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第十四話 雨の理系男子

「ねえねえ、今週末さ、彼氏の高校と、うちの高校のバスケ部が試合するんだよね、見に行かない?」

 太郎が窓から消えた次の日の木曜日、凛音に誘われる。凛音の彼氏はN高校のバスケ部の人らしい。

「バスケかあ。ルールわからないんだよね。」

「やー、私も全っ然わかんないよ。でもあれじゃん、バスケットにボールが入ったら、点が入るってわかってれば、それで大丈夫だって!見てるだけで結構楽しいから、おいでよ。」

 今までも、凛音はこうやって、バスケの試合に私を誘ってくれていた。でも、他のスポーツならともかく、バスケはあまりにも駆との思い出を連想させるから、なんだかんだ理由をつけて断ってたんだけど…。

「じゃ、ほんとわかんないけど、行ってみようかな。」

「ほんと!やった!他の誰も行かないっていうか、行く子は行くけど、うちの高校の応援に行くって子ばっかりだったから、私、またぼっちで見るハメになるかと心配してたんだよね!」

 それはそうだろう。普通は自分の高校のチームを応援するもんね。

 その日の放課後、私は、しとしとと降る雨の中、傘をさして駅までゆっくりと歩く。今までは、「駆を思い出して、つらい」と思ってたけど、太郎が出てきて、駆の思い出が遠くなってくると、今度は駆につながるものが恋しくなってきた。

 太郎じゃなくて、駆の笑顔を思い出したい。ひとりであの緑の河川敷のコートの中で、シュートを決めて、ドヤ顔で笑ってた、駆を思い出したい。バスケの試合を見たら、駆の笑顔、思い出せるかな?

 金曜日は、ちょっと曇り空で、雨は降っていなかった。ひたすらに蒸し暑くて、いまにも降りそうではあったけれど。授業が終わって、家に帰ろうとしていたら、後ろから天野くんの声がした。

「うん、この角度が、一番君の可愛らしさを引き出せるね。ちょっと顎を引いてみようか。……そうそう、その顎に小指を添えてね、うん、綺麗だ。」

 まーたやってるよ。私がちらりとそちらの方に目をやると、今度は一年生の女の子だった。最近、天野くんは下の学年の子にも人気らしい。モデルに事欠かないのに、なんでまた、私の絵を毎週描こうとするんだろう、意味が分からない。私は天野くんの背中に向かって、心の中で毒づいて、急いで教室を出た。

 雨が降るまでに帰ろう、と思っていたのに、途中で降りだした。あまりにも急で強い雨だったので、近くの雑貨屋のテントの下で雨宿りする。困ったなあ。駅からも学校からも、ここからだとどっちつかずだ。私は空を見上げてため息をつく。ロッカーの中に、折り畳み傘を入れていたのに、置いてきたのが悔やまれる。かといって、取りに行くには中途半端だし、少し雨足が弱まったら、急いで走って帰ろう。

 空をじっと見つめていたら、紺色の大きな傘が目に入った。

「すごい雨だね、梅雨の雨っていうより、真夏の夕立みたいだ。」

 紺色の傘の下に、眼鏡をかけた、見慣れた顔が目に入る。物理のクラスで一緒の、梅崎くんだった。

「こんにちは、望月さん。」

「こんにちは。」

 私も仕方なく挨拶を返す。繊細そうな顔だちの梅崎くんは、うらやましいぐらいに物理ができる。その頭脳を分けてほしいぐらいだ。

「いくら傘持ってても、跳ね返りがすごすぎて、今は歩く気がしないな。僕も、望月さんと一緒に、ちょっと雨宿りしていよう。」

 ひとりごとのように、梅崎くんはそう言って、傘を閉じて私と肩を並べた。困ったなあ。何を話せばいいんだろう、こういう時って。私は話題に困る。私と梅崎くんの共通点って、物理ぐらいしかないよね。

「梅崎くんは、物理得意でうらやましいよ、私、かなり苦手なんだよね。」

「あー。」

 梅崎くんは下を向いて照れくさそうに笑った。

「テストでも、難しくて、一生懸命公式を当てはめて考えるんだけど、かなりその時によって、点数にばらつきが出るんだよね。」

「わからないことがあれば、先生に聞けばいいのに。」

「実は、物理の先生、ちょっと苦手で…。」

 私はため息をつく。

「ちゃんとわかってる五人ぐらいの生徒だけを対象に授業してる、って感じで、なんか質問しにくい。」

「……物理はさ、公式の丸暗記ではなんともならないと思うよ。原理や理論を、きちんと読んで、理解しないと。」

「そうなのか、そこが曖昧なうちに、公式だけ丸覚えして、どんどん次の単元に進んでるっていうのが、間違いなのかな。」

「物理はたくさん数字が出てくるから、そういうのに囚われがちだけど、実は、一番大事なのは、そこの理論をちゃんと理解してるかどうか、なんだよね。」

「そっか。」

「だから、たくさん問題集をやることよりも、まずは、わかりやすい理論の本とかを、しっかり読みこむところから始めたらいいんじゃないかな。」

「なるほど。」

 そんなことを話しているうちに、少し雨が弱くなってきた。

「行こうか、駅まで一緒に。傘に入りなよ。」

「……ありがとう。」

 ここで断るのも不自然なので、梅崎くんの厚意に甘えて、大きな紺色の傘に入れてもらうことになった。男の子との相合傘なんて初めてだから、実はけっこう緊張している。まあ、傘の中の会話は、パルス波がどうとか、ホイヘンスの原理とか、非常に色気のない内容なんだけど。

 駅に着いたので、梅崎くんに丁寧にお礼を言う。

「別にいいよ、ついでだし。それより、望月さんの駅ってどこ?」

「私は鷺の森」

「ああ、大きい公園のある駅だ。」

「そうそう。あの公園、緑が多くて好きなのよね、私。」

 まあ、そこで、天野くんを拾うと言う大失態も犯してしまったけれども。

「結構遠くから通ってきてるんだね。」

「そうかな?」

「うん、僕も路線は一緒だけど、うちの駅からは、だいぶ先だ、きみの駅。」

「そうなんだ。」

 そうか、路線も一緒なのか。じゃあ、電車も一緒に乗るって流れだよね、これ。ちょっと気詰まりな時間が伸びるな、と思うが、顔には出せない。梅崎くんは、鞄から傘用のビニール袋を出して、丁寧に傘を巻いて収めた。そんな几帳面なところが、彼らしいな、と思う。

 同じホームで、電車を待つ。

「同じ路線なのに、意外と電車で出会ったことないね。」

「そうだね。」

「結構遅くまで残ってるんだね、梅崎くん。部活やってるの?」

「いや、わからないことがあったら、その日のうちに解決したいから、だいたいあのぐらいの時間まで、数学の先生とか化学の先生に質問しに行ったりしてる。」

「そっか、すごいね、努力家だ。見習わなくちゃ。」

「それほどでもないよ。」

 梅崎くんはあっさりと言う。

「わからないことがあったら、その日のうちに解決しないと、気になってしまう性格なんだよね、僕。」

「いや、立派だよ。私、先生に質問する、っていうのがどうも億劫で、あとで自分で復習しよう、と思って、復習の時間には、なにがわからなかったのか忘れちゃって、そのまま、みたいなことも結構あって。」

「そっか、なかなか効率が悪そうだね、それ。」

 梅崎くんに笑われてしまう。電車が来たので、一緒に乗る。急な雨のせいか、服を濡らしてる人も多くて、電車の中は一段と湿気が多い気がする。扉の近くに私たちは並んで立つ。

「……今度さ、初心者向けのわかりやすい物理の参考書、貸してあげるよ。」

「そっか、ありがとう。」

 私はお礼を言う。

「あ、ちょっと、これ持ってて。」

「あ、うん。」

 ビニール袋に包まれた、梅崎くんの傘を渡されるので、私はそれを言われるがまま腕にかける。梅崎くんは、鞄を開けて、なにかごそごそ探り始めた。と思ったら、電車が駅に停まって、梅崎くんは、唐突にそこで降りてしまった。

「ここが僕の駅、じゃあね、望月さん。」

「あ…傘。」

 梅崎くんの傘を差し出そうとすると、梅崎くんはにっこりと笑って、

「いいよ、貸してあげる。」

 と言った。

「でもそれじゃ…。」

 と言いかけたところで、電車の扉が閉まった。私はちょっと呆然とする。電車を見送るでもなく、梅崎くんはさっさと背を向けて、ホームの階段の方に向かっている姿が、ちらっと見えた。……まだ、雨降ってるよね。濡れて風邪ひくんじゃないかな、梅崎くん。そう思ったけど、もう私にはどうしようもなかった。

 駅に着くと、先ほどの土砂降りほどではないけど、また少し雨足が強くなっていた。私はため息をついて、梅崎くんの傘を袋から出して差す。梅崎くんの家、駅から近いのかな?ひどく濡れてないかな?と心配だけど、連絡先も知らないし、様子の知りようもない。

 そして、この様子も、きっと太郎はどこかで見てるんだろうな、なんて言うだろう。そう思いながら、私はマンションまで帰った。


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