第4話 草野ショウヘイは怯え出す
――Side:信田リカ
雨の音とカフェオレの湯気に包まれた部室は、ミヤコ先輩がいないぶん静かだった。信田リカはソファの端っこに身を寄せて、スマートフォン片手にミヤコのレポートを待っていた。
――近藤ミツルさんの話を聞く限り、犯行時は晴れだったはず。6月で晴れだった日は数えるくらいしかない。ここ一カ月の天候も調べられた。ミヤコ先輩なら、犯行方法や犯人像まで推理してくれる。そのレポートがあれば、真相はもう掌の上。
「ミヤコ先輩……早く帰ってこないかぁ……」
リカはソファの上で膝を抱えながら、カフェオレに口をつけた。デスクに置かれた探偵紙袋がゆらゆらと揺れていた。
◇◇◇
――Side:芹澤ミヤコ
明星高校体育館のフロント。冷たい空気に包まれて芹澤ミヤコは草野ショウヘイと対峙していた。
この男の子が草野ショウヘイ。近藤くんが生きのいい後輩と太鼓判を押していた1年か。
笑顔で声が大きい。後輩力は高め。身長は低め。苦労しているだろうな。
「どうしたの?思いつかない?」
「はい……すんません……」
草野くんは肩を落として落ち込んでしまった。だけど、体育館に忍び込む方法を尋ねただけなのにずいぶん動揺したな。緊張してる?それとも……
――先入観を持ってはいけませんよ。先輩。
おっと!いけない、いけない。危うくリカに叱られるところだ。あくまでも現時点では中立的に。ミヤコは両手をやれやれ、とでも言いたげに上げた。
「草野くんは頭が固いなぁ。近藤パイセン!一発妙案!かましてやってくださいよぉ!」
「俺?んー、まずは野球部からバットをパクってから――」
「あ、もう大丈夫!」
近藤ミツルは「おい!最後まで聞けや!」と、笑いながら顔を顰めた。
草野くんの顔にも笑顔が戻ってきた。よしよし。今は一人でも体育館の構造を知る人の目が必要だ。どうやって犯人が体育館に侵入したかを突き止める。もしかしたら、体育館に隠された抜け道が見つかるかもしれない。
つまり、これは――“館モノ”ミステリー!!
「芹澤先輩……?どうしたんっすか……?」
「なんでもないよ。ウォーグレイヴくん」※某館モノ推理小説のキャラクター
「うぉー……?」
「ほっとけ草野。芹澤はこういうやつや」
「じゃあ、次は体育館の出入口!全部案内してくれる?あと窓も」
「ぜ、ぜんぶ!?」
近藤と草野は声を合わせて驚いた。芹澤ミヤコは手に付けた黒皮の手袋をぎゅっときつく引っ張り、白い歯を見せて笑う。その時、雨雲の切れ間に入ったのか、雨が止み、体育館のフロントに太陽の光が差し込んだ。光はミヤコだけを照らし、草野の表情は影に沈んでいた。
◇◇◇
――Side:草野ショウヘイ
この芹澤ミヤコという先輩は只者じゃない――草野ショウヘイはそう直感した。
にこやかで感じのよい笑顔の裏で、まるで心の奥まで見透かされているような感覚があった。成り行きで近藤先輩と案内することになったけど、正直もう帰りたい。
近藤先輩とこの芹澤先輩はどういう関係?いきなり体育館に忍び込む方法とか、出入口を見たいとか、得体がしれない。草野はとにかく迂闊なことを言わないように気を引き締めながらアリーナに入っていった。
「窓も見るんや。本格的やな」近藤先輩が2階の観覧席を案内しながら芹澤ミヤコに話しかけた。
「まぁあねー。ふむふむ。シンプルなクレセント錠か。でも、梯子をかけるスペースは……」
芹澤ミヤコはしきりに様々な角度で写真を撮ってる。まるで犯罪調査だ。
でも、そこをいくら調べても何も出てこない。草野はこのまま終わってくれと願うばかりだった。
「てか、芹澤。ミス研って普段何してんの?推理ゲーム?」芹澤先輩の写真撮影を近くで眺めていた近藤先輩が何気なく聞いた。
「えーと、普段は執筆かな。文芸部の推理小説版みたいな感じ!部誌も出してるよ」
「え、芹澤先輩ってミステリー研究会の人なんすか……?」草野は思わず声を上げた。
「あれ?言ってなかったっけ?そうだよー。ミス研の部長です!」
……ミステリー研究会。あの、星月夜事件を解決した……。ヤバい、本当に捜査してるんだ。
「最近よく名前聞きますよ!すごいっすね!やっぱり、クレームの件っすか?」と、草野は努めて明るく探りを入れる。
「そうそう!近藤くんに依頼されてさ。あ、2階はもういいや。ありがと!」
芹澤ミヤコは2階をまだ半分も見ないうちに「じゃあ次は1階ね!よろしく!」と、近藤先輩に頼んでいた。とても楽しそうにスマートフォンを操作する芹澤先輩。いったい何を考えているのか、草野ショウヘイには全くわからなかった。
一行は一階に下りて行った。バレー部の邪魔をしないように端っこを歩きながら、4つある非常口への一つへと向かっていく。スリッパをする音がやけに耳についた。
「ほう!これが非常口!ここっていつも使ってるの?」
「おう!夏場は基本開けっ放しや。あと、3年はいつもここに荷物置いてるで」
非常口の先には青いすのこが並べられている。今はびしょ濡れだけど、3年生はいつもここでだべっている。そして、草野ショウヘイが侵入する非常口はこの扉だ。ここでバレてしまえば、楽になるのではないか。そんなことも頭によぎったが、草野は作り笑いを無理やり張り付けた。
芹澤ミヤコは非常口の全体像から、鍵、とりわけ掛け金部分を入念に写真へ納めている。そして、「おっ?」と声を上げるとスマートフォンから目を離し、至近距離で食い入るように掛け金を見つめた。写真を撮る手を止め、無言で掛け金をなぞっている。その沈黙がやけに長く感じられた。草野は怪しまれてはいけないと、全身に力が入る。
近藤先輩が「見ろよ草野。芹澤の奴、なんか気づいたみたいや」と、小さな声で呟く。
「……そうっすかね。適当吹いてるだけかもしれないっすよ」草野はそうであって欲しいという気持ちを押し殺して小さな声で言い返した
その時、芹澤ミヤコはいきなりくるりとターンをして「非常口は鍵と丸環タイプの掛け金ね。普段は誰が施錠してるの?」と、何でもないことのように聞いた。
「いや、誰とかなくて、皆で手分けして閉めてる」近藤先輩は少し間をおいて答える。
「ははーん!ということはちゃんと閉まってるかは誰も確認していないわけだ!」
「……まぁ、そう言われたら、なんも言い返せんな」
「いやいや!ちゃんと閉めてるっすよ!!」瞬間、草野は口を衝いて言ってしまったことを後悔した。芹澤先輩に目をつけられたら、もう言い逃れできる気がしない。
だが、芹澤ミヤコは特に気にした様子もなく「そうは言っても、実際に忍び込まれてるからなー」と、頭を掻いて困った顔をした。
「例えばさ、扉を閉めて、鍵は掛けずに掛け金だけ下ろすと。ほら!閉まってるように見えるでしょ?」
芹澤ミヤコが掛け金を慣れた調子で操作するたび、胸の奥を引っ掻きまわされるように感じた。
「まぁ、せやな」
芹澤先輩は引き戸をガタガタと揺らして見せた。草野は心臓の音がバクバクと大きくなった。足に力が入らない。もうやめてくれ。背筋に汗が伝った。
「これ、丸環を捻ったら掛け金がロックされて施錠出来るんだけど、何もしてなかったら……、ちょっと待っててね!」
芹澤ミヤコは小走りで玄関の方に向かっていった。いったい何をするつもりだ?と、草野は近藤先輩と顔を合わせた。近藤も肩をすくませて首を傾げた。
しばらくすると、非常口の奥で芹澤ミヤコの声がした。
「おーい!聞こえてる?」
「おう、聞こえとるで」
ガタガタと扉が揺れる。掛け金に阻まれて扉は開かない。
芹澤ミヤコが「今からこの扉を開けまーす!」と、宣言したと同時に扉の隙間から何かが差し込まれた。草野は目を凝らした。あれは……ポイントカード?
カードの角が探るように蠢き、掛け金に触れた瞬間……カードが押し込まれ、掛け金が音を立てて持ち上げられた。そして、扉が“よいしょ”という掛け声とともに開けられる。扉の先、芹澤ミヤコがカードを財布に収めながら言い放った。
「と、まぁこのように、掛け金は掛け方が甘かったら、外から開ける手段はいくらでもあるんだよね。なので、犯人は非常口を使ったんじゃないかなーって思います」
草野は視界が遠くなるような感覚に陥った。もう、ダメだ。この人は全部気づいている……
「すげぇ!芹澤お前、ホンマもんの探偵みたいや!」
「ふふん!ミステリー研究会部長ここに在りってね!」
草野ショウヘイはこのドヤ顔をするミステリー研究会部長の顔をまともに見れなかった。この人は雀の皮を被った鷹だ。心拍に合わせて床が軋む。全部見透かされてる。見つかるのも時間の問題。最悪の想像ばかりが頭に浮かぶ。でも、どうかバスケだけは取り上げないで欲しい。
「流石っすね……」
手に汗がにじむ。持ち前のスマイルが出来ているかは、わからなかった。
つづく




