48.「隆椎」
「カナン! カナン!」
僕は、そんな呼び声で目を覚ました。
揺さぶられていた。
目を開くと、ティア、ミューズ、リリーが心配そうに僕を見下ろしていた。
「あ、カナン!
気が付いた! よかった!」
ミューズがホッとしたように言った。
「一体どうしたんだ?
何があった?」
ティアが訝しげに聞いてきた。
その言葉に、僕は先程まで起こっていたことを思い出した。
辺りを見回そうとして、僕の腹部に剣が突き刺さったままなのを見てしまった。
めまいがしそうになった。
夢ではなかったようだ。
おなかも痛かった。
僕が、恨めし気に刺さっている剣を見ると、ティアが抜いてくれようとしたので慌てて止めた。
今の自分のように、身体に何かが突き刺さっているような状態の場合、抜いたとたんに出血する場合がある。
止血の準備を整えてから抜いたほうがいい。
「ティア、僕の首の後ろを触ってくれないか?」
僕はティアにお願いし、うなじの部分を触診してもらった。
首の骨を触って確認してもらうつもりだった。
首の骨は全部で7つあり、頸椎と言う名前が付いている。
頸椎は上から順番に第1頸椎、第2頸椎と言う呼び方をする。
うなじを触ってもらうことで、第7頸椎の位置は確認できる。
背中に近い真ん中辺りに、一番、骨が出っ張っているところがある。
ここは、第7頸椎の棘突起と呼ばれる部分だ。
出っ張っているため、第7頸椎は、特別に隆椎と言う名前が付いている。
まずティアに、その部分を確認してもらう。
「出っ張っているところ、分かるよ」
「そこには首の骨があるんだけど、そこよりも、やや足側を中心に《パラライズ》を掛けてほしいんだ」
「《パラライズ》?
いいけど?
こんなところに掛けて、どうするんだ?
おなかに掛けなくていいのか?」
ティアは釈然としない面持ちで、それでも、ちゃんと《パラライズ》を掛けてくれた。
途端に、痛みがスッと消えた。
同時に、下半身は完全に動かなくなり、両手もほとんど動かなくなった。
息は、普通に出来そうだ。
成功だ。
動かせる範囲から判断すると、《パラライズ》は第6頸髄の辺りまで掛かったようだ。
首の骨の中には、脊柱管と呼ばれる穴が上下に走っている。
その中に、脊髄と呼ばれる神経が通っている。
そして、頸部の脊髄のことを頸髄と呼ぶ。
脊髄からは、身体の感覚を司ったり運動を司ったりする神経が、それぞれの頸椎のレベルで出ている。
そして、それぞれのレベルで機能が異なる。
例えば、先程話に出た第7頸椎から出る神経の根部を第7頸髄と言い、この第7頸髄は肘を伸ばす動きや手の指先の感覚を司っている。
《パラライズ》が神経を麻痺させる魔法であることは、今までのことから分かっていた。
第7頸髄に《パラライズ》を掛けると、そこより下の脊髄がすべて麻痺するのは、容易に予想できた。
腹部の感覚を司っているのは第4胸髄から第12胸髄ぐらいであるため、第7頸髄に《パラライズ》を掛ければ充分に鎮痛できるという寸法である。
この感じでは、背中の真ん中辺りに掛けてもらう感じでも充分かもしれない。
というのも、第4頸髄を麻痺させてしまうと呼吸が出来なくなってしまうので、そこの麻痺は避ける必要があり、足側で良いのであればなるべく足側で掛けた方が良い。
ティアが以前に言っていた、首より上に《パラライズ》を掛けると死んでしまう、というのも、ここらへんに起因する。
痛みが治まった僕は、今までのことを話した。
ゲオルグと名乗る騎士団長が、恐らく今回の首謀者らしいこと。
僕やリックや孤児院の子供たちは、ここまで一緒に逃げてきたこと。
ここで、ゲオルグに待ち伏せされて、僕が剣で刺されたこと。
リックが見たこともない魔法を使ったこと。
その時、僕は、恐らく迷走神経反射を起こしてしまったのだ。
迷走神経反射とは、ストレス、強い疼痛、排泄などによる刺激が迷走神経を介して、脳幹血管運動中枢を刺激し、心拍数の低下や血管拡張による血圧低下などをきたす生理的反応のことだ。
状況によっては過剰に起こってしまう場合があり、失神の原因となる。
迷走神経反射で失神したのは初めてであったが、一過性で意識が元に戻ったことを考えると、恐らくこれだったのだろう。
人によっては、注射の針を刺すだけでも起きる。
「情けない話だけど、僕は気絶してしまったんだ。
だから、その後、何がどうなったのかは分からないけど……」
「あたしたちがここに来たときは、カナンとグレンしかいなかったよ」
ティアが言った。
僕が刺されてからどれほどの時間が経ったのかは分からないが、騎士団の面々はいなかったようだ。
それどころか、孤児院の子供たちの姿もない。
つまり、地面に倒れていた者以外は、皆、消えてしまったことになる。
グレンは、ミューズたちに治してもらったのか、傷一つない。
「ロックブール支部長は、極端な原理主義者なんだ。
暗黒教団とか、異世界とか、そう言うのは存在するだけで悪と考えているフシがある。
そんな人間の耳にカナンの情報を入れてしまった私のせいで、こんなことに」
ミューズは、がっくりと項垂れて言った。
僕は、気休めの言葉を掛けてやりたかったが、言葉がうまく出なかった。
「カナン、大丈夫?
青白い顔、してるよ?」
リリーが心配そうに覗きこんでくる。
大丈夫だと言いたいところであったが、そうでもないようだった。
なんだか、やっぱり意識が遠くなってきている気がする。
心拍も早くなっている気がする。
刺されたために、出血でもしているのかもしれない。
「大丈夫か、カナン?
剣を抜いて《ヒール》を掛けようか?」
ミューズも心配そうに言った。
僕は、そうしてもらおうかとも思ったが、嫌な予感がして止めた。
意を決して言う。
「これから、ちょっと大がかりな治療をしたいと思う。
皆、手伝ってくれ!」




