セクハラ男神と低スぺ非モテ弱男と命の勝者【18.2k】
梅雨前の温かくなってきた季節。
東北地方の山間部の田舎町にて、里山と奥山の境界に設置された熊用の箱罠に遠隔監視用IoTセンサの設置工事をしている俺は。
低学歴、低収入、低身長の3低揃った低スぺ非モテ弱男。37歳 独身。
非モテの原因は、まるで呪われているかのような不運だ。
陸上選手を目指していた高校時代。インターハイ出場当日に選手送迎バスに撥ねられ瀕死の重傷。一命を取り留めたが、左膝が人工関節になり生涯走れない身体に。
治療とリハビリで半年以上の入院生活。留年確定の状況下で選手が無理ならコーチを目指そうなどと考えたが、数百万の治療費という現実を前に再び夢は断たれた。
高卒で零細物流会社に入社。常に人手不足がひどい会社で、勤続12年目で役職者への昇進に誘われた時に断ったら、あっさり倒産して無職に。
不況のご時世、低学歴の障碍持ち30代の再就職は厳しい。
日雇いや短期バイトで日銭を稼ぎながら生活費の安い田舎町へと流れて、今は山での仕事を引き受ける個人事業主として細々と生計を立てている。
高卒低学歴と自営業低収入という非モテ要素に165cmの低身長が加わり、3低要素コンプリートで完璧低スぺ非モテ弱男だ。
そんな俺の今の仕事は土木や林業や狩猟業のような専門職種ではなく、その隙間を埋めるような雑用。
自治体からの仕事の二次三次の下請けだが、害獣の罠の監視、盛土斜面の観察、鉱さい集積場下流の採水分析など仕事は結構ある。
賃金は高めだが、山の仕事は危険を伴う。
軽トラで入れるのは途中まで。車を降りたら足場の悪い斜面。そして、マムシ、ヤマカガシ、シマヘビ、マダニ、ヤマビル、スズメバチ、毒毛虫、毒草等の山の洗礼が待っている。
だからこそ安全装備は重要だ。長袖長ズボン作業服に白合羽に分厚いゴム長靴。正直暑いが安全には代えられれない。
このぐらい気を付けていても、危ないときは危ない。
マムシに噛まれた時は死ぬかと思った。谷から滑落してダム湖に落ちた時も死ぬかと思った。法面の崩落に巻き込まれて生き埋めになった時も死ぬかと思った。山での仕事はいつも命懸けだ。
………………
…………
……
箱罠へのセンサの取り付けは完了。
工場用の転用なので、クマに壊されないように独自の工夫を追加して設置した。
報告のために仕上がり状態の写真を撮影し、工具を片づけて撤収準備。
走れない俺は作業場所から軽トラまでの移動に時間がかかる。
街での仕事ではこれがハンデになったが、足場の悪い山中では走らない方が安全だ。だから俺にはこの仕事が向いている。
走れない現実をポジティブに受け入れつつも、気持ち的には撤収を急ぎたい。
箱罠が設置されているだけにこの周辺はツキノワグマが出る。
俺の作業予定に合わせて猟友会が箱罠から餌を外しているが、それで来なくなる保証はない。
遭遇してしまったら走れようが走れまいがアウトだ。
いや、走る背中を見るとクマは興奮するから、走れない俺のほうが生存率が高いかもしれない。
やめよう。その発想が既に現実逃避だ。
さっさと帰ろう。
「イヤァァァァァァァァァ!」
斜面上側から女の悲鳴。
声のする方を見ると、大きなリュックを背負ったアスリート姿の女がスゴイ勢いで駆け下りてくる。
そして、その後ろには大型のツキノワグマ。
「クマ相手に背中見せて走るんじゃねぇぇぇ! このおバカァァァァ!」
…………
「あー、危なかったぁ……。助けていただきありがとうございます」
「危ないのは現在進行形だ。全然助かってないぞ」
駆け下りてきた女と一緒に箱罠の中に逃げ込んで扉を閉めた。
人間の男女二人が箱罠に入り、外からクマが見ている残念な光景。
「えーっと、私、山口マカミと申します。先月東京から引っ越してきたんですが、ここは家賃も安いし自然も豊かでいい場所ですねー」
「都会モンかよ。自然が豊かなだけにちゃんと考えて行動しないと絶体絶命な状況になるんだぞ。そんな恰好で山奥まで何しに来たんだ」
奥山にショートタイツとレーシングシングレット姿で入る時点で意味不明だ。ウェアは型落ちだけど選定がガチだからまさかクマと勝負しに来たのか? いくらレーシングシューズ履いても人間がクマに勝てるわけないだろ。
平然と最悪級の自殺行為をするとは。都会モンの行動は恐ろしい。
「走るためとはいえ格好がイタい自覚はあるのであんまり見ないでくださいー。ピザ宅配のバイトですよー。山の上の別荘の方が常連さんで、宅配バイクで山道走ると振動で傷むから途中から走って届けてるんですー。あ、ちゃんと上着は持ち歩いてますよー」
「そのでかいリュックの中身はピザか。クマが居る山の中を今まで何度もピザ背負って走ったのか。ここから生還出来たらその仕事をすぐに辞めろ」
クマがリュックをガン見してる。女を追いかけていた狙いはそれか。
今までどうやって無事に配達していたのか分からないが、店と注文主両方に猟友会同伴で厳重にクレーム入れてやる。
「同棲相手にご飯を貰えずアラサーリリースされちゃったし、私は托卵で産まれた婚外子で頼れる親類も居ないから、働かないとご飯食べられないんです。注文のピザとチキンナゲットとフライドチキンとフライドポテトが冷めちゃうとクレームになるので早く届けたいのですが、このクマなんとかなりませんかねぇ」
「生還できたら俺がご飯やるから、今すぐその仕事やめようか」
クマがリュックの匂いを箱罠の外側から嗅いでいる。
獲物への執着心が強いクマの事だ。匂いの元は既に自分の獲物と認識しているだろう。持ち去ろうとしたら間違いなく殺される。注文主に届ける手段はもう無いんだよ。
「えー。イイんですかぁー。私33歳の行き遅れですよぉー。ここは携帯圏外だけど電波届く場所まで行ったら本当に退職連絡しちゃいますよー。ちなみにアナタは独身ですよね。年齢いくつですかぁ? そして本業は何ですかぁー?」
「助かった後で好きにしろ。生還祝いに2人で豪華な物食べよう。生きて帰れたらな。俺は37歳独身だ。個人事業主として下請けで猟友会の手伝いや鉱さい集積場周辺の環境調査とか法面防災調査とかの山仕事をしてる」
なんなんだこの女。
閉じ込められた箱罠の中でお見合いパーティのノリはやめてくれ。
クマが鼻息荒くして箱罠を揺さぶるけど、こわいからやめてくれ。
会社員をしていた20代。婚活には散々トラウマを植え付けられた。
残業や休日出勤が多くて自然な出会いの機会は無い。年収が低いと結婚相談所にも入会できない。やっとの思いで作った時間とお金でお見合いパーティに参加したけど散々だった。
女ってのは本当にこわい。話しかけては来るけど、プロフィール見たとたんに豹変する。年収低いと知るや明らかに不機嫌になったり、舌打ちしたり、その年収で何でこんなところに来るのかと詰問して来たり、相手するだけ時間の無駄だから消えろと罵倒してきたり。
高年収のイケメンに群がり必死でタカろうとする強欲さと浅ましさを遠目で見て結婚願望は爆散。低スぺ非モテ弱男として独身余生を歩むと決めた。
まぁそれはどうでもいい。
檻の外にも中にも厄介者しか居ないけど、今はとにかく生還する方法だけを考えよう。
「山仕事イイですねぇー。これからはブルーカラーの時代ですよー。先週のニュース見ましたぁ? 外資系ITコンサル会社がマッチポンプがバレて経営陣が海外にバックレて会社壊滅だって。まぁ、私を捨てた元カレの勤め先なんですがねー。ライフプランどうなるのかなー。ふふふのふー」
遠い目をして黒いオーラを出す女がこわい。
涎を出しながら生暖かい息を吐くクマもこわい。
本当に中から外からも絶体絶命だよ。
そして、元カレは知らんがニュースは最近あった珍事件の話だな。
中国系のITコンサル会社が本国のハッカー集団と結託していたことが判明。日本企業にサイバー攻撃を仕掛けて被害を出した後でセキュリティのコンサルティングの営業をして荒稼ぎをしていたとか。
内情バレた直後に中国人経営者が会社の金を根こそぎ持って本国へ逃亡。残された日本法人の社員は給料未払いのうえに顧客対応と警察の取り調べのため離職もできず、社員名簿が流出してるから業界内での再就職は絶望的とか。
まぁ今時マッチポンプ的な商売は珍しくない。山にだってそういう奴は居る。危険な法面を崩れるまで放置して、派手に崩れてから復旧工事を受注するとかな。そのうち大変な事になりそうな気もするが。
「まるでざまぁ系小説のテンプレみたいな転落劇だ。不道徳な商売に関わるもんじゃないな」
女が目を輝かせて俺を見てきた。
何故かクマも俺の方を向いた。
「ざまぁ系小説いいですねぇ! 私作家目指してるからいっそ書いちゃおうかな。同棲していたアラサー女を生活費折半できないからって捨てたハイスぺ男のボッコボッコ転落劇とかー。事実は小説よりも奇なりって言いますしー」
「そうだな。生還出来たら書いたらいいんじゃないか。ルックスと年収で男を選んでご飯も貰えず捨てられた残念女の話とかも対で書いてみても……」
女が俺を睨んできた。ヤバイ。怒らせたか?
クマも唸り声をあげてきた。
本当に中からも外からも地獄だよ。
「いやむしろ、クマに檻に入れられてる今こそ奇だからな。コレをネタにしたら面白い物書けるんじゃないか? 応援してやるぞ。生還出来たらな」
「ありがとう。頑張って書いてみる!」
子供みたいに喜んだ。コイツ30代だよな。
檻に閉じ込められた状態で初対面の男にヤバい生い立ちや元カレや創作趣味の話をするとか痛い女だ。
でも、都会モンであることを考えたら発想が読めてきたぞ。
「えーっと、山口さんだっけ? 創作の参考として説明するけど。このクマ、ツキノワグマっていうんだ。この種の中ではわりと大型で100kgぐらいかな。こんなに近くで見るのは初めてだよね」
「へーっ。これがツキノワグマなんですね。クマって大きいイメージあったけど、意外と小さいんですねぇ。大型犬を二回り大きくしたぐらい? 近くで見ると可愛いかも。もしかして飼えちゃったりしますか?」
そんなわけあるか。この都会モンが!
「まぁ、飼えると思うなら触ってみたらいいんじゃないかな」
「そうね。 ホレお手」
女が箱罠の隙間から手を出してクマに向ける。
そしてがクマ大人しくその上に手を置く。
女の表情が途端に強張って顔が青ざめる。
「キャァァァァァァァァァァァァァァ!」
絶叫しながらクマと反対側の檻の隅に逃げた。
やっぱりなー。
この女、全力で現実逃避してたんだなー。
「無理無理無理無理無理! コレ犬チガウ! こんな怪物飼えない!」
分かるよ。
俺も猟友会との仕事で亡骸を触らせてもらった時に同じ事思った。
鋭い爪、硬い筋肉、太い骨。感触から伝わる圧倒的な力の密度。
カワイイという次元の相手じゃない事を本能的に理解させられる。
変な女も現実を把握したことだし、俺も生還に向けての行動を開始しよう。
「落ち着け。大人しく待っていればじきに猟友会が助けに来る」
この状況における唯一の生命線は、俺がさっき取り付けた箱罠用IoTセンサ。箱罠の扉を閉めた時に検知スイッチは作動したから、この箱罠に何かが入った事は通報が行っているはずだ。
「あのセンサからの通報ですか? でもここは圏外ですよ?」
センサに気付いていたのか。なかなか目ざとい女だな。
だが、素人だ。携帯電話とは違うんだよ。携帯電話とは。
「LPWAのLTE-M回線だからな。携帯電話の4Gよりも電波は飛ぶ。携帯圏外でも通報はできるんだよ」
「確かに多少は良く飛びますが限界あります。ここは窪地で電波の陰になりますし、無線機の設置位置が低すぎます。それに、罠の鉄骨にアンテナ内蔵の本体密着させて、金属製のカバーまでつけちゃって……。アレじゃここからの通信は無理ですよ」
えっ?
「山口さん電波系の仕事してたの?」
「まぁ、前職で老舗の無線機器メーカーで10年程働いていまして。ベテランのおじいちゃん技術者の皆さんにいろいろ教わりました」
意外だ。いや、電波系女と考えると意外でもないか。
「一応、取扱説明書通りには付けたはずなんだがな……」
「街中で使う分には問題ないんですけどねぇ。山中みたいに起伏が激しくて電波が弱い場所で使うには一工夫必要なんですよ。その点前の会社はベテランさんが多数在籍してて、場所や用途にあわせたきめ細かい対応ができてたんですが、4Gの規格統合とIoTブームによる安価な海外製品の台頭でコスト競争に負けて会社潰れちゃいました」
なるほど……。
いや、納得している場合じゃない。
クマがリュックを見て涎を流している。そろそろ我慢の限界か?
「……どうすれば電波届くかな」
「東側に130mぐらい斜面上れば電波が届く場所があるから、檻から出てアンテナをそこに持っていけば届きます」
いや、クマ居るのに無理だろ。
詰んだなー。呪われてるんじゃないかと思うぐらい何度も死にかけたけど。流石に今回が最後か……。
「3低で非モテな生涯だったが。最後に女と一緒になれるなら悪くないかもな……」
「現実逃避しないでください。一緒になれるにしてもこんな場所ではイヤですよ。何考えてるんですか?」
オマエが何考えてるんだ。
クマもポカーンとした表情で見てるぞ。
女が狭い箱罠の中でリュックを降ろして、小さい箱を出してきた。
「何だこの箱は? ピザの箱じゃないよな」
「コレは【豊玉姫認定 自業自得で絶体絶命を感じた時に開けると生命進化の理を語る存在の下で失った時間と尊厳を取り戻して適地にて確実な未来と繁栄をもたらすかもしれない玉手箱】です。神っているアイテムには間違いないので、開けると助かるかもしれません。だからコレ開けてください」
なんだその怪しいアイテムは。
「自分で開ければいいじゃないか。何故俺に開けさせる」
「えーっと、玉手箱ですからね。開けたらおばあちゃんにされそうなので自分で開けたくないです」
この女、イイ性格してる……。
「分かったよ。既にオッサンな俺ならジジイになったところで大して変わらん」
膝の上に載せて、封をしてある紐を外す。
クマは箱罠の外から箱を興味深そうに見ている。
女は箱罠の隅に退避して背中を向けて小さくなってる。
本当にイイ性格してる。
思い切って箱を開ける。
Kaboom!
…………
『おい。起きるべあ』
なんか野太い声が聞こえて、目が覚める。
全身が痛いが、少しずつ周りが見えるようになってきた。
相変わらず場所は山中の箱罠の中。女も箱罠の隅に転がってる。
「あの箱。爆弾だったのか……。またひどい目に遭ってしまった」
せっかく意識飛ばしたんだから病院の集中治療室とかに運ばれていたかったけど、現実逃避しても仕方ない。
『早く起きるべあ。あんまり時間が無いべあ』
「あっ。すみません。猟友会の方で……。クマァァァァァァァ!」
声のする方を向いたら、さっきのツキノワグマ。
『獣としては本州最強のツキノワグマべあ』
イントネーションが東北弁じゃないから語尾のべあは熊をかけてるんだな。恐怖と笑いと不条理が最悪にバランスしていてもうお手上げだ。普通に喋るしかないぜコンチクショウ。
「まぁ、ツキノワグマですね。北海道のヒグマには勝てない自覚はあるんですね。それで、時間がないと仰ってましたが、クマの方が人語を喋ってまで何の用事でしょうか」
意味不明だけど、言葉が通じるなら生還チャンス!
『頼みがあるべあ』
「何でしょうか。俺にできる事なら何なりと」
生還を賭けた交渉だ。
『ピザ食べたいべあ』
「ダメだ ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
クマがものすごい勢いで箱罠を叩きだした。
ネコパンチ並みの高速ながらも、1撃1撃で轟音と共に鉄骨が歪んでいく超威力。ヒグマ対応の箱罠のはずなのに、網目の溶接部が千切れていく! ヤバイ!
「わかった! わかりました! ピザ出します!」
『言葉が通じるからって話が通じると思うのは甘えべあ』
クマが真理を語り出したよ。真理クマだよ。
そうだよな。人間だって言葉が通じても話が通じない奴は普通に居るもんな。
仕事でもあるあるだよ。傾斜やクラックで法面に崩落予兆出てるって報告しても、水源ダム湖の水質で有害重金属濃度が継続的に上がっていると報告しても、管理会社の連中は許容範囲内だとか経過観察だとか言って話が通じねぇ。
異常対応の予算が厳しいのは分かるけど、そんな場所に何度も調査に行かされる身にもなってくれと。
人間同士でもこれだから、クマ相手に対話が通じるわけないよな。
野生のクマに餌付けはダメ行動だが、この際仕方ない。
女のリュックからピザとチキンナゲットとフライドチキンとフライドポテトを出す。10人前ぐらいの量だ。注文主は山奥の別荘でホームパーティでもしてるのか?
『全部寄越すべあ』
「分かってますよ。どうやって食べます?」
クマが口を開けたので、箱罠の隙間から手を出してピザを口に入れてやった。
「口の中随分荒れていますよ。それでこんなむつこい刺激物ドカ食いしたら、虫歯になっても口内炎になっても知りませんよ」
獣医じゃないから健康なクマの口内環境なんて知らないが、あんまり健康体ではなさそうだ。
でも、美味しそうに黙々と食べるからまぁいい。
後の事を考えると気が重いけど、それは今は考えるまい。
大人しく食べている姿はクマでも可愛く見える。
でも、ここでチキンナゲット1個でもつまみ食いしようものなら、突如逆上して襲い掛かって来る。それがクマの習性だ。
…………
クマは黙々と完食した。
空き容器も欲しがったので、全部箱罠の隙間からクマの方に出した。
箱や袋に残っているチーズとか油とかを夢中で舐めている。
ちょっと手持ち無沙汰になったので、箱罠の隅に転がっている女を観察。
薄目開けて鼻水と涎を垂らしてイビキをかいて寝ているとんでもない女。美人と言えるかは微妙だが、黙ってさえいれば普通の女だ。
背丈は俺と同じぐらいだから女としては大柄さんだ。ショートタイツでくっきりと見えるラインは見事なアスリート体型。山の中を猛スピードで走るだけの事はある。
「見事に太い脚だな」
極太の大腿部と膝下の適度な細さ。かつて陸上選手を目指していた俺からすると、このバランスはすばらしい。【女は胸でもなく尻でもなく脚である】という名言があるが、それを体現する機能美の美脚だ。
太腿触って筋肉量を確認してみたいが、それはさすがに痴漢行為だからやめておこう。俺は低スぺ非モテ弱男だけど紳士だ。
その代わり、カオスな状況に巻き込んでくれた腹いせに寝顔をスマホで撮影。
「最近のスマホのカメラはすごいな。鼻毛まで写ってて笑える」
容器を気が済むまで舐めたのか、クマがこっち向いた。
『何してるか知らないが、怒らせるような事ならやめるべあ』
「バレなきゃ大丈夫だろ」
『その女は大口真神の化身べあ。怒らせたら山に入れなくなるべあ』
なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!
「軽装で奥山に入って無傷だったりクマから走って逃げたりと人外ムーブかましてたけど、チートな存在だったのか!」
『オオカミの姿をした山の神の化身だから山では無敵べあ。でも山から離れると呪いで犬系脳筋残念女になるべあ。犬気質で人懐こくて辛抱強い反面、一度怨みを抱いた相手は執拗に念入りに呪うから恐ろしいべあ』
コイツを捨てた元カレの転落劇って、まさかその呪いか?
恐ろしすぎるだろ。
とりあえず急いでスマホから写真を消す。
「冗談じゃない。いくら非モテでもそんな危ない女の近くに居られん。ここから出たら速攻で逃げる」
『ご飯をやる約束をすっぽかしたら呪われるべあ』
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!
「それだけで呪うとか、どこが辛抱強いんだ!」
『獣にとってご飯の怨みは絶対べあ。それに大口真神は嘘つきが嫌いべあ。でも義理堅い犬気質だからご飯をくれた相手は呪わないべあ』
そうか。オオカミだから獣と同列と考えれば扱いやすいのか。
「まずはファミレスで食事奢って安全確保だな。どうやってリリースするかはそれからゆっくり考えよう」
なんかクマよりこの女の方がこわくなってきた。
本当に檻の中からも外からも恐怖が迫ってるよ。
『リリースは勿体ないべあ。ご飯を与えて好かれたら山の加護が得られるべあ。山で災難には遭わなくなるし、獣だって道を空けるべあ。そもそも、よっぽどダメな事をしなければ怒らないべあ』
「それは……すごいな」
怒らせるようなことをしなければいいのか。
危険がいっぱいな山の仕事で散々な目に遭い続けてきた俺にとっては魅力的なお守りだ。
いやでも待てよ。
「この女のせいで今まさに災難な状況になっているのはどういうことだ?」
『山の神が山に帰ってきたことは喜ばしいけど、長年住む場所を間違えていたせいで困ったことになっているべあ』
このクマしれっと話を逸らしやがった。
さりげなく鋭い爪をこっち向けてるから、話にノッとけということか。
どいつもこいつもイイ性格してる。
「困ったことって、見る目無しだったせいでアラサーリリースされて行き遅れ33歳喪独女になったってことか?」
『非モテらしい言い回しが最低最悪だけどおおむね正解べあ』
正解なのか。
33歳見る目無し行き遅れ喪独女はクマ目線でも困ったこと扱いなのか。
『人間社会で散々な扱いを受けて怨嗟を溜めたべあ。このまま1人にしておくと、祟り神に進化してふもとの町に災いをもたらすべあ』
「喪女の怨嗟こわすぎだろ!」
山村の居住者は少ないけど、この山を源流とする川沿いには大都市がある。喪女の怨嗟でどんだけの被害が出るのか考えるだけで恐ろしい。
『そうならないためにも、オマエに頼みがあるべあ』
「まぁ、俺にできる事なら」
『この女と子供を儲けて欲しいべあ』
「クマじゃあるまいしこんな所でそんな事できるか!」
とんでもないことを言い出したよこの獣!
でもなんか、クマがうなだれて溜息をついた。
『いくら非モテでも日常で言葉を使う人間なら責任のある発言をするべあ。常識的に考えて子供を儲けるならまずは結婚べあ。言わないけどクマにだって手順はあるし場所は選ぶべあ。そのへん人間よりも厳しいべあ』
「ごめんなさい。檻の中で極太美脚の女と二人きりというハーレムを逆ハーレムで中和したようなライトノベル的極限状況で非モテのヲタ脳が暴走しました」
クマが座った姿勢で俺の方に向き直った。
なんかお腹周りの毛並みが随分荒れているな。
『そこに正座するべあ』
「はい」
俺、クマに説教されるのか?
『オマエは獣の繁殖行動をバカにしてるべあ。ハーレムも逆ハーレムもそれぞれの種が進化の過程で己の形質にあわせて生存戦略として確立したしたものべあ。非モテに笑われる筋合いは無いべあ。だいたい、ハーレムを逆ハーレムで中和したら一夫一妻べあ。そこにどんな萌え要素があるべあ』
「ごめんなさい。交際歴ナシの低スぺ非モテ弱男なのでハーレムや逆ハーレムが趣向から外れるから仕方ないんです。特にハーレムとか怨嗟が湧きます」
俺、クマに本当に説教されてるよ。
『女を行き遅れ呼ばわりする男が交際歴ナシとか、もうヒトとして痛すぎるべあ』
ひどい事言われた! クマにひどい事言われたよ!
「クマと違って人間の女は見る目無しゆえに、高収入高身長イケメンしか人間扱いしないであります。そして奴等は男にタカる事しか考えてない強欲であります。低学歴低身長低収入の3低コンプリートな俺が交際歴ナシなのは、女が欠陥品なせいであって仕方ない事なのでありますです」
『確かに人間の女は欠陥品べあ』
うわっ。クマがまたひどい事言い出した。
『直立二足歩行と胎生の両立は無謀べあ。なのに胎児がでかいとか、骨盤小さいのに無理しすぎべあ』
無謀扱いされても生物として一応成立してますが。
骨盤小さいと言われて女の方を見る。
立派な太腿の付け根には、これまた強そうな大殿筋。
「人間の骨盤小さい言いますが、この女は尻もでかいであります!」
『配置が無謀べあ。四足歩行なら股関節と別軸で大きい産道を配置できるべあ。でも直立すると股関節の間にしか産道置けないべあ。骨盤で上半身支えるから強度確保するために産道広くできないし、そもそも立ったら赤子が落ちるべあ』
コーチ目指してた頃にバイオメカニクスの勉強したことあるから興味深いな。
四足歩行の獣は内臓や子宮を背骨から筋肉で吊っているけど、人間の場合は骨盤の上に載せている。股関節の間隔を広げすぎると歩きにくいから骨盤の幅はあんまり大きくできない。
それに加えて、直立歩行のためには前後方向のバランスが必要だから、産道は前にも後ろにもずらせず小さい骨盤の股関節の間という一番狭い場所にしか置けない。
「言われてみると確かに。配置レベルでかなりの欠陥構造、と言うより極限設計だな。でも、お前達クマも似たような形してないか?」
『直立したとき産道から内臓が落ちないように骨盤の筋肉で支える構造は同じべあ。だからその筋肉を通して出産するのが難しくて小さい赤子しか産めないべあ』
そういえばそうだ。クマは成獣はでかいのに出生時体重は人間の1割ぐらいとすごく小さい。構造的な必然性はあったんだな。
「そう考えると、人間の出産ってどうやってるんだろうな」
『無茶苦茶やってるべあ。内臓支えてる厚い筋肉を無理矢理広げて骨盤まで変形させて産道ギリギリのでかい胎児を通すべあ。一発で体内ズタボロになるべあ。下手したら死ぬべあ』
出産が命懸けって人間目線だと常識だけど、獣目線で見ると無茶苦茶なんだ。
『でかく産まれても子供は未熟状態で動けないべあ。母親も出産後は動けなくなるくせに食い溜めも冬眠もできないべあ。外敵が来なくても餓死するべあ。こんな欠陥動物どう考えても生存できないと思ったべあ』
「いやもう、いつの時代を生きたどういう次元の存在目線なのか聞くのはやめときますが、母子が動けないなら父親がご飯を届ければいいだけでは?」
クマがポカーンとした。
『そうべあ……。人間は俺達にできないことを成し遂げて、欠陥を克服したべあ』
クマにしてみればコレ意外なのか?
『直立二足歩行で自由になった前足で女にご飯を運んだべあ。これが、人間固有の器用な両腕の起源べあ』
えっ? 人間の両腕ってそのために進化したの?
『女に届けるご飯が足りなくなると人間の男は狂暴化して無茶苦茶やったべあ。オオカミみたいな爪も牙も無いくせに、肉を目当てに俺達に襲い掛かってきたべあ』
なにそれこわい。
『人間なんて前足一撃で殺せるべあ。でも、どれだけ殺しても執拗に襲ってきたべあ。言葉を発達させて集団行動を洗練し、器用な両腕で道具を何度も改良して、最終的に俺達はご飯にされて女達に届けられたべあ。これが人類の文明の起源べあ』
なにその超理論。
『個体としての強さを求めて進化した俺達は本州最強の獣べあ。人間みたいな欠陥持ちの弱者は敵じゃないべあ。だけど、メスに餌を渡せない俺達は、女にご飯を与える人間に負けたべあ』
無茶苦茶な理屈だけど、クマ目線だと人類の文明ってこう見えるのか。
でもまぁ、そんなに間違ってないのかな。
「えーっと……。じゃぁ、女が高収入な男を求めたり男に対してやたら強欲なのはそういう進化の歴史の名残でしょうか」
『収入が何なのかはわからないけど、女はご飯をくれる男を選ぶべあ』
「じゃぁ、俺がモテるためには、ご飯を与えればいいのでしょうか」
『モテる方法を獣に聞く自分の言動をまずは恥じるべあ』
辛辣クマだ! こいつは辛辣クマだよ!
「収入はお金でご飯を買う力なんですね。クマにはお金が何なのか分からないと思うけど、お金持ってない低スぺ非モテ弱男はお見合いパーティでゴミ扱いでござる。ご飯ぐらい奢るのに相手にされないから出会いが絶望的でござる!」
『お金は分かるべあ。あれは人間達が女にご飯を届けるために作ったルールべあ』
クマってる経済学キタァァァァァァ!
かなり極論だけど、女が子供を産めないと文明も社会も滅ぶから、お金や経済の仕組みを作った目的もそこに集約されるのか。
だとしたら、絶望的な結論に至るんじゃないのか?
「結局お金が無いと低スぺ非モテ弱男なのか! 絶望した! クマっている経済学に絶望した!」
『めんどくさい男べあ。だから、お前のためにこの女を追い込んでやったべあ』
なんだと! このとんでもない状況はクマが狙ってやったのか!
「えーっと、檻の中でそう言われても、この痛いオバサンをどうしろと」
『お金が無いから低スぺ非モテとかズレた絶望する前に自分の言動を見直すべあ。弱男で交際歴も無いオマエは無自覚にとんでもないイタい事をしそうだから言っておくけど、相手も人間べあ。所有物にはならないべあ。人間の女性として尊重して扱うべあ』
うわぁ。俺、クマに人間を語られてるよ。
「人間の女性として尊重して扱うって、具体的にどうすればいいのでしょうか」
『ご飯を与えるべあ。特に初めての餌付けで欲しがるだけ与えるのが重要べあ。女は男からもらうご飯に命を預けるべあ。出産後にご飯が届かないと死ぬべあ。だから、ご飯をたくさん持っている男よりも、欲しがる時に惜しまず差し出す男を選ぶべあ』
えらく熱弁するけど、女ってそうなのか。
何かと男に奢らせたがる女の強欲さは、ご飯をくれる男が傍に居ないと子供を産んだ時に母子共に死んでしまう欠陥構造から来る切実な生存戦略だったのか。
『そろそろ時間べあ。場所を代わるべあ』
場所を代わるって、箱罠を開けろってことか? いやいやいや。
「えーっと、確かに箱罠の中には俺達ではなくクマが入るのが正しい配置ではありますが、それするとイロイロ問題あるので、大人しく山にお帰りになって頂けないでしょうか」
『マタギの下請けしてるなら仕事をするべあ。俺はピザを食べたべあ』
人間の食べ物の味を覚えたクマは食べ物を求めて人間を襲う。
だからそういうクマは殺処分をするしかない。
こいつ、それを知っててピザ食べたのか。
「共存できないものでしょうか……」
『これが共存べあ。さっさと場所を代わってマタギを呼ぶべあ。できないなら共存失敗でお前達が死ぬべあ』
殺したくない。でも、殺すしかない。
これがヒトとクマとの共存。
知識はあったけど、現実を目の当たりにすると、重い。
『俺は山を追われた老クマべあ。弱ったクマは山に帰る場所が無いべあ。身体の自由も利かなくなってきて走るたびに骨も痛いべあ。一度食べたいと思ってたピザも食べたべあ。天敵の居ない俺達を楽にできるのはマタギだけべあ』
コイツ老クマだったのか。
あのピザは最後の晩餐のつもりで食ったのか。
老衰で苦しんで野垂れ死ぬぐらいなら、一思いに殺処分されたいということか。
『俺達は女にご飯を届ける男の執念に負けて最強の座を人間に譲ったべあ。だけど、子孫を残して逝く事で勝者となる命の誇りは失ってないべあ。早くマタギを呼んで、俺が誇り高い命の勝者となるところを見届けるべあ』
子孫を残すことで命の勝者となる。
これが獣の生死観なのか。
「正直、別れが惜しい」
職業柄顔見知りは多いけど、ここまでオモシロイ奴はそう居ない。
でも、引き留められないことは分かる。
『この山には子供達がいるべあ。あっちの川のこっち側で、穴から出た棒が空飛んでる向こうが俺のお気に入りの場所べあ。道路が残ってないから人間が入るのは難しいけど、この女と一緒に行けば俺の子供達に会えるべあ』
クマの地理感結構すごい。
ダム湖に繋がる川沿いで高速道路橋とトンネルの上流で道路が残っていない場所か。だいたい特定できる。あのあたりがこいつの元の住処なのか。
『大口真神の化身は獣の魂を人として産み出す力があるべあ。お前が生命の理に従い男の役目を果たせた暁には、別の形でまた逢えるべあ』
「それは、俺とこの女の子供としてお前が転生するってことか?」
なんてファンタスティックな。
『クマとして勝者になった先に、人間として生きる事を夢見ていたべあ』
「男同士の約束と言えればカッコイイんだがな。夢を叶えてやりたい思いはあるが、俺は低スぺ非モテ弱男だから確約はできないぞ」
『俺達に約束の概念は無いべあ。それに、子供は親の願望で儲ける物じゃないべあ。ちゃんと責任が取れる形で頼むべあ』
「分かった」
『それに、俺はメスべあ』
「そうなのか」
俺は、覚悟を決めて箱罠の扉を開けた。
女を引っ張り出して場所を交代しようとした時に問題が発生。
「すまん。この女重すぎて俺だけじゃ運べない。手伝ってくれ」
膝に人工関節を入れている俺は力仕事ができないんだ。
…………
山に銃声が轟き、クマは旅立った。
箱罠に付けたIoTセンサを斜面上に運んだことで、猟友会が信号を受信。
軽トラ3台で急行してきたハンター5名と立会人1名が速やかに殺処分を実施。
クマは箱罠の中に堂々と座り、至近距離からの銃弾を頭部に受け入れた。
そして、無事旅立ったことを知らせるかのように、仰向けに倒れた。
俺は安全距離まで離れた場所から命の勝者の姿を見届けた。
ちなみにこういう時の俺の仕事は離れた場所からの安全確認。
トランシーバーと双眼鏡を渡されて、斜面上の見晴らしのいい場所から他のクマの接近を警戒している。
他のクマの接近を確認したらハンター達は作業を中断して軽トラで退避する手筈だが、そのクマが俺の方に来た場合はどうするんだと言うのは聞かない。
下請けの扱いなんてこんなもんだ。
あの女はクマと場所を交代した後に目を覚ました。
そして、空になったリュックを見て慌てて何処かに走っていった。
ハンター達に運び出されるクマの亡骸を遠目で見ながら考える。
あのクマの遺言。
骨が痛いと言っていた。
それに、口内や毛並みが荒れて爪も一部割れていた。
あれは老化というより、重金属中毒の症状に似ている。
この山にはかつて多くの金属鉱山があった。
閉山した後も有害重金属を含んだ鉱山残渣は残っており、幾つかの集積場にて厳重に管理している。俺の仕事の一部はその周辺の環境モニタリングだ。
あのクマがお気に入りと言っていた周辺には集積場は無い。でも、最近の水質調査で重金属濃度が上昇している観測点の上流だ。
もし未確認の汚染源があったとしたらクマの子供達が危ない。いや、あの地点から流れる水は下流都市の水源ダムに直結しているから、都市全体が危ない。
可能性だけで管理会社に報告しても相手にされないだろうから、まずは調査だ。
しかし、地形も険くクマが居るなら容易には近づけない。
あの女の力を借りれば行けるのかもしれんが……。
「いや、本当にどうしたものかな……」
『悩める若者よ。この伊邪那岐命が道を示してやろう』
背後から突如男の声が聞こえたので振り向いたら、ボロボロになったアロハシャツを着て、真っ黒に日焼けした大男が立っていた。
「えーっと。どちら様でしょうか。あと、俺は若くないですが」
『国生みの神である儂と比べれば子供同然よ。さては、女の事で悩んでおるな。この神に相談してみるが良い。セクハラ無しで導いてやろうぞ』
セクハラ無しと言われると余計にセクハラの神様に見える。セクハラ男神だ。
「まぁ、女の扱いについての悩みではありますね」
『女の扱いは重要ぞ。命を賭して子を産む女に対し全てを捧げる心を持ってこそ男は大人となれる。如何なる理由があろうとも己の快楽のために女を蔑ろにしてはならぬ。結婚した男が趣味やプライベートを妻より優先してしまったなら、神であろうと成層圏で真空紫外線に焼かれるのだ』
昭和臭いオッサン語りだな。でもそういうの嫌いじゃないぜ。
もしかしてこの日焼けは成層圏で真空紫外線を浴びたせいなのか?
セクハラでもして奥さんに叱られたのか? この神様に相談して大丈夫かな?
「まぁ、結婚という話では無いんですね。出会った女に仕事を手伝って欲しいのですが、若いころ参加したお見合いパーティで女性に散々な扱いされた経験より女が苦手でして。どうしたものかと」
女ってのは、低スぺ男を容赦なくゴミ扱いするんだよなぁ……。
『よく考えろ若造。お見合いパーティなぞ見る目無しの売れ残りばかりが集まる場所ぞ。そこだけ見て女に絶望するのは、ゴミ箱を漁りながらゴミしかないと嘆くようなものだ。そんなゴミの事は忘れろ』
「神様! 言い方! 言い方!」
女を蔑ろにするなと言いながらこの発言。大丈夫かこの神様?
でも例えは分かりやすい。男をゴミ扱いする女はそもそもゴミなのか。
『まぁ、妻は一人居ればいいのだ。一人だけでいいのだ。一人だけでもうたくさんなのだ。男の役割を理解して生きれば釣り合う相手と巡り合えるものだ』
言い方の端々に既婚者っぽいトゲを感じる。
奥さんに聞かれたらと思うとちょっと心配だ。
「まぁ、食事に誘っている所ではあります。でもかなりのチート属性持ちなので一般人の俺とスペックの釣り合いが取れないから、仕事はできてもその先は難しいかなとも思っていまして」
『相手がチート持ちなら釣り合うだろう。気付いておらぬのかもしれんが、お主は大国主命の加護を受けた真性のチート持ちだ』
えっ? なにそれこわい。
「俺にはチート級の神の加護があったんですか? 呪われているかのような人生歩んできましたが」
『加護を呪いに変えたのはお主の所業ぞ。国造りの王の加護だからな。困難から逃げると呪われるのだ。今までの人生で心当たりは無いか?』
心当たりはある。
俺の不運の起点となったインターハイ会場でのあの事故だ。
相手のバスは父兄のボランティアの形を取った違法な白バス運行だった。相手の自動車保険が使えなかったため、治療費の請求には訴訟が必要になった。
その際、事態を表沙汰にしたくない大会や学校関係者から有形無形の圧力を受けた。若い選手達の晴れ舞台を訴訟で汚すなと誹謗中傷まで受けた。
そんな圧力に屈して、俺は安価な示談で事故処理を終えた。
俺はあの時、戦うことから逃げたんだ。
俺が逃げたことで同様の事故は全国で起き続けた。
その度に子供が大人達の無思慮の犠牲になった。
もしあの時俺が、国が再発防止に動くまで徹底的に戦っていればと、今でも後悔している。
『困難から逃げる王は民を不幸にする。そのジンクスを受け継いだお主も、困難から逃げると多くの人を不幸にする。お主は逃げてはならんのだ』
「恐ろしい呪いですね」
『呪いと加護は表裏一体ぞ。困難と戦う道を選ぶならチート級の加護が付く。それに、不死身の加護は標準装備ぞ。どう戦ってもそう簡単に死にはせん』
「確かに。普通なら死んでると言われたことはたくさんあります」
今まで逃げてばかりで、後悔ばかりで、戦ったことはなかった。
考え方を変えて、困難と戦う生き方も悪くないかもしれない。
あの女が一緒なら山での戦いは負ける気がしない。
『チート持ち同士で釣り合いは取れるのだ。結婚を視野に入れてみてはどうだ? 容姿や風貌はそんなに気にならないものだぞ』
「結婚を考えるとなると収入が悩ましいですね。独り身ならどうとでもなりますが、妻子を養うなら仕事もちょっと考え直さないといけないかなと」
容姿という点ではアスリート体型の極太美脚は最高なんだな。
『確かに気概やチートだけでは社会生活はできんからな。世帯主としては需要な視点ぞ。でも腹は決まっておるのだろう。一押しする何かが欲しいなら神頼みでもしてみるか?』
「そうですね。伊邪那岐様。初穂料をお納めください」
【2千円札】
『よかろう。返礼としてこれを渡そう』
【天児屋命編集 困って無くてもフルに活用したい国と自治体の子育て支援徹底活用ガイド令和版 ※特別付録 行政を動かす秘密の人脈イケナイコネリスト令和版】
「これはまたえらく実用的な……。市役所の子育て支援課で無料配布してそうな資料ですね」
『まぁ本編の内容はほとんど同じだな。今の時代、行政の子育て支援は結構充実しておる。生活と居住地をよく考えれば低収入でも育児は可能ぞ』
「ありがとうございます。相手の事を考えると山間部から離れたくないので、行政のバックアップは心強いです。あと、この付録かなりガチですね」
『うむ。それは自信作だ。使い方は自由だが流出だけは気を付けてくれよ』
流出させなければ悪用はアリか。
流石は神様。お見通しか。
『あと、セクハラにはくれぐれも気を付けるのだぞ。お主の持つ不死身の加護は常人を越える生存力を与えるが、女を怒らせた場合はその限りではない。聞かれていない、見られていないという小さな気の緩みが命取りとなる』
女を怒らせさえしなければ、俺は死なないということか。
本当にチート級の加護なんだな。
「分かりました。気を付けます」
…………
実用性が神っているアイテムを授けてくれた神様は去っていった。
クマの処分は順調に進み、亡骸は軽トラの荷台に載った。
あと少しで作業終了。
あのクマの肉はおそらく汚染されているから、食用に適さないとハンター達に後で伝えよう。
双眼鏡で作業を見守っていたら、不意に後ろから腕ごと抱き締められた。
「宅配失敗して叱られちゃいました。ピザ分けてもらうの楽しみにしてたのに……」
あの女だ。注文主に所に謝りに行ってたのか。律儀だな。
「それで、ちゃんと仕事は辞めて来たのか?」
「職場に退職連絡しましたよ。私また無職になっちゃいました。貯金もほとんどありません。お腹空いたけど、ご飯くれるんですよね」
背丈が近いので耳元に囁くように女の声が聞こえる。
そして、背中に当たる二つの柔らかい感触と微かな甘い匂いが心地いい。
とんでもない事をする女だけど、カワイイ仕草もできるじゃないか。
女からも逃げ続けた低スぺ非モテ弱男の俺だが、逃げずに向き合ってみよう。
「ああ。街のファミレスにでも行って生還祝いだ」
抱き締める力が少し強くなり、身体が密着する。
そして、二つの膨らみ以外の場所。胸筋、腹筋、両腕から伝わる力の密度。
この女がカワイイという次元の相手じゃない事を知る。
なんかもうがっちり捕まって物理的に逃げられん!
「私は脚が太くて尻がでかくて重くて運べない女なので、お肉が食べたいです」
ぎゃぁぁぁぁぁぁ!
カワイイ声でおねだりしつつも、密着した筋肉からは怒りの感触が伝わる。
怒るよね。脚の太さは褒めたつもりだけど、女性なら普通に怒るよね。
危険を感じて、選手を目指していた頃に学んだ栄養学の知識が脳裏に蘇った。
口臭が甘くなるのは脂質代謝で発生するケトン体の影響。
まさかこの女、金欠で数日間ご飯抜いてるのか!
早急にご飯を与えないと俺が危ない。
たくさん肉が食べられる店だ!
「焼肉行こう! 男子大学生御用達の安い食べ放題の店がある。そこでガッツリ食おう!」
抱き締める力がゆっくりと確実に強くなっていく。
両腕が既に痛いし、肺が圧迫されて苦しくなってきた。
力を細かく制御できるということは、筋力に余力があるということだ。
全力で締められたらどうなるか。考えたくもない。
「私は行き遅れた33歳の痛いオバサンだから、年相応のお店がいいですねぇ」
さらなる命の危険を感じて、また一つ栄養学の知識を思い出した。
脂質代謝が始まるぐらい絶食したら、脳内でノルアドレナリンやコルチゾール等のストレスホルモンが分泌される。つまり狂暴化する。
そんな状況でピザ食べそびれてセクハラ発言されたらどうなるか。
それに、無断でピザをクマに与えたのは俺だ。
最高に美味い肉を差し出さないと俺が獲物として締められる!
「それならいい店を知ってるぞ! 街の中心部にある高級焼肉店! 上級官僚相手の秘密の接待にも使われる、イイ女を招くにふさわしい店だ!」
値段がアレな肉だけど、筋肉美脚の一部になるなら惜しくない!
「イイ女だなんてそんなぁ……。だったら、お酒もイイですかぁ? 見る目無しを返上したいので高級なお酒も飲んでみたいですぅ。あと、スマホで撮った写真は削除だけじゃ完全に消えないって知ってますぅ?」
あの店で高い酒を頼んだりしたら大変な事に!
でも盗撮までバレていたならここで出し惜しみしたら死ぬ奴だ。
いやむしろ好都合じゃないか。
ガッツリ怒らせちゃったけど、この女は犬気質だ。
空腹時に欲しがるだけご飯を与えれば好感度は上がるはず。
低スぺ非モテ弱男の俺が命の勝者に到達するまたとないチャンス!
この餌付けに俺の全てを賭ける!
………………
…………
……
金欠で3日食事を抜いていたマカミは高級焼肉店にて本気の食欲を発揮。ブランド牛を中心に9人前の肉をたいらげて高級酒のボトルを3本開けた。
請求額は男の全財産を爆散させる程に積み上がったが、スマートに清算したことで初めての餌付けを達成。神級チート持ち伴侶と山の加護を獲得した。
後日、マカミを連れてクマの元の居住地を調査したところ、川に隣接する法面から大量の鉱山残渣が露出している場所を発見。
崩落すれば100万人都市の水源池が重金属で汚染される危機的状況を見て、男は元請けをトバして秘密のコネで地区の国会議員に直訴。
事態を重視した議員は国を動かし緊急除染事業を立ち上げた。熊害リスク付き難工事故に大手ゼネコンが揃って入札を辞退するも、男は工事責任者として名乗りを上げ、街を守るために集結した地元土木事業者を率いて難工事を完遂したのはまた別の話。
街を救った英雄として男は山村の総代に任命され山の神社に定住。夫婦で住みながら子宝にも恵まれ、神社会報に掲載されるカオスな創作物を地元名物としながらも、一族で山と周辺都市の安全を末永く守り続けたとか。
めでたし。めでたし。
●オマケ解説●
ヒト固有の器用な両腕の発達秘話。
男は女にご飯を届けるために進化させ、女のご飯を集めるために強くなった。
女はご飯をくれる男を捕まえるために進化させ、ご飯をくれない男を絞め殺すために強くなった。
全ての始まりは、男が届けるご飯なしでは世代を越えられない女の欠陥構造。
デート時に割り勘を切り出す男に対して女が無意識に抱く殺意は、男が届けるご飯に命を預けて世代を重ねたご先祖様から届く警報です。
ボッコボッコにされたマカミの元カレ。
ITコンサルといってもインテリモヤシではない。『ゾス!』の世界で出世争いを戦い抜き、高年収を勝ち取った大柄コワモテ強者男性だった。
しかし、お金に苦労した両親の元で育ち、世代的に小学校から男女平等の教育を受けていたがために、マカミとの関係では割り勘と折半を徹底。マカミにご飯をご馳走したことは無かった。
原稿を破り捨ててボッコボッコにされた際、大柄男を神級腕力でシバいたことで現場の一室は壁奥のスタッドと床下の支持脚まで損傷。
惨状にブチキレた家主は弁護士に相談。通常の使用を超越した入居者を守る法令は存在せず、内装全交換級大工事と工事期間中の空室損害補償合わせて数百万の請求が発生。
同時に賃貸経営者間で共有される悪質入居者リストに登録されたことで、都内への居住は不可能に。
仕事も住居も貯蓄も失い、強者だった元カレは首都圏から敗走した。
女にご飯を与えない男は、強者になれても勝者にはなれないのである。
※ポイントクレクレ記述
クマが語る進化論と経済学がひどいと思ったマトモな社会人の方が居たら、【ひどい】の証として★1評価をブチこんでもらえると、作者はあのメスクマはオスから餌を貰うことに憧れてクマを拗らせましたとひどいネタばらしをしつつ、前世がアレじゃぁ人間の女性に生まれ変わっても喪女に育ちそうだなと心配します。
ひどい。ひどい。ひどいは最高の誉め言葉!
※かぐつち・くまナぱ(便乗期間限定w)様がステキなイラストをくださいました。
貯蓄は爆散したけど、神級伴侶を得たんだから最終的には勝ちでしょう。
男はここぞという時に出し渋ってはいけないのです。多分。




