21
一週間の旅程を経て私達はガラージュ領の皇都、いや、今は領都というのだろうか、その大通りに入っていた。
今までよりも近い距離、私達は手を取り合って人々が行き交う夕刻のマーケットを歩いていた。
突然、隣を歩くアスラン将軍が、ピタリと足を止めた。握ったアスラン将軍の手に、力が篭る。
不思議に思って見上げれば、コバルトブルーの双眸が食い入るみたいに正面を、いや正面からやってくる男性を見つめている。
? アスラン将軍の知り合いだろうか?
こちらに向かって来たその人もまた私達を見れば目を見開いて、そして苦笑して会釈を寄越した。男性の琥珀色の瞳はアスラン将軍ではなく、主に私に向けられている気がした。櫛目の通った金髪に整った鼻梁、すっきりと整った顔立ちの青年は誰?
琥珀の瞳に僅かに既視感を覚えるけれど、記憶の中に青年の姿はない。
「あの、どこかでお会いしていますか?」
こちらも会釈で返して流してしまう事は容易いけれど、気付けばすれ違いざまに言葉が勝手に口をついて出ていた。
しかし私の言葉に件の青年も、隣のアスラン将軍までもが目を見開いて固まった。
「!! はっ、ははっ!! 姫さん、俺としちゃぁ願ったり叶ったりの反応だが、それじゃちょいとばかりそちらの社長さんが気の毒じゃねぇか?」
アスラン将軍は腹を抱えて大爆笑だ。いや、その反応、ちっとも気の毒なんて思ってないよね?
……ん? 社長さん?
「領主夫人、貴方は時としてえらく残酷だ」
!! えっ、えっ、えぇぇぇぇ!!
声に、声に聞き覚えがっ! おどけたように笑ってみせる琥珀色の瞳に、記憶の中のその人が過ぎる。
「ジェ、ジェ、ジェンド社長!? うそっ! だってジェンド社長はもさもさのおじさんで……んっ!? でもまてよ! あのもっさりした髭を剃って整えると、って、えええぇぇぇぇぇ!?」
目の前の美貌の青年とジェンド社長が、重なりそうで重ならない。一致させようとするけど、やっぱり頭が拒否してる。
「姫さんあんた、時々失礼だな」
アスラン将軍にだけは言われたくない言葉だ。いや、しかし私の態度は確かにジェンド社長に失礼だった。
とはいえ、とてもジェンド社長だとは分からなかったんだから、これは不可抗力ではないだろうか。
「ジェ、ジェンド社長、私、気付かなくてごめんなさい!」
「いいや、貴方はそれでいい。貴方のその自由なところは美徳だ」
おろおろと動揺が治まらない私に、ジェンド社長の目はどこまでも優しかった。
「不思議な事にこうして並んだ姿を見れば、貴方達は存外似合いの夫婦なんだな」
薄く笑みをたたえたジェンド社長は、唐突にそんな事を言った。
似合い、なんだろうか?
それでも、似合いの夫婦でありたと思う心は本当だ。
「俺は文章を遣り取りする中で、会った事すらない貴方に夢中だったさ。そうして実際に会ってみてもやはり、貴方みたいに魅力ある女は他にいないと思った。けれど、俺の恋は破れた。それで俺は今、絶賛嫁さん募集中だ」
「ジェンド社長……」
ジェンド社長の言葉はいつだって優しさに満ちている。
私に、ジェンド社長にそれだけ想ってもらえる魅力があるなんて、とても思えない。
それは姿の見えない雲上の物書きへの思慕が誇張させた、仮初の想いではないのか。でもそれならば、ジェンド社長の言った会ってみてもやはりという台詞は……?
私はゆるく頭を振って、続く疑問に敢えて蓋をした。
「ジェンド社長、本音を言えばドルーガン王国で今の貴方と出会わなくってよかったです。だって今のジェンド社長は恰好良すぎて、思わずふらふらと引き寄せられてしまいそうです。とても、魅力的だと思います」
ジェンド社長が目を見開いて、そして真っ白な歯を見せて笑った。
「ははっ! はははははっ!」
「おいっ!? 姫さん!! 何寝ぼけた事言ってやがる!」
隣でアスラン将軍が不満げに声を荒げる。だけど心の通った言葉には、心で返さないとだめ。誠意には誠意で。そう、リップサービスにはリップサービスで。
「おいお前ら、何意味深に笑って見つめ合ってやがる!」
「それにしても、俺は随分と残念な事をしてしまったな。うーん、一度はああ言ったが貴方はみすみす脳筋の将軍閣下に渡してしまうにはやはり惜しい。だからミーナ、もし夫君に愛想が尽きたなら、その時は俺の女になればいい」
「の、脳筋だぁ!?」
ジェンド社長にアスラン将軍が一歩踏み出す。けれどジェンド社長はそれをひらりと躱すと、私に琥珀の双対を向けた。
「これ以上は貴方の夫君の頭の血管が切れてしまいそうだから、機会があればまた。ミーナ! 幸せになれよ!」
ジェンド社長はチラリとアスラン将軍を一瞥した後、私に柔らかな笑みをひとつ残して背中を向けた。そのまま、ジェンド社長はすたすたと行ってしまう。
「あ! ジェンド社長、ありがとうございます!」
私の声にジェンド社長は軽く右手を振って応えた。もう、ジェンド社長がこちらを振り返る事はなかった。
ドルーガン王国で初めて会った時からジェンド社長は変わらない。
変わらずに誠実で、優しい。
同じガラージュ領に暮らせば、今後も顔を合わせる事はあるかもしれない。
けれど私はアスラン将軍を選んだ。だからもう、ジェンド社長の優しさには甘えない。
あふれるほどの感謝を胸に、その姿が見えなくなるまで見送った。
「……姫さん、夜が楽しみだな?」
!!
隣から聞こえるアスラン将軍の低い声。
そっと見上げれば、まるで捕食者みたいな目をしたアスラン将軍とバッチリと視線が合った。
こめかみにタラリと冷や汗が垂れた。
……夜、来なくていいかも。
ジェンド社長と別れた後は、マーケットで必要な物を購入して新居に向かった。
「あ、ここですね」
瀟洒な洋館は、これから私達が居住とする領主館だ。
「宮殿も近いし市場が目と鼻の先、なかなか便利だな」
ガラージュ領主の館は、追放された男爵別邸を利用する。
領主はあくまでガラージュ領の運営を任されただけ。領収をあて込んで華美な暮らしをしようなど、露程も思っていない。だから住まいも維持するのが経済的で、最低限来客をもてなせる応接間があればよかった。
とはいえ、領を纏めていくのにあんまり田舎では不便だ。そこで白羽の矢が立ったのがこの男爵別邸だ。
断罪された侯爵など、高位貴族の屋敷は装飾過多。どれだけお金をかけて集めたのか、想像するのも恐ろしい美術品の数々は早々に売り払い、復興と戦傷者への支援に充てる。
宮殿も同じだ。歴史的、芸術的価値の高い居館は迎賓館と美術館として保管するけれど、維持管理費の問題から一部は取り壊しも決定している。その中には、私が五年の時を過ごした北砦も含まれている。私にとっては負の遺産。一刻も早く更地にしてしまいたい。
「メインの寝室とその他に三室。居間と食堂、応接間にテラスがあって、へー」
アスラン将軍と二人、初めて足を踏み入れた男爵邸を見て回る。
「こじんまりしてて、使いやすそうじゃねーか」
キョロキョロと屋敷内を見渡してアスラン将軍が言った言葉に頬が緩んだ。
「はい、ちょうどいいですね」
アスラン将軍も贅沢とは無縁の人だから、こういう庶民感覚を共感できるのは共に暮らしていく上で非常にポイントが高い。
「それにこのくらいなら住み込みのカルスさんとトルテッタにアモン君、通いの二人でなんとか維持管理できそうです」
私の言葉にアスラン将軍が首を捻った。
「なんだ? その通いの二人ってのは、もうあてがあるのか?」
「はい。近い内に、紹介させて下さい」
「へぇ?」
もうずっと決めていた。ガラージュ領への帰還が決まった時からずっと。
マーサとマリッサに私の旦那様を紹介する。政略は所詮切欠に過ぎない。愛する旦那様なんだって、二人にはそう紹介する予定だ!
数刻が過ぎれば当たり前に夜は来て、ガラージュで初めて過ごす夫婦の夜だ。
トルテッタ母子も使用人も、今日はいない。
「姫さんは移動で疲れてんだ。いいから座ってろ」
アスラン将軍はまめで、厨房に立ったかと思えば私が手を出す隙もなく、手早く二人分の夕食を作ってしまった。
「す、すごい……」
私よりもよっぽど家事スキルが高いんじゃないだろうか? 少なくとも私にはこれだけの短時間で、これだけの料理を提供できる自信がない。
皿の上には肉と根菜の炒めとジャガイモのスープ、パンが盛られていた。
「ははっ。今でこそあんまりやんねーが、野営飯なんかは当番制だったかんな。だからまぁ、上品なコース料理なんかは守備範囲外だ。それよりもほら、冷めないうちに食うぞ」
「い、いただきます!」
アスラン将軍の新しい一面をこの一日で随分と発見した気がする。そして、知れば知るほどもっとアスラン将軍への想いが募る。
「お、美味しい!」
一口含めばジャガイモのスープのクオリティに目を瞠る。
「そうか」
さっぱりした返事の裏に、アスラン将軍の照れが見える。その次に手を付けた炒めはもっと美味しくて、私の箸がどんどん進む。
「これもいい味です!」
アスラン将軍はそんな私をそれはそれは優しい目で見ている。こんな幸福な晩餐はこれまでの人生で初めてだった。
「なんだ姫さん、もう食わねーのか?」
お腹は既にはち切れそう。それに胸までいっぱいで、惜しいけどもうこれ以上は一口だって食べられそうにない。
「もう、流石にお腹一杯です。残りは明日の朝食にいただきます」
コバルトブルーの瞳がスッと細められる。あんまりにもアスラン将軍のコバルトブルーが優しい光を湛えて私を見つめるから、私はそれだけで苦しい位に胸が高鳴った。
「馬鹿。姫さんの舌にも合うみたいだからな、明日の朝はもっと美味いの作ってやるよ」
アスラン将軍はそう言うと向かいから手を伸ばし、私の皿をヒョイと取り上げてしまった。
そうして私の残りを見る間にペロリと平らげてしまう。
ぽかんとしてそれを見つめる私に、アスラン将軍は苦笑した。
「……姫さん、あんたは可愛すぎる」
えっ!?
アスラン将軍の突然の爆弾投下に動揺して、きっと今、私の頬は真っ赤に染まってる。どうしたってアスラン将軍を直視なんて出来なくて、視線は勝手に明後日の方向に逃げる。
そんな私を尻目に、立ち上がったアスラン将軍はカチャカチャと食器を重ねて後片付けを始めてしまった。
「あっ、片付けくらいっ……」
言いかけた私の肩、アスラン将軍がポンと優しく叩いて制す。
「お湯、用意してあるから先に風呂に入って来いよ。俺なんざ、行水で時間もかからねーから」
見上げたアスラン将軍は、私から視線を外すと、ポソリと言った。
!!
ますます顔に熱が集まる。羞恥を誤魔化すように、俯いたまま首を頷かせた。
最後にもう一度、ポンッと肩を優しく叩いて手は離れ、アスラン将軍は厨房の方に足を向けた。




