あれから
「領主として見込まれたのは無頼漢の俺じゃない、姫さんの才覚だ」
これはかつて夫、アスランが私に言った台詞だ。
だけどこの台詞はいい意味で、全くの的外れだった。
元々、将軍職にあったアスランの統率力はずば抜けていた。だけど、アスランの実力はそれだけにとどまらない。
不思議なもので、アスランの周りには見込みある者、能力ある者が自ずと集まってくる。それはひとえにアスランの人としての魅力なんだろう。
私から見たアスランは、天性の人たらしだ。もしかするとカルバン国王には、全てお見通しだったんじゃないかと今では思っている。
アスランはガラージュ領主として、これ以上ない復興のシナリオを描き、事実ガラージュを復興へと導いた立役者だ。
アスランを甘く見ていた訳ではないのだが、こうまで優れた領管理を展開しようとは、正直驚いている。
始まりはカルバン国王から言い渡された政略だった。だけど今、私とアスランは愛し愛されて、互いを尊重し合う夫婦関係を築いている。
夫としてのアスランも、領主としてのアスランも、私はその全てを深く尊敬してる。
そんなアスランと過ごす日常が、かけがえなく愛おしい……。
「お、おいミーナ! ミリアーナが泣き止まねぇ! ミルクか!? おしめか!? まさかどっか具合が悪いんじゃねぇのか?」
ぐずる乳飲み子を不器用にあやしながら、アスランが困惑しきりに私を呼ぶ。もう三人目だというのに、アスランの手つきはぎこちない。
しかも本気で、今にも医者を呼びに走り出しそうな勢いだ。
「はーい、今行きます。それから赤ちゃんは泣くのが仕事ですから、具合はどこも悪くないと思いますよ?」
「そ、そうか!!」
アスランは私の言葉に肩を撫で下ろし、安堵の息を吐いた。
そんな姿も微笑ましく、愛おしく思えてしまうのは、私は相当アスランに絆されているのだろう。
「ミリアーナ? どうしたの?」
歩み寄り、アスランの手からぐずるミリアーナを抱き取った。
するとぐずっていたミリアーナはぴたりと泣き止み、ほにゃっと笑う。
「あら、ミリアーナはご機嫌ね」
「! な、泣き止んだ……。なんでだ?」
「ふふっ、きっとアスランの緊張が伝わっちゃったんですね」
アスランは苦笑して、まるで壊れ物にでも触れるような手つきでミリアーナの頭を撫でた。
……それにしたっておかしな話だ。炊事に洗濯、やれば私以上に器用にこなしてみせるアスランが、何故か育児に関してはいつまでたっても恐々としたままなのだ。
「そんなにおっかなびっくりにしなくても平気ですよ? それにしたってアスランは、赤ちゃんには随分と慎重ですよね?」
何気なく、疑問が口をついて出た。
「おかしいか?」
けれど私の言葉で、向かいのアスランの表情は陰りを帯びる。
「? いいえ、ただ不思議には思います」
「……俺はこれまで奪う事ばっかりしてきたからな。新しい命を育む重みにいつも震えている」
!!
僅かな間を置いてもたらされたアスランの告白に、胸が締め付けられるようだった。
アスランは命を奪う重みを知る。
奪われる事はもちろん、奪わなければならなかった事もまた、心に重く暗く影を落とす。
正面を見据えるアスランの瞳は凪いで、とても静かだった。けれどアスランは平静のその裏に、どれほどの苦悩を抱えているのだろう。
ミリアーナを抱く腕に、知らず力が篭った。
「アスラン、ならば私達がつくりましょう!?」
突然声を大きくした私にアスランも、腕の中のミリアーナも、ぱちくりとした目を向けた。
「この子達には、奪う事も奪われる事もない、安寧の世をつくりましょう!!」
アスランが目を瞠る。そうして見開いた目を、眩しいものでも見るように眇めた。
「……ミーナ、やはりお前は凄い。俺は一生、ミーナに敵う気がしない」
一歩踏み出したアスランが、広い胸にすっぽりと私とミリアーナを抱き込んだ。
「だが、それで構わん。ミーナとならばその未来は絶対に叶う」
「はい」
コバルトブルーの双眸は深く気高く、どこまでも優しい光を湛えて私を見つめている。
「必ず見届けろよ? 生涯、俺の隣にいろ。そうして必ず、見届けろ」
けれど段々とコバルトブルーは滲んでしまって、上手く像を結ばない。
「はい。もちろんずっと、一緒です。生涯、私はアスランと共にいます」
滲むコバルトブルーに誓う声も、涙に濡れて掠れていた。
だけど涙は、悲しみのそれじゃない。胸に収まりきらない迸る幸福が、溢れ出てしまうのだ。
「ミーナ」
「アスラン……」
私を抱くアスランの腕に力が篭る。
アスランの腕の中で、私もまた愛しい我が子を抱き締める。
愛し愛される、無限の幸福に酔いしれた。