第四十九話 ひそかな決意
昼休憩が終わり、タケルと離れて教室に帰りながら、私は考える。
タケルと私が離れられないのは、理由は同じで、二人とも駆の思い出にこだわりがありすぎるからだろう。タケルは駆を思いながら、バスケを続け、写真も持ち歩いている。もしかしたら、駆のためにバスケを続けているのかもしれない。私は、駆を想い、あの緑のコートでの駆を思い出しながら、自分の部屋を緑で埋め尽くす。
タケルが言うように、二人が似た思いを抱えているなら、二人で生きていく道を選ぶのは、ある意味自然なことなのかもしれない。でも、それは恋人、という形でなくてはいけないのだろうか。かつての天野くんと私のような、パートナーシップ的な関係ではいけないのだろうか。
……多分、ダメなんだろうな。私はため息をつく。
私と天野くんの関係だって、結局数か月で破綻をきたした。タケルは、そんなあやふやな不確かな関係よりも、もっと明確な、ずっと続く強固な関係を求めている。だから、私のことを「好き」と言って、キスをしたり、それ以上の関係を求めたり、将来は結婚とか言い出すんだろうな。
私も、確かに友達としてのタケルは好きだった。駆の写真を、タケルが初めて見せてくれた日、泣き続ける私の横で、タケルは何を言うでもなく、私に触れるでもなく、ただ黙って、私のそばに肘をついて寝そべっていた。あの優しい時間は、確かに私にとってもかけがえのない時間だった。あの気持ちを、タケルのように私が簡単に愛に昇華させることができたら、何も問題が無いはずなんだけど…。
タケルはどうして、やすやすと友情を恋愛に発展させられたのだろう、そして、私はどうして、それが難しいのだろう。私にできることは、ただ、タケルの与えるものを、無気力に受け入れることしかない。時々、それからも逃げたくなる。
私とタケルの噛みあわない気持ちを、結局凛音や誰にも相談することもなく、冬休みに入った。同時に、タケルの全国大会も始まる。タケルに言われた通り、私は連日タケルに指定された体育館に行く。
タケルの宣言通り、小松さんはマネージャーに復帰していて、あの時と同じように、試合前やインターバルにタケルにだけ声をかけ、タケルも小松さんの目を見て、深くうなずく。それは、誰も入れない神聖な儀式のような不思議な光景で、私は、それをただ、観客席の後ろのほうで黙って見ているだけ。
タケルは大活躍で、このまま行くと、得点王は間違いないんじゃないか、というぐらい順調に得点も重ねて、帆乃夏たち、タケルのファンの熱気も、日増しに熱くなってくる。観客の数も日に日に増えて、タケルはマスコミの取材も増えてきた。アイドル的人気もますます高まりを見せている。「超高校級の逸材」なんて見出しで、スポーツ雑誌にタケルが特集される日も近いみたい。
決勝の日、ふだんはギリギリに試合開始に間に合う程度の時間に行っていたんだけれど、この日はさすがに早く行って、後ろの定位置で、正午から行われるタケルの試合の前の、三位決定戦を観戦する。その隣に、誰かが腰かけた、そちらに目をやると、凛音だった。
「……珍しいね、凛音がうちの高校の応援とか。」
私が言うと、
「ふん、調子に乗ってる荒川が、ぎゃふんて言うところ見たくて来たのよ。」
なんて凛音が言う。思わずくすりと私が笑うと、
「あんたの彼氏の悪口言ってるのに、なんであんたが笑うの。」
とニコリともせずに凛音が言う。私は思わず下を向く。すると凛音が静かに言った。
「……ほんとはね、帆乃夏に言われたの。荒川くんの彼女のくせに、いつも一人で後ろのほうでひっそり見てて、可哀相で目に余るから、決勝ぐらいは一緒に見てやったらって。」
帆乃夏……。私は目頭が熱くなる。ある意味、凛音よりもたくさん私が傷つけたかもしれない帆乃夏、そんな風に気づかってくれるなんて。
「帆乃夏もさ、最初から荒川くんを恋愛対象としてっていうより、一ファンとして応援したいっていう気持ちが大きいみたいだったから、そこまで楓のこと、気にしなくてもいいんだろうけど、やっぱり隠されてたってことや、あまりに身近な子が彼女になっちゃった戸惑いもあったんだと思うよ。」
凛音は低い声で言う。
「だから、そんなに帆乃夏も怒ってるわけじゃない。冬休み明けたら、普通に喋ってみなよ。」
「そうだね……。」
私はあいまいに答える。
「……それにしても、あんたの彼氏の注目度は高まるばっかりね。そのうち、本命彼女として、楓も取材受けるんじゃない?」
凛音は皮肉でもなく、そんなことを言う。
「勘弁してほしい…。」
私は顔をそむける。小松さんと違って、バスケ選手としてのタケルのこと、私は何も知らないに等しい。
「馴れ初めとか聞かれたら、どうするの。」
「……小学校の同級生でした、ってしか言えないな。」
「そうなの?」
凛音が驚いた顔をする。
「初耳。」
「私も、タケルに二学期、声をかけられるまで気づかなかったから。」
「………で、なんて声かけられたの?」
「さあ、懐かしかったんじゃない?」
私は言葉を濁す。
「まさか、荒川くんの初恋の相手が楓だったとか?」
「それは絶対無い。」
「どうして言い切れるの…。」
「それは……。」
凛音に、何もかも言ってしまいたい衝動に駆られる、けれど、それはぐっと抑える。
「言えない。タケルに言うなって言われてるから。」
「どうして?」
「マスコミとかいろいろ、うるさいらしい。今。」
準々決勝の前日、タケルからの電話で言われた。
「雑誌に俺の特集が組まれるみたいでさ…。」
「そうなんだ、おめでとう。」
「別にめでたくも無いんだけどさ…。それで、俺の生い立ちとかいろいろ聞かれるし、小学校や中学校の監督にも話聞くって話だから、俺、あれこれ詮索されたくないから、小中の監督や昔のバスケ仲間に連絡しておいた。」
「何て?」
「駆のこと、喋るなって。」
「そっか………。」
「うん、上辺ばっかりの美談みたいに駆のこと書かれるのも嫌だし、駆の彼女みたいだった楓とつきあってることも、面白おかしく書かれたくない。」
「うん、よくわかる。」
「だよな。駆のこと、わかってるの、俺たち二人だけでいい。……だから、楓も言わないで、友達とかにも、駆のこと。」
「わかった。言わない。」
「……俺、絶対優勝する。駆と楓のために。でも、それ、知ってんの、楓だけでいいから。」
「うん……。がんばって。」
そんなやりとりがあった。駆のこと、あれこれ言われたくないタケルの気持ちもよく分かる。中学の時だって、監督に駆の名前言われ過ぎて、トラウマになってるみたいだし。
でも、私が友達に駆のことを話せないってことは、必然的に私たちの複雑な関係を、凛音たちに相談もできないってことで、それも、巧妙なタケルの網みたいに感じてしまうのは、私の心が荒んでいるからだろうか。
「……とにかく、私たちは、初恋とかそういう甘酸っぱい関係とは違うし、むしろ、お互い恋心すら抱いてない気もするの。でも離れられない。」
「でも、その理由は言えないってこと?」
「うん……。でも、時々、逃げたくなる。」
私は思わず本音を言ってしまう。大会終了して、うちの両親の一時帰国が終わって、そして、私の気持ちが止まったまま、タケルとの関係だけが発展していくことが、私は怖くてしょうがない。
「………楓は、荒川くんのこと、好きじゃないんだね。」
凛音に断言されてしまう。
「友達としては、好きなんだけど、それ以上は気持ちがついていかないの。タケルが何考えてるか分かんない部分も多いし、小松さんとの関係も不透明だし。」
「……なるほど。」
「でも、一生離さない宣言された。校長や理事長の前で、結婚も考えてるとかも言われるし、『愛人』て言われるのも嫌だったけど、こんな学校公認のカップルみたいになるつもりもなかったのに。」
「そっか………。」
凛音は押し黙る。いつの間にか、三位決定戦が終了し、タケルたちのチームが準備に入っている。小松さんはもう、隠そうともせずタケルにぴったりくっついてる。なにが、ただの選手とマネージャーだ、って思う。あんな姿見て、誰がそんなこと思うだろう。
私と凛音は、黙ってそんな二人の姿を見ていた。
「逃げちゃえ。」
小さな声で、でもはっきりと、凛音は言った。私は驚いて、凛音の顔を見る。
「どうやって……?」
私はささやく。
「わかんない……でも、どんな手段使ってもいいと思う。いまの楓、見てられない。逃げちゃえ。」
凛音は私の顔を見て、はっきりと言った。私は試合前のウォームアップに入っている、タケルの顔をじっと見つめる。逃げるなんてそんなこと、可能なんだろうか…。それに、それは果てしなくタケルを傷つけることになる。タケルは何よりも、駆との思い出を共有する私がいなくなるのを恐れている。
だからこそ、私にあの頃と同じ髪型をさせて、私を縛り付けていると言うのに。
「できないよ……、タケルがどんなに傷つくか…、そんなことしたら。」
「でも、別れを納得させることはできないんでしょ、荒川くんに。」
「うん、聞く耳持ってくれない感じだった。よけいに執着がひどくなる感じで。」
「……大丈夫だよ、アイツ、そんなに弱くない。楓が思うよりもっと打たれ強いよ。ていうかふてぶてしいぐらいの生命力あると思う。安心して逃げなよ。……確かにさ、荒川くんが彼女って公言して連れて歩いてるの楓が初めてだけど、なにも最初の彼女ってわけでもないし、失恋ぐらいじゃ人は死なないよ。」
「そっか……。」
「それにこのまま荒川くんと一緒にいたら、楓のほうが倒れちゃうよ、身の危険を感じるのは、楓のほうだと思うけどね。」
「…………。」
「いくらバスケが上手かろうと、好きな女を幸せにできなくて、なにがアイドルだ、スーパースターだって、感じだよね。私から言わせれば、ゴキブリ以下だよ。」
凛音の物言いに、私は笑おうと思ったけれど、不覚にも涙が出て来そうになって、私は唇を噛んでこらえる。
「わかった。私、逃げる。……どうやってかは、また考える。」
「うん、私は楓を応援してるよ、親友としてね。」
「ありがとう。」
もう、こらえきれなくて、涙が頬を伝う。いつの間にか試合は始まっていて、もう結構な差がついてきている。
「全国優勝と同時に失恋とか、なかなかアイツにとっては笑えない展開だけど、私は大笑いしてやるよ。大丈夫、同情して寄ってくる女なんて、いくらでもいるよ。アイツの心配なんかしなくていいよ。自分の身の安全だけ考えな。」
「ありがとう、凛音。」
「……匠くんには、言ってあげなよ。多分、一番楓の心配してるから。」
「わかった。どうやって逃げるか、決まったら、言う。」
私は涙をぬぐうことも忘れ、タケルの最後の試合を観戦した。




