初めて勝つ夜
その日は、たまたまだった。
仕事帰り、同僚に誘われただけのこと。
断る理由もなく、なんとなくついていった。
「まあ一回くらいならいいだろ」
軽い気持ちだった。
店内は、音と光で満ちていた。
騒がしいはずなのに、どこか心地いい。
席に座る。
ルールもよくわからないまま、見よう見まねで始める。
数分後。
——揃った。
「え?」
思わず声が漏れる。
隣の男が笑う。
「兄ちゃん、やるじゃん」
意味もわからないまま、画面の数字が増えていく。
さっきまでの数千円が、あっという間に数万円に変わる。
胸の奥が、熱くなる。
こんな感覚、知らなかった。
仕事で褒められても、何も感じなかったのに。
給料日だって、ただの数字だったのに。
これは違う。
“自分で掴んだ”感覚。
帰り道、夜風がやけに気持ちよかった。
ポケットの中の紙幣が、重い。
「……これなら」
ふと、思う。
「もう少し、増やせるんじゃないか」
その一言が、すべての始まりだった。
店内は、静かだった。
深夜。
客はほとんどいない。
レジの向こうで、店員があくびをしている。
勇は、棚の前に立っていた。
手には、缶コーヒー。
喉が渇いているわけでもないのに、ただ持っている。
心臓の音が、やけに大きい。
——今なら、いける。
そんな声が、どこからか聞こえた気がした。
レジの横。
小さな金庫が半開きになっている。
さっき、店員が釣り銭を補充していた。
そのまま、閉め忘れている。
視線を感じる。
誰も見ていない。
でも、見られている気がする。
手が、動かない。
ここでやめれば、まだ戻れる。
そんな考えが、一瞬だけよぎる。
——でも。
(これで、取り返せる)
その言葉が、すべてを上書きした。
気づいたときには、手が伸びていた。
紙幣の感触。
乾いた音。
ポケットに押し込む。
何も言わずに、店を出る。
自動ドアが開く音が、やけに大きく感じた。
外に出た瞬間、足が震えた。
冷たい空気が肺に入る。
吐きそうになる。
「……っ」
壁に手をつく。
これでいいのか。
いや、よくない。
わかっている。
でも——
ポケットの中の感触が、それを否定する。
(これで、またやれる)
その夜、勇は初めて気づいた。
“やってはいけないこと”は、
一度越えてしまえば、思ったより簡単だということに。




