第五十五話 「大好きだから、幸せになって。」
「太郎の依頼者……って、まさか。」
私は太郎に向き直って、太郎の顔をまじまじと見る。
「そうだよ、僕の依頼者は駆くんだよ。」
絶句する私の顔を見つめて、太郎は静かに言葉をつづける。
「駆くんは、楓のことが心配で、ずっとこの世に魂だけ残してた。でも、魂じゃ語りかけられないし、言いたいことも言えないし、ずっと苦しんでた。だから、僕が、その代わりをつとめることになった。」
「……どうやって?」
「精霊たちは、たくさん集まれば、形を為すことが出来る。思うような形にね。この部屋、楓が大事に育ててた植物や、大切にしているものであふれてたでしょ?そういう精霊たちが力を合わせて、みんなで駆くんのスーツを作った。それが僕の身体。」
太郎の明かす言葉に、私は呆然とする。
「そして、僕たちは駆くんの魂を救うために、神と契約した。駆くんの願いはただ一つ、楓が笑顔を取り戻して、誰かと幸せに生きていくこと、だったから。僕たちは多くのことはできないけど、週一回、ここに現れて、駆くんの代わりに、楓を励ますことだった。」
「でも、もう、この部屋、植物たち、無いよ。」
私はぼんやりとしながら、部屋を見渡す。緑の減って殺風景な部屋。
「……そうだね。だから、もう結構、限界来てる。今日で、完全にこの身体は消滅するだろう。だから、最後にお別れに来たんだ。……あと、楓の背中を押すためにね。楓は、どうして、天野くんに会いに行ってあげないの?」
私は口をつぐんで、うなだれる。凛音は電話した時、あんなふうに言ってくれたけど、本当にいまでも天野くんが私を想っているかなんて、ほんとうのところは分からない。ノートに私の似顔絵を描いていたのだって、ただ、週末モデルとしての私を懐かしんで描いていただけなのかもしれないし。
「天野くん、ずっと楓を待ってるよ。自分の合格発表があった日から、彼は一日も欠かさず、公園に来てる。平日だろうが日曜日だろうが、お構いなしにね。」
私は驚いて、リビングの窓に駆け寄る。……でもここからじゃ、天野くんの姿は確認できない。私は、窓のカーテンを閉めた。そして、くるりと回って、太郎と向き合う。
「……どうしてカーテン閉めるの?」
太郎が驚いた顔をしている。
「私、まだ疑問があるもの。……本当に駆は、私が天野くんのところに行くことを望んでるの?」
「駆くんの願うことはただ一つ、楓の幸せだよ。」
太郎ははっきりと私の目を見て、そう言った。
「ねえ、その精霊たちの作ったスーツって、駆の魂は入れないの?」
「………難しいな。不可能じゃないけど、二、三分が限界だと思う。それ以上入ってると、死者の魂によって、このスーツは腐って溶けてしまう。……でも、本当に楓が望むなら、ちょっとだけ駆くんに代われるよ。楓、駆くんに会いたい?」
「会いたい。私、駆から、ほんとうの駆の気持ちを聞きたいの。」
私の目から涙があふれる。駆、そこにいるなら、私と話して。
「じゃ、ちょっとだけね。」
太郎はふわりと地面に降り立った。瞬間、わかった。太郎の表情が一瞬で変わった。駆だ。駆がいる。
「駆……。」
私が手を伸ばすと、駆は走ってきて、私を抱きしめた。
「駆、駆だ。」
私は泣きながら、駆を抱きしめ返す。けっして無機質じゃない。暖かな駆の身体。
「駆、私、駆が大好きだったよ、ねえ、どうして私を残して行っちゃったの?」
「楓、俺だって、楓が大好きだった。ごめんね。俺だって、ずっと楓と一緒に生きたかったよ。」
私の耳に届く、確かな駆の言葉。
「楓が俺のために、医者になるって思ってくれて、俺、嬉しかった。俺、やっぱり楓がずっとずっと好きだ。チビの頃から、楓が好きだったんだ。」
「私も駆が大好きだったよ。ずっとずっと、寂しかった。駆がいなくなって、私、寂しかった。」
駆が私の額に自分の額をぶつける。溶け合う、私たちの涙。駆も泣いてる。私も泣いてる。
「……残して行ってごめん。でも、楓が寂しいままだと、俺もずっと寂しい。……だから、楓、幸せになって。俺のお願い。わかるよな、楓。」
「いいの?駆。私、駆じゃない人と一緒に生きて行っても、駆はほんとにいいの?」
「うん。楓が幸せだったら、俺も幸せだから。」
「わかったよ。駆。ありがとう。」
私たちは固く抱き合った。暖かな駆の身体。………それは瞬間、また無機質なものに変化した。駆と太郎が入れ替わっても、私たちはまだ抱き合ったままだった。私は太郎の耳にささやいた。
「ありがとう。太郎。駆に会わせてくれて。」
「うん。」
声も、やっぱり駆じゃなくて、太郎の声に変わって。それでも、私はその声も愛しかった。太郎は、やがて私から手を離して、ふわりと浮きあがった。
「そろそろ、僕ももう、行かなくちゃ。」
「もう、行っちゃうの?」
「うん、駆くんの魂も、旅立っていったよ。本来あるべき場所へ、ね。」
「そっか。」
私は唇を噛む。駆をこの世に無理やり引き留めて、苦しめてたのは、タケルの言うとおり、やっぱり私自身だったんだな。
「……でも、太郎は精霊だから、身体が無くなっても、ずっと私と一緒にいるんだよね?」
私は太郎を見上げる。
「うん……でも、僕は重大な契約違反をした。だから、僕の実体がペナルティを受けると思う。今まで、毎朝、僕が一番、楓の役に立ってるっていう自信があったけど、これからはもう、何の役にも立たないゴミになっちゃう。」
「どういうこと?」
「……でも、前に言ったよね。僕の実体が壊れてしまっても、捨てずに置いておいてくれたら、僕は精霊として、ずっと楓を見守ることができる。……もう喋ったり、ものを動かしたりはできなくなるけど。」
「髪を切ったり、とか?」
私は泣き笑いの表情で、太郎をにらむふりをすると、太郎ははにかんだ笑顔を見せた。
「……ごめんね、あの時は。」
「いいよ、もう。」
私は、笑顔で太郎に言う。
「僕が壊れちゃったら、ただの邪魔になるから、もちろん、捨てちゃっていいんだけど……。精霊の僕を大事に思ってくれるなら、実体のほうを、置いておいてくれたらいいよ。」
「わかった。」
「……あのね、最後に言っておくけど、僕はサボテン野郎なんかじゃないからね。なんか楓、ずっと勘違いしてるみたいだけど。」
「え?」
最後にそう言って、太郎はくるっと回って、ふわっと笑って、……そして、消えた。
え、……太郎はサボ太郎の精霊じゃないの?そんなことで頭がいっぱいになって、太郎と別れを惜しむ暇も無かった。
太郎、いっぱいいっぱい、ありがとう。最後まで可愛くない私でごめん。でも、伝えきれなかった。太郎への感謝の思い。……そっか、手紙、書こう。前も太郎は、手紙、読んでくれたっけ。
私はゆっくりと窓に近づき、再びカーテンを開いた。窓いっぱいに広がる、公園の風景。冬の名残は少しずつ音もなく消えて行って、あたりは少しずつ春めいて、早蕨色があちこちに見えたり、……もう少ししたら、満開の桜の木が公園のあちこちに見えるようになるだろう。
会いに行かなくちゃ。
私は急いで玄関に向かって、靴を履いた。ゆっくりと玄関扉をあける。マンションの外に出ると、早春の風は少し冷たくて、私は少し震える。池に近い天野くんのいつもの場所は寒いんじゃないかな、と思ったけれど、もう上着を取りに行く気はしなかった。




