③ 帰還
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遺跡に近づいたところで白蛇のウルスナビに食べられそうになって尻もちをついた。彼は僕に気づいたのか、ギリギリで止めてくれた。
『……お前、戻ってきたのか』
『ほお、まるでヨルムンガンドのようだ』
蛇を見上げた自分の喉からは感心したような声が出た。ウルスナビは大きく目を見開き、思案するように舌を動かした。
『……まさか、お前も乗っ取られたのか?』
「ち、違います! 事情があってこういうことになっているだけなんです。僕はナカトです」
咄嗟に出た言葉は何の説明にもなっていなかった。乗っ取られてしまった、それはもしかしたら正しいのかもしれないが……。
「僕の意志はちゃんと存在しています……まだ確かに」
たまに体の支配を奪われることはあるけれど。
『なあ蛇よ、上まで乗せていってくれぬか。ここを登るのは骨が折れそうだ。事態は一刻を争うかもしれぬ故』
ウルスナビは混乱しているようだった。傍からみれば一人二役でからかっているようにみえるかもしれない。いや、そう見えるだろうな。
『チッ……、少し待っていろ』
誰かと念話で話しているようだった。ウトナだろう。その間も彼は容赦なく遺跡に近づこうとする人々を押しつぶしていく。その度、地が揺れ砂煙が巻き上がり、色々なものが飛び散る。
これは……駄目だ。見ない方がいい。うずくまるように身をかがめて待った。
そうしていると、突然、体が浮き上がった。蛇に巻き付かれ持ち上げられたようだった。絞め殺されるかと心配もしたが、そのまま宙を這っていき、遺跡の頂上でおろしてくれた。
『少し代わってくれ』
と言われて体の支配権が奪われる。大きく背伸びをして何度か瞬きをして世界に焦点を合わせる。
『もういつ振りになるか』
そう言いながら僕の体は神殿の扉を開けた。
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『やあやあ。ウトナピ……いや、ウトナか、今は。フサルクを習って以来だな』
「お久しぶりです。大神オーディン……で間違いないのですね?」
二人は握手を交わす。僕は……見ているだけだ。
左目の存在はオーディン神というようだ。この名は自分でも聞いたことがある。北欧神話の神様で……確か主神だったような。ん……アンスズって別に間違ってないんじゃ……。頭の中で言葉が混ざっていて……。
『流石に老けたか。あまり生気が感じられんが……』
「私は……老いることはありません。これはただやつれているだけですよ。ご存知でしょう」
『フム、お前はイドゥンと同じ力を持つのであったな。であれば……そうだな』
「あなたの方こそ、随分とお姿が変わってしまわれたようですが……」
(冗談……なのだろうか)
ハハハ、大笑して僕の体は長椅子に音を立てて腰を下ろした。合わせるようにウトナも彼の椅子に座った。
『よく言う。貴様がこの体を与えてくれたのだろう。よく見繕ってくれた。儂の目に耐えうる体などそうあるまいて』
(……与えた? また……やっぱりそういう話か?)
ウトナは目頭を押さえしばらく目を瞑り、言葉を探しているようだった。
「オーディン神、申し訳ありませんが……それは誤解です。飽くまで私は瀕死の彼、その体を救うために左目を移植したのです。魔力のこもった左目、という以上の認識はありませんでした。ですから、まさかあなたが復活されるとは思ってもいませんでした。……そもそもあなたの物だとも知らず……」
説明を聞いているうちに段々、口が開いていく。
『そうなのか?』 僕に耳打ちするよう小声で尋ねてきた。……まあ、同じ体だけど。
「……はい、そのように聞いていますが」
『……な、成程? 昔から収集癖の強い男だとは思っていたが。フム……では……』
この展開は予想していなかったのだろうか。少し悩んでいるようだった。考えはある程度流れ込んでくる時があった。体がつながっているからだろうか。すると……
パン、パン、パンと破裂音が外から届いた。
……銃声だろうか。
『ん……おっと、今は他に優先事項があったな。外も賑やかになってきたようだ。とりあえず今の状況を聞こうか』
「状況と言いましても……。突然現れた人間がこちらの方へ歩いてきているとしか。ですが……このままなら防ぎきることはできるかと」
僕の体は人差し指を立て、指摘する。
『甘いな。それはこいつらが、たまたまこの世界に来てしまって、たまたま趣深い山があるから、あちらへ向かってみようと思っているだけの、訳の判らん人間ならばそれでいいが。その線はまずないだろうな』
やはり、誰かが仕向けているのだろうか。
『そもここは生きた人間が容易く立ち入れる場所ではない。それはお前が一番わかっておるはず。で、あるなら何者かが意図してこの世界に放り込み、こちらに侵攻させておるのだ。今のままなら対処できると言ったが、逆に言えばこれ以上手数を増やされればこちらは徐々に劣勢となるであろう。敵の数も判らぬ。こちらの戦力は?』
「大蛇のウルスナビ」
『……んん、それだけか? まあ、お前のエインヘリアルは戦闘用ではないからな』
「いざとなれば人形を出します。それでも無理なら、女神様にもご助力を請います」
『少数精鋭と言いたいところだが……少なすぎる。人形は可能ならば温存したいか。……あの女神はあてにできるとは……思えんがな』
(……女神って誰のことだ? 人形?)
『ここは一肌脱ぐとするか。儂が出よう。よいな』
「感謝いたします。……ただ、その肉体はただの少年の物です。彼のためにも御身のためにも、ご無理はなさらぬようお願いいたします」
……この気遣いは本心なのだろうか?
『無理そうならば躊躇せず、お前の戦乙女に頼る。儂もせっかく生き返ったのだ。また直ぐ死ぬのは御免だからな』
なにか武器はないか、とどこか楽し気に立ち上がった。
『ああ、それと今回の件には関係が無かろうがダゴンの奴もこの遺跡に攻め入ろうとしていたぞ。ここに戻る前、小僧と間者の真似事をしておってな……そこでな……』
僕の意志とは関係なく話が進んでいく。自分ってなんなんだろうな。
(ん……、ダゴン?)
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『なんだなんだ。しばらく見ぬ間に随分頭数が増えているではないか。これが本隊なのか。それともまださらに来るのか……』
遺跡の頂上部の縁から俯瞰してみると、先ほどよりも格段に増えているのが判った。もう数え切れないほどに。遠くの方に打ち上げられた鯨のような黒い物体が見える。なんだろう……あれ。
『儂の力、間近で見られることを光栄に思うがいい』
そう言って槍の柄に、いつも動物の捕獲に使っていた紐をタコ糸のように巻き付けて縛っている。失くさないように、ということだろうか。
「……あの、リーダー格を倒せばよいという話でしたよね」
『……そうだな。あの亡者どもは個々の意志を持っているというよりも、最初に与えられた命令に従っている様子、人形遣いを討てば終わる話よ』
人形遣いを討つ……。
「こ、殺すということですか」
紐の先を槍の柄に、もう片方の先を左腕に巻き付け終わる。左腕には革製の腕貫のような物。鷹匠のつかうエガケのようにも見える。自分が扱っていた時よりも紐がはるかに柔軟に伸縮している気がする。
左腕で目測を測っているようだ、狙いは蛇の近くでかつ、亡者の進行ルートからは逸れた個所。
……槍を投げるのか。
『我が威光にひれ伏すなら、見逃してやってもよいが……。まあ、そうはならんだろう、なッ』
槍を握った右腕を後方に伸ばし、数歩助走をつける。重心を後方から前方へ、左足を軸に体重をかけ、上半身をひねる。左腕を回し、右腕を振り下ろし、槍を投擲する。投げた反動で大きく前傾し倒れそうになって、両手をついた。
『この槍は軽い……逆に扱いにくいな。いや、この体の力が強いのか』
綺麗に一直線に飛んでいく槍の軌跡を眺めていると、突然体がぐっと引っ張られた。
(当たり前だ。結んでいたんだから)
左手が千切れそうなほどに引っ張られ、一瞬体が宙に浮く、が直ぐに落ちて転び遺跡の斜面を転がり落ちていった。
『……飛んでいけぬかと思ったが、駄目だったな』
「……どう考えても、無理だと思いますが。まさか、体で遊んでいるわけではないですよね」
『……まあ大丈夫だろうと思っていたが……。小僧、お前は半神か何かか。あの時も思っていたが相当に頑丈な肉体だな』
何事もなかったかのように泥を払って立ち上がり、槍を回収する。
(半神……半分が神? そんなわけがない)
「……いえ、両親はただの人間です。父のことはよく覚えていませんが、神ではないと思います」
馬鹿みたいなことを言ってるな、と思う。
『では、魂の方に何かあるのかもしれんな。頑強かつ柔靭、悪くない体だ。惜しむらくは魔力の生成が致命的に遅いというところ、この体ではルーンは使えんな。加えてお前の性格が陰気というところだが……』
遺跡の斜面を降りきったところでウルスナビがこちらに大きな顔を近づけてきた。
『ミドガルズ……、いやウルスナビであったな。儂らは亡者らの首魁を討ち取る。貴様はこのまま遺跡を守っておれ』
パンパンと発砲音。亡者がナビに向けて拳銃を撃ったようだった。それをうるさそうに、彼は尻尾で払い叩き潰した。
歩いていき拳銃を拾う。警察か……自衛隊の人だったのだろうか。でもそんな服装じゃなかったような。潰された人の姿……。
リボルバー式ではない。
『首魁を? お前だけでか』
『なに……体は一つだが、精神は2つだ』
それは……得意気に言うようなことなのか、よく判らなかった。
『他に戦力もあるまい。なに心配するな。無理はせんさ。ウトナ……にも釘を刺されたからな、小僧をいじめてやるなと。お前は口笛を吹いたら助けに来てくれな』
な、と繰り返しポンポンと蛇の鼻先を叩くと、彼は露骨に顔をしかめ、大きく口を開いて威嚇した。
『……なかと、気をつけろよ』
オーディン神は蛇に背を向けたまま、僕の体で手を振った。
【続きます】




