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やり直しの終わりに  作者: カンヌワルト
第2章1995年
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わたしの手の中にあったもの

美咲視点です。

 山の空気は、少しだけ冷たかった。昼のはずなのに、光はやわらかく弱い。木々が重なって、空を細く切り取っている。


 その隙間から落ちてくる陽は、細い線みたいに揺れていた。足元の土は湿っていて、踏み出すたびに、じわりと沈む。靴の裏に、まとわりつく。それでも、止まらない。

「……咲」

 呼ぶ。

 声は、すぐに木々に吸い込まれて消えた。

 返事はない。

 それでも、呼ぶ。

 何度でも。

 名前を。


 奥へ、進む。

 枝が腕に触れ髪に絡む。

 白いブラウスに、土がつく。

 気にしない。

 気にしていられない。


 ただ、探す、どこにいるのかも、わからないのに。それでも、足は迷わなかった。

 まるで、誰かに導かれているみたいに。


 ふと胸の奥で、何かが揺れる。

 言葉じゃない、音でもない。

 確かに感じる。


 ——ここにいるよ、と言われた気がした。

 足が止まる。

 視線が、自然と落ちる。

 地面、そこだけ、わずかに違う。

 土の色、盛り上がり方。

 ほんの少しの違和感。


 でも、目が離せなかった。

 近づきしゃがみ込む。

 手を伸ばす。

 土に触れる。

 やわらかい。

 新しい。

(……ちがう)

 すぐに、否定する。


 そんなはずはない。

 でも手は止まらない。

 少しだけ、掘る。

 爪の間に土が入り込む。


 呼吸が浅くなる。

 胸が苦しい。

 そして、指先に触れる。

 布のやわらかい感触。

 震える手で、土を払う。

 色が現れる。


 ——薄い、ピンク。

 時間が、止まる。

 そこにあったのは。

 咲のワンピースだった。

 最近、買ってあげたばかりの。

 あの子が、うれしそうに回って見せてくれた服。


「かわいいでしょ?」

 笑っていた顔が、浮かぶ。

 あの光の中で。

 きらきらと揺れていた。

 その同じ色が。

 いまは。

 土の中にある。

「……ちがう」

 声が、震える。

「ちがう……」

 繰り返す。

 何度も。


 でも、現実は変わらない。

 手に取る。

 冷たく湿っている。

 重い、その重さが。

 すべてを、教えてしまう。

 膝から力が抜ける。

 その場に崩れる。

 息が、できない。

 視界が、揺れる。

 それでも頭の奥で、何かが繋がっていく。

 勇の言葉。

 あの違和感、あの視線。

 点だったものが、線になる。


「……うそ」

 小さく、呟く。

 そのとき、奥から音がした。

 土を掘る音。

 規則的な音。

 しゃく、しゃく、と。

 顔を上げ、立ち上がる。

 ワンピースを握りしめたまま。

 音のする方へ、歩く。

 木々の間を抜ける。

 視界が、開ける。

 そこに、ふたりいた。

 ひとりは勇。

 そして、もうひとり。

 同じ顔。

 同じ姿。

 同じ目。

 “もうひとりの勇”。

 その足元。

 掘り返された土。

 そこに、のぞくもの。

 ——髪。


 やわらかい色。

 見慣れているはずの、あの長さ。

 それだけで。

 すべて、わかってしまう。


 声が、出ない。

 時間が、止まる。

 ただ、理解だけが進む。

「……見つけたんです」

 気づけば、口にしていた。

「咲を!」


 勇が、何か言おうとする。

 でも、もう聞こえない。

 聞く必要もなかった。

 ワンピースを、強く握る。

 胸の奥が、静かになる。

 不思議なくらいに。

 もう、泣けなかった。


「……大丈夫です」

 自分でも驚くくらい、穏やかな声だった。

「ひとりに、しません」

 そう思った。

 ただ、それだけだった。


 後ろへ、一歩。

 崖の縁。

 風が強く吹く。

 髪が揺れる。


 ワンピースが、ひらりと広がる。

 あの子が笑っていたときみたいに。

 同じ色が、空に揺れる。

 勇の声が、聞こえる。


 何か叫んでいる。

 でも、もう遠い。

 すべてが、遠くなる。


「……ごめんなさい」

 それだけ、残す。

 そして、足を離す。


 身体が、軽くなる。

 風に包まれる。

 落ちていく。

 その瞬間思い出すのは。

 あの子の笑顔だった。

 光の中で、ただ、笑っていた。


 山は、静かだった。

 風が、木々を揺らす。

 それだけが、続く。

 変わらない何も。

 ただ、そこにあったものだけが。

 もう、どこにもなかった。

 それでも確かに。

 あのとき、あの場所で。

 わたしの手の中に、あった。


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