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鴻門の会③

 鴻門の会が始まった。

 高毅は張良について、項羽が陣を張る鴻門へ足を運んだ。

 項羽の幕舎には劉邦と張良だけが通された。高毅も二人について幕舎に入ったが、誰も気がつかない。

 劉邦は幕舎に足を踏み入れると、項羽の前まで小走りで走って行き、床に頭をすりつけるようにして言った。「項王は河北で、臣は河南で戦いました。思いがけず、私の方が先に関中に入っただけで、関中王になろうとしているなどと言いふらす輩がいると聞き及びます。全ては項王のためにやったことです。その証拠に阿房宮は封鎖し、都での兵の略奪を諫め、項王の下知に従うために、手を付けずにおきました。小人の讒言によって、お互いの関係にヒビが入っていることが残念でなりません」

 高毅はため息をついた。面従腹背。劉邦はそういうことが平気で出来る男だ。

 項羽は頬杖をつきながら退屈そうに劉邦の弁明を聞いていた。項羽は竹を割ったような性格だ。目の前に這いつくばり、許しを請う人間を引き立てて斬り捨てるようなことが出来なかった。昨夜の項伯の説得を聞いて、既に劉邦を誅殺する気は失せていた。

「劉邦は必ず将来の禍根となります。謀反人として、この機に始末してしまうのです」と范増は言うが、こんな貧相な中年男が若く逞しい自分の強敵となるとは思えなかった。

 宴会が始まった。

 項羽と項伯が東に向いて座り、范増が南向きに、劉邦は北向きに、張良は西向きにそれぞれ座った。

 宴会の途中、范増は中座して項荘を呼びに行った。

 高毅が告げるまでもなく、張良は気づいたようだ。

(いよいよだ。ここからが正念場だ)と張良は項伯に目配せした。幕舎に到着すると、項伯を捕まえ、范増が項荘に命じて、剣舞の最中に劉邦を襲うように命じていることを伝えた。

「私が何とかしましょう」と項伯は請け負ってくれた。

 項荘が宴席に現れ、「お二人の和解を祝って剣舞をご覧に入れましょう」と言うと、項羽が「良いだろう。荘よ。舞って見せよ」と喜んだ。

 宴席の中央で項荘が舞い始めると、「舞の相手がいなくては、剣舞は興覚めよ。私が相手をつとめよう」と項伯がすっくと立ち上がると、剣を取って、項荘の正面に出た。

 高毅も固唾を飲んで二人の演武を見守った。

 項荘が劉邦に近づくと、項伯がそれを遮る。項荘は隙を伺うが、項伯は華麗に舞い、隙を与えない。見事だ。技量は項伯が一段、上だろう。

 緊迫した剣舞が続いた。

 こんな状況は何時までも続かない。項荘が焦って劉邦に襲い掛からないとも限らない。

(危険な兆候だ)と高毅は訝しんだ。

 すると、張良が宴席を中座した。そして、樊噲を呼んだ。

「沛公の一大事だ。暴発する時が来た。樊噲、死ね。ここで沛公に為に死んでみせろ!」

 一見、優男の張良だが、血は煮えたぎるように熱い任侠の徒だ。

「おう! 見事に死んでみせようぞ」

 樊噲は髪を逆立て、護衛の兵士を盾ではじき飛ばしながら宴席に突入した。

 その勢いに高毅は声を出して驚いたが、その声は誰にも聞こえない。

 座に緊張が走る。

「戦勝の振る舞いを頂戴しに参りました~!」と樊噲は仁王立ちになると項羽をにらみつけた。その凄まじい迫力に剣舞は中止となった。

「壮士、壮士。沛公のもとにも、おぬしのような壮士がいたのか」

 樊噲を見て、項羽は手を打って喜んだ。項羽はそういう男だ。

 樊噲の豪傑ぶりに感心し、大きな盃に酒をなみなみと注いで渡した。すると樊噲はそれを一気に飲み干した。そして、「酒の肴に」と豚の生肩肉を盾に乗せると、剣で肉を切り刻んで平らげた。

「面白い男だ」と項羽はもう一杯、酒を勧めた。

 項羽の杯を受け、樊噲が言った。「死すら恐くないのに、酒を断る理由などありません。沛公は先に咸陽に入りましたが、宝物の略奪もせず、覇上に軍をとどめ、将軍の到着を待っていました。関に兵を派遣したのも、盗賊に備えるためです。恩賞を賜って然るべきなのに、讒言を信じて誅殺しようなど、秦王の振舞と同じではありませんか」

 樊噲の乱入により、場が乱れた隙に劉邦は幕舎を抜け出して、自陣へと逃げ出していた。逃げ足の速さにかけては、劉邦の右に出るものはいない。

 張良は樊噲と共に陣に残った。

「沛公と共に逃げなさい」と高毅は忠告したが、幽境にない張良に声は届かない。

 張良は、「沛公が酒に酔ってしまい、項王に無礼を働いてしまいそうなので、先に帰しました」と項羽に謝罪し、劉邦から預かったものですと、玉斗を渡すと、悠然と鴻門を後にした。

 その胆力に高毅は改めて感服した。

 劉邦が去ったことを知った范増は「こんな小僧と一緒では、天下を取ることなど出来ぬわ!」と激怒し、贈り物の玉斗を剣で砕いたという。

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