ep.66 レッスンのぞき見⑦ 止める理由、進む理由
ピアノの音が、静かにスタジオに響いていた。
軽やかな伴奏に合わせて、もも先生が顔を上げる。
「はい、じゃあ次、サビいきます」
La♪Ra・RISE!(ララライズ)のボーカルレッスンを担当する、16歳の歌唱講師。
その年齢からは想像できないほど、指示は的確で、迷いがない。
「佐藤さん、キーそのままで大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
翔太が短く答える。
声は、いつも通りに聞こえた。
――でも。
どこか、ほんのわずかに引っかかるものがあった。
「じゃあ、いきます。ワン、ツー」
ピアノが入る。
翔太が歌い出す。
Aメロ、Bメロと、問題なく進んでいく。
だが、サビに入った瞬間。
「――っ」
ほんの一瞬だけ、声が詰まった。
すぐに立て直し、そのまま歌い切る。
崩れはしない。音程も大きくは外れていない。
もも先生の指が、ピアノの上でわずかに止まった。
「……ストップ」
音が途切れる。
静寂が落ちる。
「今の、どうでした?」
まっすぐに問いかける視線に、翔太は少しだけ間を置いて答えた。
「……ちょっとだけ、引っかかりました」
正直な言葉だった。
「でも、歌えます」
その続き方に、空気が少しだけ変わる。
無理をしているわけではない。
だが、無理を通すつもりでいる。
「……うん」
もも先生は小さくうなずいた。
「歌えてはいます。でも、喉ちょっと疲れてますね」
柔らかい言い方だったが、判断は揺らがない。
「一回、今日はここまでにしましょうか」
その言葉に、ほんのわずかに空気が動く。
「……いえ」
翔太が顔を上げる。
「歌えます」
さっきと同じ言葉。
けれど、その強さは明らかに違っていた。
もも先生が、わずかに目を細める。
そのときだった。
「……翔太くん」
雪雄さんが、一歩前に出る。
「今日は一度、休みましょう」
穏やかな声だった。
責めるでもなく、否定するでもない。
ただ、正しく。
「今無理をすると、長引きます。ここでしっかり休んだ方が――」
「でも」
翔太が、その言葉を遮る。
「歌いたいです」
静かな一言だった。
それだけで、スタジオの空気が張り詰める。
もも先生は口を挟まず、二人を見ている。
「……“歌える”と、“歌っていい”は違います」
雪雄さんの声は、変わらず落ち着いていた。
「今は声を守るべきです。先を考えるなら――」
「それでも、歌いたいです」
引かない。
言葉の強さは静かなまま、確かにそこにある。
「……それは感情論です」
その一言が、空気を変えた。
千鶴は言葉を飲み込み、那音も視線を落とす。
他のメンバーたちも、ただ静かにそのやりとりを見守っていた。
誰も口を挟めない。
――正しいのは、雪雄さんだ。
でも。
翔太が、小さく息を吸う。
「……ぼく」
少しだけ迷うように言葉を選ぶ。
「ここで歌えなかったら」
一度、止まる。
「たぶん、次も歌えなくなる気がするんです」
静寂。
もも先生の表情が、わずかにやわらぐ。
「喉の問題じゃなくて」
翔太は続ける。
「気持ちの方が、先に折れる気がして」
顔を上げる。
「だから、今、歌いたいんです」
その声は静かだったが、迷いはなかった。
「……じゃあ、条件つけましょうか」
もも先生が、軽く手を叩く。
空気が、少しだけほどける。
「フルはやりません。負担少ないところだけ、一回だけです」
簡潔な判断だった。
「それ以上はストップします。いいですか?」
翔太は、小さくうなずく。
「英賀田さんも、それで大丈夫ですか?」
「……はい。それでお願いします」
短い返答だった。
再び、ピアノが鳴る。
短縮された構成の中で、翔太が歌う。
完璧ではない。
少しだけ荒く、不安定な部分もある。
それでも。
その声は、まっすぐだった。
やがて音が止まり、静寂が戻る。
誰も、すぐには言葉を出さなかった。
翔太は静かに息を整えている。
その姿を、雪雄さんがじっと見ていた。
一歩だけ、近づく。
「……翔太くん」
名前を呼ぶ。
翔太が顔を上げる。
「さっきの」
言いかけて、言葉が止まる。
珍しかった。
雪雄さんが、言葉を探している。
「……無理は、してほしくないです」
静かに、そう言う。
「……ただ」
ほんの少しだけ間があく。
迷いが、にじむ。
「……止めることばかり考えてました」
その一言に、空気がわずかに変わる。
「……もも先生の指示で、できる範囲でやりましょう」
その言葉は、さっきまでとは少し違っていた。
千鶴が顔を上げる。
那音も、静かに視線を戻す。
翔太は何も言わない。
ただ、小さくうなずいた。
スタジオの空気が、ゆっくりとやわらぐ。
たぶん今、チームはまた一歩進んだ。
*キャラクター原案者*
英賀田 雪雄 :日花子
根古島 カノン :日花子
京極 真秀 :茶ばんだライス
折原 千鶴 :夏也 すみ
狭山 那音 :ギフカデ
Daz・Garcia :HUNGRY
赤河 辰煌 :ウニヲ
佐藤 翔太 :niko




