第五十八話 蒼い月の光の中で
R15?
夜更け、匠は寝室のカーテンをレースのみにすると、窓から満月の蒼白い光が射し込み、部屋を明るく照らす。私は何も着ていない素肌をますますシーツでしっかりとくるむ。そんな私の姿を見て、匠は、
「寒い?もう少し、エアコンの温度上げようか?」
と尋ねる。
「ううん、明るくて恥ずかしい。もう服、着てもいい?」
「大丈夫、外からは見えないよ。レース越しだから。」
そう言いながら、匠はベッドに戻って、私からシーツを取り上げて、私を抱き上げながらまじまじと私の全身を見る。
「俺は見ていたい。もう少し楓をこのままで。」
匠の眼はさっきまでの熱に浮かされた昂ぶりは消えて、静かな目つきになっている、いつも、私を描く時の眼に。それがいっそう羞恥心を煽る。
「そんな風に見ないで、恥ずかしい。」
私が顔を隠してそう言うと、匠は笑って、またシーツで元通りくるんでくれた。そして、私を膝の間に座らせる。
「いきなりこんなふうになって、楓は後悔しない?なにも恋人らしいことをしていないのに。」
そう言って、後ろから私を抱きしめる匠自身も、まだ上半身は裸で。
「後悔なんかしていない。恋人らしいことをするよりも、恋人である証を、早く欲しかったから。」
私がそう言うと、匠の私を抱きしめる腕の力はますます強くなる。
「一度、心を決めると、楓は真っ直ぐなんだな。」
「うん、思いを伝えられないまま、大切な人を失うなんてもうたくさんだから。」
「そっか……。」
匠の声が途切れる。短い沈黙の後、匠は口を開いた。
「駆くんは、楓を託すのは、俺なんかで良かったんだろうか?」
「駆は、私が幸せであればいい、って言ってくれたから。私は匠といるのが幸せだから、匠でいいの。」
「どういうこと…?まるで最近会ったみたいな言い方をするね。」
「うん……。」
私は静かに口を開いて、かつて、私がこの部屋を緑に埋めていた理由と、太郎の存在を、すべて匠に話して聞かせた。
「信じてもらえなくても、私の妄想だと思われても構わない。何一つ証拠はないから。太郎が残して行ったものは、この最初の手紙だけだから。」
そう言って、私は机にしまいこんでいた太郎の、メモに書かれた置き書きを見せた。
「いや……信じるよ。確かにあの頃のこの部屋は、緑に覆い尽くされて、それが全部、駆くんを想って、楓が育てたものだというなら、そういう楓の想いの結晶のようなものが現れても不思議はないよ。なにか、不思議なオーラがこの部屋にはあったから。」
匠はそう言ってくれた。
「だからね……タケルが言ったことはあながち間違いじゃない、て言うか、ほとんど真実だったの。私が頑ななばかりに、駆をこの世にとどめて、駆自身を苦しめてた。」
「そうか……。」
「でも、タケルが唯一間違ってたのは、駆が一番に考えてくれてたのは私の幸せで、別に駆の親友と、私が結ばれることじゃなかったの。」
「そっか。」
「駆の気持ちがわかったから、私、もう迷わなかった。……匠こそ、私でいいの?私、ずっと駆を心にとどめているよ?」
「全然、大丈夫。しっかりとバトンを受け取ってるつもりだから、俺。」
「ありがとう。」
匠の言葉が嬉しかった。そして、匠は言葉を続ける。
「いつか……駆くんの絵、描かせてくれるかな?俺に。」
「ほんとうに?」
「うん。写真、今度見せて。」
「うん。タケルがくれた写真は、全部、タケルも一緒に写ってるのばっかりだったから、写真見るの、最近はためらってたの。」
「そうか、それは癪だ。ますます早く、駆くんの絵だけ描かなきゃ。」
匠の言い方がおかしくて、私はかすかに笑った。
「荒川もさ……楓のことがある前は、絵に描いてみたい男だとは思ってたんだよね。」
「珍しいね。同級生の男の子を描きたいって、匠が言うの。」
「前も言ったことある気がするよ。『絵になる男』だって。」
「言ってたかも……。」
私はなんとなく思い返す。
「俺が『絵になる』っていう意味、わかってる?楓。」
そう言って、匠はくすくす笑う。
あ……そうだった。この人は、人間の生々しい、一筋縄ではいかない表情を描きたい絵描きだった。
「一流アスリートになる男は、やっぱり普通の同年代の男と違って、なにか複雑で、いろんな表情を隠し持ってるんだな、と思って、観察してたんだけどさ。」
「うん……。」
「まさか、アイツが隠し持ってる武器で、楓をかっさらっていくとか、想像もしてなかったよ。……普通の神経じゃ、やらないよ。死んだ親友をエサにして、好きな女の子を釣り上げて持っていくとかね。」
「別にタケルは、私に執着してただけで、恋してたわけじゃないと思うんだけど。」
私がそう言うと、匠はため息をついた。
「楓は何にもわかってないよ。アイツの眼を見てたらわかる。『死んだ親友の彼女』だから楓を捕まえてたわけじゃないよ。」
「そうなのかな…。タケルが私に本気になる理由が、今でも私、わからないよ。」
「俺にはわかるよ。男だから……ていうより、絵描きだから、かな?」
そう言って、匠は私のまぶたにそっとキスを落とした。
「楓はきれいだ。でも、それが見抜けるのは、ちゃんとした目を持ったヤツだけだよ。」
そう言う匠こそ、蒼白い光に照らし出されて、まるで彫刻のように綺麗だ、と私は眺めた。まじまじと匠を見ている自分が恥ずかしくなって、私は目をそらした。
「そろそろ、凛音にも連絡しなくちゃ。」
そう言うと、匠にベッドに再び押し倒された。
「凛音ちゃんに連絡するの、もう三日、待ってくれる?」
「どうして……?」
「もう少し、二人だけでいて、楓を堪能したい。やっと手に入ったんだから。」
そう言って、匠が覆いかぶさってきて、熱いキスを落としてきた。
好きな人の存在を、自分の身体で受け止める幸せを、私は、その日初めて知った。匠は今までと全く知らない顔を、私に見せた。熱に浮かされたように私を求める顔も、時折見せる強くてちょっと意地悪な表情も、今まで知らなかった。どの顔の匠もとても愛しくて、恐怖心は微塵も湧かなかった。
最中に涙をこぼす私を、匠は我に返ったように心配そうに見つめて、顔を撫でる。
「つらい?楓?」
「ううん、うれしい。最初が匠で良かった。それがすごく嬉しい。」
そう言うと、匠は切なそうなため息をついて、私を抱きしめる。
「あんまりそういう可愛いこと言われると、止まらなくなるから、やめて。」
「止めないで。私もずっとこのままがいい。」
「だからね…。もう知らないよ?そういう事言っちゃうと。覚悟して。」
そう言うと、匠の熱い舌が私の口の中に侵入する。匠の熱い接吻を、私は泣きながら受け止める。
「好き、匠。」
「俺も。愛してる、楓。」
レース越しの蒼い月の光は、私たちの姿をいつまでも照らしていた。
次の日の朝、匠が遅い朝食を作ってくれている間、私は夜の間に済んでいた洗濯を、器械から取り出してアイロンがけをしようとしていた。けれど、電源プラグを入れても、いつまで経ってもアイロンは熱くなってくれない。
「故障かな?」
私はアイロンの裏側をのぞき込んで、そして、瞬間、涙があふれた。
朝食の準備ができて、呼びに来た匠は、私がアイロンを抱えて声もなく泣いている姿を見て、驚いたように、
「どうした?楓、やけどした?」
と駆け寄ってきた。その匠に、私はアイロンの裏側を黙って見せた。
「サヨナラ、楓。太郎より。」
アイロンの裏側には、はっきりと太郎のメッセージが書かれていた。匠は黙って、冷たいアイロンを抱えたままの私を抱きしめてくれた。
「毎朝、僕が一番役に立ってる自信があった」と言っていた太郎。こんなに身近に、毎日のように触っていた、当たり前のような存在だった太郎の正体に、私は最後まで気づけなかった。ペナルティを受けて、壊れてしまった太郎が、私は愛しくてたまらなかった。
しばらく泣き続けて、私が落ち着いたころ、匠はアイロンの太郎をまじまじと眺めていった。
「太郎くんが自分を壊してまで、犯してしまったことって、なんだろうね。」
「たぶん、駆に会わせてくれたことじゃないかな。」
私は小さな声で言った。最後の最後に、太郎は駆と入れ替わって、私と駆を会わせてくれた。そのために、太郎はきっと、ペナルティを受けたんだ。
「そっか…。」
匠は小さな声でつぶやいた。
「太郎くんには感謝しなきゃな。太郎くんがいなきゃ、楓は俺のところに帰ってきてくれなかったんだから。これからも、壊れても、太郎くんのアイロンは大事に持っておこう。」
「うん。」
私は泣きながら、冷たいアイロンを抱きしめ続けていた。




