第三十六話 協定の破綻と、孤独のはじまり。
「なんで、あんなこと谷澤くんに言ったの?」
さっきから抱えてきた疑問を、口にする。
「つきあってるって言ったこと?……だって、つきあってるじゃん、俺ら。」
タケルは平然とそんなことを言う。
「毎週二人きりで会って、先週はデートして、俺が告白して、キスして、楓はそれを受け入れた。それって、つきあってるってことじゃないの?客観的に見ても。」
「そんな……。」
タケルの言葉に絶句する。あんな息も絶え絶えになるほど疲れさせられて、ショックと疲労で無抵抗のまま受けたキスは、私がタケルを受け入れたってことになるんだろうか。
タケルの言っていることが、わからない。理解できない。
「違うよ、タケル、私、そんなつもりじゃ…。」
「知ってるよ。楓はまだ、駆が好きなんだよな。別にそれでもいいって、俺言ったよな?」
「だからって、それで、なんでつきあうとかって話になるの?」
「だって、楓が、二人で会うと、いろいろ誤解や憶測を生むから、もう同窓会はやめたいって言ったじゃん。だったら、二人で会っても、堂々としていられる関係に変えていくしかないっしょ?だから、つきあったの、俺ら。」
頭がくらくらしてくる。なんでタケルは、つきあってることを、確定事項みたいに言い切るんだろう。
「そんなのおかしいよ…二人で会うために、つきあうって。お互い気持ちもないのに。」
「俺は、ちゃんと好きだよ、楓のこと。楓も、俺のこと、好きになればいい。」
「無理だよ!!!」
思わず大きな声が出た。
「私は、駆だけが好きなの!他の人は誰も好きになれないの!タケルがなんて言おうと。」
言い切った後、涙が流れないように、唇をキッと噛む。タケルに言い負かされたくなんかない。どんな生き方だって、自分の生きたいように生きればいい。天野くんだって、そう言ってくれたもの。
「だから、そんな風に楓が思うこと自体が、駆がかわいそうでならないんだよ、俺にとってはね。」
けれど、タケルの言葉は、簡単に私をゆり動かしてくる。
「駆は、あの若さで死んじゃって、すごく無念だったと思うよ。でも、その早すぎる死で、ひとりの大事な女の子を不幸にする方が、もっと無念なんじゃないかな。」
泣いたら負け、って思ってるのに、私の心は弱くて、やっぱり涙がにじんでくる。
「別に、私は不幸じゃない。世の中、一人で生きている人はいくらでもいるもの。」
「でも、もし駆が生きていたら、ふつうに恋して、結婚して、幸せな家庭を築くこと、楓は普通に考えてただろ?自分の死が、楓をそんな風に意固地に捻じ曲げちゃってること、駆は無念だと思うよ。」
「でも……。」
「俺は、ちゃんと楓が好きだよ。俺も、駆が大好きだった。そして、楓も駆が大好きだった。俺は、いつまでもそうやって駆を大事に思ってる、そんな楓が好きなんだ。」
頬に涙がこぼれて落ちていくのが、わかるけど、止められない。
「俺らふたりが、一緒にいて、二人で駆を悼むことが、そのほうが、駆だって安心できるんじゃないか?楓、おいで。一緒に幸せになろう。」
強い力で、タケルが私を引き寄せてくる。
どうしてタケルは、簡単に私の心をかき乱していくんだろう。
どうして、泣いている私に、やさしくタケルは口づけて、大丈夫だ、なんて言い切るんだろう。
「楓、大丈夫だから。少しずつでいいんだから。いっぱい泣いてもいいんだから。」
そして、タケルは私の涙を唇で吸い取っていく。いくら私がタケルの腕の中で泣いて、暴れても、タケルは私を離そうとしなかった。午後の授業が始まる時間になっても、その攻防はずっと続けられ…。涙と疲労で、私はまた、無気力になっていった。
「楓、可愛い。楓、大好き。ずっと一緒にいよう。俺には楓しかいない。楓だって、俺じゃないと、ダメなはずだよ。」
タケルは無気力になって抵抗を止めた私の顔に、好きなだけ唇を押し当てる。私の唇だけじゃなく、まぶたや頬、額、耳。至る所にタケルの唇を感じる。私はぐったりとして、タケルにされるがままになっていた。
頭がぼんやりする。だんだん、タケルの言うことが本当なんじゃないかって思えてくる。私は、頑固で、意固地で、駆が死んだ後も、駆を悩ませる、困った存在なんじゃないかって。
私は、タケルを好きにならないといけないのかな…。教えてよ、駆……。
気がつくと、もう放課後で、タケルはやっと、私の身体を離した。
「ごめん、もう部活だから、俺、行かなきゃ。楓、一人で帰れる?」
「だいじょうぶ…。」
私はうつろに言う。
「また明日の昼、教室に迎えに行く。明日は授業休ませたりしないから。今日はごめん。」
「だいじょうぶ。」
タケルは、私の手を引いて、立ち上がらせて、ぎゅうっと抱きしめた。
「すぐ、好きになれって言わないから。何か月でも、何年でも、俺は待つから。だから、つきあおう、楓。」
私は無言で、タケルの制服に顔をうずめた。何かが間違っている気がするんだけれど、その言葉にあらがうことが、私はその時、できなかった。
教室の前の廊下は、すっかりざわめきが消えていた。うちのクラスの教室に入ると、天野くんの声が聞こえる。
「うん、梨絵ちゃん、少し顎を引いて、もう少し腕を上げてみようか。……そうそう、そのほうが、綺麗だね。立ち姿がさまになってるよ。」
いつもの似顔絵描きの時間か。私は邪魔にならないように、そっと鞄を持ち出す。一瞬、天野くんの顔がこちらに向けられ、何か言いたげな顔をされるけれど、私は、それ以上天野くんの顔を見ていられなくて、鞄を抱えて教室を飛び出した。
……天野くんとの協定、私は破っちゃった。あんなに親切に、看病までしてくれたのに。もう、彼に顔向けできない。なにが一生ひとりでいる、だろう。私はこんなにも弱くて、流されやすくて、無力な存在だったんだ。
秋の雨が、いつの間にか降り出してきたので、私は鞄から折り畳み傘を出して差す。二度と、雨に濡れて、熱を出すなんて失態をしてはいけない。もう、天野くんは、うちに来てくれたりしないんだから……。
次の日の朝、登校した私は凛音の前に立つ。
「凛音…ごめん。」
凛音はやっぱり冷たい顔をしている。
「やっとなんのことか分かった、って顔してる。私、聞いたよね?荒川くんの『水曜日の恋人』って楓じゃないの?って。なにが『接点が無い』よ。バカにしてる。」
凛音の怒りはもっともだ。
「金曜日、荒川くんがこの教室に、楓を探しに来るまで、私、何にも知らなかった。みんなが私が楓の親友だって思ってるから、荒川くんに尋ねられて、私、楓のこと、何にも知らないのに気づいて、すごく恥ずかしかった。」
「ごめん、凛音…。」
「『風邪、引いてるみたいだからお見舞い行きたいけど、楓の友達なら、楓の家、知ってるでしょ?』とか言われて、答えられなかった私の気持ち、楓にわかるの?」
「………。ごめんなさい。」
「もういい。私より、帆乃夏のほうがもっと傷ついてる。先々週、しれっと帆乃夏と一緒に荒川くんの応援してたみたいじゃない。友達だと思ってた子に裏切られてた気持ち、楓にわかるわけ?わかんないわよね。楓は私たちのこと、何一つ信頼してなかったんだから。」
返す言葉もみつからなくて、薄っぺらい謝罪の言葉を、繰り返す気にもなれない。
「当分、私たちに話しかけないで。よかったね、あーんな有名人を彼氏にできて。せいぜい、遊ばれて捨てられないことね。もう結構、噂になってるよ。楓が小松さんから、荒川くんを寝取ったって。」
凛音から浴びせられる屈辱の言葉を、私は唇を噛んで甘んじて受ける。全ては自分の行動が招いた結果だ。のろのろと自分の席に戻って、机に顔を伏せる。私たちのやりとりを黙って見ていたクラスメイトの視線が痛い。
誰も私に話しかけることも無く、午前中の授業は、ただ、過ぎて行った。
孤独には慣れているつもりだった。誰も、私に興味を持たないでほしい、って思っていた。目立たず、ひっそりと生きていくつもりだったのに、みんなの視線を浴びながらの孤独は、なぜか思ったよりも身体に堪えた。
昼休憩、昨日のようにタケルが迎えに来て、私は黙ってお弁当を持って、タケルのあとについて行った。
この孤独は、タケルがもたらしたもの?ううん、違う。自分の責任だ。私が、誰にも何も話さず、口をつぐんで秘密にしていたから、こんな結果を招いたんだ。
「顔色悪いけど、まだ体調がすぐれない?」
学食でタケルに心配そうに聞かれる。
「ううん。だいじょうぶ。」
私は心配をかけないように、お弁当を無理に口に運ぶ。食事が済むと、タケルは私をいつかの視聴覚準備室に連れて行く。タケルは私を膝の上に乗せて、腕の中に閉じ込めるけれど、私はもう抵抗しない。
「寂しそうな顔してる、楓。どうした?」
低い声で、タケルに尋ねられる。
「友達とケンカした。」
「俺が原因?」
「ううん、私が悪い。」
「そっか。俺がいるから、心配するな。」
「ありがとう。」
私はぼんやりと受け答えすると、そっと、準備室の床に、タケルによって身体を横たえられる。固い床で身体を痛めないように、タケルは優しく腕で私をかばってくれる。
「寂しそうにしている、楓、可愛い。」
そういって、タケルは私にそっとキスをする。抵抗せずに、タケルの唇を受け止める。泣くつもりはないのに、目尻から一粒涙がこぼれる。
「泣いてる楓も、可愛い。」
昨日のように、涙を吸われる。
「寂しくても、俺がいるから、大丈夫。俺だけを頼って。俺の楓。俺だけの楓。」
……タケルはなんで、私にそんなに執着するんだろう。タケルだったら、どんな綺麗な子でも、どんな華やかな子でも、選べるって言うのに。
昼休憩の終わりのチャイムが鳴るまで、タケルは黙って私を抱きしめていた。チャイムの音で、名残惜しげにタケルは身体を起こして、私の身体も引っ張り上げてくれる。
「明日、水曜日だね。また俺に弁当、作ってくれる?」
タケルの言葉に、黙って私はうなずいた。




