9. Frivolous or Honest.
一ヶ月半もの間、歩き回っても就職先は見つからず。
来月には家賃の支払いもままなくなる。部屋の暖房の薪も買えていないのに。ミュゼッタに火の魔法が使えれば便利だったが、あいにく話はそううまくいかなかった。家を失うころには腕は治っているけれども、住所不定無職からのまともな生活をまかなうのは難しい。
本格的に寒くなれば、野外で寝泊まりは命に関わる。すでに現状が死活問題だ。
「ストゥ、夜は冷えるね」
霜の降りそうな道を歩く。ヒールでもないのに、石畳の上だとカツカツ音が変化しそう。
すりすり、とふくらんだ冬毛を頬になすりつけられた。
「ミュゼッタさん!」
かわいらしい声。なのにうなじあたりがぞわりとした。蜂色のなめらかな髪は聖女ベルエイミーのものだ。
「こんなところにどうして……」
「フォーティスさまがこの辺りによく通ってらっしゃると噂でお聞きしましたの」
「今日は来てませんよ。もう遅い時間ですので、早くお戻りになられたほうがよろしいかと」
「今日は、って……やっぱりフォーティスさまがここにくる理由は、あなたですのね」
失言だっただろうか。
細い眉が寄せられて、目元が悲哀に彩られる。
「わたしが目的かはわかりませんが、怪我したわたしを哀れんでたびたび恵んでくださるんです」
赤い目がきょろりと動く。
「贈り物をいただいてるなんて。その腕も、いつまで治さないままのおつもり?」
「これは、治癒魔法が効かないんです」
ベルエイミーだって現場にいたのに、魔物への恐怖で記憶が飛んでしまっているのか。
「骨にヒビが入っている程度でしたわよね? そのくらいなら私が治してさしあげます。だからもうフォーティスさまの同情を引くのはやめてください」
とんでもない言いがかりをつけられているのだが。どこからそんな発想が生まれたのだろう。誰だって長引く痛みに耐えるよりも早く治すほうがいい。他から寄せられる同情など体への鎮痛剤には成り代われないのだから。
近づいたベルエイミーは治癒魔法をかける。間もなく消失した魔法に目を大きく開いた。
「弾かれた……?」
「ですから、効きません」
「ほんとはもうそんな怪我治ってるのでは? これみよがしな包帯なんて外してしまいなさいよ」
尖った爪の伸びた手がしなる。声を上げる間もなく、ミュゼッタの腕の真ん中から全身に痛みが駆け巡った。どっと冷や汗が吹き出す。
「ミュゼッタ!」
割り込んだのは騎士服だった。跳躍したストゥが広い背中にぶつかってずりり、と滑る。小さい体ながらもベルエイミーに反撃しようとしたのだろうが、フォーティスの背なかばにひっかかってぶら下がった。
「無抵抗の民間人に暴力を振るうなど……それでも聖女か!」
背後にいても鼓膜がビリッとしたのに、真正面から怒号を受ければどれほど怖いだろう。ベルエイミーがどんな様子でいるのか、フォーティスに阻まれて見えない。けれど、声を聞く限り涙くらいは浮かべていそうだ。
「ち、治癒魔法をかけてから触っただけですわ。まだ、治ってないだなんて、信じられなくて」
「この件は後ほど上へ報告する。夜も遅いが送っていけない。早くお帰りを」
「そんな……フォーティスさま! だって治癒魔法が効かないなんておかしいじゃありませんか。普通に考えて、その人が怪我したままだなんて嘘としかーー」
「帰ってくれ」
振り返れば、緑茶色の瞳からは険がさっぱり消え失せていた。ミュゼッタの肩を抱いて、家の中へと誘導する。
家の中に彼を入れるのはこれがはじめてだ。いつも手土産をくれるが、必ず家の前で彼は引き返していた。
「間に合わなかった。申し訳ない」
「痛いのは、痛み止めが切れる時間だっただけです。聖女さまの力じゃ撫でられたようなものです」
ベッドに座ったミュゼッタは、この部屋にある唯一の椅子を来客に勧めた。ストゥがフォーティスから飛び降りて、ベッドに座る。
「またきみはそういう、……はぁ。痛み止めはどこ?」
丸い食事テーブルの上に無造作に置いてある袋を指差す。袋からフォーティスが一回分の薬を飲みやすいように取り出して水も用意してくれた。
「食事が先の方がよかったかな」
いままさに薬を飲んだあとに言われても。と思ったのが伝わったらしく、フォーティスは照れたようにしている。魔物との戦闘になっても部下が大怪我を負っても落ち着いていた団長がよもや動揺している、とか?
今夜のご飯は、丸く薄い小麦粉の生地に肉野菜が包まれているものだった。それが三個ほどあった。フォーティスはミュゼッタが食べやすいように紙包みを半分剥がして渡してくれる。
「召し上がれ」
ここまでしてもらって断るのも忍びない。
「……いただきます。ビドジール団長さまこそ食べてください」
「ぜんぶミュゼッタのだよ」
「わたしには一個でも多すぎるんです」
「じゃあ、ひとつもらうね」
彼が買ってきたものなので断りを入れられるのは違う。苦笑するけれど、意図を理解されないようだ。
ひとつをストゥと分け合いながら、ゆっくり味わって咀嚼した。
「ごちそうさまでした」
と言うと、とっくに食べ終えていたフォーティスは満足そうにしている。それからじっとストゥを撫でるミュゼッタを眺めた。
「ミュゼッタの生活環境は……」
「雨風を凌げればじゅうぶんです」
室内は汚くはないが、建物自体が古い。寒いときはストゥを抱きしめる。小さな体で暖をとるには物足りないが、心はあたたかく満たされるから。
「きみが満足してるならそれでいいよ。それで、また治癒魔法を試しても?」
「効かないと思いますけど」
「夜にはやったことないからね。
あとーーそばに行ってもかまわない?」
「……はぁ……」
にこ、と優しげな緑色をした目が細まる。そのに下卑たものはなく、かといっていたずらとも断言できない。どちらにせよ怪我人に下手なことはしないだろう。
フォーティスはミュゼッタの隣に座った。それだけで、半身にほんわりとぬくもりが伝わる。でもここまで男性に接近されたことがなくて、びくっとしてしまった。
「変なことはしない。ただ、この部屋寒いなって思って」
「あ、え、……そうです、ね、です、か?」
変だ。前にも横抱きにされたり、さっきだって肩を抱かれていた。なのに、狭い空間の中で二人きり、くっつかれていると思うとまた違う。
くつくつと抑えた笑いは低い。
「しどろもどろだ。いつも冷めてるのに珍しい」
「そりゃあ急に何かと思うじゃないですか」
「寒いと団員同士で身を寄せ合って暖をとることもある。それと同じことだよ」
「男性同士で……?」
「そう。深く考えないでいい。ここで横になったりしないから、できるだけ近くにいさせて?」
想像以上にあたたかい。そして緊張する以上に安心感がある。不思議と体から力が抜けていく。
「……震え、止まったね?」
見抜かれていた。室内でも夜は寒い。ろくな防寒具もないし、ミュゼッタの体も薄く体温は低めだ。
なにより、フォーティスのお節介はミュゼッタを思っての行動でーー言えない本心では求めていたことであることが多かった。食事を運ぶことはともかく、寒いからと体を寄せることをお節介とするかは議論の余地があるけども。
「治癒魔法、やってみるよ」
目的など吹き飛んでいたことなどおくびにも出さず、ミュゼッタは腕つりを外した。ミュゼッタの背後に腕を立てて、そこを支点にフォーティスが寄りかかった。決して腕を回してはこないのに、ともすれば抱きしめられていると錯覚しそうになる。
パチ……、と治癒の光はフォーティスの手に収束した。
「だめかな?」
「治った気はしません」
痛みは引いたけれど、それは飲み薬の効果だ。治癒魔法が正常に発動しなかったのだから治ってはいない。
「聖女のことは……悪かった」
「もういいです。謝っていただきました。それとも、団長さまは彼女から好意を持たれていたようですけど、そのことですか?」
「迷惑をかけてしまったね。彼女とは挨拶以上のことはしたことなかったと思うんだけど、こうなるとは」
完全にベルエイミーひとりの暴走だ。
「他にもいそうですね、ベルエイミーさまみたいな女性」
「うう、そこを突かれると。まったくのゼロだとは言わないけど、あんな過激なのはいないよ。でも、これからミュゼッタに寄せ付けたりしないから」
それはまた、ミュゼッタはフォーティスにとってどういった立場ととればいいやら。
仮の上司と部下の関係も終わった。騎士と町の平民。まさか男と、女? いいや他人、のはず。
「わたしに言い訳はしないで結構ですけど、本命は守ってあげたほうがいいですよ」
「いやいや、きみが何言ってるの」
「浮気しても、本命は大切に……」
「え。私が浮気するような男に見える?」
「選ぶ相手には困らなそうだな、とは」
「最初から浮気もしないよ。さすがにこの体勢でそんなこと言われるとは思わなかったな」
「これは男性同士でもする、暖の取り方なんですよね?」
「あーうん。うん、そうは言ったけどね?」
「ご自分の言葉には責任を持ってください」
「お手上げだ。ごめんなさい」
謝罪はしても、彼はミュゼッタに接する腕を離したりはしなかった。
妙な男を引き寄せてしまった。しかし彼はミュゼッタが不安になるような体の触れ方をしてこない。不届者には容赦のないストゥもおとなしくしている。会話しているうちに緊張もほぐれた。
お腹がいっぱいになって、体が内からも外からもぽかぽかしだした。
起きていようとするのに、まぶたが重くて重くて……。
Frivolous or Honest.
(軽薄か誠実か。)