22. Hidden truths.
フォーティスは侍従から差し出された書類をトレイごと受け取って、片手間のように膝の上でサインを終えた。次にミュゼッタにも渡して、ここ、ここ、とサインする場所を指し示す。
約……姻……などとあったような気がするが、婚約の書類だろう。フォーティスの手や袖が邪魔でよく読めない。ここまでくれば腹を括るまで。ミュゼッタの心身を守るため、婚約はしておいたほうがいいというのなら。
通常署名にはサインした日付けを表示するのが決まりだが、ひとつは三ヶ月前、ひとつは本日の日付けがすでに書き込まれていた。なぜ違う日付けを? もう一度よく確認しようとしたがスッと取り上げられる。
最終的に陛下がペンをとり、処理は終わった。
「ほれ」
ぺらり、と完全に欄を埋めた書類で、フォーティスとミュゼッタは三ヶ月前に婚約した上で本日結婚したことになっていた。
「あの、日付が」
「貴族に婚約期間は必要だから、出会った日まで遡って婚約を結んだことにしておく。
常套手段だよ。まぁ普通は調査が入るけどね」
言い訳もできない堂々とした偽造工作。
これだから権力って怖い。特権階級ってずるい。
「よってミュゼッタ、その男からは逃れられぬと心せよ」
陛下からの警告めいた一言の真意を尋ねようとしたとき、満面の笑みを浮かべたフォーティスがミュゼッタの手を軽く叩いた。
「祝福をたまわり光栄です」
にっこにこしている男の横に、蒼白な女。
「おぬしの婚約者はおぬしに怯えておらぬか?」
「いやだなぁ。陛下のご威光に感銘を受けているのですよ」
怖がったのはフォーティスから逃げるなよ、との祝福のせいである。陛下よりこんなことを言われてしまうフォーティスに何があるのか、という。
「二人でやっていけるのか?」
「懸念していただくほどでもありません。なんたってミュゼッタは私の腕の中にいて愛を請うより寝こける女性ですから」
「ちょっ……」
何がどう転んでも国家権力者に聞かせる話ではない。
「寝るだと? 睡眠をとるという意味か?」
「はい、陛下。寝落ちる前には私を褒めることもせず、説教しました」
ぎゅうううと繋いだ手を握りしめるが、フォーティスは楽しそうにするばかり。
陛下はあごひげをさすっている。そしてぽつりとこぼす。
「それは傑物だ」
普通ではない女認定をいただいてしまった。
羞恥をはじめとしていろいろ取り戻せないものが転がり落ちていく。精神が塵芥と化している間に、陛下はふっと笑った。どこかで見た笑顔だ。それもごく身近で。
「これでも余はフォーティスがかわいい。家族として常より幸せを願っておった。弟を支えてやってくれ、ミュゼッタ」
タン、と頭を叩かれた錯覚に陥る。聞き逃せない単語がありはしなかったか。
わなわなとして、ミュゼッタはフォーティスを見つめた。
「平民って。平民っておっしゃったではないですか」
それが王弟だと。
「十代のうちに王位継承権は放棄したし、領地も爵位も面倒くさいものはもらわなかったからね。平民だよ」
けろりと暴露されて、ミュゼッタはめまいを感じた。同時に、彼の陛下に対する態度に深く納得した。兄弟だからこんなにもぽんぽんと言い合える。
年も離れているし、髪や目の色も違って見えたので兄弟である可能性は考えてなかった。
「騎士になったのも十代のうちであったろうに」
いわゆる士爵位は貴族とみなされない。いや、低位貴族ではある。だが一代限りであるために、脈々と続く血統を重んじる貴族からは平民扱いされる。だから彼は平民だと自称した。しかしフォーティスが王族の血を引いているとなれば別の話だろう。
「だから、王族の面目は保てたまま王族の仲間入りは断われるって言ったよね? こういうことだよ」
血は受け継いでいても王族でない者、に嫁ぐというからくりだった。
「はわぁぁぁぁぁ」
「哀れな……彼女の精神に負担をかけておるのはおぬしではないか。大事ならば気遣ってやれ」
ふと思いついたように、王は付け足す。
「父上と母上には余から伝えるのでよいのか?」
「ああ……私が何番目の子か、彼らが覚えているのでしたら、よろしくお願いします」
そんなやりとりも右から左。
記憶のないうちに馬車に乗り込んで、道を走っていた。ミュゼッタはストゥを無心に撫でて心の平穏を取り戻そうとしている。フォーティスにやや冷たいミュゼッタを見て、ストゥまでもが彼につんとした。さすが唯一の生涯の友。
「ミュゼッタ」
「御用でございますか、殿下」
三回目の呼びかけで応えた。眉間にしわがよっても、フォーティスの美しさが欠けることはない。殿下と呼んだのは嫌味だったが彼は怒らなかった。
「途中助けになれなくてごめん」
陛下に「黙れ」と言われたのだから仕方ない。それに気に障っているのはそこではなかった。
「ちゃんと家族のことも話してなくてごめん」
「はじめから教えられていれば、尻込みはしましたけど……」
逃げなかっ……やっぱり逃げていたかもしれない。そもそも王族だからでなくても、格上のフォーティスだから断ろうとはしていた。
「私が何人きょうだいか知ってる?」
「申し訳ございません。王宮や教会関係の情報は耳に入れない生活をしておりましたので存じ上げません」
「公表されているのは二十五人。私は十五番目だ。ワズウォース兄上、私とあと二人は前正妃から産まれたために親元で育てられたけれど、他はさっさと里子に出されたりで顔も合わせたことがない者もいる。しかも対策がしてあってこれなのだから、……」
王宮におけるきっちりとした家族計画の末に生き延びるとは、父御の生命力が高いというか子どもの生きるという意志が強いのか。そうして産まれた二十五人、さらには誕生を秘匿されている子たちもいると。生物としての遺伝子が優秀すぎる。
「あ、……はぁ」
想像以上の数で腑抜けた声が出てしまった。
オデッサやミュゼッタが育った孤児院には子どもがたくさんいて大家族といった雰囲気ではあったが、王族で側室が複数いたとしても子の数としては多い。
「だから王族だ、なんて自慢どころか恥ずかしくてね」
しょんぼりしている姿に悔しくも同情心をくすぐられてしまった。
鼻から息を吐いて、フォーティスに向き合う。
「わたしはフォーティスがいなければ、恐ろしくて王宮の門も通ることすらできませんでした。自分の足で歩いていけたのは、あなたがいたからです。ありがとうございます」
「わりと陛下と渡り合ってたけどね? 立派だったよ」
あいまいに微笑む。
「王宮とアンドファスト領はわたくしの鬼門です」
「……『オデッサ』のときに起こったことなんだね?」
彼はすでに、ミュゼッタが話すときの「わたし」と「わたくし」に区別をつけている。
「アンドファストならば勇者アーガスの死後、王家に差し戻されているよ。勇者の血を継ぐものはいないから。隠し子だとか子孫を名乗り出る不届者がいたことはあるようだけどその都度処罰されている」
「そう……ですか」
アーガスは、前世での夫は少なくとも、オデッサが提示した「子どもは作るな」という約束を守ってくれたようだ。それでちょっぴり晴れやかな気分になれた。さらに絶望せずに済んだ。
王宮を出て、帰り着いた先はフォーティスの屋敷だった。用事は終わったし早々にミュゼッタも女子騎士寮に戻ろうとしたら引き止められた。
「どこに行くつもり?」
「寮の部屋です」
「結婚したのだから、ここがミュゼッタの家だよ」
信じたくなくて、ふるふる、と首を横にする。
「いまだ婚約の段階では?」
「陛下が『婚姻を認める』と宣言なさったのだから、結婚が成立しているよ」
おっしゃっていたし、ミュゼッタも恐れ多くて訂正できなかったけれどもやっぱりあれは『婚姻』と言っていた。
「わたしはそこまで了承しておりませんが?!」
大聖女になりたくないから。王族に侍りたくないから。一人では抗えない脅威からフォーティスは波風立てぬように守ると言ってくれた。守ってもらう立場でわがままを言えないが、彼は最初に婚約を提案したのだ。これがいつの間にか一足飛びの結婚まで及んでしまっている。
「はは、ごめんね?」
誠意のない謝り方だ。こうしていつもうまく丸め込まれてしまう。それもこれも、フォーティスを憎らしく思えないからだ。彼はミュゼッタの素直な感情を引き出すのに長けている。赤子のように泣いてしまっても、意地を張っても、彼は受け止めてくれる。前世の記憶持ちという話も丸ごと信じた。
いまだあの時間は信じられないけれども。
「性急すぎたかな」
目を逸らしてうなずく。彼の調子に飲み込まれては、自我を失ってしまいそうだ。しっかりしなければ。
「どちらにしろ荷物があるので取りに行かなければ……」
「うちになんでも揃えてあるけど、この家では心が休まらない?」
帰るのは荷物のためではない、ひとりの時間を確保するためだ。無言を返せば伝わった。
「わかった。送っていくよ」
せっかく降りた馬車に乗り直す。
着いた先で別れ際に抱擁をしてくれた。
「今日は、がんばってくれてありがとう」
助けられたのは、ミュゼッタなのに。
もしかして、陛下に会わせることを心配してくれていたのだろうか。自信家の彼らしくもない。
そして寮に入る前に気づく。
このドレスを洗濯するのは骨が折れそうだ。
こそこそ廊下を歩いているとアモーラに見つかって、焦った。
「ビドジール団長に遊ばれました」
とぎりぎり間違いでない言い訳をしてしまい、変な顔をされた。格好いい女騎士が頬を染めている姿は愛らしくすらあったが、何を想像したのだか。
「面白がって着せ替え人形にされただけですよ」
「このドレスは冗談で着せられる質のものじゃないだろ……」
いささか金持ちの道楽にしても度がすぎる、と呆れていた。
Hidden truths.
(秘密。)




