第八話
訂正?しました。
1911年
中華民国
北京・紫禁城
深夜
紫禁城を取り囲むのは、通称護城河と言われる内金水河。つまり巨大な水堀だ。幅は52メートルと大きく、敵兵の侵入を防ぐ役割を持っている。
その水面に次々と浮かび上がって来るのは、成彦から密命を受けた風魔衆。
堀の出っ張り部分に足を引っ掛け軽々と登って行く。
手すりの所まで上がると、周囲の状況を確認する。
中華民国軍人と思われる人影が二人程近くにいる事が確認できると、隣にいる仲間に何人いるか手信号で伝えた後、手で首を掻っ切る仕草で指示する。
仲間が頷くのを見ると一気に飛び出す。
中華民国兵は壁の方を向いており何か会話をしていた。
右側の兵士が何か気配を感じたのか後ろを振り返ろうとした時には、口は塞がれ胸には短刀が突き刺さっている。
左側の兵士も首を縄で絞められてジタバタしていたが、直ぐに大人しく成った。
骸になり果てた二人から軍服を脱がすと装束の上から着る。
二人の死体を担いでいる間に残りの風魔衆が手すりを乗り越える。
16人で構成される、風魔衆に残された数少ない実行部隊の一つだ。
「棟梁。これからは?」
「イ1番とイ2番はここで連中のふりをしろ。イ3番とイ4番は援護。他は俺に続け」
『御意』
柿渋色の装束をしている風魔衆を率いる棟梁、風魔廉太郎は腰にある鉤縄を手に取り、壁の向こう側に向かって投げる。
一度、引っ掛かったかを確認すると手応えがあった。
周りの配下に目配せをする。
縄をもう一度引っ張り大丈夫である事を確認すると壁伝いに登る。
壁を登り切ると清王朝、中華支配の象徴であり中心が一望出来る。
壮大の眺めだ。
一瞬だけ任務を忘れてのめり込んでしまう。
皇帝が即位する時や、皇太子が結婚する時など国家の重要行事が行われる際に使われる中華最大の木造建造物、太和殿。
その他にも南にあり正門である巨大な門、午門。
内廷と呼ばれる、内政など政治を行う場所の入り口にあたる乾清門。
その乾清門をくぐると皇帝が執務をする建物が乾清宮だ。
どれも中国文化を象徴する建物であり美しい。
しかしここに来たのは成彦殿下への恩義に報いる為。
「全員登り終えました」
「分かった。行くぞ」
目指すは清王朝歴代皇帝が寝床にしている養心殿。
そこに目的の人物がいる。
階段付近は恐らく中国人達がうろついている。
そう考え、壁から一気に飛び降りる。
紫禁城の城壁は高さ12メートル。ビル3階から4階に値する。
並みの人間なら大怪我間違いなしだ。
だが風魔衆はこの位の高さから飛び降りる事は造作もない事で、着地の衝撃をうまく分散離散させ全員が無傷だ。
紫禁城の南東側から侵入した為、養心殿からは少しだけ遠い。
今宵は月が雲の間から途切れ途切れに覗かせる。
侵入するには絶好の機会だ。
12人と廉太郎を含めた風魔衆は紫禁城内部を最大限警戒をしながら進む。時々、中国民国兵が巡回しているが、時にはやり過ごしたり時には陰に引き込み処理する。
文華殿、南三所、皇極殿と中央の太和殿を迂回し北側の御花園を通る。
途中の壁や建物を利用しながらなるべく慎重かつ最短でたどり着く順路を取る。
目的地の養心殿が見えた。しかしここに目的の人物がいる性か中隊規模の兵士が見張っている。
幸い潜入されているとは考えが及ばないのかほぼ無警戒だ。
「ロ班とハ班は連中の注意を惹き付けろ。残りは敵が混乱している隙を突いて目標を回収する」
『御意』
「それと万が一、捕まった場合は...舌を噛み切れ」
『我等が命は闇に還りその正体を決して明かさず。全ては我が一族復興と殿下の恩義に報いん為』
「ならば良し...散れ!」
号令を受けた風魔衆は行動を開始する。
二つの班は手近な建物の屋根に登り、武器を構える。
武器は古今東西の武器が混在している。
日露戦争時に盧獲されたロシア帝国主力小銃、モシン・ナガンシリーズ・M1891型や、今では大日本帝国陸軍内でも珍しくなった十三年式村田小銃、威力と命中率が高いクロスボウや連射速度が早い短弓を構える。
これには例外なく毒が塗り込まれている。
一撃で死なない場合はこの毒によって、敵を死に至らしめる。
廉太郎の合図を待つ陽動役。
じっと待つ。
常に照準を頭や心臓がある胸の少し下に合わせている。
「殺れ!」
ほぼ反射的に引き金を引く。
モシン・ナガン・M1891型の7.62×54mmRの弾丸は、寸分狂わず目標の頭に命中し、血を吹き出しながら崩れ落ちる。
十三年式村田小銃の11mm村田有縁実包11x60Rは民間に売却され熊狩りの猟銃として使用される威力は過激で、当たった腕を引き裂いている。
クロスボウの矢は普通の弓矢より太く短くなっている。これにより短距離から中距離に於ける性能は長弓より良い。しかし欠点として連射が出来ないがそれを短弓が補っている。
『ギャァー!』
「『敵襲』!?」
突然の襲撃に右往左往をしながら次々とあの世に強制送還される中華民国軍兵士。
反撃しようと銃を構える者もいるが、そういった者は優先的に狙撃される。
大混乱に陥っている隙に養心殿内部に突入する。
先程から鳴り響く銃声で侵入された事に気が付くであろう中華民国軍が、時間を置かずに殺到するのは目に見えている。そのため急ぎ目標を確保する必要がある。
養心殿の内部構造は粗方、頭に叩き込んでいる。
途中、立ち塞がる敵を速やかに排除しながら目標に突き進む。
直ぐにある部屋の前にたどり着いた。
「お前達は近づく敵を全て排除しろ」
『御意!』
扉を静かに開けて部屋の中に入る。
中はかつて、東洋の眠れる獅子と呼ばれていた片鱗が見える程、内部は豪華かつ繊細に作り込まれている。
だが、それらには一切の関心を示さずある一点に突き進む。
ベッドからもぞもぞと動く気配があるので、なるべく近くに寄る。
するとまだ幼い子供が、眠そうに眼を擦りながら起きた。
「『初めまして』溥儀殿下。私が分かりますか?」
すると清王朝12代皇帝、溥儀は小首を傾げる。
『もう朝なのか?』
その純枠なる質問に思わず苦笑してしまう。
『はい。もう朝でございます』
『けど、まだ暗いぞ』
『それは仕方ありません。何せ今夜の太陽は西から昇り、東に行き着くのですから』
『...?』
分からないと言う表情する幼き皇帝に答えを告げる。
『太陽は溥儀殿下、貴方でございます。そして太陽が沈む場所は貴方の先祖が生まれし故郷、満州であります』
そしてあらかじめ用意していた眠り薬入り水を飲ませると、まだ眠かったのであろう。直ぐに寝てしまう。
失礼と言い、溥儀の体を持ち上げる。
軽い。
この小さな子供の背中にどれほどの重荷があるのか。
そう考えるもすぐ打ち消す。
廊下には複数の中華民国兵が死体になり横たわっていた。
「結果は?」
「上々だ。引き上げるぞ」
部下の助けを借り、溥儀を背中でおんぶした状態にし紐で落ちない様に締める。
直ぐに建物に外に向かう。
外は大量の中華民国軍で溢れ反っていた。
百人以上はいるかも知れない数だ。
外に出た瞬間、信号弾を打ち上げる。
「脱出する。付いてこい!」
『御意!!』
陽動を担当していた風魔衆が次々と丸い物体を投げ込んでいる。
それは地面に着弾した瞬間に強烈な閃光と高音を撒き散らす。
まともに食らった中国人達は地面に這いつくばり泣き叫ぶ。
その間を全速力で走り抜ける。
丸い物体の正体は特別製の火薬を使用する閃光弾だ。
現代のスタングレネードに通じる物だ。
そしてここまで来た逆ルートで壁まで走る。
幸い、脱落者は誰もいなかった。
そして壁を登るのも最初と同じ様にする。
壁を登り切れば再び飛び降りる。
飛び降りる先には中華民国兵に変装していた風魔衆が待っていた。
「脱出方法は確保したか?」
「手筈通り」
部下が案内した先にあるのは人数分の立派な体格をした軍馬がいる。
そして将校が着る軍服も人数分あるので、全員着替える。
着替え終えた者から軍馬に跨がる。
「棟梁。欠員は居りません」
「よし。脱出する」
手綱を握り込み、馬を走らせる。
道中、何度も中華民国兵と擦れ違うが誰も止めなかった。
何せ、将校達が乗り込んでいる馬の集団が、まさか侵入者だと思わなかったのだろう。誰も咎めようとする事すらしなかった。
風魔衆は無事に溥儀の確保に成功し落日の帝国、清王朝の首都・北京を脱出する。
しかし、その誘拐劇を達観した目付きで最後まで観ている人物がいた。
『ふむ...』
その人物は若く穏和な顔立ちであり、眼は細いながらも温かさを感じさせるが同時極寒零度を思わせる。服装はこれぞ中国仏教の真意とでも言うべき質素な服装だ。座禅を組んだまま宙に浮かんでいる。
そう、宙に浮かんでいるのだ。
『ほほほ...現世は相も変わらずつまらない物であると考えていたが、なかなか面白き事が起きていると見える』
顎を撫でながら楽しそうにそう漏らす。
『ともすれば即断即決が良いである。どれ少しばかり寄り道をするとしよう』
座禅を崩し地面に足を着けると、男のどこかフワフワとした存在感が確かな質量を得る。
鼻歌を歌い出しそうな上機嫌で辺りを彷徨き始める。
やがてある一人の兵士に声を掛ける。
『そこの者、少し道を教えてくれんか?』
日本と中国の戦争は古来から行われて来た。
一回目が663年に起きた、それまで日本本土統一に力を入れていた倭国が、初めて海外侵略をした事により、勃発した白村江の戦い。
しかしこの戦いは、中国史上屈指の軍事力と国力を持った王朝として知られる唐には敵わず敗退。
これにより、当時の天皇である天智天皇は国家改造が必要であると認識した事で、近江令と呼ばれる日本最初の律令法典を制定したとされている。更に国名を倭から日ノ本に改名した。
その後に続く弘文天皇を退け即位した、第40代・天武天皇は律令制度を導入する準備として、氏姓制度の改革や飛鳥浄御原令の配布を行い、中央集権体制を確率をさせた。
二回目は1274年と1281年に九州北部博多に来襲した戦い。
前者が文永の役、後者が弘安の役である。
どちらも中国のみならず中央アジア、ヨーロッパ方面まで進出し、世界最大の帝国を作り上げた、モンゴルの英雄チンギス・ハンの孫であるフビライ・ハンが高麗、当時の朝鮮を攻略した際に高麗文官の趙彝から日本の存在を知らされたのが直接的理由である。
フビライ・ハンはこの情報を頼りに両役合わせ5000隻以上で編成された空前絶後の大船団と、それに乗り込んだ20万人近い軍団を派遣するも、予想以上の日本側の奮闘により上陸は遅廷。
そこに神風...台風が直撃。
死者15万人。
船団も3分の2以上が沈む悲惨な結果に終わった。
フビライ・ハンは晩年、第三回目の日本侵攻を計画するもフビライ本人の死亡により、その計画は絶ち消えた。
三回目は1592年から1593年と1597年から1598年に豊臣秀吉指導の下、出兵した文禄・慶長の役。
この歴史上、二回目になる朝鮮出兵で動員された兵力は両役合わせて30万人に達する。
文禄の役では戦国時代と言う名の、弱肉強食の世の中で鍛え上げられた日本軍が地獄を作り上げた。
日本軍の死者およそ7万人弱。
対する中国・明王朝と朝鮮王国の連合軍、動員兵力50万人近くいる中で、戦死者は不明。
これは余りの死体の数から途中で記録を録るのを辞めたなど、諸説ある。
しかし少なくとも30万人以上が戦死又は飢餓など病死だと伝えられる。
結局は豊臣秀吉の死亡により、当初の目的である海外領土の獲得も果たせず、派遣軍は撤退した。
四回目は日本が明治維新を断行して以来初の戦争となる日清戦争である。
これは日本側が朝鮮の政治改革を要求した事から始まる。
最初は両者共に対立していたが途中、イギリスが和解案を、ロシアが日本に対して警告を出した事で一旦は膠着するが、清側が和解案を拒否した事で一気に火が着く。
これにより1894年7月25日に開戦をして1895年11月30日に終戦した日清戦争が起きる。
日本軍は延々と続けて来た近代化により獲得した西洋式軍隊により旧来依然の清軍を圧倒。
数の差もあり勝利を収めた。
しかしながら栄養失調などによる死亡者が続出する事になり、頭を悩ませた陸軍肝いりで「臨時脚気病調査会」なる組織が結成され、後に正式化されると日本医療界で旋風を巻き起こす結果となった。
この組織の研究結果を例に上げるとするなら、ビタミンB1が身体の活動に無くて成らない物と判明した事だろう。
歴史を探れば小さな争いを除くと、計4回に及ぶ、日中双方の戦争の概要だ。
そして...1912年、ここ満州で再び争う事となった。
1912年
満州国・熱河省・錦西
錦西は錦県から約15キロ南南西に進んだ場所にある。
21世紀では葫芦島市と呼ばれている。前世では太平洋戦争末期にここから多くの日系満州開拓移民が引き揚げ船で日本に帰国した。
錦西一帯は基本的に高低差があまり存在しない場所ではあるが、ここを抜かれた場合、直ぐ後ろに熱河省に置いて重要拠点である大都市・錦県があり、更にその先には奉天がある。
奉天は満州国臨時首都ハルピンと、日本から支援物資が荷揚げされている、旅順・大連を結ぶ満州鉄道の中間地点に位置する。
中華民国が奉天を占領すれば、食糧、石炭などの生活必需品や、武器弾薬等の軍需物資の補給線が断たれる結果になり、満州国は崩壊する。
満州軍と日本義勇軍が守りきれば、満州は晴れて独立国に成る事が出来る。
中華民国軍約2万人、満州・日本連合軍7,000人は、かつて日露双方の血が流れた大地で激突した。
大日本帝国陸軍義勇軍・満州独立軍連合と中華民国軍お互いを、砲の射程内に収める形で陣地を構築をしている。
日満連合軍は日露戦争の苦い経験から塹壕陣地を形成。鉄条網や地雷を設置するなど間接的防御を強化。時代を先取りした〈二十八式野砲〉が砲兵陣地に居座り、太陽からの光を受け砲口を輝かせていた。
塹壕には〈三十年式小銃改〉を装備するロシャーナ連隊1,500人が左翼に展開。
右翼に展開している満州独立軍1,000人は供与された〈三十年式小銃改〉を整備している。
中央に待機するのは、日露戦争を戦い抜いた全国各歩兵師団から志願した歩兵2,500は最新の〈三八式歩兵銃〉を配備されていた。その後方に補給部隊が展開している。
それに対して、中華民国軍の軍備はバラバラであった。
小銃や大砲の種類は欧州列強の兵器が混在しており兵器見本市と化しており、如何に中国が列強各国に食い物にされているか、見るだけで分かる有り様だ。
ドイツ帝国が開発した本格的なドイツ式ボルトアクションライフルの元祖である〈モーゼル・Gew71小銃〉や現主力小銃として配備されている〈モーゼル・Gew88小銃〉が数的主力を成している。
フランス軍が第二次世界大戦直前まで愛用していた〈ルベルM1886小銃〉と〈十三年式村田銃〉の元になった〈1874グラース小銃〉や、イギリス製の〈リー・メトフォード小銃〉と現代でもその実績と信頼から数多くの愛好家がいる〈リー・エンフィールド小銃〉がチマチマと見受けられる。
それに加え日露戦争から流れ物なのか、モシン・ナガン・M1891型小銃もある。
大砲については数えるのが馬鹿馬鹿しい位だ。
仏〈ド・バンジュ90mm砲〉・英〈オードナンス BL 12ポンド 7cwt砲〉・独〈7.7cm FK 96野砲〉・露〈M1877 87mm野砲〉
他にも色々あるが、おおまかに挙げるとするなら、この4つが大量にある。
それはもう馬鹿げた量だ。
しかし陣地構築ははっきり言って、出来ていないの一言で済む。
近代の攻防戦では必要不可欠な塹壕陣地を黙々と作っている日満連合軍を指を指して馬鹿にする者もいる程だ。
野砲はただ並べただけで、攻撃を受けた際に被害が出るのは目に見えている。
だがそれは仕方ない事だ。
日露戦争で世界最大の大陸国家ロシア帝国軍相手に一年以上に渡って激戦を繰り広げ、多くの犠牲と共に手にいれた戦訓を元に軍備強化を続ける日本と、日清戦争に負けて以来、宦官や汚職、権力闘争により国内の政治体制はガタガタ。更に敗戦による皇帝の権威失墜を好機と見た欧州列強の浸透により委任統治と言う名の実質占領統治。
これを見てどこに他国の戦争の教訓を取り入れられる余裕があるだろうか。
そして...両軍は一昼夜の睨み合いを経て、砲火の火蓋が切られた。
大日本帝国陸軍・義勇軍司令部
幾多にも築かれた塹壕により形成される野戦陣地の最深部に義勇軍司令部は野戦用テントにより指揮所を設営していた。
指揮所の中は、人の体以上に大きく不恰好な最新の野戦用無線機が設置されており通信手が前線から戦況報告を書き記した紙を何人かの司令部要員に渡している。その隣には、大きなテーブルの上にこの辺り一帯の地形を細かく書いてある地図が置かれている。そこに紙に書かれた報告を持った士官達が幾種もの色鉛筆で印や記号を書く。
その地図とにらめっこしているのは日本義勇軍司令官、乃木希典陸軍元帥。本来、乃木元帥は明治天皇が崩御した事を知ると、妻の乃木静子と一緒に自害する筈であったが、宮中に呼ばれた乃木は、大正天皇から明治天皇直筆の乃木本人に宛てた遺書が渡された。
それを読んだ乃木はその場で立ち尽くして静かに涙を流した。
大正天皇から、現場に立つだけではなく未来ある若き将校達の教育を任されていたが、最後の御奉公と決め、義勇軍司令官として海を渡った。
参謀陣は彼自身が指導した若き陸軍将校で固められていた。
参謀長、林銑十郎大佐。
作戦参謀、杉山元中佐。
補給参謀、寺内寿一中佐。
通信参謀、畑俊六中佐。
砲兵参謀、西義一中佐。
情報参謀、松永一郎中佐。
西義一中佐を除けば、後世に誰もが名高い将軍の名前がズラリと並んでいる。しかし西義一中佐も余り無名とは言えない人物で臨時帝室編修局嘱託などを務めて功二級勲一等旭日大綬章を授与されている。
松永のは言わずもだが転生者の1人だ。
「敵、中華民国軍が準備砲撃を開始。砲撃目標は各歩兵連隊が退避する塹壕陣地だと思われます」
「敵歩兵が砲撃と同時に前進を開始。その数およそ4,000」
「味方砲兵隊、阻止砲撃を始めました」
午前9時を過ぎると、攻撃を開始した中華民国軍の突撃は第一派が僅か10分足らずで撃退され日満側には大した死傷者は出なかったが、昼過ぎに再開されたこの攻撃...第2派は明らかに数が違った。
「中央から一個大隊を引き抜き、右翼に回せ。いくらタタールの血を引くとは言え満州人達もこの数はきつかろう」
「予備として待機している第11大隊で宜しいですか」
「それで良い。...しかし数の差が激しくて防御に徹する他ないな」
「仕方ありません。伊達に獅子の渾名を諸外国から付けられ、人口4億を自称をしていますから。それに情報部としては当初の予想を上回る、今回事態に少々困惑しているくらいです」
乃木の愚痴に答える松永中佐は、遠回しに情報不足であった事を陳謝するがどこか楽しそうにしている。
そんな松永中佐に林参謀長が質問する。
「予測ではどの位の数だったんだ」
「情報部の予測では、中華民国軍は満州鎮圧をする為に割ける戦力はおよそ10,000未満と見ていました。理由は、彼らの中国全土の統一が未だ完了していないからです。遅かれ早かれ討伐されるとは思いますが、各地方には清王朝への忠誠を謳い文句にしている軍閥がいまだに戦力を有していますから」
「だったら何故、二万近い数に膨れ上がったのだ!」
日露戦争従軍中に負傷した事で左目が大きく開かなくなった杉元中佐が拳を机に叩きつけて問い詰めるが、松永中佐はおどけた態度を崩さなかった。
「さあ?色々と考えつく事はありますが、どれも確証がありませんので情報部としてはっきりとした事は言えません」
「貴様!」
「まぁまぁ杉元中佐、それより今は敵の攻勢をどうはね除けるかを考えましょう」
あくまで、のほほんとした態度を取り続ける松永中佐に、激昂する杉元中佐を抑えて西中佐がそう言うと、寺内中佐が勢い良く立ち上がり発言する。
「元帥!補給参謀として発言いたす!現在の防御戦をこのまま維持した場合、後3日で手持ちの75㎜砲弾が底を尽きるでありますので、ここは早急に反撃を期するものであると、本官は具申します!」
「閣下。小官も寺内中佐に賛成です。敵の戦力がこちらを上回っている以上、この戦いは非常に不利です。一度後退して態勢を立て直す。それが不可能な場合は攻撃を仕掛け出血を強要するべきと考えます」
寺内中佐の意見に賛同したのは、意外や意外松永中佐であった。
彼は合理的な案を出したが、勿論反発する者もいる。
杉元中佐と畑中佐が反論する。
「今ここで後退すれば錦西を失う。それに我々が退けば連中は必ず図に乗って追撃して来るぞ!」
「それに攻撃を仕掛け様にも、敵の戦力は低く見積もって我が方の数倍、一個師団に相当する。これに正面から攻撃を仕掛けるなど自殺行為だ」
寺内中佐、松永中佐が攻勢論を唱え、杉元中佐、畑中佐が守勢論を唱えてお互いに自らの意見を主張する。
乃木は林参謀長と目を合わせたが首を横に振るのを見て、頭を悩ます。
ここにいる参謀陣は全員、乃木自身が手塩を掛けて育てた優秀な者達だ。特に林参謀長は日露戦争で発生した大規模な塹壕戦を体験した経験から原始的な浸透戦術を考えだした傑物だ。
『浸透戦術
この戦術の元になった散兵戦術が猛威を振るったのは、大英帝国がボーア戦争で連邦諸国軍も含む大軍を投入したのに対し、オレンジ自由国及びトランスヴァール共和国は多数のゲリラコマンドによる突発的奇襲攻撃や焦土戦術を実施してイギリス軍に大きな打撃を与えたが、国力の圧倒的差により3年間奮闘したが、最終的に全面敗北をする。このイギリス軍に打撃を与えた散兵戦術に注目したのは、普仏戦争で歴史的大勝利を飾ったプロイセン・ドイツ帝國陸軍である。
ドイツ陸軍は間もなく国際状況の劇的な変化による絶好の研究材料を見つける事になった。
日露戦争である。
この戦争をつぶさに観察、徹底した調査を実施した。
これは、日露双方がドイツ式軍隊編成を採用している為で、自分達の戦術・兵器の有効性を再確認をする意味合いがあったが思わぬ副産物を得た。
この戦争でロシア軍が従来の集団戦術に基ずく軍団規模の物量戦を展開したが、日本軍はこれを問題視して旅団規模で運用。大規模な塹壕戦では日本軍が優位に立った。
この結果を重要視したドイツ軍は、イギリス・フランス両国より早い段階で散兵戦術を昇華させた浸透戦術を立案。第一次世界大戦で実行することでドイツ・ベルギー間の要塞を早期陥落させ、大戦初期の主導権を握る。しかしこれは飽くまでも一部の将校が秘密裏に実施した物で、規模は連隊以下であった。
だが浸透戦術の原型をガリシア・南西方面軍ロシア軍司令官ブルシロフが1916年にオーストリアの発案。ガリシア地方に向けて大攻勢を賭けた。衝撃部隊と呼ばれるブルシロフ発案の複数の小部隊は見事、ブルシロフ司令官の期待に応え、俗にブルシロフ大攻勢と呼ばれる作戦を成功に導いた。
ドイツ帝國軍は1918年の最後攻勢〈カイザーシュトラント〉を実施した時にほぼ全軍で本格的浸透戦術を敢行、これは連合軍の必至の防衛の結果、失敗した。
しかし浸透戦術の効果は世界の軍人達にまざまざと見せつけ、世界の陸軍は浸透戦術を更に昇華させる事となる』
顎鬚を撫でながら議論の行方を見守っていたが、そこに伝令が入って来た。
若い青年だが頬に黒色の粉が付着しているのを見て溜め息を出しそうになるが堪えて、努めて笑顔を貼り付け先を促す。
「砲兵隊指揮官、龍造寺元信大佐からです。『砲兵を更に前進させ敵陣地を直接攻撃を敢行するべし。前線の歩兵部隊からの支援要請は対処範囲から著しく逸脱しつつあり。指示を請う』以上であります」
「龍造寺に伝えろ。『砲兵隊は現在位置を固持し各前線への適切なる火力支援を実施せよ。追記・勝手に動こうとするな馬鹿』以上だ」
返答を受け取った伝令は駆け出し行く。
その後ろ姿を見てから、視線を地図に落とす。
中華民国軍は戦線全体に渡って圧力を掛けているが、数の間に合わせが多いのか複数の隊列を組んで突撃を繰り返す、単純な戦術ばかりを繰り返している。
敵の指揮官は消耗戦を考えているのか、はたまた...ただの無能か。
だがこのままでは膠着した戦況を続けるのは得策では無い。
「林参謀長。貴官ならどうする?」
そう問いかけると、林参謀長は従兵から鉛筆を借りて地図に書き込み始めた。それまで罵り合いにまで発展していた四人も黙って見詰める。
「本官が考えるに、敵は我が陣地の奪取にこだわりがあると見えます。我が方は敵の3分の1の戦力であります。ゆえに下手な策を講じずに、あくまでも正攻法で攻略しようとするのでしょう。また敵第一波を撃退した際に督戦隊らしき部隊を目撃した、と報告があります。察するに敵部隊の中には士気が低い部隊が混在していると思われ、これが敵のアキレス腱であると考えます」
「とすればこの部隊を攻撃すれば敵は全面崩壊すると?」
「はい。ですが中途半端な戦力で攻撃するのも、並みの攻撃を仕掛けても戦果は今一つになるでしょう」
「林参謀長、まさか...」
畑中佐が愕然とした響きで言葉を発する。林参謀長が考えた作戦に思い当たりがあるからだ。
林大佐ははっきりと言い切った。
「元帥閣下。現時点で義勇軍司令部指揮下にある、全ての現有戦力による夜襲を進言いたします」
「...出来るのかね」
「大丈夫です。それに我が方は先の日露戦争時に兵役を遂行した者ばかりです。夜襲は遼陽会戦で経験ずみです」
「良いだろう。...各参謀に告げる。各戦線の状況を詳細に確認し、負傷兵を除く全将兵による夜間攻撃を仕掛け一気に敵軍の指揮系統を破壊。これを撃退する。なお無用な攻撃を避け犠牲を一兵でも少なくせよ。では掛かれ!」
席から立ち上がった若き参謀達が敬礼をしてからそれぞれの持ち場に向かう。
「閣下。自分で作戦を提案しておきながら追撃に関する目処が立っていませんがどうしますか?」
林参謀長が少しばかり不安な表情を見せたが、乃木はそんな林参謀長を安心させる様に、いざと言う物を知らせる。
「今この戦場に居る満州兵達が、彼らの全戦力だと思うかね?」
西中佐は馬を走らせながら自分の頼れるが血の気が早い先輩が居る砲兵陣地に急いだ。
砲兵陣地では〈二八式野砲〉群が速射しまくっていた。
もはや軍服が邪魔だと上半身裸の男達が75ミリ砲弾を手に持ち、砲口が火を噴き、空薬莢が砲尾の開閉口を開けた途端に排筴され、すかさず次の砲弾を装填する。
装填されると砲手が操作するかたわら、観測手と通信手から次の砲撃目標を聞きながら射角を調整すると拉縄を引っ張る。
〈二八式野砲〉の砲口が煌めき75口径の炸薬が充填された鉄の塊を遥か先にいる敵歩兵に送り出している。
辺りは大量の75ミリ砲弾がピラミッド状に山積みにされていて、多くの砲兵が軍用に徴発した大八車に次々と砲弾を載せて行く。
交通渋滞と化している弾薬集積所前を憲兵達が死にそうな顔で捌いている。
そのすぐ近くの場所に急造ながらしっかりとした造り射撃指揮所があり、馬を降りて近く将兵に託した西中佐は迷わずそこに足を踏み入れる。
中に入れば怒号が行き交っていた。
「第5砲兵中隊の砲が連続砲撃による砲身の異常加熱で射撃を一旦中止。現在砲身の冷却に取り掛かっており砲撃再開にはおよそ3分掛かるようです」
「第5砲兵中隊の担当していた第11地区への砲撃は、第2砲兵中隊を支援に回しました。第7地区に砲撃を続行中の第6砲兵中隊が間もなく即応弾が尽きるとの連絡がありました」
「第1及び第9砲兵中隊が射撃を再開。目標は第5地区に振り分けました」
「中央の敵軍を砲撃している第3砲兵中隊から『敵軍後退しつつあり』と連絡がありました」
「右翼の満州人部隊から支援砲撃の要請です」
「第1砲兵中隊にやらせろ。第5地区は第9砲兵中隊で充分だ!」
砲兵士官達が無線有線伝令問わず前線からひっきりなしに来る砲撃支援を各砲兵中隊に割り当て最適な火力支援を送り出している。
義勇軍砲兵隊は日本全国の各師団から実戦経験が充分であり優秀な戦歴を持つ砲兵を選びすぐり、歩兵部隊とは別で満州に1000人以上の砲兵を200門近い〈二八式野砲〉と一緒に送り込んでいた。
〈二八式野砲〉は前世の〈九〇式野砲〉を元にした野戦砲で、中華民国軍が保有する各種野砲より射程・発射速度・破壊力など、重量を除く全て基本性能に於いて勝っている。
この圧倒的練度と性能の差は日本が数の不利な状況でも互角に渡り合えている原動力でもある。
「おい西!ちょっと来い」
余りに多忙な指揮所の様子にどうすれば良いか西中佐が迷っていると、一番奥でドッシリと腰掛けた状態で仏頂面をしている龍造寺大佐が居た。
「どうしたましたか?先輩...龍造寺大佐」
「相変わらず陸軍砲兵学校の癖が抜けてないな西!」
仏頂面だった顔を途端に破顔させ声を張り上げて笑う龍造寺大佐。
彼ら二人は陸軍砲兵学校では先輩後輩の関係で年の差を感じさせない程仲が良い。
「乃木元帥が苦い顔をしていましたよ」
「そりゃ仕方ねぇ!何せ旅順攻略戦の時は司令部に怒鳴り込んで203高地攻略を訴えたからな。それで付いた渾名が拡声寺だぞ!」
「...前から思うんですが、どうしてその渾名に?」
「それがよ、『身体がデカイ、声もデカイ、主張も激しいから、昔の一向宗みたいだ』てその時の司令部の誰かが噂したみたいでよ。それで坊さんが住んでいる場所はどこ?てなって俺の名字に寺があるから『じゃあ拡声器の拡声と、龍造寺の寺を合わせて、拡声寺でいいや』みたいな流れでこの渾名よ!全く勘弁して欲しいぜ」
そう言いながらゲラゲラと笑う龍造寺大佐に、西は『実際は気に入ってますよね?」と心の中で思ったが口には出さなかった。出したら鉄拳が飛んでくるのが間違いないからだ。
龍造寺大佐は笑いながらもこう問いかけて来た。
「んで?乃木の爺さんはやっと重い腰を上げたか?」
「ええ。その為砲兵隊は夜襲に参加出来るのかを確認したいのですが」
「夜襲ねぇ...。おい砲弾の残量て、あとどれくらいだ」
内心、このどこか抜けているが勘が鋭い龍造寺に舌を巻くが、参謀としての仕事を果たす為にそう質問すると、大佐は近くにいた士官に確認を取る。士官は一旦砲撃指揮所から出て行くと、心底疲弊しているが目に見えて分かる補給士官を連れて戻って来た。補給士官は龍造寺大佐に帳簿を渡すと直ぐ隣の仮眠所に倒れ込む。
龍造寺はそれを全く気にせず帳簿を捲って、
「今、一番近いから使っている第1弾薬集積所は今日中に空っぽになるな。まあ、第2と第3集積所がまだタップリ残っているから問題ないな」
そう気楽に言ってから西中佐に帳簿を渡して来た。
西が帳簿を捲っていると後ろから暢気そうに声を掛けてくる人物が入って来る。
常日頃から『爆破こそ芸術である!』と公言しており陸軍全体から問題児扱いされながら、日露戦争の影の功労者であり年々拡大の一歩を辿る日本軍最大の情報機関、陸海軍統合情報局、略して統局の長を務める明石元二郎陸軍中将から直々に薫陶を受け、陸軍随一の情報通として知られ次期情報局長官と噂される松永一郎中佐。
「あぁぁ?松永じゃねえか、何でこんな五月蝿くてクセエ場所に来たな」
「少しばかり相談したい事があってな。でなければこんな小汚ない場所に来んわ」
顔を合わせた途端にガン付け合う両人に『なんで二人は会う度にこうなるのだろうか...』と考える。西中佐から見た二人は仲が良い。その一言で済む。ただし出会い頭に皮肉か本当か分からない言葉をぶつけ合うから始末に終えない。
松永中佐は西中佐の冷えた目線など、どこ吹く風と椅子に座り年代物の煙管をを取りだして煙草に敷き詰め火種に点火する。軽く吸ってからゆっくりと吐いた。
「実はな、すこーーーーーし、儂の立場が悪くなってな。ちょっと手を貸してくれんか?」
松永がそう頼み込んだ。
龍造寺は呆けてまま人差し指で松永を指してから、
「お前が...俺に?」
自分を指した。
松永が頷くと暫く固まったまま動かなかったが、松永がペチィン!と張りのあるビンタを喰らわすと龍造寺は文句言いながらも真剣な表情をする。
西中佐は龍造寺大佐の横に立って黙って聞く事にした。
「いっっって。もう少し手加減しろよ。でなんだよ頼み事て?」
「お主がボケるのが悪い。そうだな...お主なら知っていると思うが儂ら情報部の予測が大外れしたのは聞いただろう」
「それは勿論。俺もそうだが俺の部下達も考えつく罵倒を並べて恨んでやったぜ!」
「...相談する相手を間違えたか...。それでだ、今回の失態は間違いなく情報部の不手際なのだが、これには理由がある」
松永が険しい表情をしながら話始めた。
最初にこう切り出した。
「現在進行形の事だが例の噂は聞いただろう?」
「ああ、あれか。日本軍が漢民族虐殺を計画している、て言う根も葉も無い噂だろうに。あれの何が関係しているだ?」
「その噂がもし民衆からではなく我が軍内部から出たとしたらどうする」
「...マジか?」
「マジだ」
龍造寺大佐が呆然とした問い掛けに大真面目にそう答える松永中佐を見る限り嘘だとは思えない。
西中佐は思わず口を挟む。
「本当なのですか!」
「本当だ。それに一応目星も付けてはいるんだがな...手を出せん」
「お前がそこまで言うのも珍しいな、それで殴り込みに行くか?何人か力自慢の野郎は知ってるから、声を掛ければすぐ集まるぜ」
張り切っている言う龍造寺。
このまま殴り込みに行く気満々な様子だ。
しかし松永中佐はそれを制止する。
「それが一般人ならな」
含みを持たせた言い方に西中佐はその意味を理解してしまった。
この戦場に来ている数多くの日本軍人の中で唯一、皇族の血統に連なる者。
「珠洲ノ宮成彦殿下ですか...」
「だから手が出せないんだ」
眉間をほぐしながら言う松永中佐。
「直接本人に聞けばいいじゃないか」
「それが出来ればこんな苦労はせん!もし拘束でもしてみろ!成彦殿下の周りに居るロシア人達が何をしでかすか分からんぞ!!」
余計な事を考えるなと言わんばかりに吼える。
日本に移民して来たロシア軍人から構成されるロシャーナ連隊は発足当初から邪険視されている。
書類上こそ、陸軍省直属部隊と明記されているが、独自行動権と命令拒否権を持っており、彼らがツァーリと呼び称える珠洲ノ宮成彦にしか従わない事から、実質珠洲ノ宮家が保有する私兵部隊だ。
隠蔽された戦艦〈薩摩〉殺害事件の時、成彦は明治天皇のお気に入りであったせいで軍上層部は手出しが出来なかった。
明治天皇が亡くなった今となってはロシア人一個連隊1,500人以上を独立した私兵として指揮下に収めている。
軍上層部は成彦本人を拘束しようした場合、最も危険視しているのがロシャーナ連隊だ。
ロシア人達が成彦を解放しよう帝都に進撃。その勢いのまま、クーデターを起こすのでは、と警戒しているのだ。
その為、ロシャーナ連隊の戦闘能力を少しでも削ぐ事を目的に、新型主力小銃として配備が進んでいる〈三八式歩兵銃〉より旧式で、装備改変で余っている〈三十年小銃改〉を渡した。
当初、最新の〈三八式歩兵銃〉を渡さなかった為に、成彦が陸軍省に怒鳴り込んで来るのでは、と懸念していた陸軍省だったがその様な事は起きず胸をほっとさせた。
「電話とかで聞いたのか?」
「一応な。しかし知らぬ存じぬの一点張りだ。それに今、成彦殿下の所に行ってみろ。ロシア人共が殺気だってお迎えしてくれるぞ」
「遠慮するわ。あそこ絶賛、血の雨が降っている最前線だし」
心底嫌そうな表情をする龍造寺大佐の言葉に同じ表情を浮かべる松永中佐。そこに話題のロシャーナ連隊からの支援要請が舞い込んで来る。
「左翼のロシャーナ連隊より通信!『ワレ、敵軍ト白兵戦二ナルモコレヲ撃退セリ。砲撃二ヨリ更ナル戦果拡大ヲ求メン』以上です。どうしますか?」
「どうしましょうかじゃねえ!?手空きの砲兵を支援に回せ!」
龍造寺大佐が要請を持って来た参謀を叱り飛ばす。
だが、朗報がもたらされたのは間違いない。
ロシャーナ連隊が敵の撃退に成功したからだ。またそれに続くかの様に次々と各前線から『敵撃退に成功』、『敵戦列崩壊』、『敵軍後退しつつあり』と幸先が良い連絡が入る。
司令部からも全軍に損害確認と再編成が下令された。
射撃指揮所も更に活気ずいている。
「松永。成彦殿下には今度ゆっくり聞こうぜ」
「そうせざるを得ないな」
仕方ないと溜め息をつきながらも松永中佐は立ち上がるので西中佐は敬礼をすると、答礼しながら同情の目で見られ、
「西中佐も大変だろうに。この馬鹿の尻拭いをいつもさせられて。すまんがこれからも馬鹿を助けてくれな」
「ハハハハハァ...全力を尽くします!」
「おい松永!そりゃ一体どう言う事だ!?それに西!!お前も何だ!その乾いた笑いはなんだ!?」
納得行かないと憤る龍造寺大佐を小バカにしてからかう松永大佐。
そんな二人を急かして仕事をさせる。
いつもの事とは言え損な役回りだな、と西中佐は考える。
日本義勇軍陣地
左翼担当、ロシャーナ連隊。
中華民国軍が昼過ぎに実施した突撃に対して、ロシャーナ連隊は予め設置して置いた地雷源と鉄条網により、敵の足が止まった所を機関銃と小銃、大砲から死のラブレターを撃ち込んだ。
しかしちょっとした予想外な事が起きる。
後方の砲兵陣地に要請した支援砲撃が、鉄条網の一部を破壊してしまったのだ。
これにより、破壊された場所に中華民国軍兵士が殺到。
そのままの勢いで突破しようする中華民国軍兵士と、それを阻止しようと立ち塞がるロシャーナ連隊兵士が衝突。
肉弾戦が塹壕のあちこちで展開される。
だが、白兵戦に於いては銃の扱いでさえ怪しい素人が複数いる中華民国軍。
日露戦争で敗れたとは言え、生きるか死ぬか、の戦場を体験済みのロシア軍人達で構成されるロシャーナ連隊。
蓋を開ければロシャーナ連隊が塹壕に入り込んだ中国人達を殲滅して戦闘は終了。
鉄条網と地雷源で足踏みをしていた集団は、後ろで逃亡しないように見張っていた督戦隊ごと、野砲の砲撃で吹き飛ばされ辛うじて生き延びたが、もはや部隊として体を成していない残存兵は自分達の陣地に撤退した。
ようやく戦闘が終わったロシャーナ連隊の兵士達は重い体を引きずりながら、糧食班から遅い昼食を受け取っている。
ロシア人達が中国人達を皆殺しにしたのも、自分達が昼食を食べようした時に、攻撃をしてきたからであり、飯の恨みである。
それだけ!?と思うかも知れないがバカにしてはいけない。
ロシア軍は上流階級出身つまり貴族士官以外の中流下級階級の兵士達の食事は基本貧しい物だ。
特に日露戦争末期の劣勢の中で出された食事は、白パンに比べて作りやすいが硬くてスープに浸けながら食べる黒パンと「シチー『Щи』」と呼ばれるロシア伝統の野菜スープだが具は限界まで薄く切られたハムと僅かに原型を残して煮崩れしているニンジンやジャガイモが入った味の薄いスープ。
戦争初期から敗北が続き、シベリア鉄道の労働者達までもストライキを起こした事が原因で、戦力を前線に送り込むばかりか食糧の輸送まで困難になっていた。
そんな日々食べる食事にすら困っていたロシア人達が、捕虜になって初めて腹一杯に暖かい食事を取る事が出来た。
そこに成彦が移民を募集したから、さあ大変。
我先にと嘆願書を送り付けるロシア軍人達。
だがこの嘆願書。困った書き方があった。
ロシア軍が徴兵する兵士は基本的に農民や農奴が大多数だった。
この時代のロシアでは、高等教育は貴族や資産家などの特権であり、平等教育と言う言葉など一文字足りともない時代だ。
つまりロシア軍人達中には、文字が書けない読めない、と言った多数文盲を含んでいた。
ではそう言った者達はどうやって手紙を書いた。
答えは簡単。
文字を書ける者が一枚の嘆願書に無理矢理、複数人の名前を書き込んだのだ。
これを見た成彦も最初は戸惑ったが根気強く捕虜一人一人と面接を根気強くこなした。
その行為を間近で見ていたロシア人達はこう考えた。
ーーーこの人の下で戦いたい。この人の前で死んでいく事を名誉としたい。
勿論、愛する祖国ロシアに帰る捕虜も沢山居た。
それでも多くのロシア軍人達は成彦の下に集った。
ロシャーナ連隊は一種の宗教と変わらない。
まあ簡単に言えばーーー狂信的忠誠心を成彦に捧げる者達の集まりと言う事だ。
そんなロシャーナ連隊の昼食は他の日本軍と少し違った料理だ。
主食は、本来なら大正時代の米騒動がきっかけで食べられるようになる玄米蒸しパンだが、成彦は玄米がビタミン初め多く栄養分を含み栄養価が高い事を知っているため、日清戦争時に多く死亡者を出した脚気病の予防の為に、不味い玄米蒸しパンに砂糖を加えた、砂糖入り玄米蒸しパンを野戦食として陸軍省に採用させた。
汁物はウクライナの伝統的な料理で知られるボルシチ(正しい発音はボールシュチュ『борщ』)。中には牛肉の団子や鶏肉を煮込んでおり、それに加えてキャベツやタマネギの微塵切りとジャガイモを程よく煮込んでいる。
副菜は鯨ステーキの缶詰めと浅漬け、べったら漬け、沢庵漬けなどの漬け物だ。
ロシャーナ連隊の兵士達は基本的に階級の区別なく集まって食べる。
ただロシャーナ連隊第一大隊と第二大隊の集まり方の違いはロシア人の奥深さが見える物だ。
第一大隊に配属された600人で100人程は本土で留守番役を任されていない為、この戦場には500人が来ていている。
なおこの600人は全員スラブ系ロシア人だ。
第二大隊は指揮官クラスの100人が同じくスラブ系ロシア人だが残る900人は違う。スラブ系ウクライナ人やベラルーシ人とグルジア人など比較的に東側ヨーロッパの民族が700人近くを占めている。残る200人は半分ずつ違う。片方の100人がフィン人やリトアニア人、ポーランド人などの独自の言語を持っている。最後の100人はカザフ人やチェチェン人などイスラム教を信仰している民族。
イスラム教を信仰している集団はコーランと呼ばれるイスラム教の聖典を読み上げてから食事する。
それ以外はキリスト教信者なので神への祈りを捧げてから食べ初めている。
「旨いなぁ~。この鯨ステーキなんかボルシチに浸けて食べると肉に汁が染み込んで旨いぜ!」
「蒸しパンも美味しいじゃねぇか。苦味の中に感じるほんのりとした甘味が何とも言えない」
「それよりも漬け物だろう。しゃきしゃきとした食感がたまんねー!」
「……ボルシチ……具、沢山……」
「おいダボダ!もっとデカイ声を出せや!聞こえねぇぞ!」
だが神の祈りなんのその、と食べ初めるのが第二大隊の指揮官クラスの士官達だ。
掻き込む様に食べる為、凄まじい勢いで料理が彼らの胃袋の中に消えて行く。
誰が一番早く食べ終わるか賭けているのも要因の一つだろう。
意外にも一番早く食べ終えたのは周りから声が小さいとドヤされていたダボダだ。
「俺の……勝ち……」
「またダボダかよ!?」
「チクショー!俺様のアルコールが!?」
ダボダが勝利宣言をすると賭けに参加していた者達から嘆きの声が上がる。
賭けに参加していなかった者達から冷やかしが飛んで来る。
「ゲラゲラゲラ!ダボダの胃袋に勝てる筈がねぇのに。バカな連中だ」
「そうよ!ダボダの胃袋はロシア一!じゃなかった、日本一!」
「そいつの巨体に似合う胃袋だ。ツァーリでも勝てまい!」
バカ騒ぎしているロシア人達。
そんな彼らに近寄る一人の士官。
その士官に気がついたロシャーナ将兵が声を掛ける。
「こんちわーす、副官殿!お頭はツァーリの所ですかい?」
「そうですよ。それにしても貴方達はもう少し日本人として振る舞いなさい」
「それは……考え置きますから、また今度に……」
厳しい口調で注意する大尉は軍人には見えない。
穏和な造りをする顔に対して鷲の様に鋭い目付き。
軍服の上からでも分かる、鍛え上げられているその体。
性格は冷静沈着、完璧主義。
ロシャーナ連隊第二大隊長の副官を務めている人物であり、この副官をよく知っている人間は彼を執事と呼んでいる。
右目に片眼鏡をしているのがトレードマークだ。
「皆様。ツァーリから伝言をお預かりしていますので良くお聞き下さい」
将兵達が手を止めて視線を執事に向ける。
全員の注意が集まったのを確認して口を開いた。
「現時刻から一時間後。各中隊指揮官は一五〇〇に集合をお願いします。なお遅刻者にはウォッカの支給を見合わせるとの事です」
では。と言って去って行く執事の背中を見たまま固まっている兵士達。
やっと動き出した瞬間に爆音の様な悲鳴が響く。
酒無シハ嫌ダ!
ウォォォォッッッッカァァァァ!!
サササァァァァァケケケェェェェェ!!??
午後3時
数多く掘られた塹壕の中から一際大きいのを一つ丸ごと連隊司令部にしていた。
連隊司令部は20~30人が入れば限界になるくらい狭い。
備品もちょっとばかり傷が付いた小ぶり椅子と揺らせば崩れてしまいそうな古いテーブル。
そこに集まっているのはロシャーナ連隊の指揮官達だ。
第一大隊と第二大隊が対面する形で座っている。
第一大隊指揮官は連隊長も兼任しているビクトリアル・コンスタン・ゲルビル少佐。何故か目の前の男を睨み付けている。まるで親の敵を見つけたみたいだ。
そんな風に睨み付けられながらも鼻をほじくっている第二大隊の隊長を務める男の名は、アレクサンドレア・オルスル・ニコラヴァーナ少佐。
体格にずんぐりとしているが身長は巨漢揃いが多いロシア人にしては低い。顔は彫りが深くアゴヒゲは無造作に伸びている。もはや山賊だ。
実際に彼愛用の武器はバルディッシュと呼ばれるロシアの戦斧を手斧に直した物だ。
ロシャーナ連隊はこの二人の大隊長の性格が、良くも悪くも分かりやすいのだ。
ゲルビル指揮下の第一大隊は、規律正しく厳格に、がモットーの部隊で私が何処かへ高飛びする時には護衛として連れて行ける。但し私に対してあまりに過保護な所もあり悪く言えば頭でっかち。
ニコラヴァーナの第二大隊は正直に言えば荒くれ者の集まり。とても人様の縄張りには連れて行けない。けれど実力の折り紙付きで常に先頭切って戦っている。それに様々な民族が入り混じっている性で、規律は非常に緩いが、その分柔軟性があると言える。
私が陸軍省に非常食の一つとして採用させた、堅焼きせんべいをバリィ!と噛み砕いていると、その音を合図にしたのかゲルビルがニコラヴァーナに噛みつく。
「ニコラヴァーナ!貴様の部隊は何故!いつも士官達がだらけているのだ!?将兵達に対しての示しがつかないだろうが!ツァーリの兵士としてのプライドは無いのか!?」
金切り声を上げながら吼えるゲルビルに対して、答えるのが面倒くさいと考えているであろう表情をしながらニコラヴァーナが答える。
「ゲルビル少佐よ?家は貴方の部隊みたいにキツキツでガチガチじゃ、やって行けないんだよ。そんな無理な事は無理なんだよ」
「貴様!我らを暖かく迎い入れて下さった、ツァーリの顔に泥を塗る気か!!」
「だーかーらー、そう言うことじゃねぇて何回も言ってるだろうが。本当、頭固いねー」
一瞬、ゲルビルとニコラヴァーナの問答が犬の喧嘩に見えた。
ゲルビルが、キャンキャン、と吠えているのを、ニコラヴァーナが極めて冷静に宥めようてしている。
このままの調子では、日が暮れるまで続きそうなので、堅焼きせんべいの残りを丸ごと口に放り込んでそのまま呑み込む。
よく前世ではこの食べ方を懲りずに何回もしたから、その度に怒られたものだ。
「ゲルビル、ニコラヴァーナ。馴れ合いはそこまでにしろ」
「しかしツァーリ!」
「今は部隊がどうあるべきか、を話す場合でも無いだろう。我々の目的である戦勲の獲得に比べれば、そんな物は後でいくらでも話す事が出来る。そうだろう、ゲルビル?」
「…………ダー」
「ニコラヴァーナも煽り過ぎるな。もう少し真面目に聞いてやれ。それでは挑発に聞こえるぞ」
「うぃっす」
私がそう言うとゲルビルは不満そうに頷いたが、ニコラヴァーナが気軽な口調で返すと、糸が切れた様な音がした。
顔をトマトの様に真っ赤に染めているが、私が腰にある打鉄をわざとらしく音を鳴らしたらギリギリ、堪忍袋が爆発する前に止まった。
冷静に成ろうと深呼吸を繰り返すゲルビルを一瞥してから、私の直ぐ隣に立っている執事……本名ローザス・セバティンヌ中尉に目線で合図を送った。
セバティンヌ中尉は恐ろしい程に優秀だ。部隊の指揮を任せれば攻撃防衛を両立させるし、白兵戦に成れば敵味方問わずありとあらゆる武器を使いこなす。情報分析にも優れており直属の部下として欲しいくらいだ。
だが彼はニコラヴァーナの側を離れようとはしなかった。『それが私の生まれた時からの役目でございますゆえ』と言って……。
しかしそのままにしておくのも、もったいないと思って重要な会議などで記録係として参加して貰っている。
溜め息を吐きながら、副官に出来れば書類仕事がどれだけ楽になるか……と思った。
気分転換代わりに、これまた軍用非常食の一つとして採用させた沖縄伝統料理のかちゅー湯をチビチビと飲む。
かちゅー湯は、ビタミンが豊富な鰹節とカルシウムやたんぱく質など栄養素を多く含んだ味噌を掛け合わせた汁物だ。
今回のかちゅー湯は身体陳謝を促して疲労回復させるスコルジニンを含んでいるニンニクとビタミンの吸収を促進するアリチンを持っている青ネギを加えてある。
実際、かなりの数の日本各地の伝統保存食や簡単に作れる地方料理を、軍隊食として陸軍省に採用させた。
陸軍省の一部の堅物連中は文句を言って来たが、日清日露で日本軍の前線部隊全般が頭を悩ました脚気病、つまりビタミン不足など栄養素を補うには必要な事だった。反対する連中には打鉄を突き付けて脅しまくり、厳つい顔のロシャーナ兵士達で取り囲んで威圧して、書類に判子を押させた。
気の毒とは思っていない。
必要だからやったまでだ。
お掛けで今の所、脚気病による病死は義勇軍からは出ていない。
さてロシャーナ連隊の各中隊長の紹介をしよう。
まずはこの男から説明しなければ始まらない。
ロシャーナ連隊の連隊長を勤めながら第1大隊長と第1中隊長を兼任しているビクトリアル・コンスタン・ゲルビル少佐。
第2大隊長と第2中隊長の指揮官で荒くれた猛者達を纏めているアレクサンドレア・オルスル・ニコラヴァーナ少佐。
第1大隊所属の第3中隊長は平均的の体格の持ち主のフターデン・シアル大尉。部隊内では何でも屋として通っている。
同所属、第5中隊長、ワカポーズ・グガン大尉。右目の下に大きなホクロを持っている。フターデンとは同期で彼の仕事をよく手伝っている。
第2大隊所属、第4中隊の隊長で左頬に火傷の跡があるハボンカ・アレン大尉。自らも大砲を操作して日露戦争を戦った経験がある。ロシア軍時代は砲兵将校だった。
同所属、第6中隊長を指揮するガンドレ・ポキムス大尉は学者のイメージがある。建築学に精通しており工兵部隊の指揮を執っている。
同所属、第8中隊長のサザランカ・エムクト大尉。彼はドイツ系ポーランド人らしいが騎馬戦の専門家でもあるが、馬に関して異常な執着心を持つ。補給部隊の指揮を任せている。
同所属、第9中隊の隊長であるが普段は怠け者として知られるが戦闘になると人が変わるムーラク・ムハマド大尉。
同所属、第10中隊長の座に座るククルク・タカンカ大尉。これと言った特徴が無い為、地味の一言で終わるが防衛戦で突出した才能がある。
留守番役として本土に残された第7中隊の指揮官をしているのは、元従軍司祭で宗教狂いのモアランカ・ミザホア大尉。ロシア人達の街に建てられた正教会の司教もこなしながら軍役しているナニコレ人物だ。ロシャーナ連隊の中で一番狂っている奴はコイツと即答出来る。
「ツァーリ。我が第3中隊に死傷者は無し!既に再編成を終えており、何時でも攻撃可能であります!」
「同じく第5中隊も準備万端!出撃には問題ありません!」
フターデンとワカポーズの二人が元気一杯に主張してくる。
義勇軍総司令官の乃木元帥が成彦率いるロシャーナ連隊に下した命令は、『砲兵隊による準備砲撃により敵の防衛力を極限まで低下させた後、間髪入れず強襲するべし。夜襲敢行は明日0100を予定。その際、貴連隊は先導に立って戦うべし。』
この命令にロシャーナ連隊は喚声を上げた。
自分達ロシア人が初めて日本軍人として先頭に立って戦える、またとない機会だからだ。
ただその強迫概念から来ているのか、自分達こそ先陣を切るのに相応しい、と立候補が後を絶たない。
私は大きく溜め息を漏らす。
コイツら自分達の存在価値を示そうと必死なのだ。
自分達は日本人だ。第一の故郷であるロシアを捨て、第二の故郷の日本を選んで来たのだ。
彼らは戦場で戦う事でそう主張したいのだ。
だが、今回ばかりは私も名を上げなければならない。
「...私が先頭に立つ」
「なぁ!?」
「ほう」
「...」
「おおぉ!!ツァーリ自ら先頭に立って戦うなれば兵士達の士気も高まりますなぁ!!」
ハボンカ大尉が感激の声を上げる。が、ゲルビルは反対する。
「ツァーリ!危険であります!どうか我等に任せてツァーリは後方から指揮を執って下さい!!」
「同感です。ツァーリにもしもの事があったら我々は拾って頂いた恩を返せません。どうか安全な所から指揮を……」
「それにツァーリを危険に晒したのを家族に知られれば、飯抜きのですので」
「何を弱気な!!ツァーリの御前で死する事こそ最大の名誉!!」
「そうだ!ツァーリと共に戦場に立って戦うが、どれ程名誉な事か!?」
「まさか怖じ気ずいたのではあるまいな!?」
『何だと!?貴様らヤるか!?』
『上等だ!!ヤってヤる!!』
第1連隊の中隊長達がゲルビルの言葉に賛同するが、第2連隊中隊長達が喰って掛かる。連隊長の二人と少数の常識人を除き両方が立ち上がる。
お互いに拳銃やナイフに手を掛ける。
「ふざけるのもいい加減にしないか!!」
余りの醜態に手を握って拳を降り下ろす。
拳を勢いそのままに机に叩き付けたら机が粉砕された。
バキィ!!と音と一緒に机は真っ二つに折れる。
「私も考え無しで最前線に立つ訳では無い!先頭に立つには理由があるのだ。それを聞いてから反対しろ。……分かったか」
私が目線で新しい机を持って来る様に従兵達に合図すると、直ぐにこれまた中古感が漂う机が運ばれて来た。
その間に、頭に血が上っていた中隊長達も席に座る。顔が真っ青だ。これでは発言しそうにあるまい。
「あ~、それはやっぱりあれですか?」
だが何人かの常識人が居る。ダルそうに質問してくるムーラク大尉もその1人だ。
「そうだ。あれだよ」
肯定すると呆れた口調で呟く。
「ツァーリが色々な事をするから予算不足で悩まされる。本末転倒とはこの事ですな~」
「うっ……」
ムーラク大尉の指摘に私は反論出来ない。今まで好き勝手にやって来たツケが回って来ているのだ。それが予算不足だ。恐らく陸軍省の上層部が懲罰的意味合いで削ったのだ、と私は思う。
実際の所は、クーデターを起こすかも知れない、と言う恐怖心から供与を躊躇った事情を知るのはこの戦いが終わった後であったが。
そのお掛けで新型〈三八式歩兵銃〉には手が出せず、旧式の〈三十年小銃改〉を装備品としていた。
流石に砲兵部隊には〈二八式野砲〉をかっさらって来た。
今の帝国軍はどこも予算の奪い合いで激烈だ。
決闘騒ぎが起こりそうになったくらいだ。
海軍は新鋭の超弩級戦艦と巡洋戦艦の建造もしくはその準備。新造の一等・二等駆逐艦の整備予算の確保。
陸軍は〈三八式歩兵銃〉を全師団への配備。新型の野戦重砲や〈二八式野砲〉の改良型、28糎野戦超重砲に変わる攻城砲の開発。野戦食の改善やら何やら………………
それに軍部だけではなく、官民も予算を必要としていた。
どこもかしこも奪い合いを繰り返している。
その中でロシャーナ連隊の予算を確保には、並大抵を謀略と策謀を越える努力が必要とした。
「まあ、ツァーリが我々の為に予算を用意するのに骨を折っているのですから今度は我々の番ですな」
「確かに。我等ロシャーナ連隊は武勲を得る又とない機会に遭遇している。ここは、我等を玩具呼ばわりしている愚かな連中の鼻端を引っ張った叩いてやる良い機会だ」
ムーラク大尉の言葉にエムクト大尉が賛同する。
エムクト大尉が愚かな連中と言っているのは陸軍内に存在する私の反対派。反珠洲ノ宮派の事を指している。
彼らはロシャーナ連隊の事を「玩具の兵隊」と呼んでいる。
何故「玩具の兵隊」と呼ばれているか?その理由はロシア人達の母国。ロシア帝国の陸軍に存在した伝説的の知名度を誇る連隊、プレオブラジェンスキー連隊を連想させたのであろう。
プレオブラジェンスキー連隊の誕生の切っ掛けは、17世紀にロシア帝国近代化の道を切り開いたピョートル大帝が幼少期に幽閉先のモスクワ郊外のプレオプラジェンスコエの近くに存在した外国人村(簡単に言えば外国人居住地が正しいかな?)の子供達と一緒に軍隊ゴッコを始めた事である。
彼らはピョートル大帝がロシア皇帝の地位に就任する頃には側近としての信頼を獲得していた。
彼らが世界に名を知らしめたのはロシアがバルト海への自由な出入口を求め1700年に始まった北方大戦争である。
北方大戦争は1700年に開戦。21年間の戦争期間を経てスウェーデンが敗戦した戦争でありロシア帝国近代化が大きく前進する切っ掛けになった戦争。
その中でプレオブラジェンスキー連隊は北方大戦争期間中は常にピョートル大帝の側に付き負け戦では殿を務めてピョートル大帝を安全な所まで逃がした。そして1709年に勃発したポルタヴァの戦いでは、ピョートル大帝の双頭の鷲の旗の元で先頭に立って戦い、ロシア帝国最強の連隊として名を知らしめた。
どうも反対派はその故事と絡ませる事で遠回しに私を非難したいらしい。但し回りからは馬鹿騒ぎをしている愚か者の集まりと見られている。
確かに帝国軍上層部は私の事を問題視しているが排除する気は無いらしい。それは私の利用価値を認めているからだ。
と言うのも、私が必要だと発言した兵器は比較的に議会の予算通過しやすいのだ。それは大多数の歩兵閥であれ少数派の砲兵閥であれ、一応は必要だと認めているし有効だと判断した物。
現在、海軍の増強計画が優先的に進められている中で陸軍上層部は皇族の血統たる私の存在は決して無視が出来ない。
しかし、それはあくまで私個人の存在を認めた訳では無く。皇族の血統に存在意義を見出だしているに過ぎなかった。
茶碗の中にまだ残っていた、かちゅー湯を飲み干す。
それから一回全員と隊長達と目を合わせてから口を……頼むから目を合わせたら頬を赤く染めて目を離さないでくれ、私にはそっちの気は断じて無い!?
……仕方ないので咳払いをする。
「ゲフン!……さて私の忠実なる兵士たるロシャーナ連隊の陸軍内での立場は貴君らが知っての通り非常に曖昧かつ微妙である。それは私も同じであり現在私の階級は少佐であるが……それでは足りない」
「それは何故でしょうか?ツァーリが敏腕を振るうには既に充分な地位にあると思いますが?」
タカンカ中尉が言うのは最もだ。
普通の人間なら満足してしまい此処で歩みを止めてしまうだろう。
「それでは駄目なのだ。元々、私が今の陸海軍への影響力は先帝……明治大帝のお力添えが在ればこそだ。それに薩摩の事件も大帝陛下が私を庇ってくれたお蔭でお咎め無しで済んだのだ。また同じ様な事が起きれば今度こそムショ行きだ」
「となれば今回の戦いは……」
「うん。武勲を上げて軍部での私の立場を確固たる物にする為だ。そうすれば上層部も簡単に私を排除は出来なくなるだろう」
この戦いで私は先帝陛下の加護を自ら捨てなければならない。
先帝陛下には返し切れない恩義がある。
明治大帝の影響力を介さなければ何も出来ない愚図の私の数多くの願いを、それが一人でも多くの皇国臣民を救う事に成るなら、と各方面に働き掛けて頂いた。
しかし先帝陛下が崩御され子息たる大正天皇が即位なされたが、それは同時に天皇家の揺りかごの中で守られ好き勝手にやって来た私を排除するには遠慮が要らなくなった事を意味する。
それに日本人独特の感性か、移民の集団であり不安分子であるロシャーナ連隊を軍部は勿論の事、政府も良くは思っていない。
「そう遠くない内に私は強制的に予備役に入れられてしまうだろう。それを阻止する為にはこの戦いで何らかの功績を得なければならない。例えば...敵の大将首とかな...」
「「「「......」」」」
「...つまりツァーリは中国人達を己の踏み台にする訳ですか」
「そうだ」
私の返答にこの場にいるロシャーナ連隊の指揮官達は様々な反応を見せる。
隣の戦友と唾を飛ばしながら激論を交わす者もいれば、手元にある小さな地図を睨み考え込む者、腕を組み天井を見上げる者もいる。
意見はあれど反対する者はいないようなので厄介事を解決する事にする。
松永中佐からの電話で初めて知った流言。それがロシャーナ連隊の誰かから出たと言う事。
最初は馬鹿げている、と思った。
ロシャーナ連隊は私が選んだ者達だ。
多少しつこくても私に忠誠を誓っている。
だが心当たりが無い訳ではない。
胡散臭いが日露戦争時代、鴨緑江会戦において優勢な日本軍相手に寡兵で対抗して友軍の退却を支援したが最後は部下の為に捕虜となった奴が。
そいつはロシア上流階級、貴族であるにも関わらず『面白そうだから』と言う理由で日本移民を希望した。
胡散臭いがその軍歴を鑑みれば目を瞑って引き入れたくなる人材。
だがそいつは『俺の下で戦った部下達も一緒でないなら話を無かった事にする』と条件を出して来た。
流石にそれは無理だ、と何とか説得しようとしたが『それ位出来ないじゃ付いて行く価値無いわな』と小馬鹿にして来た。後に成って後悔したが既にそいつの部下と言うより手下99名分の手続きを一通りをしてしまった。
まあ、そいつを含め全員が貴族でありながら義賊の真似事をしていたのはどうかと思うが。
貴族の生活が嫌になった次男坊や三男坊達を纏め上げ、金銀財宝を載せた輸送馬車や鉄道を襲撃してはその財宝を食料に変えて貧しい農民達に配ったりしていたらしいが、当然そんな時代遅れの行為は長続きせず官憲に捕らえられたが、襲撃された被害者側はあくまで財宝しか盗まれておらず死亡者はいなかった。更に全員が貴族出身であった為、誰も下手な処罰をする事が出来ず手を焼いた官憲はそれぞれの家に送り付けた。
戻って来た彼等を身内の者達は彼等に罵声の嵐を浴びせたらしいが彼等は何処吹く風と無視した。
そんな彼等は懲罰的意味合いでロシア軍士官学校に送り込まれたが、講義への遅刻を始めとした問題行為はほんの序の口で士官学校を抜け出しては暴力行為を頻発して筋金入りの問題児集団と化していた。
その後如何なる力が働いたのか彼等は全員無事に卒業。ロシア・ヨーロッパ本土から遠く離れたシベリア・極東方面に配属された。もし時代が違っていたら私は彼等の会う事は無かったであろう。
彼等が配属された次の年に日露戦争が勃発。後の流れは知っての通り。
そいつとそいつの個人的部下達は士官教育を真面目に受けていたかどうかは分からないがとても優秀だ。優秀すぎて日露戦争の時に味方が苦戦する程。
そいつに目を向けるとあれ程注意したのにまたゲルビルをからかって遊んでいる。ゲルビルの顔がどんどん赤くなっている。
「貴様!もう一回言ってみろ!?」
「ヘイヘイ。言ってあげますよ。そんな頭デッカチじゃツァーリの護衛として務まりませんよ……てね」
「貴様の大隊よりはマシだ!!」
「二人共そこで待て」
「「ハッ!!」」
「それでニコラヴァーナ。少し話がある」
ニコラヴァーナの表情が歪む。これから面白い事が起きるのが楽しみで仕方ない、と言わんばかりに。
こいつの性格は何処か絶対に歪んでいる。
遠回しに聞いてもどうせ惚けるに違いないので単刀直入に聞いた。
「ニコラヴァーナ。変な噂をばら蒔いたな?」
「...やはりバレました。いや~足が付かない様にしたんですが甘かったみたいで」
「全くだ。お蔭で松永中佐から電話が掛かって来たぞ」
「それは御愁傷様。まあ、思惑通りに事が運んだみたいでホッとしてます」
「ニコラヴァーナ!!貴様は自分が何をしたのか分かって言っているのか!?ツァーリの恩義に背く気か!?」
ゲルビルが怒りの声を上げる。
彼の言っている事は道理だ。
ロシャーナ連隊の上下関係は例えるなら中世の武士や騎士と大名や王様の関係みたい状態だ。
私が日本で生活するのを保証する代わりに彼等は軍役を課せられている。
だから、陸軍参謀本部や海軍軍令部の高官達はロシャーナ連隊の実態をよく理解している。
独立部隊と言う名目だが実質、国家予算で雇われた珠洲ノ宮家の私兵たる外人部隊。部隊の在り方はフランスの外人連隊に酷似している。
「落ち着けゲルビル。ニコラヴァーナはわざわざ私の為に舞台の準備をしてくれたのだからな」
ゲルビルは疑念に満ちた声を上げる。
「はぁ?どういう事ですか」
「逆に聞くがよ。連中はまだ国内で内戦中なんだがどうすれば俺達日本軍の三倍に値する戦力を何処からから引っ張り込んで来たんだ?えぇ?ゲルビルさんよ」
「それは...徴兵するしかあるまい」
「ああそうだ。無理にでも集めるしか方法が無い。そこで俺様のちょったした下準備が役に立つ」
「...こちらの陣地に侵入した敵兵の動きが妙に素人だなと考えたが、まさかとは思うが民間人を無理矢理兵隊として仕立て上げているのか」
「大正解!さっきの攻撃の時に何人かの中国人を捕虜にする事に成功してな。連中の口を割らせたんだが連中の兵隊、半分以上が元民間人だ。」
念の為、捕虜の事を聞いておくが何の問題もなかった。
「処分は?」
「抜かりありません」
ニコラヴァーナの言葉に私は手を顎に当てて考え込む。
半分以上が民間人の軍隊など義勇軍を総動員して押し潰してしまえは簡単に軍としての士気も規律も崩壊するだろう。
敵は弱い。それは日清戦争の経験から皆分かっていた。
朝方と昼の襲撃で戦った時にそう実感出来た。
ただ図体が予想外に大きすぎてどうすれば良いか困惑しているのだ。
だから義勇軍司令部は一回合ったって見て対処法を考え出そうしているのだろう。
次にある質問をしてみる。
「ところでニコラヴァーナ。貴様どうやって噂をばら撒いたのだ?」
ㇿㇱァ
「なぁに。俺達は元ロシア軍人ですからね。この服を脱いで古巣の軍服を着れば観戦武官と言い張っても誰も疑問に持たないでしょう。」
「それで?どこでどの様に撒いた?」
「ばら撒いたのは大連の中国人街の酒屋。変装した上で酒に酔ったふりで酒屋で春を売る女と朝まで美味しいひと時を過ごす。そこで女に日本軍が漢民族を虐殺しようと計画しているのを耳にしたと囁いてやれば、後はネズミ算方式で噂が広がりやがて真実として語られる様になる...簡単な仕事でしたよ」
ハァ……確かにコイツらだからこそ出来るやり方だ。
日露戦争終戦以来のロシア極東軍と日本関東省駐屯軍の関係は両国の関係改善の思惑が重なり合い良好。
ロシア兵士が慰安目的で日本軍の許可を取ってから大連や旅順に来ている。特に大連はロシア租借地の時にロシア人向けの娯楽施設も建設されていたので多くのロシア人も住んでいる。
でだ、飯の種に成る物があれば生きる為に蟻の如く湧くのが中国じ...漢民族。
多分、日本人が同じ方法をやろうとしても失敗するだろう。
日本人と中国人の見分け方は簡単だ、と前世では言われていたが感覚的に分かるのであろう。
もしくは1000年以上、隣国として付き合ってきた事からくる、遺伝子に刻まれた競争意識からの物なのかも知れないが。
その点、ロシャーナ連隊将兵は全員か元ロシア人。
変装すれば日本軍とは分からないだろう。
「貴様はどれだけの満州在住の漢民族が中華本土に逃亡したか知っているか。ニコラヴァーナ」
「興味ありませんな」
コイツ断言しやがったぞ、オイ。
しかも反省する気が一切無いぞ。
「10万以上が既に旅順や奉天を中心に逃げ出している上に倍近い人数も同じように支度をしている」
「……で?」
ああ、分かった。
分かり切った事だったがコイツらはコイツらの価値観に基づいた謀略で私に最大限の利益をもたらそうとしている。
私の権力と地位が安定すればする程コイツらとコイツらの家族の生活はより豊かな物となる。
その為にどれだけの人間が死のうが関係ないのだ。
私が崇拝する天皇家もコイツらにとってみれば赤の他人。
あくまで自分達が守る主人は私、珠洲ノ宮成彦ただ一人。
一心同体のコイツらと私に害する者には地獄の苦しみを。
それがロシャーナ連隊の心中奥深くに巣食う狂信。
「いいか?今、松永さんもそうだか龍造寺大佐の機嫌を損ねるのは非常に不味い。来年に完成する新型野戦超重砲の採用には彼の協力が必要なんだ」
だからこれ以上余計な事をするな。そう言おうとしたらサイレンの音が鳴り響いた。
ウウウゥゥゥゥゥゥウウウゥゥゥゥゥゥウウウゥゥゥゥゥゥ!!
敵襲ーーー!
総員戦闘配置!
テントの外から兵士達の緊迫した声やガチャガチャと弾薬や機関銃などの重量物を運ぶ音がする。
程なくすると伝令が斥候隊からの一報を持ってきた。
そのまま歩み寄って来た伝令が差し出した紙切れを受け取り速読する。
『敵陣地より新たな集団出現。数2,000。我が連隊に向けて進撃中』
この報告に溜め息が漏らしてしまう。
朝もそうだが昼にも攻撃を仕掛けておいて尚その兵力が減ったようには見えない。
逆に増えているように感じてしまう。
この後、約3年後に知った事だが中華民国軍上層部は満州から逃げて来た住民達で兵役に堪えられる者は片っ端から強制的に集めては矢継ぎ早に送り出していたらしい。その数は不明だが最終的には約4万から5万だそうだ。
「ニコラヴァーナ!」
「ハッ!」
ソイツの名前を呼ぶ。すると打てば響くとはこう言うのであろう。すぐに応えた。
「独断専行についてはまた後でじっくりと罰を下す。が、今は敵を追い返す事に専念する。ゲルビル!敵の撃退に成功したら直ちに各部隊に夜戦の準備に取り掛からせろ」
「ダァー!」
「では解散!持ち場に走れ!」
命令が下るや否や。ロシャーナ連隊各中隊指揮官は一斉に席を蹴った。普通なら一度敬礼をしてから行くものだがロシャーナ連隊は人の目が無い限り極力それを省いている。勿論ゲルビルの第一大隊はキチンと敬礼をするがニコラヴァーナの第二大隊は省いてとっとと飛び出して行く。
だがそれで良いのだ。
私が飽くまでロシャーナ将兵達に求めるのは戦場で死ぬ覚悟のみ。
忠誠の表し方など個人の自由に任せれば良い。
私も彼らに続いて外に出る。
後ろにはゲルビルが確りと付いて来ている。
生真面目な奴だがその分私の期待に応えてくれる。
ニコラヴァーナは……余計な事もするが十分な見返りがあるからなんとも言えない。処罰するには惜しすぎる。
塹壕と塹壕を繋ぐ細長い通路伝いに歩いていると遠くから雷の音がしたと思ったら空気を切り裂く金切り声が聞こえる。二八式野砲の砲声だが龍造寺大佐の砲兵隊にしては音が大きい上に数が少ない。ロシャーナ連隊付属の砲兵が阻止砲撃を始めたのだろう。
そうこうしているうちに最前線に位置する塹壕に着いた。
塹壕では黙々と準備を進められていた。
兵士が構え磨き上げられて光輝きながらも傷だらけで年季の入った三十年小銃改の銃口。
目線をずっと先の方に向ければ75㎜の砲弾を身に浴びながら尚も前進を続ける中華民国軍の兵士達。
彼らを見て思った事は哀れみ。
前に進めば進む程着実に死へと近づいていく。
後ろに下がろうともなれば素振りを見せただけで後方の味方……督戦隊によって射殺される。
しかし彼らは生き残る為にその手に小銃を持ち一歩ずつ前進してくる。
私は右手を高く上げる。
彼らは強制的とは言え何かしらの目的を持って戦場に来ている。目的は様々だろう。ただ単純に生き残ろうとしているか、食い物に困り飢えから逃れる為に兵士に為ったのか、それとも自らの欲望を満たす為に嬉々として戦場に来ているのか……。
私が彼らの心情を想像しても無意味だろう。
「射撃よーい!」
私の号令が掛かると口径6.8㎜の銃口がその筒先を敵に向ける。
兵士達は五発ずつに纏められた銃弾を薬室に押し込む。ボルトを引けば弾丸が装填される。
30発の弾帯ベルトが保式機関砲改の装薬室に装着する。
私の左右両方からカチャカチャとそれらの作業の音がする。
高く上げた右手が少し震えている。
恐怖に震えているのではない。
これから何も出来ず死んでいく敵軍の兵士を思うと、こう……ゾクゾクしてしまう。
前世なら考えもしなかったこの感情。
ならば任せよう。
この感情が赴くままに。
「撃て!!」
保式機関砲改が唸りを上げてながら光弾の嵐をばら蒔けば光が沿った列は薙ぎ倒され、三十式小銃改の狙い澄ました弾丸が次々と中国人の頭を貫けば赤い液体が乾いた大地へと流れる。
ヒュン!
頬を掠めた。
反撃して来た敵の銃弾が頬を掠めたのだ。
ただ敵はどころ構わず撃っている性で狙いが全くが定まっていない。
流れ弾のようだが掠った場所を触るとドロリとした感触がある。
顔の前まで見ると手の平に血か付いていた。
思わずニヤリと顔が歪む。
本当に変わってしまった。
昔なら血を見ただけで卒倒していただろう。
前を注視すると既に何百人もの兵士が倒れている。
それを見ても感じるのは高揚感だった。
身体全体がうずうずしている。
しかしそれを押さえ込む。
まだだ。まだ動き回るには数が足りない……敵の数が。
「ツァーリ。これを」
近くに居たロシャーナ将兵がうやうやしく差し出した三十年式小銃改。
それを受け取ると銃口を敵の頭に合わせた。
照門から先を覗き込めば絶望した表情で膝まづいている敵兵の顔。
こちらに気づいたのか……笑っていた。
三十年式小銃改の引き金を私は静かに引いた。
「かしっらぁぁ。この体勢キツイすよ。」
「それにさっきから土に混じって血が服に付くんでベトベトしているんすけど」
「ウオッカ飲めないってどういーうことですか」
数人のロシア人が不満を言いながらも非常にゆっくりと進んで行く。
いや、数人だけではない。
その回りにも無数のロシア人達が匍匐前進していた。
彼らはお互いに不平不満を述べつつ少しずつ少しずつ中華民国軍の陣地に近づいている。こうなったのも全て彼らロシア人がツァーリと慕う成彦の指示で泥だらけ場合によっては放置されている死体から流れ出た血が服に付着している。ウオッカどうこうは無視される。
「黙ってろクソ野郎共。これもツァーリがやれっと言ったんだ。文句言うんじゃねえ」
「「「そんなーーー」」」
ニコラヴァーナはロシア軍時代から自分に付いて来た部下の言葉に無慈悲な返答をする。
そんな彼に下品な笑みを浮かべて話し掛けて来たのはそんなクソ野郎が一人。
「しかし頭も見事にゲルビルさんに嫌われましたね」
「まあ狙ってやった事だからな。後悔はしてねぇがあそこまで嫌われるとは流石に思わなかった」
「いったい何しでかしたんですか?尋常じゃありませんでしたよ」
「……いろいろとな」
口を濁らすニコラヴァーナにヤレヤレと言った表情で別の話題を振る。
「で、頭?。ツァーリのご機嫌はどうでしたか?」
その質問に獣じみた笑みで応じる。
「最高だ。おそらく思う存分地獄が味わえるぞ」
「ソイツは最高ですな。久々に暴れまわる」
「おいおい欲求不満か?」
「そりゃ勿論。女を抱くのも良いですが……人を殺す以上の快楽はありませんよ」
ニコラヴァーナ率いる第二大隊はクソ野郎が集まって出来ていた。殺人を犯す事で快楽を感じる者や特殊な性癖……馬に対しての過重な愛情表現をする者など様々なクソ野郎が集まっている。
それを一重に纏め上げているニコラヴァーナの采配は非常に優秀であり、義賊の時からの手下を効率よく配置して大隊全体を掌握していた。
「しかし頭。前々から疑問に思ったんですが聞いて良いすか?」
「なんだ。下らない事だったらぶん殴るぞ」
「いやいや。俺達は次男坊や三男坊でしたからあまり未来に希望がもててませんでしたが頭は違うでしょ。頭の親は大物中の大物。わざわざ兵隊にならなくても……」
そこまで言ったところで口を閉じた。
口を閉じる他なかった。
ニコラヴァーナの殺気そのものと言える眼差しを受けて。
「その話は二度とするな」
「……すんません」
ニコラヴァーナは自分の親父が大嫌いだった。
母親が妊娠した事を知ると自らの屋敷から追い出し遠い遠い土地へと追いやった。母親との生活は決して裕福なものではなかった。追い出された時に多少の財産を与えられていたがまだ幼い自分を育てるには到底足りなかった。その為、母親は女であるにも関わらず率先して力仕事をしていた。傷だらけで帰って来た母親が少ない食料を元に美味しい料理を作ってくれた。
ニコラヴァーナはそんな母親が大好きだった。
しかしその小さな幸せは長くは続かず母親は流行りの疫病に掛かり若くして命を落とした。
ニコラヴァーナが母親の死に泣き崩れていると十人ぐらいのスーツを着た若い男達が現れた。
男達はニコラヴァーナの母親が死んでいる事を確認するとまだ少年だったニコラヴァーナを連れ去った。
彼が連れ去られた場所は皮肉な事に母親を捨てた父親が待っていた屋敷。父親と対面するや否やニコラヴァーナは激しく激昂して怒り狂った。何故、母親を捨てた奴と会わなければならないのか。どうして母親を捨てたのか。捨てられなければ母親が死んでしまう事もなかった筈。
涙を流しながら訴えるニコラヴァーナを父親はじっと見詰めていたが何も言わなかった。
そして最後にポツリと呟いた。
『似ている。お前の母に』
次の日からニコラヴァーナの生活が一転した。
母親が生きていた時は叱られながら起きていたのに、朝起きれば使用人が優しく囁きながら起こした。
服も母親お手製のボロボロだけど好んで着た服ではなく金銀の糸で装飾された豪華な服装。
料理も母親がいつも作ってくれた味は薄いが心が温まるスープではなくこれでもかと具材が沢山盛り付けられた冷たいスープ。
それは全て与えられた大きすぎる個室の中で行われた。
そこで感じたのは寂しさ。
誰もニコラヴァーナと話さそうともしない孤独な一時を過ごした。
母親との何気ない日常で感じる事が出来たあの温かさをここでは感じ取る事すら出来なかった。
それから約一年屋敷はおろか部屋の外にすら出る機会すらなかったが父親と会話する為に食事の席を設けられた際に衝撃の一言を言い放った。
『お前を非公式ではあるが私の息子にした。これからはそのように振る舞え』
ニコラヴァーナは勿論の事、その場に居合わせた者達は皆唖然とした。
なぜなら父親は子供を作らないどころか妻を持たない事で有名な独身貴族。
それがいきなり息子にする、と宣言したのだ。
噂を聞き付けた側近達が屋敷に訪れては翻意するように説得したが、それらをことごとく退けた。
それからの生活は一変した。
朝から晩まで貴族がなんたるものなのかを学び自由な時間など無かった。更に基礎学力を鍛える為にほぼ休みなく勉強に明け暮れた。
苦しい日々だった。
ベットで眠る時は常に母親と過ごした楽しく幸せだった時を思いだして枕を濡らしていた。
それでも我慢出来ていた。
父親主催のパーティーで家を継ぐ事が出来ない奴ら……今の子分達と会えたからだ。子分達はニコラヴァーナが語る庶民的生活に目を輝かせた。
父親は子分達がニコラヴァーナと親しくするのを許した。子分達の親を抑えて。
やがて時が過ぎるとニコラヴァーナと子分達は身分の差を越えて親友となった。
しかしニコラヴァーナがとある大貴族の娘と結婚する事が決まると遂に我慢が出来なくなった。
彼は子分達と一緒にそれぞれの家から持ち出せる限りの武器と食料を持ち出し家出した。
それから約一年、義賊として強盗を繰り返した。
だが本気を出したロシア政府警察の前にあっさり捕まった。
子分達とは離ればなれにされたニコラヴァーナは父親が待つ屋敷へと連行された。
父親は苦い顔をしていたが呆れを含んだ懐かしさを感じる取るように見詰めた後、口を開いた。
『……少し頭を冷やして来い。それまで婚約は無しにする』
そう言われロシア帝国軍士官学校に放り込まれた。
そこにはバラバラになった筈の子分達が居た。
全員、顔のあちこちに殴られた跡が残っていたが彼らが最初に言った言葉に不覚にもニコラヴァーナは涙を流した。
『かしっらぁ!大丈夫でしたか!?』
ロシア軍士官学校では暴れに暴れ回った。
学校から抜け出し街中に飛び出しては暴力事件を頻発した。
と言ってもボロボロに叩き潰したのは強盗や強姦を繰り返す下衆ばかりであったが。
士官学校に戻ってくれば怒り狂った教官から等しく説教と拳骨を貰ったがそれも彼らにとっては良い思い出だ。
しかし所詮は自警団の真似事であったが助けられた民衆からは英雄視する動きもあった。
その為、卒業するや否やシベリア方面軍に任官する事になった。
そこで現地に着くや日露戦争が勃発。
ニコラヴァーナ率いる部隊は友軍の撤退を支援する為に殿を勤め上げ、孤軍奮闘するも降伏した。
それから成彦に出会った。
初めて成彦と対面した時、ニコラヴァーナは運命を感じた。
それは畏怖で崇拝でもあった。
何故なら成彦からは濃厚すぎる血と絶対的力をを感じ取らせるオーラ染みた何かが見えた。それは蛇に見えた。蛇は成彦の身体全体に巻き付きその目でニコラヴァーナを射ぬいていた。
そして気づけば言葉巧みに成彦から子分達の分を含めた移民手続きを引き出していた。
それから成彦はツァーリと成った。ニコラヴァーナだけではなく日本人に成る事を決意したロシア人達全員の。
そこまで考えたニコラヴァーナは苦笑する。
自分達ロシア人は常に強者を求める。
広大な大地であり極寒の大地であり母なる大地であるロシアの国土を守るには絶対的な力を持つ指導者が必要であった。
それをツァーリと呼び称えそれに従う事こそが母なる大地ロシアを豊かにする唯一の方法。
だが日本に移民と言う事はそれらを失う事になる。
だから求めた。
新たな心の宿りを。
そして見つけた成彦と言う存在を。
腕時計を見て時間を確認する。
「……そろそろかな」
時計の針は午後12時を過ぎて午前1時を指している。
夜襲を成功させるには第一に初撃でどれだけ敵を混乱させるかにある。
今回最初に敵を攻撃するのはロシャーナ連隊ではない。ましてやツァーリでもない。
ドンッ!ドドドッン!!ドン!ドドンッ!
砲声がする後方を見れば爆音と共に小さくも大量の煌めきがその周囲を明るく染める。去年頃にツァーリの友人?と成った龍造寺大佐が敏腕振るう砲兵隊が夜間に紛れて比較的安全な砲兵陣地から危険な塹壕陣地の前まで前進。時間になったから砲撃を開始したんだろう。
砲弾は金切り声を上げながら敵陣地へ突進し着弾するや回りの物を全て吹き飛ばしているようだ。
ドドオオオォォォォォン!!
闇に染まった筈の空に高く上がる火柱。
火柱の周辺で複数の爆発が起きている。
「派手ですなー。弾薬庫がぶっ飛んでやがりますね」
「そうだな。あの様子じゃキチンと管理していたのか疑問だな」
爆発を繰り返しながらもその災厄は凄まじい勢いで広がっている。
一つの場所が吹き飛べば別のまた別の場所へと連鎖的に爆発が。
「どうも連中。弾薬を一つの場所に密集して置いていたみたいですね。まるで花火だ」
双眼鏡を覗き込んで敵陣地を観察している部下の言葉に頷く。
普通ならあそこまで弾薬が誘爆する事はまず無い。
おそらく素人が入り混じっているせいでそこら辺の管理が出来ていないのだろう。
そして、未だ砲弾が飛んでくる中、彼が忠誠を誓う男の声が響き渡る。
「きけぇ!我が勇敢で無謀なる兵士達!!」
ツァーリの声がよく聞こえる。砲弾の飛翔音と爆音の合間にハッキリと聞こえる。
毎日どんな環境どんな所でも軍服の上に更に紫の軍服を着ている。
ツァーリが言うには先帝陛下からの贈り物だそうだ。
「貴様らはどうしようもないグズの集まりだ!」
それもそうだ。俺達は母なる祖国であるロシアを見限り異国日本に希望を抱き移住して来た。一度母なる祖国たるロシアを捨てたからにはもう二度と戻れない。俺達の祖国は今や日本だけなのだ。
「どいつもこいつも人の言う事を聞かず勝手な行動ばかりする!」
たちまち苦笑する声がする。
一番、人の言う事を聞かないのはツァーリだろうに。そう野次を飛ばす者もちらほら居る。
「お前達ロシア人は我が愛すべき母国日本では言わば異邦人!それはこの戦いで全員戦死しようが決して!永久に消えない風評である!」
その言葉に何人かは肩を落としてしまう。
「しかしそれがどうした!!」
ツァーリはこういった演説は余り好きでは無い。
理由を聞いてみた時ツァーリは『自分が道化に成った気分がする。あまりしたくない』そう言っていた。
ただ必要であれば喜んで道化に成る。そうとも言っていた。
「貴様らは我が兵士なのだ!他人の言う事など気にする必要は無い!貴様らは戦うだけで良い!戦って自分達の価値を証明して見せよ!」
己が価値を示せ。
まだ日本人に日本人として受け入れられたとは到底言えないロシア人達の心の奥深くにある闘志が赤く燃え上がる。
「例え他の日本人が認めようとはしなくても私が貴様らを認めよう!貴様ら兵士だ!戦う事でしか日本に貢献出来ないどうしようも無いグズだ!!」
そうだ。我らは戦う事で敵兵を殺す事で血を流す事で自分達の存在を知らしめる。
「貴様らに問おう!汝は何者であるか!?」
『我らはロシャーナ!世界で唯一無二のツァーリの兵隊!!』
ニコラヴァーナはツァーリの演説を聞きながら腰のベルトから信号銃を取り外す。
ツァーリがツァーリならロシャーナ連隊も狂人の集まりだ。
自らが死ぬ事を厭わない兵士。
ロシャーナ連隊のそんな人として辞めた連中が集まって出来ている。
「貴様らはいったい!何の為に戦う!?」
『我らが絶対君主!珠洲ノ宮成彦が望む物の為に!!』
信号銃を構えた右腕を天高く掲げる。
「ならば我にもたらせ!勝利と言う名誉を!!」
『委細承知!我らロシャーナの兵隊は常に戦争を望む!我らの価値を我らの存在を我らの生き方を世界に認めさせよう。我らは戦い続ける!!我らがツァーリが求める限り!!我らは喜びの雄叫びを上げながら地獄へ参ろう!!例え我らが体が血の色合いに染まろうと!!』
「では逝くぞ!地獄の戦場へ!」
『ypaaaaaa!!』
信号銃から放たれた弾頭は高く上がり炸裂した。
目を一瞬瞑りたくなる光があたり一面を照らし出す。
空高く光輝く照明弾がツァーリの姿を闇の中から引き摺り出す。
まだ少年と見てとれる小さな背中が大きく見えた。
あの背中には1,000人を越えるロシア兵の命を背負っている。
我らロシャーナ連隊はその背中を守り前を切り開く。
ツァーリの右腕に握っているカタナ……打鉄が妖しい輝きを放つ。
その光が目に入った瞬間、変化が起きる。
血管全てが急激に脈動を早め胸が締め付けられる痛みが走る。
その苦しさから野獣に似た呻き声が漏れる。
視界が赤一色に変わっていく。
「突撃!前へ!!」
打鉄が敵陣地に降り下ろすとツァーリが走り出した。
それと同時に雄叫びを上げてロシャーナ連隊が一斉に突撃を開始した。
『yyypppaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!』
中華民国軍陣地は混乱の極みにあった。
突然始まった砲撃は正に嵐の如く降り注いだ。徹甲弾が地下に造られた火薬庫まで貫き周囲の可燃物を誘爆させる。榴弾は地面の表明から少し進んだ所で触発信管を作動させ爆風と破片をばら蒔く。
火薬庫の真上で隠れていた小隊は空より高く吹き飛び、榴弾の破片が兵士達の体に致命傷を与える。高温で飛び交う破片が体の一部に当たると刃物で切り裂かれたように血が吹き出し皮膚が黒く焼かれる。
爆風は逃げ惑う人間を等しく呑み込み。呑み込まれた人間は皮膚や目、耳だけではなく内臓まで高温に晒され苦しみながら死んでいく。
その中で懸命に兵士達の指揮を取り少しでも被害を抑えようと奮闘している無名な将校。彼の周りには多数の中華民国軍兵士が集まりあちこちを走り回っている。彼の部隊は激しい砲撃の中、部隊の士気と規律を保っていた。そればかりか指揮系統が壊滅した他の部隊も掌握しつつあった。その数は僅かずつではあるが増しておりごく限定された地点に限ってではあるが軍隊として最低限の行動が可能になるまで回復しつつあっな。
もし砲撃だけでこの攻撃が終わっていたならば中華民国軍は態勢の建て直しに成功していたであろう。かの将校の部隊が最前線に展開している部隊で唯一、無事に近い状態だった。
しかし現実は非情である。
何故なら自分達の絶対君主が更なる高みへと進む為に生け贄を求める狂った軍勢が本隊に向けて突進を始め、彼の部隊はあくまで踏み台にしか過ぎなかった。
誰が気づいたのだろう。
ある方向に顔を向けた兵士が悲鳴を上げて武器を捨てて逃げ出した。それを止めようとした別の兵士も同じように逃げ出した。そしてまた同じようにまた別のまた別の兵士達が逃げ出した。
将校はそんな彼らを鼓舞していたが最終的に逃げ出した。
彼らが見たものはそれは……獣だ。
蛮声を上げながら猛然と突進してくる血に餓えた野獣の集団。
どんどん距離を詰めてくるのに対し彼らは恥も外聞も無く泣き叫びながら走っていた。
しかし元民間人の者達から足行きが遅くなり脱落していく。誰かに助けを求めても皆、自分の命が最優先だ。当然見捨てるしかない。
そして最初の犠牲者が出た。
足下の石か何かに引っ掛けて転んでしまった兵士が後ろを振り返った瞬間、目にした物は日本の鬼子が好んで使う武器、刀であった。
人の首がスパーンと空高く舞い上がると泣き別れした胴体から大量の血飛沫が噴き出す。
ドサリと地面に倒れ込んだモノを一瞥してから血に塗られた刀をようやく見えた中華民国軍本隊に向け叫んだ。
「殲滅せよ!一人残らず血祭りに上げろ!!」
『yyyyypppppaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!』
途中脱落した中華民国軍兵士を引き潰しながら全速力で突撃するロシャーナ連隊と中華民国軍本隊の距離はますます短くなる。やがてお互いの姿を認識出来る程の距離にまで近ずくと両者の対応は正反対に別れた。
前者は血気盛んに、後者は怖じ気づいていた。
昔より戦術の基本原則として賛否両論はあれど、攻撃こそ最大の防御、防御こそ最大の攻撃、と言う言葉がある。
その意味ではロシャーナ連隊は攻撃特化の強襲部隊。
元より数の少なさを補うには消耗戦になりやすい防御戦より短期戦が望める攻撃戦の方がロシャーナ連隊の戦闘能力を最大限に発揮出来る。
奇襲とは最初の一撃が成功するか否かで戦術、戦略の明暗を分ける。則ちもし自軍に対して同様の戦法が執られた場合の対処方法は時と場所によるが今回の場合は数にモノを言わせ食い千切られた戦線の穴埋めを図るべきだった。
しかし中華民国軍の情報伝達手段は敵対する日本軍のそれに対し伝令や伝書鳩など主に人力頼みであった。
これは司令部と各部隊間の情報連絡に大きすぎる障害をもたらした。
近づいて来るロシャーナ連隊に中華民国軍の兵士達は恐怖に駆られ発砲していたが、ロシア人達はその身に受けて倒れる者も居たがそのほとんどは眼をギラつかせ更に速度を上げた。
ロシャーナ連隊と中華民国軍が激突する寸前、ロシャーナ連隊第一大隊は足を止めた。
第一大隊指揮官ビクトリアル・コンスタン・ゲルビル少佐が号令を下した。
「膝つけ!構え!!」
すると第一大隊全将兵が突然片足の膝を地面に着けた。その状態のまま三十年式小銃改の照準は目の前で困惑気味の中華民国軍の戦列に合わせられた。
「Охота(撃て)!!」
至近距離から発砲された口径6.8㎜三十年式実包の弾丸は敵兵の体に突き刺さるやその鋭い貫通力で人肉を引き裂きながら貫通、更に後ろにいた別の敵兵までも何割か殺傷性を保ったまま届いていた。
悲鳴が上がる。
そこに止めが加えられる。
第一大隊はその場で背を丸め土台を作る。丸まった第一大隊を足場に第二大隊指揮官アレクサンドレア・オルスル・ニコラヴァーナ少佐率いる第二大隊が次々と翔んだ。第二大隊の手には各々が得意とする武器が握られている。ある者は棍棒、ある者はナイフ、ある者はサーベル、ある者はハンドアックス、各々の故郷宗教でその形状は様々。
古今東西の武器を持ち襲い掛かった。
飛び上がった状態から全体重を乗せて降り下ろした。
「死ねや!」
罵声と共に力一杯降り下ろされた棍棒は敵の頭蓋骨を粉砕するには十分だった。重厚なナイフは喉を切り裂き血の雨を。サーベルの鋭き剣先は肺を貫通し背中にまで届く。ハンドアックスは肉の繊維を引きちぎり骨まで叩き壊す。
そこへ銃剣を着剣した第一大隊が横一列の陣形で突っ込んだ。
ロシア人特有の巨体は貧弱な中国人の体を軽々と弾き飛ばし銃剣で串刺しにした。
「殺せ!誰一人として生かして帰すな!!」
「フン!」
地面に向けて一刀両断すれば目の前の中国人が果物ごとく二つに身体が割れる。死体に早変わりしたのにも目も暮れず手当たり次第斬って斬って斬りまくる。打鉄の刃は人を斬る度にその切れ味を増しているように感じられる。
周囲を見渡せば楽しげな声が辺り一面に響き渡る阿鼻叫喚の空間。
文字通り全身血だらけな姿で殺戮の嵐を現出するロシャーナ連隊。戦争の中でしか体感する事が出来ない正真正銘の命のやり取り。その闘争を肌身で感じられる。
砲撃により発生した火災の光を背景に現れる一種の幻想的光景。
太古より繰り返された争いの歴史が。
『鬼子め!(第不象父母的孩子!)覚悟!?(精神准备!?)……』
「おめぇツァーリに何しようしてやがる。あぁ!」
私に立ち向かおうとした敵兵がロシア兵に頭を抑えつけられ地面に叩き付けられた。ミシミシと嫌な音がする。
「どうしやす」
「潰せ」
即答するとロシャーナ兵士は悲鳴を上げる中国人の頭を握り潰した。ブシャ!と果実のごとく血が吹き出して来る。
顔に付いた血を拭いながら笑顔を見せる兵士に戦況を聞くことにした。
「状況は確認出来るか?」
困った顔して頬にある古傷をボリボリと掻くと兵士が把握出来る範囲で良いのならと言った。
それでも構わなかったので頷く。
「今、一番突出しているのはムハマド大尉率いるイスラーム戦闘団で、その次にお頭の部隊でありやす。それにゲルビルの旦那の大隊が支援に回って最後にタカンカ大尉の中隊。エムクトとアレン、ポキマスの三人は万が一に備えておりやす」
「敵は?」
「もはや崩壊しておりやす。民兵が一目散に逃げ出したので正規兵もそれに連なるように逃げの一手です」
それは分かる。
あちこちに転がっている大砲や銃がなによりの証拠だ。
余程慌てて逃げたと見える。
日本軍が夜襲を仕掛けて来たのが想定外だったのだろう。
たがこうもあっさり成功すると逆に罠では無いか?と疑うのは軍人として過ごして来たからだと思う。
「ツァーリ!」
「どうした?」
「少し厄介事が発生しました。急いで来て欲しいと!」
慌てた様子で駆け寄って来た別のロシャーナ兵士がそう言った。
呼ばれたので急いで向かう事にする。
道中、視界の端に映る中国人の死骸はどれも身体の何処かしらが破損して無くなっている。だがそれはまだ良い方だ。死体の山に入り交じって意図的に燃やされている者まであるのだから。
そこでは50人ぐらいの女を含んだ中国人が必死になって小隊規模のロシャーナ兵士達に何かを嘆願している。
その表情を見ればだいたいは察しが付く。
私の足音に気付いたのかこちらに顔を向けるや固まる。
「これはこれはツァーリ。わざわざお呼び立てして申し訳ありません」
「世辞はいい。要件は?」
「簡単に述べるなら命乞い……ですな」
中国人達に視線を送れば体をビクッと震わせる。
この小隊の指揮官の中尉が敬意を持って接する私がロシア人達の上官だと分かったのか精一杯の笑顔を貼り付け媚びてくる。
それを右耳から左耳へと聞き流していると中国人達の傍らに散乱する袋を見つけた。
「…………」
袋を切り裂いて中身を見ると、今や中華民国軍陣地を覆い尽くす勢いで広がりつつある火災の光がそれを照らす。
じっと見詰めたまま黙っていると不審がった中尉が話し掛けてくる。
「ツァーリ、どうかしましたか?」
「……処分しろ」
「はぁ……処分して良いのですか?一応、降伏していますが」
「構わん。責任は私が取る。それにこいつら……」
そこから先を中尉の耳元で呟く。
中尉は私の言葉に笑顔で二、三回繰り返して頷く。
「成る程、成る程。了解致しました。では自由にやらさせて頂きますがよろしいので?」
「任せる」
手短に許可を下し再び歩き出す。
何故かは分からないが誘蛾灯に誘われる虫のように命ある所へ辿り着く。最初の時とは違いユラユラとあっちへ行ったりこっちへ行ったさ迷い歩く。
歩けば歩く程、命を奪うべき敵と会う。
顔を会わせれば皆一応に逃げ出す。
だが戦場で敵に背中を見せる事は殺してくれと言わんばかりの行為だ。
だから殺した。
出会った敵は一人残らず。
「はいはい~。注目」
ツァーリが行く先、助けを求める悲鳴がするがこっちも仕事しなきゃいけないんでね手短に終わらせよう。
パンパンと手を叩いてこっちに注目させる。
中国人達の眼にはさっきまであった暗いモノは無く希望に満ちるモノがあった。
日本語分からないから何を話していたか何も分からないのは当然か。
「そこの君。ここに来て。そうここに、で、あっち向いて」
1人の中国人を手招きして目の前に立たせ回れ右をさせる。
楽しいな♪楽しいな♪
燃やすの楽しいな♪
「ふんでドバー!」
懐から水筒を取り出して中身を中国人にぶっかける。
芳醇な香りが辺り一面に広がる。
「あぁあぁ。せっかくのウォッカが」
小隊の兵士達から一斉に勿体無いと言われるがこれから楽しい事をするんだらか。
中国人が何か文句言ってくるが気にせず次の道具を取り出す。
それは箱で右側がザラザラとした表面だった。
「マッチ一本火事のもと~♪マッチ一本は火事のも~と♪」
陽気に歌って場を盛り上げようとするが当然盛り上がるどころ氷ついている。
やっと状況を理解出来たのか助けを求めるが腹を殴って黙らせる。
「うるさいな…………あ」
なかなか点かなかったマッチの火は殴った拍子に点いてしまった。
火は高濃度のアルコールで知られるウォッカに引火した。
『ギヤッアアアッーーー!!』
火達磨と化した中国人が火を消そうと必死になって地面を転げ回る。
「……なに勝手に火を付けてやがる!クソがっ!!」
パンパン!!
逆ギレしてホルスターから拳銃を抜き撃ち殺した。
鉛弾を2、3発喰らい動きを止めたのに激情のままに更にリボルバーの弾尽きるまで撃ち込む。
「くそ!楽しみが無くなっちまった!?……おい」
「ハッ。何でありましょうか?中尉殿」
「生きたまま燃やすのは止めだ!止めだ!全員この場で射殺だ!その後に燃やすぞ!」
「女はどうします?」
唇を舌舐めずりしながら尋ねる下士官に中尉が一喝する。
「バカ野郎!?跡が付くような事はするなってツァーリも言っていただろう!それにこんなクソみたい汚い女なんか抱けるか!?さっさと殺せ!味方が来る前に!」
『へーい』
味方が来る前に。
これはもちろん、彼らが所属するロシャーナ連隊ではなく義勇軍本隊つまり日本軍だ。
ロシャーナ連隊が戦場で殺戮が出来るのも本隊が到着するまでと時間制限があった。
その間に彼らは思う存分暴れまわりその体を血の海に染めた。
「準備完了です~」
「殺れ」
ダダダッーンと連続した発砲音がした後、次々と倒れていく中国人達。
その遺体にウォッカを満遍なく掛け手際良く燃やし処理する。
火が消えたら残っているのはただの灰。
「中尉殿。来ました!」
小隊員が指差す方向から土煙が舞っている。
それを見て中尉がこの闘いにいる全ての人間に聞こえるよう、声を張り上げた。
「本隊が来たぞー!」
その知らせを聞いたロシャーナ兵士達は一斉に雄叫びを上げる。
声を張り上げながら地面を強く足で叩き付ける。
戦場を震わせる軍靴を足音は敵対する者達に万の兵が迫るが恐怖をもたらす。
ロシャーナ……日本軍が勝利を讃える横で敗者たる中華民国軍は手に持てる物は全て持ち逃げて行く。
後、満州独立戦争……錦西の会戦において日満連合軍は中華民国が派遣した鎮圧軍を寡兵で打ち破った。
旅順で結ばれた講話条約にて満州独立を認めさせた日本は極東における大きなアドバンテージを得た。
すなわち万が一アメリカやイギリスとの戦争が起こった際、満州は一大後方支援拠点として日本の戦時経済を支えるだけではなく、将来確実に誕生するであろう世界最大の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦に対する防波堤としても機能する。
だがこれは未だ行く先見えぬ未来の話だ。
満州を掌握した日本政府が溥義を国家首席とする満州王国の建国の為に諸外国……とりわけアメリカに根回しをしている中、ロシャーナ連隊は奉天郊外で大々的な宴をしていた。
奉天郊外に集結したロシャーナ連隊は一連の戦闘で100人及ぶ重軽傷者と30人近い戦死者を出した。
その後、丸一日戦死者を弔うと、成彦は兵士達にサプライズを用意していた。それはロシア帝国ウラジオストックで山積みにされ旅順から南満州鉄道を介して運ばれて来たアルコールの山であった。
軍用輸送馬車の荷台に山脈のごとく積まれ来た酒にロシャーナ連隊の兵士達は歓声を上げる。
その量は圧倒的であり3,000トンクラスの小型輸送船とはそれ相応の貨物室を備えた船がそれを酒の為だけに運んで来たのだから。
途中でダメに成った物を省いても1ダース分の酒が入っている箱は軽く500を越えるだろう。
三割近い酒は義勇軍本隊や満州独立義勇軍、地元住民にワイ……友好の証として分け与えた。
それでもこの山のような量。
……少し失敗したかな……
まあ、それで昼間から酒を飲むのは流石に止めさせて夜間にやる事にした。
『乾杯ー!』
宴が始まったら酒豪揃いのロシア人達は蟻のように酒の山へと群がった。
ウォッカにグルジアワインと若干の日本酒があったが圧倒的に人気なのは、やはりロシア人の燃料であるウォッカだった。その次にグルジアワイン、日本酒はかなり余った。
食事は質より量を重視した。
男気溢れる料理ばかりで、人の頭ほどある鹿の塩漬け肉をウォッカで豪快に丸焼きにしたり、鴨や鶏を解体して焼き鳥にして食べている。
鹿は本土から持って来た非常食の一つで硬い上にマズイ。しかしアルコールで中までじっくり焼けば塩が利いてこの上なく旨い。
鴨と鶏は近所の農家から物々交換で頂いてきたのを一口サイズまで解体してから串に刺して焼いている。
本来なら豚や牛を初めとする食べられる部位がもっと多いヤツを用意するべきだが、まあ宗教上の関係で食べれない連中もいるからな。
「だと言うのに……」
「*☆ΣΚ!#★оТ!!」
完全に酔っ払った状態で呂律が回っていないムハマド大尉。
その周りにいるイスラム教徒達も思い思いに好きな酒を飲んでいる。
それで良いのか、お前らはアルコール、飲んじゃ駄目だろう。戒律はどうした戒律は。
溜め息をしながら手元の鹿の骨付き肉を細かく切り刻んでから、それを箸で行儀良く食べていく。
ここら辺は今の母からの厳しい教えの成果の一つだ。
「……ソースが有ればなぁ」
「うぁ?何か言いましたかツァーリ」
「いや。何でもない」
「そうですか。それよりツァーリは小っさいですから、もっと食べてもっとデッカク成らないと!」
ゲラゲラ笑いながら私のトラウマを抉って来やがった。
チクショウ。これでも前世は170超えていたんだぞ!……今は160未満だけど……
「ツァーリ。追加のボルシチが出来ました」
糧食班が大きな器にこれでもかと山盛りになったボルシチを置いた。
黙ったままその兵士を見上げるとニヤリと笑いやがった。
「惨めだ……」
確かにロシア人達からの基準から見れば子供かも知れないが、俺はもう二十歳過ぎた立派な大人だぞ!女顔だけどな!?
気を紛らわす為にスプーンでボルシチを掬い、口の中に放り込めばロシア料理特有の濃厚な味が広がる。
「旨い」
「それは良かった。まだまだお代わりは沢山有るのでドンドン食べて下さい」
「オーイ!お代わりくれー!」
「こっちもだ!ツマミも足りねぇ!!」
「酒もっと寄越せー」
「黙れクソ野郎共が!これはツァーリの為に作ったんだ。お代わりは向こう側で配ってるから、そこ行って貰って来やがれ!ツマミは自分で作ってろ!酒は自分で取って来いや!?」
糧食班にここぞと集る者達の喧騒を聞き流しボルシチを更に口に運ぶ。
咀嚼すればスープと一緒にじっくりと煮込まれ柔らかくやった野菜が甘味を出しており、肉もあっという間に溶けていく。
汁をたっぷりと余す事無く吸い込んだスープは舌を満足させる。
私語をせず黙々と食べているとニコラヴァーナがウォッカ片手に近寄って来た。頬は赤くなった所を見るとそれなりに飲んでいるようだ。
「ゲルビルは?」
「しこたま飲ませてぶっ倒して来ました。今、先生の所まで運ばれましたよ」
質問してみればイタズラに成功したと報告して来た。
医療班には迷惑掛けるなー、本土に帰ったら追加の酒を送ってやるか。
今頃、アル中で溢れかえって、てんやわんやだろうな。
そう思っているとニコラヴァーナが話掛けてきた。
「これでツァーリの地位は安泰ですな」
「うん。まあ暫くではあるがな」
「本土に帰ったら何をするおつもりで?」
「フランスのシュナイダー社に発注した新型野砲の採用を協力してもらう為に龍造寺大佐のご機嫌伺いをしようと思う。松永中佐共々、頭カンカンの様子だし」
これから二年後、ヨーロッパ全土を巻き込んだ欧州列強によるGreatwarで日本軍が生き残るには不可欠な各種野戦砲の開発は大詰めと化している。
だが日露戦争から未だ脱却していない者が大勢居る陸軍上層部はそれら重装備の採用を渋るだろう。
理由は簡単、金が掛かるからだ。
なにせ小は75ミリ、大は戦艦の艦砲に匹敵する。
しかしヨーロッパ大戦で日本軍が消耗戦の中を勝ち抜くには絶対に必要となる。
あの大戦は歩兵の数ではない。大砲の数で勝敗が決まってしまう別次元の戦争。
海軍国家たる日本が陸戦中心の第一次世界大戦で戦い抜くには必要な処置だ。
まあ本土に帰国したらそれら新兵器の御披露目をしなければならないから、今はゆっくりしておこう。
帰れば嫌でも忙しくなるから。
「シュナイダーですかい。あそこの大砲は良いヤツが多いですがどれくらいのサイズを注文したんで?」
「……孫の手みたいな感じかな」
ニコラヴァーナと言えどそこは機密だ。
少しばかり誤魔化す。
「ふーん。後のお楽しみて事ですか」
「そんな物だ」
しかし糧食班が作った料理の数々はどれも美味しい。
次から次へと運ばれてくるので尽きる事はないし様々なロシア伝統料理が飽きさせる事をさせない。
酒も富さんに頼んで良い物を取り寄せて貰ったお陰でいわゆる当り外れがない。
「ところでツァーリ。ツァーリは満州をどうするおつもりで?」
「緩衝地帯兼後方支援基地にする」
ニコラヴァーナの質問に決定事項としての考えで即答する。
「それは何故?」
念押しするがごとく聞いてくるニコラヴァーナに将来に対する私の展望を伝える。
「まず、先の日露戦争はロシア帝国が更なる東進を狙って日清戦争で勝利した日本に対して三国干渉をしたのが遠因なのは明白だ。三国干渉で日本が遼東半島の重要拠点、旅順を放棄せざるを得なかった。ロシア帝国はその後まんまと旅順を租借する事で不凍港を手に入れ東方進出を加速させた」
歴史の復習だが日本人の脳裏に色濃く残っている出来事だ。
強いていえば三国干渉が日本の軍備拡張を促したとも言える。
「だが日露戦争が日本の勝利で終了すれば当然漁夫の利を狙う国も居る」
「中国ですかい?」
「いや、アメリカだ」
日本酒を飲みながらこの時代の太平洋の反対側に存在する人造国家の事を思う。
唯一残された植民地候補と呼ばれている中国の大陸権益で一番出遅れているのは間違いなくアメリカ合衆国だ。
アメリカ経済の成長ぶりは日露戦争以前から目に見える程。
アメリカ合衆国の首脳部は自分達が産み出す工業製品の消費場所を常に求めている。
それが平和な時代であれ戦争であれ。
「本国の議員の中には中国大陸に直接的権益を求める声が多くある。しかしそれはアメリカもそうだがイギリス、フランス、ドイツを無用意に刺激する事となる。そこで既に我が帝国の勢力圏に入っている満州をこの際、中国から完全に分離独立させる事で中国本土への干渉を最小限にしようと考えた」
「中国の仮想敵国を日本から満州に反らそうて事ですか」
「それもあるが……」
「どうかしました?」
口を濁すと不思議そうにするニコラヴァーナに私は躊躇した。
この事を話せば、おそらく聡明すぎるコイツは何を言いたいか分かってしまうだろう。
だが……今話しておいた方が良いか。
「ニコラヴァーナ。あくまでもあくまでも可能性の段階ではあるが……万が一ロシア帝国、ロマノフ王朝が崩壊したらお前はどう考える」
私の質問に長く長くニコラヴァーナは黙り込み口を開いた。
「…………そいつは……笑えねぇ話ですな」
額から冷や汗を流すニコラヴァーナは私の意図を正しく読んだみたいだ。話をそのまま続けた。
「今の中国は一時的ではあるが一つに纏まるだろう、長くは続かないだろうがな。だがロシアは違うだろう。あそこは纏まるのには時間は掛かるが一度でも纏まれば鉄壁の要塞に変わる。何故かは言わなくても分かるだろう?」
ニコラヴァーナは黙ったまま頷く。
ロシア人は強力なリーダーシップを発揮出来る人物を常に求めている。ロシアの大地がそうさせるのだ。
「このままのロマノフ王朝は時代の進歩に対応出来ず無惨に散っていくだろう。もっと言えばロマノフ皇帝、ニコライ二世はロシア全臣民の上に立つ人として良すぎる。これから起こる大戦争の前ではロシア帝国は砂の城のごとく消えていってしまう」
その後に誕生するのは既存権力を排除した暴力的体制の国家。
ロシア帝国は貴族の力が強く中央集権国家としては不完全だったが、それを倒した次の権力体制は本当の意味でロシアを統一した国と成るであろう。
ユーラシア大陸最大の国家たるロシア帝国が倒れればその後を引き継ぐ国が必ず現れ、そしてその首脳部は何を目指す?
「南下してくるであろう彼らに対して、満州は北方への万里の長城にする。そうする事で日本は大陸に余計な国力を費やすこと無く自らの発展に力を注ぎ込める」
私の目下最優先の目標は日本の国力の増大。
それには日本が心理的に安心出来るよう緩衝地帯を持つ事がベストだ。
「恐ろしい考えですな。満州は捨て石と言う事ですかい」
「当然だ」
それにロシアがそうであっただろう?
私の問いかけにニコラヴァーナは頭を掻きながら肯定する。
ロシアの緩衝地帯はそれ則ち、ポーランドやフィンランドと言った北欧、東欧諸国がドイツやオーストリアへのそれだ。
「勿論だが、満州の軍事力は余程の事が無い限りは日本が握る」
満州と日本の関係は、前世に例えるから日米安全保障に近いものとなるだろう。しかしこれは激動する国際情勢で変化するかも知れないが。
話はそれで終わりと目の前の食事に集中する。
早く飲んで食わないと兵士達の胃の中へとドンドン消えていってしまう。
チラリと兵士達の食事の様子を見てみると、もうしちゃかめちゃかだ。
あっちでは鍋ごと持ち上げ直接口の中にぶち込んでいる大馬鹿野郎がいるし、そっちでは酒を一気飲みしながらどこからか持ち出して来たのか分からない楽器を奏でている者もいる。
兵士達は音楽に合わせ歌い踊り笑う。
……顔が厳ついのばっかだから盗賊にしか見えねぇ……
概ね宴は無事に成功しそうだ。
これだけ自由かつ大量に飲み食い出来るのはそうそうない。
ロシャーナ連隊は戦場で生きるか死ぬかの瀬戸際で戦う事を位置づけられた部隊。
明日死ぬかかも知れないから今日生きている事を喜び自分の好きな事を目一杯楽しむ。
酒を飲むぐらいは許されるだろう。
「殿下」
「!……何だ、脅かすなよ」
突然後ろから話しかけられ少しビックリしてしまい、後ろを振り向くと黒装束の者達を率いる先頭に一際抜きん出て大きい男、風魔廉太郎が脇に白い布が覆い被さった木製の籠を抱え佇んでいた。
「首印で御座います」
そう言って差し出した籠の布を外すと、それに苦悶の表情を浮かべ首だけになった中年の丸々と太った男。
「大将首で御座います」
私が胡散臭げに見ていると首の正体を告げる廉太郎。
「マジか……」
ロシャーナ連隊の将兵達が血眼になって探していた中華民国軍の司令官の首だった。
思わず絶句してしまう。
てっきり逃げ出していたと思っていたのに。
「お味方の攻撃が始まる半刻前に寝床に忍び寄り、首を頂戴してまいりました」
「よくやった、と言うべきなのだろうがな……」
満開の星空を憂鬱な心情で見上げた。
何故なら敵の司令官は逃亡したと報告したばかりなのだ。
今更持って行っても何て言われるか。
そう考え、ウンウン唸っていると、
「ところで殿下。こちらに近づいて来る複数の馬車がありますがどうされますか?」
「馬車?」
廉太郎の言葉に首を傾ける。
ここに来る予定の馬車は酒を満載したのだけだ。
当然それ以外は想定していない。
「編成は?」
「数は4つ。内一台は装飾がなされており高貴な人物が乗っている模様です。他は輸送馬車かと」
「危険性は無いのだな?」
「はい。幾人かは武装していますが要人警護の為と思われ最低限度であります」
たった四台、しかも最低限度の武装しかしていない。
まずこの満州では確実に馬賊に襲われる。
となると北側から来たのではなく南側つまり大連から来たと成彦は推測した。
「一応受け入れらる態勢は整えておこう。ゲルビルは……ノックダウンしてるからフターデン!」
「はっ!!」
遠い所で自分の部下達と飲んでいたフターデンは成彦の声にすぐ反応して、直ぐ様立ち上がり成彦の下まで駆け寄った。
「何でありましょうかツァーリ」
「お客さんが来るみたいだから準備をしておけ。くれぐれも不備が無いように」
「了解致しました!」
と、答えたフターデンは首下の警笛を鳴らした。
甲高い音が響き渡り、それを聞いたフターデンの中隊が小銃片手に立ち上がり彼の前に整列した。
フターデンは彼らに成彦から承けた命令を伝えた。
「我が第3中隊はこれより!客人を出迎える。今の内に服装の乱れや汚れは落としておけ」
そう指摘されると中隊員達はお互いに服装の乱れを指摘し土埃をはたき落としていく。
全員が身だしなみを整えるのを確認するや行進を始めた。
「ぜんたーい、前へ!」
暫くして客人を伴って戻って来た第3中隊の様子だが、遠目から見て可笑しかった。
どうしてか分からないが妙に緊張した面持ちでソワソワしていた。
こちらに向かって来る馬車の列に気づいたのか飲み食いしていたロシア人達が、その列の中央に位置する豪華に装飾が為された馬車を見れば顔を引きっていた。
「おい、ニコラヴァーナ。あれは……何だ………?」
横を見ると顔を真っ青したニコラヴァーナ。
もう一度、馬車を見ればその側面に紋章が刻まれているのに気づく。
日本の家紋では無い事は直ぐに分かった。
大きく描かれた西洋式の盾に頂点に王冠が被さり、その下には2つのハンマーが交差するように飾られている。更に下に小さな王冠があり二つずつの剣と赤い十字の紋章を二頭の熊がそれらを支えている。
一番下には文字があり『ACTA-NON-VERBA』と彫り込まれていた。
ロシャーナ連隊のあちこち……正確には第二大隊からヒソヒソと声がする。耳に神経を集中させると驚くべき事が聞こえた。
「どうする、あの人?」
「俺に聞くなよ。ツァーリと頭が決める問題だ」
「ここまで追って来るって、どんだけだよ……」
「知るか。サンストペテルグルフに居る筈の、頭の婚約者がここにいる事態が受け入れられないだ……」
……コ…ン…ヤ…ク…シャ…………婚約者!?
嘘やろ!?
そう驚愕しているといきなり馬車の扉がバン!と蹴破られ何かが出てきたが、それはそのまま隣で固まっているニコラヴァーナへと体当たりした。
「オルスル様!!御逢いしとうございました!」
「ぐうぺぇぇっ!?」
腹におもいっきり体当たりされたニコラヴァーナが到底人とは思えない呻き声を出しながらぶっ倒れた。
神速の速さでニコラヴァーナの腹にクリンヒットした人物を見ると、綺麗であった。
髪は小麦色に輝いてさながら宝石のように存在感を示していた。足や腕はスラッとして未来であればモデルとして通用するレベルだ。顔の造形は西洋人形のごとく可愛らしく纏まっておりそれ一つが芸術的であった。欠点とも捉えられるかも知れない勝ち気な目はそれはそれで顔を引き立てていた。
ただ、凄まじく……子供……体質。
身長は私と良い勝負かも知れない。胸はお察し?
そう考えているとニコラヴァーナの副官であるセバスティンヌ中尉が二人の間に滑り込んだ。
「ニケーア様。それではニコラヴァーナ様が苦しそうにしておられます。今一度離れてみては?」
セバスティンヌ中尉がそう言うと少女?女性?が頬をプックリと膨らませ不満を口にした。
「嫌ですわ。オルスル様とは、かれこれ三年以上会っていません。久しぶりの再会なのですからこのくらいは当然ですわ!」
ニコラヴァーナから離れようとはしないニケーアと言う名前の婚約者はが更にギュッと抱き締める。される側のニコラヴァーナはたださえ腹に体当たりされている上に締め付けられた格好になっているから、苦しそうにしている。
セバスティンヌとニケーア女史の押し問答が暫く続いていたが、ニケーア女史が譲歩する事で決着したが、やけに嬉しそうな顔していた。
ニケーア女史は少しだけ土で汚れてしまったドレスを軽く叩くと、こちらに成彦の方を向き堂々たる挨拶をした。
「初めまして。プリンス・成彦。私はロシア帝国が公爵である我が父、エリム・デミドフとその妻で母たるソフィア・ヴォロツォヴァ=ダーシュコヴァが二人の娘、ニケーア・デミドフで御座います。以降お見知りおきを」
その名乗りに成彦はグゥの音も出なかった。
余りに正々堂々とした態度は誰が見ても文句のつけようが無い程、完璧かつ優美であった。
されど挨拶されたからにはこちらも返さねば。
「私は珠洲ノ宮成彦である。貴女の来訪を珠洲ノ宮家の名に於いて心より歓迎する」
そう言うと彼女はクスクスと微笑する。
可笑しかったかな?と思いつつ尋ねた。
「何か?」
「いえ。オルスル様から聞いていた通りの可愛らしいお人だなと思いまして」
「……へぇ」
思わず頬を緩ませながらニコラヴァーナを見ると、顔をブンブンと否定するように横に振っていた。
……あいつ後でスリミにしよう。そうしよう……
「それでニケーア女史は何故こんな硝煙の香りがまだ残る極東の戦場に態々来たのですかな?少なくとも貴女ような高貴の者が来て良い場所では無い」
彼女は妖艶な笑顔を浮かべた。それはこの場に居る全ての者を魅了するモノであり、何人かのロシャーナ兵士は撃沈されている。
その口が開けば万感に響く音色を奏でた。
「プリンス・成彦。女には好きな異性を落とす為に手段を選びませんわ。オルスル様の場合、ワタクシとの結婚が嫌で極東のド田舎の日本に転がり込みました。ですので、オルスル様が忠誠を捧げている新たなツァーリに結婚を認めて頂く事が私の取れる最後の手段、と考えまして遥々サンストペテルグルフから参りました」
彼女が日本をド田舎と言った瞬間、殺気を彼女に向けて放ったが、それに臆する事無く彼女は自分の考えを言い切った。
中々肝が据わった女史だ。
これならニコラヴァーナの妻として良いかも知れない。
ただ今一つ押しが足りない。
「失礼なのは承知だが先程、貴女はデミドフ家の公爵令嬢と申し上げていたが、私もデミドフ家がどのような家なのか知らない。珠洲ノ宮家二代目当主たる自分が貴女とニコラヴァーナの結婚を認める利点を述べて欲しい」
実際、これ以上のロシア人に関する厄介事を抱え込むのは好ましくない。ただでさえ政府から睨まれている。
余程のメリットが無い限り受け入れる事は難しい。
「あら。聡明と名高いプリンス・成彦のお耳にも届かないようでは我がデミドフ家も随分と落ちぶれたモノですね。ウル!」
「はい。お嬢様」
ウルと呼ばれた、長い年月を過ごした大木を思わせる老齢な執事が私に近寄り一枚の雑誌を差し出した。
そのタイトルには『アトランタ・ジャーナル=コンスティテューション』と英語で書かれていた。
当然、日本軍人になる為に努力して来た私は不都合無く、その中身を読解する事が出来た。
そこには私が彼女を受け入れるには充分すぎる情報が載っていた。
『ロシア帝国、エリム・デミドフ公爵。資産総額測定不能』
「測定不能?」
「正確には公爵様が保有しておられる国内外の鉱物資源を始め工場や別荘を含めた数値であります。それは余りに莫大で試算するのを新聞が諦めた結果そのように書かれています」
有り得ない。
自分達の飯の種であるスキャンダルやネタを掴む為に法スレスレの行為すら犯す新聞記者達が匙を投げ出す程の資産を持っている貴族など。
あのロシア皇帝ニコライ二世ですらキチンとした資産総額の見積りを出しているのに…………デミドフ家ヤバく無いか?
ウルはそのまま説明する。自らの仕える主人の願いを叶える事でどれだけ巨大なメリットがあるか。
「エリム様から伝言が有りまして『プリンス・成彦。突然の事で申し訳ないが私達の娘の願いを聞き入れて貰えないだろう。娘は長年子供が生む事が出来なかったソフィアの待望の子供で掛けがえの無い私達唯一の宝なのです。父親としては娘がド田舎の日本に行くのはとても心配で胸が引き裂かれそうなのです。
そこで我がデミドフ家はプリンス・成彦に対して資産の融資を考えている。近年の経済、軍事双方に置ける日本の成長は著しく、デミドフ家はこれを有望な投資先として考えていたが日本にはある程度の信頼に至るモノが無く困っているところにプリンス・成彦が非常に信頼出来る物件であると鑑み、この度我が娘、ニケーアとオルスル殿下の結婚を認め頂きたく申し上げる』との事です」
これに成彦は苦々しい表情で露骨に舌打ちしたが、内心は小躍りしていた。願ってもない申し出だった。
最近、資金不足が陰ながら見えつつある日本経済には特大の起爆剤が必要だった。
その起爆剤はあと五年もしない内に派手に起爆するが、その下準備が不足していた。
下準備が十分に整っていないと日本の成長は失速してしまう。
それを解決出来る方法が予想外のところから舞い込んで来たのだ。
これを逃がすのは最早時期を読むことすら儘ならない余程の無能だろう。
ここで成彦は欲を張る。デミドフ家が持つあるモノの欲した。
「追加の条件がある」
「何でしょうか?」
「エリム・デミドフ殿が出来る範囲で良い。人を紹介してくれないか」
その条件にウルは主人の方を向いた。
その視線を受けニケーア女史は口を開いた。
「それはどう言う意味でしょうか?」
「人脈が欲しい」
求めているのは正にそれであった。
今持っている海外への人脈は軍もしくは富さんを通してだ。
しかしそれでは非常に限定された範囲にしか持てなかった。
軍からのは軍事関係、富さんや又吉さんのはフランス中心で特に海運及び経済の人脈。
そこにデミドフ家の人脈が加わればどうなるか。
ロシア帝国公爵となれば列強各国のありとあらゆる所に太い人脈を持っている筈。
成彦が出して条件にニケーア女史は、
「それぐらいでしたら、父に頼めべば直ぐでも紹介させて頂きますわ」
と嬉しそうに答えた。
横に居るニコラヴァーナの顔が面白いように赤くなったり青くなったりしているが。
更に追い討ちを掛けるように
「オルスル様。せっかくプリンス・成彦が私達の結婚を認めて下さったのですから、そんな汚い無精髭は剃ってしまいましょう♪」
と手を顔の前で合わせ弾んだ声で言った。
成彦が目を輝かせ「ほう」、と漏らすとニコラヴァーナが右手に持った酒瓶を放し逃げ出そうとしたが、いつの間にか周りで待機していた彼の子分達に取り押さえられる。
「お、お前ら!?裏切る気か!」
「すまねぇ、頭」
「ツァーリに逆らったらヘドが出るまで走らされるから生け贄に為ってくれ」
「それにニケーア様からのお仕置きは死ぬ程ヤダから、頭が死んでくれ」
信頼していた筈の部下達からの言葉に思わず絶句してしまい抵抗するのを忘れてしまったニコラヴァーナに髭剃りを右手に、左手に石鹸を構えたウルが立った。
その後ろに水が限界にまで入った桶を持ったセバスティンヌが控えていた。
そしてウルが無慈悲に宣告した。
「失礼します」
助けを請う声を無視してニコラヴァーナの顔にたっぷりと蓄えられていた髭は哀れに地面へとスルスルと落ちていく。
「ギャーッッッッ!」
ニコラヴァーナの悲鳴を上げている姿を、成彦は指を指して爆笑していた。本土にいる時、成彦は母である珠洲ノ宮彩希からよく女装するようにせがまれていた。成彦は今世の母親の頼みを断り事が出来ず、渋々女装をしていたが、それを偶然ニコラヴァーナに見られた時があった。
ニコラヴァーナは大爆笑しながら連隊にその話をばらまいた。
それ以来、見られた事を恥じていた成彦が復讐を誓ったが、丁度それがその時であった。
それから大体10分ぐらいしたらセバスティンヌが水を頭からぶっかけて髭剃りが終了した。
「………………」
白目剥きながら茫然自失しているニコラヴァーナは野蛮な雰囲気から様変わりしていた。
あれだけ豊富に蓄えられていた髭はキレイサッパリ無くなり清潔感溢れるハンサムな顔立ちがあった。
これなら惚れられるのも分かる話だ。
「よし。これから先、ニコラヴァーナは髭を伸ばすのを禁止する。もし破ったら強制的にそれを剃る。セバスティンヌ頼むぞ」
「はい。お任せ下さい」
愉快そうな笑顔で了承するセバスティンヌを見て、やっぱり欲しいと思った。
ニコラヴァーナに従うのもヤツの出生に関わる事だから、知る気は無いがニケーア女史の父親が公爵である事を考えると相応に高貴な出なのだろう。
まあ、聞く気も知る気もない。
私の部下に成ったからには出生階級関係無く等しく私の兵士だ。
行くは戦場、参れば地獄。
そう思い耽っているとニケーア女史がファイルを両腕一杯に抱えていた。
それに気が付きそちらを向くと
「プリンス・成彦。失礼かと思いますがワタクシの友人達の段取りもお願い致しますわ」
と微笑しながら言った。
それを受け取って一つ一つ中を開けて確認してみれば、どれも美しい衣装を笑顔を浮かべながら写真越しでも分かる決意を感じさせる麗しき少女達。
面倒だなーと思いながら、この姫君達が誰なのか聞いてみた。
「これは?」
「フフッ。オルスル様と一緒に日本へ亡命された99人の人達が、既に決まっていて結婚する筈であったワタクシの友人達ですわ」
「あー…………分かった。式の段取りはこちらがしておこう」
「よろしく致しますわ。お礼に献上品がありますので、ぜひお納め下さい」
献上品?……何故だろうか嬉しいだが嫌な気がする。
ニケーア女史が3台ある馬車の内、一番後ろの馬車に行くので付いて行く。
その周りには、ロシアの軍服に軽武装している少人数の者達が注意深く周辺を窺っていたが、ニケーア女史が近づくと一糸乱れず整列しゆっくりと頭を下げた。
「貴方達。荷を降ろしなさい」
指示を受けるやテキパキと荷台から次々と細長い木箱が降ろしていく。一つ3人係りで慎重に馬車から降ろすと、私とニケーア女史の前にピラミッド状に慎重に積み上げていく。
気持ち悪い程丁寧に扱われ目の前に積み上がっている。
「開けなさい」
ニケーア女史がそう言うと木箱の一つがハンマーによって派手の音と共に中身をさらけ出した。
それを見た成彦は思わず唾を飲み込む。遠めから成彦とニケーアのやり取りを見ていた全ての兵士達が口を開け唖然としていた。
そこには、焚き火によって黄金の輝きを放ち、明るく暗闇を照らす延べ棒が鎮座していた。
ニコラヴァーナは髭を刈られたショックの余り気絶していたが、ようやく正気を取り戻した。出来れば全てが夢であって欲しいと願いながら。
うっすらと目を開けると笑顔満天の己の婚約者がいた。
「ご機嫌よう、オルスル様。もう起き上がっても大丈夫ですか?」
「…………夢であって欲しかったな」
「あら、私は夢が叶ってとても幸せですわ」
クスクスと控えめに笑うニケーアに溜め息をつくしかなかった。そして、自分が膝枕されている事に気がついた。
「………………何でここに来た」
そう問うとニケーアが決意に満ちた表情で答えた。
「恋した殿方を追いかけるのに、女は手段を問いませんわ」
「そうかい」
ゆっくりと体を起こそうとするとニケーアはそれを支える。体を起こし辺りを見回すと、飲兵衛共が酒を次から次へとラッパ飲みして空にしていく。
「相も変わらず野蛮ですこと」
その光景を見てニケーアが額に手を当て嘆く。彼女には理解しがたい事だろう。芳醇な香りを漂わせる高級酒の味わいを感じようともせず飲みまくる兵士達に呆れていた。頬を若干赤く染めているのを見ると彼女も彼女なりに飲んでいるらしい。
「俺としてはお前が追い掛けて来るなんて予想外過ぎて頭痛いわ」
近くに転がっていたウォッカを掴み、同じように転がっていたコップに並々と注ぎ入れ、グッと喉に流し込みながら聞く。度数が高いウォッカが喉に焼くような刺激を与える。
「愛する婚約者を母なる祖国に置いて行き、遠く離れた極東の異国まで逃げ出したあなた様に言われたくありませんわ」
端正な顔をプクーと膨らませ私怒っていますと語るニケーアに、やぶ蛇突いたと感じ顔を逸らす。
『ギャー!?』
『助けてくれー!』
『ツァーリ!これ以上は勘弁してくれ!?』
『誰かツァーリ止めろ!』
『チクショウ!?ニケーア様恨んでやるー!』
泣く子も黙らせるロシャーナ連隊兵士達の悲鳴がする方向を見ると、顔を真っ赤にして千鳥足状態で料理と酒を暴飲暴食の限りを尽くす成彦の姿があった。自分達の飯まで食われそうになり止めよう飛び掛かった兵士達が、裏拳喰らって次々とノックダウンする。
「ありゃ、なんだ?」
ニコラヴァーナはポツリと言葉を漏らす。
成彦があれ程までに酔ったところなど見た事がなかった。成彦は口ではアルコールは苦手だ、と言いながらその実、飲兵衛連中から勝利をもぎ取った事がある。つまりとんでもない酒豪なのだ。普段は一口も酒を口にしないせいで周りから禁酒家だと見られているが、宴会にでも成れば樽が空になるまで飲み続け、最後はケロッと涼しい顔をしている。
「ふふふっ。プリンス・成彦にはこれを飲んで頂きましたわ」
そう言ってニケーアがニコラヴァーナの目の前にこれを見せた。
瓶にはロシア語のラベルが貼り付けられ、こう書かれていた。
『スピリダス』
それを見たニコラヴァーナは叫んだ。
「お前!スピリダスを飲ませたのか!?」
スピリダスはポーランド産のウォッカの一種であり、驚くなかれアルコール度数99パーセントと馬鹿げた数値を誇る、もはや飲みだけで喉に激痛を走らせる。〈日本では、その危険性から劇物認定され輸入を厳しい制限している〉
「はい。それにしても水で割らずに飲んだ時は、さすが肝を冷やしましたわ」
「原液のまま飲んだかよ……」
思わず天を仰ぐ。スピリダスは水で割って飲むのが大前提。もしそのまま飲めば、良くてアルコール中毒、最悪は死に陥る。
それを水で割らずに飲むのは、ただの馬鹿だ。
酔っ払った成彦は放っておくことにした。
『助けてくれ!かしっらー!』
「うるせえ!お前らでなんとかしろ!」
助けを求めてきた部下達に対して情け容赦なく切り捨てる。
更なる悲鳴が上がる中、ニコラヴァーナは疑問に思ったことを尋ねた。
「なあニケーア。お前がここに来たってことはデミドフ家は……」
「私にはお父様の考えは分かりません。ですが推測することは出来ますわ」
ニケーアは語り出した。
デミドフ家が保有する工場でストライキが発生したこと。そして主犯と見られた人物の遺体の懐にはカール・マルクス著者の『共産党宣言』があったこと。その人物の背後関係を徹底的に捜査した結果、指名手配された社会主義者達と深い交流を持っていたことが確認された。ニケーアの父にしてロシア帝国公爵エリム・デミドフは、この報告を受けた後、ニケーアにオルスルがいる極東の地に行くように告げた。
「デミドフ家はロシア帝国を、ロマノフ王朝を捨てるのか」
ニコラヴァーナの言葉に黙ったまま笑顔で答えるニケーア。その笑顔には暗い影が混じっている。
ロシア帝国の重鎮中の重鎮の一人であるエリム・デミドフ公爵は愛する娘を遥か極東の島国に送り出した。
それが何を意味するかは公爵自身も分かっている筈。
「それは違いますわ。飽くまで、私がここへ来たのは父も許した事です。母様は反対されましたけど...」
寂しそうな顔をしつつ健気に微笑んだ。家族と遠く離れる事になるのを最も苦慮したのは、ニケーア本人なのだろう。それでも彼女はここにやって来た。
それは決して、誰にも物言う事が出来ない断固とした決意の発露であった。
何も言えず頭を掻き毟りぶっきらぼうに答えるしかなかった。
「あーっ!分かった、分かった!!俺からもツァーリに話をしておくから、それで良いか」
ニコラヴァーナがそう言うと、ニケーアは感極まって涙目になりながらも、己が愛する異性の体に飛びついた。
そうして、歴史に刻まれるであろう勝利を祝い明るい未来を抱く日本人と満州人達とは違い、重いドンヨリとした空気で関東省三省より南、中国の首都が存在する華北地方へ落ち延びようとする、中華民国軍の敗残兵。
敗残兵の大部分が就寝中に突如始まった夜間の乱戦で、寝間着のまま武器を持たずに逃げ出した者だ。
血走った目で蛮声を上げながら、先に武器を持って立ち上がった味方を悉く惨殺した白人達。
それを引き連れながら片手に持った剣を真っ赤に染め上げるまで殺戮の嵐を吹き荒らした一人の日本人。
その姿に恐怖を憶えた中国人達は、彼らの背後で死に絶えた味方の死体から血を吸い上げる巨大な影を見た。
それは蛇に似た異形のモノであった。ただし、頭が八つに分かれた化け物が、八つの頭それぞれにある口に血が魂そのものである、と言わんばかりに飲み下していく姿は心を打ち砕いた。
節々に傷を負い足を引きずる者、ある筈もない足を探し周りの人に聞く者、薄い肌着一枚で体を震わせながら歩く者。
誰もがこの状況を嘆いた。
ある者はこの戦いで活躍し英雄になる事を望み、ある者は腹が空き食い扶持を確保する為、ある者は風の噂で聞いた日本軍のある計画を知り持てるだけの荷物を持ち南へ逃げたが自分の土地を取り戻す為、軍に志願した。
その結果がこれだ。
万の軍団で挑みながら兵力に劣る寡兵である日本軍の策略により惨敗。
夜襲された時、指示を出す将軍が行方知れずになり、対応する暇もなく蹂躙され食糧を始め多くの軍需物資を奪われた。
敗北した彼らが通り過ぎた道には力尽き腐臭を放つ、かつての同胞の死体が転がっている。
ッ......ドッ......ドドドッ
南へ南へ落ち延びようとする彼らの耳にある音が響いた。
重々しい地面を叩くその音に気がついて顔を上げるが周囲にそれらしきモノは見えない。あるとすれば、右横に広がる小高い丘。
疲れ切っていた彼らは再び地面を眺めながら歩き始めた。
そしてまた音がする、はっきりとした馬が地面を蹴り上げる音が。
一人が丘を見上げたその先に奴らは居た。
「ああっ、ああああああああああああああ!」
その声に釣られるように見た、彼らは丘の上にいる騎馬隊が掲げる旗を見て悲鳴を上げる。
日本軍から供与された最新式の三八式騎兵銃を装備して悠然と中国人達を見下す満州人達。
満州人が高々と掲げる八旗。
正黄、鑲黄、正白、鑲白、正紅、鑲紅、正藍、鑲藍。
八つの色に分割された満州騎兵であり明末期の中国全土を圧倒的戦闘力で席巻した、満州八旗。
満州八旗がそこにいた。
「蹴散らせ!!」
オオオオォォォォ!オオオオオオオオオオオォォォォォォォッオ!!!!
地獄がこの世に現出した。
『おおっ!まるで虫のように人が死んでいく』
満州騎兵によって蹂躙される中華民国軍の敗残兵達の様子を、千里と離れた場所から見ている者がいた。
紫禁城の城壁から、かの逃亡劇を観察していたあの坊主である。
『哀れなり、なんと哀れなるか。かつて太平の総てを総攬した中華の兵が、あそこまでやられる姿を見ると清々しい。だが、安心せよ。そなたらの魂魄は我に血肉と与える存在となり、我と等しい存在とならん』
坊主はそう言うと何やら経を唱え始めた。
すると、彼?の体に光るモノが集まり始めた。
赤や青などの色鮮やかでありながら恐怖心を煽るそれは、一定の数になると坊主の中に吸い込まれるように入っていく。
『...少ない?あれほどの死があるにも関わらずこの少なさ。我以外にもいるのか』
坊主はソレが自分の所に寄ってこず、北に向かうのを見て呟いた。
『仕方ない。我が直接向かい回収するとしよう。中華の民は回帰すべき。その一つでも外れる事は許すまじ。正しき道に導くは我の務めなり』
そう言うと坊主は後ろを向いた。
そこには、呻き声を上げながら苦しみ地面でのた打ち回る中華民国軍の士官と護衛が数人。
『汝らご苦労であった。ぬしらのお陰で我は力を僅かながら取り戻す事が出来たが、最早汝らから得るモノはない。我の一部となり得ることを嬉しく思いながら逝くが良い』
坊主が手を振るうと、四人はミイラのように干からびて行きたちまち息絶えた。
『さあ、参ろうか。我と一緒に仏の道を歩んだ鑑真が盲目になるまで渡る事を夢見た、倭の国へ』
ボロボロと風に煽られ崩れさるモノには見向きもせず、坊主はゆっくりと消えていく。
やがて、消えた跡には砂の山が4つあるだけであった。




