プロローグ
4月のある日、SNSにとある動画がアップされ話題になった。それは最近オカルト好きの間で噂になっている『異界』を実際に確かめたというものだった。
「あーあー、これ撮れてるのかな」
「撮れてるよ。はい、紫楼ちゃんはこれ持ってて」
「え!? 私ビデオカメラ使ったことありませんよ?」
「だいじょぶだいじょぶ、もう回ってるし変なボタンいじらずに持ってるだけでいっから」
「もう、えー怖いなぁ」
「何に怖がってんのよ」
「ちょっ、笑わないで下さいよぉ。本当に機械音痴なんですからっ」
映像には3人の女性が映る。うち一人、3人の中で一番後輩らしい紫楼という女性がビデオカメラを持つことになったらしい。これ以降は先輩二人が映っている。
「ほらこっち、これちゃんと撮れてる?」
「映ってますよ。ただやっぱりカメラを通すと黒いシミみたいに見えて、渦巻いては見えないです」
黒いシミのようなものが画面中央に収まる。どうやら肉眼では渦巻いて見えるようだ。
「えー! なんかもったいない……」
「確かにね。映像資料と肉眼での捉え方に差があるのはちょっと問題かも」
ビデオカメラを紫楼に渡したつり目の女性が大げさに落ち込み、最初に映った背の高い女性が杖を構えながら黒いシミを取り囲む。どうやらシミは宙に浮いているようだ。前を横切ったり後ろを通ったりすることで女性たちはそれが実際に存在するものであることを証明する。
「いやはや、まさか我々オカ研が実際にオカルトに遭遇してしまうとは、これは私たちのオカルト愛が天に届いたと言っても過言ではない事態でありますが」
「術式反応なし。より高度に隠蔽されている可能性もあるけど、魔導による現象じゃなさそうだね」
「私は魔法の勉強をしに来たのに何でオカルトを追いかけて……そもそも勧誘が強引すぎるし今からでも……」
「聞けぇお主らッ!! 話を聞けぇ!!!」
思い思いに喋る二人をつり目の女性が一喝する。
「おっほん! えーでは、我々は中等部オカルト研究会であり日々オカルトや超常現象、未確認生物やUFOの研究をしています。本日、ついに私たちは超常現象の一端を確認することに成功いたしました。皆様はほんの一か月前から流行り始めた『異界』の噂をご存知でしょうか? 黒い渦に触れるとこの実世界とは異なる世界、異界に迷い込んでしまうという噂でありまして。かなり新しいネタなので知らない人も多いでしょうっ! ですがご安心ください! 本日! ついに我々はその真実を確かめる場を手に入れることが」
「長くない?」
「部長同じこと繰り返しますから」
「うおっっほん!! では、冒頭にお見せしたあの黒い渦が噂の異界へのゲートではないかと判断しました。ゲートは普段人が入らない旧校舎の教室の中にあり」
「あれ、これもしかして勝手に旧校舎に入ってることバレませんか?」
「あーあー! 私たちはちゃんと許可をとって撮影しておりまぁす!! ではメンバーを紹介しましょう!! 魔導学園中等部5年でオカルト研究会部長の金子かな子と」
「中等部4年副部長の萩市要と」
「中等部1年新人の西織紫楼です」
「がお届けします! さあみんな手を繋いでっ! いざゆかん異界への旅ー!!」
かな子が黒いシミに向かって飛び込む。すると彼女の姿がブレ、吸い込まれるようにねじ曲がる。
ほんの数瞬の後に、カメラの映像も同じようにねじ曲がった。
映像はすぐに回復する。どうやら床に落ちているようで、教室の一角をずっと映している。
数分間映像は動かない。時折うめき声のような声をマイクが拾う。
さらに数分の後、要の声が聞こえる。
「……ここが異界? 何があった。おい、部長! 西織! 起きろっ!!」
「う〜んむにゃむにゃもう食べられない〜」
「ぶっ殺すぞこのボケッ!!」
バシーンという快い音がしてしばらく二人の口論が続く。その間に西織も目を覚ましたようだ。ビデオカメラの映像が立ち上がり
「何してるんですか……」
と呆れ気味にこぼしている。
カメラは周囲を写す。それは先ほどまでと何も変わらない教室のように見える。しかしあの黒いシミはなくなっていた。
「ここが異界ですか? 特に代わり映えしませんけど」
「いいや! あれを見たまえ!」
かな子が窓の外を指差す。紫楼が窓際までよると、それがカメラにおさまる。
それは顔のパーツが歪に歪んだ人間のようなものの像だった。信号機よりも高く、10メートルはある。それが窓から覗ける街の至る所に乱立されていた。
さらに遠くには膝を抱えて座っている人間が見えた。……見えたというだけでわかるだろう。その人間は恐ろしいほど巨大だ。座っているだけであの高さなら、立てば100メートルはゆうに超えてしまうだろう。
「……これが異界、ですか?」
「噂にあった特徴とは一致しないが、元の世界ではないという点では同じだ! おかしいだろあんなん! どう見ても本物だ!」
かな子が騒ぐ。要はじっと外を見つめており、紫楼はカメラの映像が右へ左へと右往左往している様から狼狽えているのがわかる。
「で、どうするよ。予定通り周囲を回ってみる?」
要がかな子に問いかけると、かな子は難しい顔で唸り出す。
「うーん、うーむ、その予定を建てたのは私だが、いやはやしかし、実際に来てみるとけっこう危なそうな匂いがしないか?」
「まあそうだな。ここで死んでも助け呼べないし」
「やめろぉ! というわけで一度戻って先生方に相談するのが妥当ではと」
「あっ、そこは堅実なんですね」
「部長ビビリだから」
「ビビビビビりちゃうわ!!」
「で、どうやって戻るの」
「うむ。私が確かめた話では異界に入って数十分後に」
ガタッ
廊下から音が聞こえた。三人は自然と口を噤む。要は杖を構えて教室の入り口に向ける。
「数十分後に、なんだって?」
「す、数十分後にかわいい猫がやってきて、撫でていたら帰りのゲートになったと……私はこれを帰還猫と名付けて……」
ドアが開けられる。そこにいたのは、外の乱立する銅像に赤ちゃんがいたらこんなビジュアルになるだろうなぁと思わせる、顔のパーツが歪に歪んだ2メートルほどの大きさの赤ちゃんだった。
「おんぎゃあ゛あああああああ!!!!」
「「「うぎゃあああああああああ!!!!」」」
お互いの叫び声が響いて画面が揺れる。
赤子ははいはいの要領で体を引きずりながら三人に近づく。
「ああああ現代魔導士舐めんなぁ!!」
要が杖から光線を出す。それは大きな目に当たったようで、赤子は目を押さえながら悶え苦しむ。
「ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
音響兵器かと思わずこぼしてしまいそうになるほどの大音量で赤子がなく。
要はさらに何発も撃ち込む。
その隙にかな子は紫楼と要の手を引いて教室後方側の出口へと向かう。カメラがかな子を映す。
「なにあれっ! 赤ちゃん!? ははっあんなの聞いてない聞いてない聞いてない!!」
「死ぬぅ」
「ばかっ! 効いてるよ!!」
要が立ち止まってかな子を止める。映像には全身から血を流して泣いているグロテスクな赤子が映る。
「おえぇ」
紫楼が嘔吐する。映像が大きく乱れ床を映す。
「ちょっ! 大丈夫紫楼ちゃん!?」
「あぇ、だいじょうぶです」
「おい! あれを見て!」
紫楼が震える手でカメラを構える。そこには指を指す要と、さっきまで赤子がいた場所にある黒いシミがあった。
「出口だっ!」
かな子が叫ぶ。そして紫楼と要の腕をもう一度掴むと、それに向かって走り出す。
もう一度、カメラの映像がねじ曲がる。
正常に戻った映像はまたもや教室の一角を映していた。しかし今度は比較的短時間で拾われる。マイクに三人のものだと思わしき雑多な声が入る。
「とりあえずカメラ止めるよ」
最後にかな子の顔が映り、動画は終わる。
動画はバズりました