第四十四話 見えない網
週明けの月曜日の朝、私はアイロンを済ませて、ぱりっと糊の効いたブラウスに袖を通しながら、タケルとのことについて、思いをめぐらせる。
天野くんに、ああは言ったけれど、私とタケルの関係は、やっぱり普通じゃない。やっぱり、駆のために無理やりつきあうなんて不自然なことは、良いとは到底思えない。きちんと話し合って、糺すべきところは糺していかないと。タケルと小松さんとの関係も不透明なままだし、いろいろはっきりさせたい。
タケルと、取り乱すことなく、ちゃんと話し合おう。そのためには、どうしたらいいか、考えよう。そして、このことで、天野くんを巻き込んだり、心配をかけてもいけない。揺れる電車の中で、私は決意を固めた。
昼休み、食事を終えて、私とタケルはいつものように視聴覚準備室にやってきた。ほんとうは、タケルと密室で会いたくはない。また強引に唇を奪われたりすることは避けたい。でも、人前で話し合うようなことでも無いから、しょうがない。
「あのね、タケル、今日はちゃんと話がしたいから、無理やりキスとかしないでね。」
そう私が言うと、タケルの顔がしかめられる。
「なに?話って。別れ話とかだったら、俺、聞く気が無いよ。」
「今日はね、私、タケルの正直な気持ちが聞きたい。でないと、私、前に進めないから。」
タケルの言葉に構わず、私は話を進める。
「……なに?俺、なんにも嘘なんてついてないよ。」
タケルは警戒の色を緩めない。
「まず、タケルはほんとに私のことが好きなの?」
「好きだよ。」
即答するタケル。私は質問を続ける。
「小松さんとの関係は?」
「ただの部員とマネージャー。」
「私のこと、いつから好きだって思ってるの?」
「ずっとだよ。ずっと前から。」
「具体的にはいつなのよ。」
「気がついたら、だから、いつとか分かんないよ。もうずっと前から。ていうか、楓、何が聞きたいわけ?俺に。」
「中学の時から?高校入ってから?」
「それは……、ていうか、どうだっていいだろ?そんな話。」
「どうでも良くない。タケルは、自分に嘘をついてる、タケルは、私を好きだって思い込もうとしてるだけで、ほんとは私のことは好きじゃないと思う。」
「なんだよそれ!」
不機嫌だったタケルは、とうとう怒りだした。
「俺は本気で楓が好きだって言ってるだろ?なんだよさっきから、疑うようなことばっかり言って、最後には決めつけて。」
「だって、おかしいよ。ずっと好きなら、なんで二年の二学期になって声をかけてくるわけ?梅崎くんと私のことを応援してたんでしょ?梅崎くんと、どうこうあったの、この夏のことだし、すごく最近の話だよ。何よ、『ずっと好き』って。」
タケルは怒ってはいるけれど、冷静に説明しようとする。
「梅崎の好きな子が楓ってことは、俺はずっと知らなかったよ。ただ、『消しゴムの子』ってだけ聞いてたから。二学期になって、髪切ってる楓を見て、梅崎が思い出したように言い出したんだ。『女の子って失恋したら髪を切るって言うよね?望月さん、片思いの人に振られたのかな』とか。」
「…………。」
私は黙り込む。タケルは説明を続ける。
「それで、梅崎から詳しい話を聞いて、楓がまだ駆を想い続けてるってわかって、俺、たまんなくなって、楓に声かけた。だから、あのタイミングだったってだけで、前からずっと、楓のこと、俺は好きだよ。」
「でも、ラーメン屋のおばさんは、タケルはいろんな女の子をお店に連れてきてたって言ってた。小松さんの口からも、あの店に一緒に行ったって聞いた。」
「ラーメン食うぐらいの友達、俺にだっているよ。小松はただのマネージャーだって。楓とつきあってからは、小松を連れ歩いたりしてない。」
「でも、小松さんはまだつきあってるって言ってたよ?」
「小松は嘘をついてる。俺は小松とつきあったことなんて、一切無い。」
「………じゃあ、キスが手慣れてるのはなんで?」
私が聞くと、タケルは一瞬、ひるんだ顔をした。そして皮肉気に笑った。
「へえ、楓こそ、キスに詳しいんだな。俺としかキスしたことないはずなのに、俺が手慣れてるかどうかとか、わかるんだ。」
「…………。」
私は黙り込む。
「それとも、中学の時、駆と初々しいキスをしてたのか?違うよな、告白もまだって言ってたし。……それとも別のヤツと?」
タケルが腕を伸ばして、私の手を掴んで引き寄せようとする。私は抵抗を試みるけど、タケルの腕の力が強くて、ずるずると引きずられる。
「こんなの間違ってる。タケルは駆が好きだった私が好きなだけで、ほんとうの好きとは違うと思う。」
私はタケルに言うけど、タケルは平然とした顔をしている。
「なにが本当の好きで、好きじゃないとか、楓にわかるの?駆が好きな楓が好きなのも、ほんとうに好きっていう意味だよ。」
「じゃあ、……もし駆じゃない人を私が好きになったら、もうタケルは私が好きじゃないよね?」
「何言ってんの。楓はいま、俺とつきあってるんだろ?俺を好きになる努力するって言ってたじゃん。他のヤツ好きになるとかおかしいだろ?」
そう言いながら、タケルは私の額にぴったりと唇を当てる。
「もし他の誰かに、いままで心が動いていたとしても、楓は駆を忘れてなかっただろ?駆の写真見ただけで、あんなに泣いて…。俺、それで充分だよ。楓の過去は、俺、気にしない。でも、これからは許さない。俺のそばにいて、俺だけ見て。もし楓が、これから誰かに心動かすようなことがあったら、俺はそいつを許さない。徹底的に排除する。」
私を抱きしめるタケルの腕に、力が込められる。
「楓はさ……すごく人見知りな女の子なんだよ。簡単に人に心を許したりしない。でも、一度仲良くなった男友達を、異性として意識するのは自然なことだよ。」
タケル……何を言ってるの?
「駆のことだって、駆が足が速くて、バスケがうまかったから、楓は好きになったわけじゃないだろ?」
「………そうだけど。」
「楓は、駆が、幼馴染で、自分と仲良くしてくれて、優しかったから、好きになった。だから、いままで楓に優しく、仲良くしてくれた異性の友達がいたら、楓がソイツに心揺れても自然なことだと思うよ、でも、これからはもうダメだ。」
タケル、何を言ってるの?誰のことを言ってるの?タケルは、何もかも見透かしたようなことを言う。
「楓のことだったら、なんでもわかってる。楓が誰に心が揺れてるのか、俺は分かる。でも、楓はもう俺のだ。よそ見は許さない。」
タケルは私の目を見て、にっこりとする。その笑顔に私は戦慄を覚える。タケルは、私と天野くんのこと、知っている…でも、どうして?
「楓の目に映るのは、俺と駆だけでいい。」
タケルは、そう言って私の唇にそっと自分の唇を重ねた。けっして無理やりじゃない、やさしく唇だけを交わすキス。でも、私は動くことができなかった。
「楓がちゃんと俺だけ見ていたら、楓はいつか、俺のこと、ほんとうに好きになるよ。」
授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。タケルも今日は、私を引きとめたりしなかった。私はふらふらとした足取りで、教室へ戻った。クラスの男子の私を揶揄する声も、今日は耳に入らなかった。
何かが間違っている気がするのに、なにひとつそれが解消できないどころか、タケルがなにかしら私の心の奥底まで探り当てているのがわかって、私は見えない網に絡め取られている気がする。
机の中で、携帯が震える。こっそりと机の下で確認すると、天野くんからのメッセージだった。
「顔色が悪いよ、具合が悪いなら保健室へ行きなよ。」
そうだ、一度ぐらいのことで、私は自分を見失ってはいけない。タケルとの話し合いは続けていかなくちゃ。天野くんのたった一言のメッセージで、私は勇気づけられる。
でも、タケルに抵抗する力が私に残っていたのは、この日が最後になった。




