第7話 忿怒の遺産
ゲヘヘ、と下品に笑う魔剣〈忿怒の遺産〉を一振りする度に、五人、六人と、鎧ごと断ち切られて兵士が絶命する。
恐ろしいのは、その先だった。吹き出た鮮血が生き物のように蠢き、死体を、あるいは負傷した敵兵を縛り、操る。死ぬまで、あるいは死んでも、〈血まみれの聖母〉のために戦わされるのだ。
血まみれの軍勢が出現し、さらに規模を増していく。少しずつ、周囲を埋める敵兵の波に綻びが生じてきた。
返り血だけでなく、自身の血にもまみれて、鬼のような形相で魔剣を振るい続ける〈血まみれの聖母〉が、〈泥甕の貴公子〉に向かって言う。
殿下、お逃げください。私の部下が、必ず御護りします。
しかし、それでは君が……
私は、所詮、一振りの剣に過ぎません。貴方こそが、殿下こそが、希望なのです。〈狼の皮〉〈計算盤〉〈さえずり〉〈沈黙〉〈銭飾り〉 今日まで、よく付いてきてくれた。いや、よく生きていた。最後の命令だ。殿下をお護りして疾く脱出せよ。以後は、殿下の下知に従え。
ヘッ、いやだね。と〈銭飾り〉が応じる。惚れた女を残して逃げられるかよ。抱かせてくれないなら、せめて一緒に死なせてくれ。
ふぅん、やっぱり惚れてたのか。私も、その命令には従えないね。ああ、〈血まみれの聖母〉に惚れてるわけじゃないよ。恨みがあるわけでもない。
そう言うと、喧騒と焦燥の中で、ひどくゆっくりと動くようにして。〈計算盤〉が、〈泥甕の貴公子〉の首もとに、すっと短剣を差し入れた。
殺気もなにもない自然な動作で。〈計算盤〉が短剣を抜き取り、吹き出た血とともに不思議そうな顔をした〈泥甕の貴公子〉が倒れるまで誰も動けなかった。
貴様!
飛びかかるようにして、〈血まみれの聖母〉が〈計算盤〉を斬り捨てた。獣のような息を吐きながら、身体を震わせる。
倒れた〈泥甕の貴公子〉に、〈さえずり〉と〈沈黙〉が駆け寄ったが、すでに事切れていた。
〈血まみれの聖母〉が、その場に膝をつく。
同時に、血まみれの軍勢も、一斉に膝をついた。退いていた王国軍が勢いを盛り返して包囲を狭めてくる。もはや、味方は全滅に近い。
勝利を確信した異民族の鬨の声に、我を取り戻した〈血まみれの聖母〉が、気力を絞り出すようにして立ち上がった。
せめて、お前たちだけでも。
そう呟いて〈忿怒の遺産〉を頭上に掲げる。ゆらりと立つその姿は幽鬼のようで。はたして、魔女か、聖女か、あるいは異教の悪魔か。
ゲヘヘ、と下品に笑う〈忿怒の遺産〉は、幅広の大剣であり、真っ赤な旗のように見えた。
聖であれ邪であれ、一種、荘厳な光景に、敵兵も息を呑んでいたが、すぐに、弓矢の格好の標的であることに気づいたのだろう。
雨のように矢が降り注いだ。〈さえずり〉と〈沈黙〉と一緒になって、〈血まみれの聖母〉を矢から護るが、とても護りきれるものではない。
にゃはは、絶体絶命だぁ。
声をあげる〈さえずり〉に目を向けると、そういいながらも、にやりと笑ってみせていた。そのわけは?
降り注ぐ矢の雨が、空中で、ぴたりと止まった。
ヘッ、畜生め! てめぇら、さっさと脱出するぞ。この〈銭飾り〉様について来い!
言うと同時に、止まった矢が向きを変え、驚く王国軍へと降り注いだ。
にゃはは、やっと役に立ってくれたねぇ。〈狼の皮〉は初めて見たのかな。〈銭飾り〉はね、弓矢なら百発百中の腕前、それに加えて……
と、得意げにさえずりはじめた〈さえずり〉のさえずりが不意に止まった。
視線の先で、〈血まみれの聖母〉と〈銭飾り〉が、長剣に串刺しにされていた。〈血まみれの聖母〉の手からこぼれ落ちた魔剣を〈計算盤〉が拾い上げる。
ふぅん、これが〈忿怒の遺産〉か。手にしたのは初めてだが、普通の大剣と変わらないね。
ゲヘヘ、おまえ、なんで生きてやがる? たしかに心臓ごと斬り捨てたぞ。
ああ、死んだよ。私には〈狼の皮〉や〈銭飾り〉みたく魔術的な力はないんだ。ただ、4449人分の命を持っているだけさ。
これは報酬なんだよ。私は4449人の命で贖われたのだ。相応の報いを得るべきだと思う。何事も、計算だよ、計算。
魔剣と裏切者の会話は、ほとんど頭に入ってこなかった。見えるのは、腹を貫かれて悶絶する〈銭飾り〉と、倒れて動かない〈血まみれの聖母〉の姿だ。
どこからか、怒りが押し寄せてくる。
裏切りに対してなのか、理不尽な死に対してなのか、何もできずにいた自分の無力さに対してなのか、沸騰する心の奥で、〈計算盤〉を見つめる。
あいつを……。
周囲の音が消え、極限の集中のなかで標的を定めようとした時、〈さえずり〉の声が聞こえた。
まだ生きてる!
その声に、意識を引き戻される。〈さえずり〉が〈血まみれの聖母〉を抱き起こしていた。
ふぅん、しつこいねぇ。と〈計算盤〉が言う。やっぱり〈銭飾り〉に間に入られたのは不味かったかな。魔剣さえ手に入れば、そんな壊れた女など要らないが、一応、殺しておこうか。
にゃはは、冗談はやめてほしいなぁ。にゃはは、にゃはは、にゃはは……。
もちろん、冗談なんかじゃない。この際だから言っておくが、きみの笑い方も、ずっと気に食わなかったんだ。
〈計算盤〉が〈忿怒の遺産〉を振り上げる。
揺れる視界の端で、〈沈黙〉が飛び込んで行くのが見える。だが、ダメだ。誰も間に合わない。周囲からは王国軍が押し寄せ、目を閉じた〈さえずり〉が〈血まみれの聖母〉を抱きしめて身を固くする。




