、楓は宮崎をこっちに連れてくるかな…。駅からこの道は遠回りだろ?」
「ごめん。だって、凛音が公園通りたいっていうから。」
私は匠に謝る。凛音は、「どういうこと?」とぽかんとしている。
「俺のライフワークだよ。日曜は似顔絵描いてんの、いつもここで。」
しぶしぶ凛音に匠が説明する。
「だからって、なんでそんな恰好してんの?匠くん。」
「いいだろ、俺の勝手だし。」
匠はむくれてるのか、口調がいつものに戻ってる。
「バレたんだったら、二人の絵の続きは、楓のマンションで描いてやるから、楓、宮崎連れて戻っとけ。商売の邪魔。」
「はい…。帰ろ、凛音。」
釈然としない顔をしている凛音を連れて、私はマンションへの道を急ぐ。
「ね、今の、匠くん……だったよね?」
「うん……そうだよ。」
「まったく、わけわかんないんだけど。なんか別人みたい。口調も違うし、全然かっこよくないし。」
「あれが、素の匠だよ。」
私はため息をついて説明する。
「学校ではかなりキャラ作ってるから。」
「そうなの?なんか、私、地味に苗字呼び捨てに格下げされてて、ショックなんだけど。」
「そうだね。確かに。」
「その割に、楓は名前呼びで、楓もいつの間にか『匠』って呼んでるし、どういうこと?」
不思議がる凛音に、日曜日は匠はいつも公園に似顔絵描きに来ていること、十日余り前からつきあっていることなどを話す。
「じゃ、公園で仲良くなったってこと?」
「うーん。なんて言えばいいんだろう。」
説明の言葉に迷っているうちに、マンションに着いてしまった。マンションの玄関に入って、私は声をかける。
「ただいま、駆、太郎。あとサボ太郎。」
「なんだそりゃ。ていうかすごい取り合わせのディスプレイなんだけど。」
凛音に言われる。玄関の下駄箱の上には、サボ太郎の鉢を中心として、右には、駆の水彩画を写真立てに入れて飾っていて、左には壊れたアイロンの太郎をリボンをかけて配置している。
「この爽やかバスケ男子は誰よ。」
「それは駆。私の初恋の男の子。写真が無いから、匠が絵を描いてくれたの。」
「……なんで楓の初恋の子を、匠くんが絵に描くわけ?そして、なんで、アイロンが飾ってあるの?」
「待って、お茶淹れたら全部説明するから。」
私はコートを脱ぎながら、凛音に言った。
「わー、広い!こんな贅沢なマンションで一人暮らしなんていいなあー。大輝のマンションなんてワンルームで狭くって。」
はしゃぐ凛音に微笑みながら、私はリビングのカーテンを開ける。
「すごーい。公園が目の前だね。……匠くんは、ここからじゃ見えないか。ちょうど木の陰になってる。」
「そうだね。まあ、匠はあとから帰ってくるから、別にここから見なくても、ね。」
「帰ってくる、ってまるで一緒に住んでるみたいな言い方するね。」
凛音にそう言われて、私は自分自身の不用意な発言に頬を染める。
「お、お茶淹れよう…。凛音、紅茶でいい?」
「あ、顔赤いよ、楓、もしかして図星?ほんとに匠くんここに住んでるの?」
凛音が驚いた声を上げる。
「住んでないよ。ただ匠が帰らないだけで…。」
「いつから?最近付き合ったばっかりって言ってなかったっけ?」
「もう……あんまり突っ込まないで。」
私はキッチンのカウンターで顔を隠すようにお茶を淹れる。
「もしかして付き合ったその日から?匠くん大胆…。ていうかそんな人だったの?嫌だイメージ崩れる…。」
凛音は顔を押さえて、ソファーに倒れこむ。
「楓もね、おとなしい顔して、匠くんといい、荒川といい、よくもそこまで男を狂わせるわね。楓と付き合うと人格変わるのかな?」
凛音の口から、タケルの名前が漏れて、私は肩がぴくりとする。
「……タケル、どうしてる?」
「んー、いまは大丈夫、と思うよ。」
凛音の意味深な言葉に、私がさらに質問を重ねようとすると、インターフォンが鳴った。
「誰かな?匠にしては早い気がするけど…。」
確認すると、やっぱり匠だった。玄関で出迎える。
「今日は早いね。」
「ん。天気がイマイチになってきたから、早めに撤収。先に着替えさせて。シャワーも浴びたいし。」
匠がお風呂場に入ってから、私がリビングに戻ると、玄関での会話が聞こえたらしく、凛音があきれていた。
「ほんとに匠くんとつきあったのって十日前なんだよね?」
「そうだけど……。」
「それにしちゃ、馴染みすぎてない?二人。まるでずっとカップルだったみたい。帰ってすぐに彼女の家のシャワー室に直行するとか。」
「えっと…。お茶菓子何にする?」
「ごまかすなー。」
凛音の怒声が聞こえてきたけど、私は知らないふりをして、冷蔵庫からマカロンを出す。
「はい。紅茶に合うと思うよ。」
怒っていた凛音だけど、色とりどりのマカロンに心奪われたみたいで、
「おいしいー。」
と嬉しそうにつまんでいる。凛音とお茶をしながら、駆のことを初めて凛音に話をする。
「……だからね、駆のことがあって、みんなに同情されすぎて、私は他人に心を開くのも、笑うのも難しくなった。それを変えてくれたのが匠だったの。」
「……そっか、そんなつらい出来事を抱えてたなんてね。全然知らなかった。でもどうやって匠くんは、楓の心を開いたの?私、ずっと楓のそばにいたのに、そんなこと全然できなかったのに?そういえば、二年の夏休み明けから、急に楓、笑うようになったよね?あのころから匠くんと仲良かったってこと?」
「そうだね……。」
「それなのに、なんで荒川とつきあったりしたの?………もう楓、謎が多すぎる。」
凛音が叫んでいると、シャワー室から出てきた濡れ髪の匠が、私の横に座った。
「宮崎、あれこれ根掘り葉掘り聞きすぎ。……なんで女って、そんな友達のこと何でもかんでも知りたがるんだろうな。」
そう言って、マカロンを一つつまんで、匠は一口で自分の口に放り込む。
「ん、三日前に焼いたのだけど、まだ旨いな。」
「え?このマカロン、匠くんが焼いたの?……プロみたい。」
驚く凛音にかまわず、匠は再び立ち上がる。
「そろそろ夕飯の準備するか。今日は寄せ鍋だろ?俺、餃子作るわ。」
「えー、私も手伝うよ。」
「いいから座っとけ。宮崎がまだ根掘り葉掘り聞きたいんだろ?」
「いいってば。誰の家だと思ってんのよ、匠出しゃばりすぎ。私が作るっていうのに。だいたい、匠の前で、匠とのなれそめなんて恥ずかしくて喋れないって。」
言いながら二人でキッチンに並ぶ。
「だいたい寄せ鍋に餃子って必須なわけ?匠って、カレーに半熟卵とか、妙な組み合わせばっかりするよね。」
「うるせえよ、俺が好きなんだよ。楓は黙って鶏つくね作っとけ。」
「餃子に鶏つくねじゃミンチ系が二つも入ることになるじゃん。」
「寄せ鍋にルールなんかあるかよ。好きなもん入れりゃいいんだろ。」
言いあいながら夕飯の準備をする私たちを、凛音はぽかんとした目で見ている。あっという間に寄せ鍋の準備ができて、ダイニングテーブルに次々と材料を運ぶと、凛音は目を輝かせる。
「おいしそう!餃子もつくねも!それにニンジンも椎茸も飾り切りしてあるよ!楓、器用だね。」
「あー、その飾り切りは、匠の仕事。」
私はしぶしぶ答える。
「そうなの?じゃあ、この白菜ロールは?」
「それも匠……。」
「匠くんて絵を描けるだけじゃないの?料理男子?すごいかっこいい!」
「宮崎に褒められても、嬉しくもなんともないな。」
そういいながら、てきぱきと鍋の準備をすすめる匠に、凛音が口をとがらせる。
「なんか、匠くん、教室と全然キャラ違うー。なんで前みたいに凛音ちゃんて呼んでくれないの?」
「楓の前で、ほかの女の名前なんか呼べるかよ。宮崎、冷茶でいいか?」
「ひどい、似顔絵王子だったのに。」
「だから、凛音、それキャラだから。素は匠、こうだから。」
凛音の膨れ顔に、私が取り成そうとするけど、匠は、どこ吹く風のすまし顔で、
「おい、ゴマダレとポン酢、宮崎どっち使うんだよ。楓、大根おろし取って。」
と、いつもの調子を崩さない。そんなこんなで、にぎやかに夕飯を終えて、それでも匠は一向に帰ろうとしない。
「……そろそろ遅くなるから、匠、帰りなよ。」
「えー、ヤダ。」
と言って、匠はダイニングテーブルから動こうとしない。
「今日は凛音が泊まるんだから、ね?前からそう言ってるでしょ?」
「そうだそうだ!今日は私が楓を独占するんだ!天野はさっさと帰れ!もう十日も入り浸りだって聞いたよ?」
私の説得に、凛音も加勢する。呼び方もとうとう、凛音のほうも苗字呼び捨てに変えてるし。
「だいたい、つきあったその日から楓に手を出すとか、匠くんそんな野獣だったわけ?」
「別に襲ったわけじゃない。合意の上だし、宮崎にとやかく言われる覚えはない。ていうか、楓、そんなことまで言ったの?」
「言ってない…。」
私はうつむいて小さな声で言う。
「はっはん、誘導尋問に引っかかったわね。このケダモノ。」
凛音は得意げな顔をする。
「てめっ、カマかけたな、宮崎このやろ!」
匠、本気で怒ってる。
「だいたい、なんで楓が急にいなくなったか知ってるでしょ?……怖くて逃げた女の子が、進学のためにしょうがなく戻ってきて、不安に駆られてるところにつけ込んで、その日のうちに手を出すとか最低。」
「なんだって……。」
匠、今度は顔が青ざめてる。
「凛音、いい加減にしてあげてよ。匠はそんな人じゃないって。」
私が言うと、凛音は吹き出した。
「……ごめん、匠くん。ちょっとからかっただけ。二人が離れてた間、どんなに想い合ってたか、私知ってるから、別にとやかく言うつもりないよ。……それに匠くんが楓のもとから離れないの、荒川を警戒してるんだよね?大丈夫、アイツなら東北に行ったよ。当分帰らないと思うし…。」
凛音はそれから、私たちを安心させるように、にっこり笑った。
「アイツだったらもう大丈夫。私、直接聞いてきたから。」
「どういうこと……?」
凛音はソファーに腰かける。私はその隣に座り、さらにその隣に、匠も腰かける。
「帆乃夏たちファンがね、正式入団が決まった荒川を駅までお見送りに行ったんだけど、それに、私、ついていったのよ。卒業式終わってすぐのとき。」
「なんで?」
「……だって、それまで学校で荒川と顔を合わせるたびに、私、『楓から連絡あった?』ばっかり聞かれるのよね。わざわざ教室まで来て。そう言いながらも、じっと匠くんの顔も観察してんのよ。」
私は何も言えず、ぞくぞくと震える身体を抱きしめる。匠はそれに気づいたのか、手を伸ばしてきて私の手を握りしめてくれる。
「私が、『楓から連絡はないし、だいたい楓は海外にいる。』って言ったら、『どこの国?』とかしつこく聞いてくるのよ。ぞっとする目つきでね。楓が逃げたくなる気持ち、私よくわかった。」
「……ごめんね、私のせいで凛音まで迷惑かけて。」
「別に私は大丈夫。私が、『どこの国とも聞いてないし、だいたい、別れた女に未練がましすぎる。あんただったら、どんな女でも選べばいいじゃない』って言うと、荒川は『俺は別れたつもりないから。話せばきっと楓もわかってくれる。だから連絡先わかったら教えて』とか、とにかくそんなことばっかり言うのよ。」
私の手を握りしめる匠の力が強くなる。その手に、私はもう一つの手をそっと添える。
「……それがぱったり、自由登校になったぐらいからアクションなくなって、それが逆に気になって、帆乃夏について、お見送りに行ってみた。そしたら、なんか、さっぱりした顔してんのよね、アイツ。」
「さっぱりした顔?」
「『楓によろしく。俺はもういいから。』とか言って、小松さんの肩抱いて、さっさと行っちゃった。なんか拍子抜け。」
「そっか……。」
私の身体から力が抜ける。私は、ほんとうは怖かった。いつか、このマンションを探り当てて、タケルが来るんじゃないかって、おびえてた。私の横で、はあっと大きな匠のため息が聞こえる。
「なんでそれ、早く俺にも言ってくれないんだよ、凛音ちゃんも人が悪い。」
匠はブツブツ言ってる。あ、凛音ちゃんに呼び方戻ってるし。私はちょっとおかしい。
「んー、私はまず、それを直接、楓に言いたかったのよね。それなのに、そろそろ帰ってきてるはずなのに、楓から連絡の一つもないし。……どうせ匠くんが独占してるんだろうと思ったから、ちょっと意地悪しちゃった。」
凛音はそう言ってケタケタ笑った。
「……だから、一晩ぐらい、私に楓を貸してよね。積もる話もあるのよ、いろいろと。」
「わかったよ。凛音ちゃんには頭が上がらないからな、俺。」
潔く、匠はソファーから立ち上がった。私は玄関まで匠を見送る。
「明日、また来るから。」
そう言って、優しく匠は私の唇にキスを落とす。
「うん、待ってる。」
そう言うと、優しい顔をして匠は笑って、私の頭を撫で、
「戸締り、よろしく。」
そう言って、出て行った。




