第2話 期末公演『銀砂の王国』
幕が上がると、世界が一変した。
音楽に合わせてステップを踏み、舞姫達が全く異なる姿の舞を披露する。艶めかしく、あるいは力強く、優雅に、軽やかに。それぞれが競い合うような舞踏。そして、ひと際大きな音が鳴ると、一つの大きなうねりのようにピタリと姿が重なった。どよめいていた観客は息を呑んだ。
『銀砂の王国』。太陽の国と月の国の戦いを描いた物語。太陽の国が傲慢さ故に月の国を攻め滅ぼすも、自らの過ちに気づき、最後には主人公が滂沱の涙を流しながら力尽きるというのが主な筋書きだ。
明星高校演劇部のお家芸ともいえる演目なので、芹澤ミヤコも何回か見たことがある。だが、この劇の面白いところは毎回内容が変わるというところだ。オーソドックスな演劇から歌劇、人形劇まで。何なら結末すら変えてしまうので、見る度に発見がある。今回はどうやらミュージカルのようだ。
「月の光などくだらぬまやかし!あれは我らの光を盗む鏡だ!」
太陽の国の戦士が歌に乗せて高らかに演説する。客席から感嘆の声が上がる。
「す、すごい……」
信田リカも手を祈るように合わせて呟いた。
今回の主人公はいい声をしている。心の奥底まで響く声、あれはまさに煽動だ。
そして、物語は進んでいき、遂に戦争が始まった。
太陽の国が強大な力で月の国へと侵攻する。そして、戦士が命を賭して戦場を駆け月の女王を討った。だが、戦士は気づいた。血濡れの手。月への憎悪こそが作られたまやかし。自分が利用されていたということに。戦士は静かに、崩れ落ちた。
遂にクライマックス。
照明の銀が青白い月光のように舞台を照らす。それを操る照明卓の男子が、一瞬手を止めて、鋭く息を吐いたのをミヤコは聞いた。そして、甘く、切ない香りに包まれながら――月の姫が現れた。
月の姫が太陽の戦士にそっと近づいた。
そして彼女は透き通るような声で謳った。
「――私たちは貴方の光を映しているのではありません。
悲劇は、いつも神によってもたらされるのです。光が堕ちる。運命、なんてことは決してありえません」
その見事な歌声に、あるいは難解な台詞を咀嚼しようとしてだろうか。舞台が水を打ったように静かになった。
だが、演出というには不自然で長すぎる沈黙。いつまで経っても時間は止まったまま。台詞を言った月の姫も太陽の戦士も固まっている。客席も不審に思いざわめいた。なんだ?台詞が飛んだか?がんばれ……!がんばれー……!
「――神よ!何故このような試練をお与えになるのです!太陽の光だけではこの世界は焼けただれてしまう!月の光がなければ、人々は夜を越えられない!僕は取り返しのつかないことをしてしまった!」
戦士は思い出しように涙を流しながら告解した。客席からホッと胸を撫でおろす声が漏れた。
月の姫は黙っていた。ただ一歩近づいて、そっと戦士の額に触れた。
赦しでもなく、哀しみでもなく。ただ、そばに寄り添った。
太陽の戦士が静かに力尽きた。
そして、舞台に再び銀の光が降り注ぐ。夜明けを待つかのように鳥の声が微かに重なった。
――幕が下りた。
客席から余韻を抱きしめるかのような拍手がこぼれ出た。そして、カーテンコールが始まると同時に割れんばかりの拍手に変わっていく。
ミヤコはチラリとリカを盗み見ると、彼女は夢中で手を叩いていた。ミヤコは微笑んで舞台に視線を戻し、優雅に礼をする演者に賞賛の拍手を送った。
◇◇◇
「どうだった?面白かった?」
「はいっ!すごく面白かったです!」
部室に戻るなり、リカは堰を切ったように話し出した。
「ダンスと歌が全部よかったです!今も耳に残っていて……かっこよかったぁ……」
気づけば空はすっかり朱が差して、部室に茜色の影を落としていた。
「そうでしょー!演劇部が人気な理由わかるよねー。カフェオレ飲む?」
「あ、飲みます!それで、あたしとしては――」
その後も、ミヤコがアイスカフェオレを淹れている間もリカは楽しそうに感想を話し続けた。セミも涼しくなってきたからかようやく歌い出しているのが聞こえてきた。
「でも、姫様の最後の台詞、どういう意味だったのでしょうか?神が悲劇を起こすとかなんとか」
リカはソファの隅に腰かけて、カフェオレを啜りながら言った。
「あぁ、あれねぇ。私も何回か見てるけど、あの台詞は初めて聞いたなぁ。運命ではなく神が悪い~みたいな」
「神という存在自体があの場面で初めて明かされたので……正直唐突に思えましたね……」
「台詞間違えたのかもよ?変な間があったし」
「……それもそうですね。終わりよければ全て良し、です!」
その後も、芹澤ミヤコと信田リカは下校時刻になるまで感想を言い合った。ブラックコーヒーとカフェオレの香りに包まれて、穏やかな時間を過ごしながら今日の部活動を終えたのだった。
帰路に就いた芹澤ミヤコは思った。このまま何も起こらないまま夏休みになるんだろうなと。温めの夜風に寂しさを覚えていた。しかし、その推理は思いもよらない形で裏切られることになるのだが、この時のミヤコは知る由もなかった。
◇◇◇
翌日――
終礼を告げる鐘と同時に芹澤ミヤコは大きく伸びをした。ギャルコンビのアッコ&ナッチンと夏休みの計画を軽く話して、ミステリー研究会の部室に向かう。階段を上り、渡り廊下を抜けて、大道具の廊下の先へ。今日は文化祭の準備……の準備でもするか、と大股で歩いていると、部室の前で誰かがいた。脚の先から背筋までピンっと伸びた姿勢にショートボブの女学生。
「お?こんにちは!ミステリー研究会に何か御用ですか?」
振り向いた彼女と目があった。その眼には震えるような怒り。目の下にはくっきりとした隈を携えた抜き身のナイフのような少女だった。胸に紙束を抱えている。ミヤコは一瞬目を細めると、すぐに笑顔を作った。
「……あ、あなたが芹澤ミヤコさん……?」
「そうだよ~!私に何か用事?」
「依頼したいことがあります……犯人を見つけてください……!絶対にっ!」
少女は燃え上がるように髪を逆立てて目を剥いた。持っていた紙束がぐしゃりと折れ曲がる。そのまま叫び出しそうな雰囲気だ。今はとにかく場所を変えて、彼女を落ち着けないと。
「おっけー!じゃあ、中で話聞こうか!」
ミヤコはスッと少女の横を通り抜けると扉を開けた。よかった。幸いリカはまだ来てない。
「さ、入って入って!えーと、お名前は?」
「……佐伯シズカ。2年、演劇部です……」
「おぉ!演劇部!今『銀砂の王国』やってるよねぇ。私も昨日見に行ったよ~!どうぞ、そこに掛けて!」
佐伯シズカは何か言いたそうに眉を曇らせると、足取りもおぼつかない様子でフラフラとソファにかけた。ミヤコはその様子を見送るとクーラーを強めにかけて、扉に鍵を掛けた。そして、佐伯シズカのはす向かいに座り、単刀直入に切り出した。
「で、依頼っていうのは?何があったの?」
その瞬間、佐伯シズカはうめくように、腹の底から響くような声で言った。
「私の、台本が勝手に書き換えられましたっ……!私の芸術がぁ……穢された……!」
そのまま佐伯さんは嗚咽を上げて泣きだしてしまった。零れ落ちた涙が紙束の上に滴り落ちる。表紙には『二日目 銀砂の王国 脚本 佐伯シズカ』と描かれていた。ポタ……ポタ……という音と佐伯さんのしゃくりあげる声が、部室に響き渡った。ミヤコは黙ってその様子を眺めていた後「そっか。それはなんとかしないとねぇ」と言って、立ち上がった。
「じゃあ、たくさん泣いた後はコーヒー飲んで作戦会議しよっか!」
佐伯シズカは涙を流しながら頷く。ミヤコはリカに来客有とメッセージを送ると、冷蔵庫から冷やしたコーヒーをカップに注ぐ。苦味のある香りが満ちる部室で、佐伯シズカのすすり泣く声が響いていた。
つづく




