助かりました! Ⅸ
金色の三角耳と尻尾を生やした小動物のような少女は、まるで背中に備えた四枚の小さな羽根で飛んでいるかのように軽やかなステップを幾度と刻む。猛り狂った巨体から受けた一撃のダメージが癒えてるわけもなく、体中に鈍い痛みが走り、各所の筋肉が悲鳴を上げ続けているが、それと反比例するかのように不思議と体は軽く感じた。自分の事を友人として迎えてくれた最愛の人物を守るため、自分を信じて託してくれた人物との約束を守るため、ユウナは地面を思いっきり蹴とばし大きな跳躍を行った。
目指す丸太のように太い右腕がみるみると近づいてくる。この至近距離では強打を放たれる可能性が低いとはいえ相手は未知の魔族種。どこでどのような攻撃が繰り出されるか分からないという恐怖の中でもユウナはただ一心に飛んでいた。彼女の瞳に映るのは優しく微笑むシエルの姿、そしてボロボロになりながらも必死に戦うアネットの姿。――仲間を守りたい。
ユウナが魔族種の眼前の宙を舞っている最中、巨大の左腕が薙ぎ払うような形でプラチナブロンドの髪をはためかせる少女へと襲い掛かる。しかし、ユウナは体を仰け反らせることでそれをギリギリ回避し、そのまま空中で前転を決め、そのまま魔族種の左腕を器用に足場として利用しさらに飛距離を伸ばした。
目標である右腕はすぐ目の前となり、ユウナは麻痺薬の入った小瓶のコルクキャップへと手を伸ばす。
このままの勢いで右腕に着地し、すぐさま傷口へ薬を流し込む一連の動作を頭の中でイメージする。空を薙ぎ払ったばかりの左腕は勢いのまま最も遠い位置まで流されているため、すぐに反撃を受けることはないだろう。右腕もちょうど着地しやすいよう位置である前方斜め下に突き出されたまま動く気配はない。順調な成り行きにユウナが成功を確信した直後、魔族種が威圧的な一声をあげた。
『ッガッッ!』
そして、まるで道端の小石でも蹴るような動作で右足を小さく踏み鳴らした。すると、見覚えのある光景が浮かび上がる。
「――うそみゃっ!?」
はらりはらりと魔族種を覆うように発光する紫色の光のい数々。これは先ほどアネットが不意に吹き飛ばされた時に漂っていた光の残滓と同色のもの……つまり魔法が発動される合図。そのことにユウナが気づいた時にはもうすでに遅かった。
何かを砕いたような鈍い音が下方から轟き、それと同時に魔族種の目の前の地面にだけ幾重にも枝分かれした巨大な亀裂が生み出された。そしてユウナがちょうどその亀裂の真上に飛び込んだ瞬間、ひび割れた隙間から大小様々な土砂達が重力に逆らって一気に上方に向かって噴出された。空中で小瓶を握りしめたユウナ目掛けて土石流の柱が聳え立ったのである。
巻き上がる砂柱を構成する物は砂や小石がほとんどとはいえ、それらが束になれば驚異的な威力となる。そして圧倒的な質量が直撃すれば華奢な少女などはひとたまりもない。当然のようにユウナは、土石柱に成されるがまま、元いた位置よりも更に二メートル程高い中空にまで突き上げられてしまう。咄嗟の出来事と襲い来る衝撃、そして鈍い痛みの中で医魔師の少女は右手を僅かに動かす程度が精いっぱいであった。
ユウナが更に一メートル程の高さまで突き上げられた時点で魔法の効力が切れたのか、地面に延び広がっていた亀裂と土砂の柱はスッと消えていった。下からの衝撃から解放されたユウナであったが、追い打ちをかけるかのように続いて彼女に襲い掛かるのは重力という抗えない自然の力。最高位点に達したユウナの体は、重力に導かれてそのまま自由落下へと移る。
アネットの秘策のために時間を稼ぐはずが、ユウナはあえなく討ちにあってしまった。即効性の麻痺薬を魔族種の傷口に流し込むことに失敗したらこの作戦自体が全てダメになってしまう。ひいてはここにいる全員が巨体の餌食になてしまうことを意味する。全てが負の方向にむかっている流れの中で、落下を続けるユウナの瞳のはまだ力強い灯火が輝いていた。
五メートル近い高さから落下していた少女に地面がすぐそこまで迫りくる。しかし、ユウナは受け身を取ろうとはせず、代わりに小さく一言だけ呟いた。
「レイス」
ユウナの右手人差し指に青白い小さな光が現れたかと思うと、すぐさまその光は指先を離れて直線的な軌道でスッと飛んでいく。指先から放たれた光はまっすぐ飛んでいき、物体に触れた瞬間に小さな衝撃とともに弾けるという魔法で、その威力はせいぜいデコピン程度。これはセンスティアの住人なら誰でも使えるほど初歩的なものであり、当たればちょっと痛いぐらいでお世辞にも攻撃魔法とは呼べないものである。しかし、ユウナの狙いはこの魔法で目の前の魔族種にダメージを与えることではなかった。
ユウナの指が伸びる先、つまり光を纏った魔法が射出された方向は魔族種の左腕よりやや上の位置。決して速くはないが、一途にまっすぐな軌跡を描いて飛翔する。
「お願いみゃ」
渾身の一撃を放ったユウナは受け身の態勢をとることも忘れてただ一点を見つめ続ける。自身が放った初歩魔法の先……あと一秒もすればその魔法が通過するであろう射線――そこに現れた小さな小瓶を。
次の瞬間、魔法の光は射線上に落下してきた小瓶と衝突し、ピンという小さい音が鳴った後、ガラスが割れる時特有の破砕音が続いた。
いくつかの細かい破片とともに小瓶内に収められていた透明の液体が重力に引かれ落ちる。粘度が高いため、それらは空中で飛散することなく、まるでひとつの塊であるかのように纏まっていた。そして約一秒後、麻痺薬の塊が着地したのは真下に位置していた魔族種の左肘よりやや上方。ユウナがつけた傷口よりも僅かに上へズレてしまった。しかし、巨体が両腕を下げたことにより、無色透明の液体は重力に導かれながらゆっくりと腕の道を下方へ伝い、そして開かれた一文字の傷口へたどり着くとみるみる体内へ飲み込まれていった。
ユウナは先ほどの魔族種から土石柱の魔法を受けて吹き飛ばされた瞬間、襲い来る痛みに必死で耐えながら右手を動かして、握っていた麻痺薬入りの小瓶を上方へと投げていた。あの状況下で正確な狙いなどつけれるはずもなく、本当に適当に投げ上げただけ。一縷の望みに掛けて……。そしてその賭けでユウナは奇跡的に勝ちを拾ったのだ。小瓶はちょうど都合の良い軌道を描きながら落下していった。欲を言えば、深手を負った魔族種の右腕上であって欲しかったが、この状況を考えれば傷が浅く麻痺薬の効き始めが若干遅い左腕でも大戦果といえるだろう。
一連の流れを自由落下の最中に横目でチラリと確認したユウナは重力に引かれながら、無防備に背中から地面へと叩き付けられた。
「みゃ……」
痛みから漏れる悲鳴も束の間、ユウナを踏みつぶそうと上空から魔族種の巨大な足底が迫っていた。それを倒れた姿勢のままくるくると横に数回転がることで回避した全身泥だらけの少女は、痛みに耐えながらもどこか満足げな表情を浮かべている。そしてその少女が見つめるのは真紅の髪を後方で一本に結った騎士の少女であった。
「うちは自分の役目を果たしたみゃ! だから、次はあんたよ!」
渓谷に射し光る夕日に照らされながらアネットは静かに頷いた。うっすらとオレンジが移るその顔は騎士特有の凛とした美しさがある。
「あぁ、あとは私に任せてくれ」
銀鎧の鉄靴をガチャリと踏み鳴らし、一歩二歩と魔族種へと歩み寄ったアネットの右手には愛剣がしっかりと握られている。神に匹敵する力が宿るといわれる神装に部類される紅刃剣クロエラ。その名のとおり、攻撃的且つ闘争的にな印象を与える真紅に染め上げられた剣身と、鍔部から柄頭まで伸びる翼を模ったシルエットで覆われたグリップが特徴的なロングソードである。まるで業火を思わせるような紅い剣であるが、それがいま文字通り炎が燃え盛っているように深い紅色で可視性のオーラを纏っていた。
「クロエラが神装たる所以をみせてやろう」
メラメラとクロエラに宿るオーラはだんだんと成長していき、やがてそれがブレードの倍近い幅まで増大したとき、紅の騎士は右手で握った柄を顔の右斜め上方に持っていき、剣先が左方の地面すれすれの位置に来る独特の構えを取った。中腹部あたりで剣身に触れないようにそっと添えられた左手に嵌められたガントレットがクロエラに纏う紅のオーラを映しこんで反射させ、神秘的な絵面になっている。
半歩下げた左脚が地面の砂の上を僅かに滑りジャリという小さな音が鳴った。そんな微かな音に反応したかのように魔族種は小刻みに顔を揺らし、やがて目の前で剣を構えた少女を捉えると、威嚇のつもりなのか大きく一度咆哮を荒げ、そして赤黒い瞳で睨み付けた。
敵の威嚇を受けてもアネットは微動だにせず、ただひたすらに剣先を後方に下げた構えを取り続けていた。そしてクロエラを纏う真紅のオーラはまだ増加し続け、解き放たれる瞬間をいまかいまかと待ちわびているようである。
アネットが放つ敵意と蓄え続けるオーラを脅威と判断したらしい魔族種はさらに一声の雄たけびを飛ばした後、地鳴りを立てながら前傾姿勢で吶喊を敢行し始めた。ユウナが決死に放った麻痺毒は浅い傷口に入ったためか、まだ完全には行きわたっていない様子である。多少動きが鈍くなっているとはいえ、一歩一歩踏み込むごとに軽く地面が抉れる様をみると相当な気合であることが分かる。
「――はっ!」
巨体を揺らす魔族種との距離がわずか五メートルを切ったのとほぼ同時にアネットが小さく気合を漏らした。その直後、クロエラを纏っていたオーラが更なる真紅を発光し、その大きさも最大限まで広がる。そしてその紅炎のオーラがアネットの全身すらも包み込んだ。
「――紅の……騎士っ!?」
紅蓮の業火を纏ったアネットのあまりの美しさにシエルは息をのむ。普段から男気ある凛々しさが際立つ女性ではあったが、今のアネットの姿はまた別格である。彼女の心の内を彩ったような焼け付く紅いオーラは守護の騎士としての本質を表しているような、そんな力強さがひしひしと現れていた。
「ユウナ。シエルのいるところまで下がるんだ」
「わかったみゃ」
大きく体を揺さぶりながら迫る魔族種の瞳に紅色に燃える騎士の姿が映ったのとほぼ同時に、巨体から力任せの右ストレートが放たれた。それを左方への軽いステップで回避するが、すぐさま魔族種の足元に魔法陣が現れ、岩壁の一部の大きな塊が弾丸のようにアネットへと襲い来る。しかし、アネットは冷静な様子で紅いオーラを纏ったクロエラで降りかかる脅威を一刀両断し破砕した。それが不愉快極まりなかったらしい魔族種は続けざまに魔法を使用し、壁やら地面やら手あたり次第に魔力を込めた岩塊の射出繰り返すが、漏れなくアネットの華麗な剣捌きによって撃ち落とされた。
魔法を用いた攻撃がいよいよ無駄であると悟ったらしい魔族種は再び物理攻撃に転換し、右の拳を荒々しくぶつけにかかる。アネットはそれを避けることはせず、代わりにクロエラのブレード側面で受け、体のバネによって衝撃をギリギリ相殺すると、そのまま気合の一斉とともに全力で巨体を押し返した。
アネットの反撃によって魔族種の強靭な肉体に当然ダメージはない。しかし、弾かれる力によって巨体は三歩、四歩とよろめく様に後退を余儀なくされた。猛る魔族種はすぐさま更なる攻撃手に出ようと体制を立て直すが、悲鳴にも似た叫びと共にその場で片膝をついてしまった。必死で動こうとしているのに動けない。体の自由が奪われてしまった様子である。
「やっと効いてきたみたいみゃ」
アネットの指示でシエルの隣へと避難していたユウナが安堵するかのように呟いた。
こんばんわ、作者の村崎 芹夏です。
えっと・・・はい。すみません。代行神は実に半年ぶりの更新になりますorz
最近ホント執筆が進んでいなくてですね・・・というのも春くらいから新しい趣味を始めまして、休日はそちらに時間を使うことが多くなりまして・・・
それでも執筆のアイディアは色々と浮かんできちゃうもので・・・書きたいものは多いのに時間が全然足らないという状況です。
一日が40時間くらいあればいいのに!
というわけでただでさえ遅筆な私が更に遅い更新になってしまって本当に申し訳ありません。ただ、前から言ってますようにどれだけ遅くなっても基本的には執筆は継続していくつもりですので気長に待っていただければと思います。
それでは今回も読んでくださった方々、ありがとうございました。
また次回更新した際にはよろしくお願いします。