第1話 探偵は演劇を見に行きたい
Episode 5:ヒラリオンの密告
夏も真っ只中。明星高校の放課後、ミステリー研究会の部室はクーラーをガンガンに効かせたこの世のオアシスと化していた。窓の外では雲一つない青空の下、蝉のリサイタルも臨時休業するほどの猛暑だった。こんな日は部屋でゆっくりするに限る。普通の人はそう思うだろうが、この娘は違った。
「いやぁ……暇ねぇ。こんなに暑いと事件も溶けて迷宮入りかぁ」
芹澤ミヤコはお気に入りの書斎机の椅子に腰かけてクルクルと回っていた。マグカップに入った大量の氷がカランっと涼やかに音を立てる。
部誌『暁』の製本、期末試験と1学期における大きな試練。その波濤を越えた芹澤ミヤコは、あれほど待ち望んでいた凪が到来したにも拘わらず、早速飽きていた。
「平和が一番ですよ。ミヤコ先輩」と、ソファの隅で最新の『暁』を繰る後輩、信田リカは言う。いつもの日常。いつものやり取り。これこそ信田リカが愛してやまない平和なのだが、その日常をぶっ壊したがるのが芹澤ミヤコという娘である。
「あ、じゃあさ、演劇部の期末講演、見にいこうよ」
信田リカは顔を上げて露骨に「えぇ……」という顔をする。リカは騒がしいところが苦手だとミヤコは知っていたので、予想通りの反応だ。だが、ここで出不精のリカを外に連れだすことが出来れば、またリカにとって大きな一歩になるはず。ここは交渉力の見せ所。ミヤコはアイスコーヒーを一口啜るとコホンと咳ばらい一つで、気合を入れた。
――まずはリカが好きそうな話題で興味を持たせる。
「まぁまぁ、確かにこの涼しい部屋で読書に耽るはめちゃくちゃ贅沢だと思うよ?だけど、ミヤコ先輩は思うわけですよ。幸せの正体は“刺激”だと」
「い、いきなりなんですか……幸せが……刺激?」
――よし。食いついた。だけど、このまま話を続けてはダメ。単純な知恵比べでは敵わない。爆速ストレートで感情に訴えかける!
「リカと一緒に期末講演見に行きたいなぁ。それが欲しい刺激。つまり私の幸せ」
「ふぇ……!?」
リカは言葉を探すように指先でスカートの裾をつまんだ。ミヤコはこれを好機とばかりに畳みかけた。
――リカに考える暇をとにかく与えさせない。メリットを提示し続けて即断させる!
「ほら、私達って一応分筆部じゃん?もちろん自分の世界に向き合うのもめちゃくちゃ大事だと思うけど、たまには脳に新しい刺激を与えて挑戦しないと!良いインスピレーションは良いインプットから生まれるんだよ!」
ミヤコが言い終わるや否や、リカは頭をフルフルと振って軽く深呼吸。胸に手を引き寄せて目を瞑った。
「……刺激なら、こうしてお話をするのでも与えられます。
それに、刺激を外部ばかりに求めるのも問題かと思います」
目をゆっくり開けたリカはまっすぐとミヤコの目を見据えていった。
――まずい。思ったよりも早く冷静になった。リカの為って論調はダメか。ならここは感情的に懇願ベースで突っ切る!
「うんうん。そうだよねぇ。私もリカとおしゃべりするのすごく楽しい!私、それと同じくらい演劇好きなんだけど、リカは興味ない?行きたくない?」
「い、いえ。そういう訳では……!」
リカは再び目を泳がせる。ミヤコはここぞとばかりに頭を下げてパンッと音がなるほど強く手を合わせた。
「私、リカと演劇を一緒に見られたら絶対に楽しいと思う!私を助けると思ってここはひとつ!」
一瞬の沈黙。続いてリカから“はふぅ”とため息がこぼれて、あきれたような顔で「……わかりました。一緒に行きます」と、笑った。
「ありがとう!リカは優しいなぁ」
「もう……。仕方のない人ですね」
リカはえへへ、とはにかむと『暁』を閉じて立ち上がった。
「じゃあ、行きましょうか。ミヤコ先輩」
「よーし!行くとしますか!」
芹澤ミヤコはマグカップを一気に呷った。アイスクリーム頭痛を無視しながら氷をボリボリとかみ砕き、部室の出口へ。扉を開けるとムワッとした空気が肌を包んだ。廊下の外でまばゆい光を反射する教室棟、まるで日差しの過酷さが視覚化されたような明るさを横目に、芹澤ミヤコとのぶたリカは並んで、多目的ホールへと向かった。
◇◇◇
実収棟三階。大道具班やダンス班の拠点となる教室のその先。廊下の突き当りに「期末公演DAY2 『銀砂の王国』はこちら!」と矢印つきの張り紙があった。期末公演は放課後に全三回に渡り演じられ、それぞれ演者も演出も異なる。通な生徒は全ての日程に足しげく通い、そうでない生徒も最低一度は覗きに来る。公演20分前だというのに、パイプ椅子が並べられた多目的ホールはもう人であふれていた。
「わぁ……」
「人多いねぇ!さすが演劇部!」
「も、もう帰りましょうよ……」
「なに言ってんの。ほら、私の背中に隠れて」
「は、はいぃ……」
リカは人ごみから身を隠すようにミヤコの背中にさっと身を縮めた。自分は立ち見でもいいけど、リカは座らせたいな。ミヤコはキョロキョロ見回して、空いている席を探していると懐かしいテノールボイスと共に清涼スプレーの香りがふわっと流れた。
「おや。こんにちは。芹澤さん。席をお探しですか?」
振り返るとそこには吹奏楽部の田島タカシ部長が相変わらず大福のような笑顔で手を振っていた。
「お、田島部長!お久しぶりです!そうなんですよ。ちょっと出遅れましたね」
「そういうことなら、ここどうぞ。ちょうど二人座れますよ」
「え、そんな悪いですよ」
「いえいえ。ボクは2回目ですし、ミステリー研究会のお二人には恩がありますから」
「いいんですか!?ありがとうございます!」
ミヤコの背中にぴったり引っ付いていたリカもひょこっと顔を出し、小さな声で「……ありがとうございます」と、呟いた。
田島部長はサムズアップして、立見席に移動して行った。
「いやぁ、こんな形で返ってくるなら探偵業も悪くないねぇ!」
「ふふ……、そうですね」
席に座り改めて席を見回すと、見知った顔がいくらかあった。バスケットボール部の草野ショウヘイくん、超常現象同好会の月城ヒナさん。そして、前の方には朝倉アキラさんもいた。朝倉さんがこういう場に来るなんて意外だ。
皆がそれぞれの日常に戻り、その中で息づいている。これこそが、芹澤ミヤコと信田リカが守った真実だった。
短いアナウンスの後、電灯が消え、演劇部員たちが暗幕カーテンを閉めだした。チラリとリカを見ると、待ちわびるようにソワソワとしている。もう間もなく物語の世界が始まる。
虚構の世界で語られた台詞。台本になかったそれは嘘か真か。あるいは、暴走した正義の暴露か、悪意ある虚言か――
そして、それを聞く者の心もまた、現実から一瞬だけ離れていく。
ミステリー研究会の鷹と梟が挑む一学期最後の非日常。その幕が、喝采とともに上がった。
つづく




