我儘
お姉ちゃんの部屋は、とても質素だった。これなら私達の屋敷に住んでいたほうが全然いいと思う。
だって、学生寮に入るのなんて地方の貴族だけ。そんな身分の低い者たちと一緒になんていられない。
……でも、キリヤ様は男爵子息。ううん、あの方は特別。
「あっ、図鑑がある……日記じゃなかった」
お母様は部屋を観察している。私も見渡すと、特に日記らしいものは見当たらなかった。
窓辺の椅子には、木剣や木槍を抱えた小さな騎士の人形が数体、座っている。
こんなもの、持っていたんだ。
私には、見せてくれたこともないのに。
「プリム、日記はどこかしら?」
「……多分、机の中だと思うよ」
お母様が引き出しへ手をかける。
上の段には筆記具。その下は空っぽ。けれど、一番下だけは開かなかった。
「魔力錠ね。……寮なのに、こんなものを使うなんて」
お母様が不機嫌そうに眉を寄せた。
私も引き出しに触れてみる。
薄い光が浮かんだだけで、錠は反応しなかった。
「お姉ちゃんにしか、開けられないのかな……」
「そんなわけないでしょう。あの子の魔力は、それほど強くないのよ?」
お母様は、私を横へ退かせた。
「グリッド様と魔法の練習をしていた時も、大した魔法は使っていなかったじゃない。私なら簡単に開けられるわ」
そういえば、そうだった。
お姉ちゃんはいつも、グリッド様の後ろにいた。
彼が魔法を使うと褒めて、自分は小さな魔法しか使わない。
でも……なんだろう、お姉ちゃんは魔法を使う前に、グリッド様の顔を見ていた気がする。
私達が共通して認識しているのは、お姉ちゃんは勉強はできるけど、魔法は苦手だということ。
……本当にそうだったのかな? すごく難しい魔法書を読んでいたような気がした。
「まあいいわ。中身を確かめるだけよ。日記を読んで家族を誤解したなら、私が説明してあげないと。――この程度の魔力錠なんて私の魔法で」
お母様の指先に、赤い光が集まった。
少し、嫌な予感がした。
でも、今止めたら、日記の内容がわからない。だから、私は黙って見ていた。
***
お母様が、錠へ魔力を流し込む。
「……あら? おかしいわね?」
引き出しは開かなかった。お母様の眉間に皺が寄る。
赤い光が、少しずつ大きくなった。
「お母様、大丈夫?」
「大丈夫よ。こんな鍵は壊せば――」
錠に浮かんだ青い模様が、くるりと回った。
は、反転魔法!?
それって上級生になってから習う、すごく難しい魔法だ!
その瞬間、赤い光がお母様の手元へ戻ってきた。
「ひぎゃっ!? あつっ!?」
ぼふっ、と音がした。
お母様の髪が、一瞬でチリチリに膨らんだ。毛先に、小さな炎が見えた。
「きゃあああっ!? も、燃えてる、燃えてるわ! 早く消して!!」
「お、お母様!?」
水を探そうとした、その時だった。
青い水の球がお母様の頭を包み、ぱしゃんと弾けた。
火はすぐに消えた。
顔も服も、焼けてはいない。
ただ、綺麗に結われていた髪だけが、細かく縮れて、左右に大きく広がっていた。
まるで、丸く刈り込まれた庭木みたいに。
「……な、何なの、今のは……」
お母様の膨らんだ髪から、水滴が落ちる。
私は何も言えなかった。
机には、焦げ跡ひとつない。
引き出しも、しっかり閉まったままだった。保護魔法が働いているのかもしれない。
かたん、と音がした。
窓辺の騎士の人形たちが、椅子から降りていた。
「……こ、今度は何よ!?」
小さな足で、床に立つ。その目が青く光っていた。
錠から伸びた光が、人形たちへとつながっている。
知っている魔力だった。
お姉ちゃんと同じ――。
私の背筋に寒気が走った。
自動守護騎士魔法……。
一体動かすだけでも、沢山の魔力が必要なはずなのに。
反転魔法も、水魔法も、引き出しの保護も――全部、お姉ちゃんが?
魔法が苦手だったんじゃないの?
それとも……グリッド様の前では、使わなかっただけ?
「な、何よ。人形を動かすくらいで……こんな雑魚――」
お母様が手を上げた。
人形たちが、木剣と木槍を構える。
次の瞬間、お母様の足元へ飛び込んだ。
「痛っ!?」
木剣が、靴先をぺちんと叩いた。かなりの音が鳴った。
お母様が後ずさると、人形たちはその分だけ進んでくる。
「プリム! 何とかしなさい!」
「わ、私が!?」
腕を引かれ、お母様の前へ押し出された。
人形たちが、私へ顔を向ける。
「違うの! 私、何もしてない! 鍵を壊そうとしたのは、お母様で――」
先頭の人形が、木剣を持ち上げた。
「ひゃっ!」
慌てて避ける。
人形たちは止まらず、小さな足で追ってきた。
「お、お姉ちゃん! これ、止めてよ!」
返事なんて、あるはずがなかった。
お母様は既に扉へ向かっている。
ちょっ、私を置いていくつもり!?
「待って、お母様!」
追いかける私の足元を、人形の木剣が掠めた。
小さいのに、すごく速い。
私がお母様へぶつかり、二人でもつれるように廊下へ飛び出した。
人形たちは、入口でぴたりと止まった。
先頭の一体が、こちらを見上げたまま木剣を抱え直す。
小さな手を上げると、魔力を練る気配がした。
ばたん。
扉が閉まった。
続いて、内側から鍵のかかる音がした。
***
「……お母様」
私は乱れた制服を直しながら、隣を見た。
お母様は濡れた髪を押さえている。
でも、手を離すと、また大きく膨らんだ。
「簡単に、開けられるって……」
「お黙りなさいっ! この役立たず!」
怒鳴られて、口を閉じた。どうして私が怒られるの?
何も壊していないし、魔法だって使っていないのに。
閉じた扉を見る。
お姉ちゃんが、こんな魔法を使えるなんて知らなかった。
弱いと思っていた。上位魔法使いのお母様なら、簡単に開けられると思っていた。
日記に何が書かれているのかは、まだ分からない。
でも、もう一度あの引き出しへ手を伸ばす勇気はなかった……。




