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#66:1020年1月 我が子

 新年の行事のため出向いていた下野国府から帰ってくると、クワメの出産準備は切迫したものとなっていた。

 産屋に入ることも躊躇われたから、まだクワメの顔も見ていない。勿論そこでやることも無い訳で、屋敷の母屋で長火鉢を囲んでじりじりすることになる。


「落ち着かれよ」


 貞松が言う。

 貞松は門下生を数多く抱えることになって、その管理の必要から屋敷の意思決定グループに入ることになっていた。もうアキラの弟子でも何でもなく、屋敷の収入の柱を支える大立者である。

 もう文字も読めるし数も扱える、まだ書くのは苦手らしいが、立派なものである。


「じっと待っておれば良い」


 池原殿はこう言うが、視線は地図に向いたままだ。

 二十里堀用水工事の第一期、総延長四里がとうとう完成したのだ。

 清水川の上流から分流した用水は途中で大きく流路を曲げて北郷へ流れていた。この辺りでは川は皆北から南に流れるが、用水はこれと逆に流れる。用水は逆さ川と早速呼ばれることになった。

 この用水でざっと二百町は灌漑できそうだ。水路を伸ばせば更に灌漑面積は増える。


 春までに余計に十町くらいは田を作れるのではないかという話が出ていた。これは会津からやってくる予定の残りの移民を充てにした皮算用だった。


 将来的には清水川との分水点に堤を設けて、もっと自在に水を取りたいとの事。

 冬場だから水量は少ないが、既に用水には水が流れ始めていた。結構流れがあるのが良い。水車が廻せる。これなら都市計画も考えられるかもしれない。


「女子の事ゆえ長くかかろう」


 そう言うのは頼季様だ。


 この面子に問題があるとすれば、アキラ以外の全員が未婚だという点だろう。


「妻子おらぬ方が何ぞ言われる」


 アキラは立ち上がりかけて、また座った。

 落ち着け、と頼季様は言われる。


「そう、下野守は如何であったか」


 新年の行事を終えれば、あらかたの受領は任国から都へと帰る。もう国司のやるべき仕事は全て終わらせており、あとは都で功査定の対応をすれば良い。

 それがまだ任国に留まっているのは、どうやら東国で続けて国司に任ぜられるらしいという話がある為だった。というか、ほぼ確実な話らしい。

 任期の終わり二年、特に最終年の業績が特に評価されたのだという話だった。新しい国図が評価されたというのは本当の話で、しかし重任ではなく別の国へ、という話になっているのは更に別の話が加わっている都合とか。

 その都合で、次の国司に目代として推薦される代わりにアキラは夏頃にも都に行かなくてはいけない、という話になっていた。

 春の除目で明らかになる新国司と都で顔合わせをするというのだ。となると新任の下野国司は受領ではなく遙任か。

 はっきりしない推測ばかりの話だった。


 下野守光衡殿の問題は娘のほうだった。くだんの偽浮舟、あずさ殿だ。

 都に帰ることができると思っていたら、東国に留まる事になったと聞いて、あずさ殿はえらく荒れていた。アキラにもちっちゃな墨を投げつけてくる程だ。硯皿を投げられなくて良かった。

 光衡殿も折れたのか、今後の教育を考えてか、アキラの上京にあわせて都に送るという事になった。国庁屋敷の人員からあずさ殿の上京の供の人員を捻出できず、それでアキラが護衛を組織して送ることになったのだ。

 受領としてそこそこの蓄財も出来たので、娘を都に住まわせるに当たっての後見人も抜かりは無さそうだ。

 お蔭でアキラのほうはさっと上京してさっさと帰ってくるという話は無くなってしまった。あずさ殿が都で落ち着くまでの世話もしなければならないだろう。


「妻子の忙しき時に都行きというのは苦しうあるゆえ」


 出来るだけ早く帰ってきたいとアキラは言うが、


「気にする事無かろう」


 子育ては妻の実家に全てお任せというのがこの時代だ。夫はふらふらしているもの、とまでは言われないが、


「乳出せぬのだから仕事あるまい」


 いや、おむつの交換とか、と思って、そういや無いのだったの思い返した。

 子供は下は丸出しなのだ。乳児や幼児は前掛け一丁、少し寒くなれば上着に紐の帯をするが下にはまだ何も履かない。下帯をするのはもうちょっと成長してからになる。

 ヘルパーさんにお任せ、で良いのかなぁ。


   ・


 生まれた、と伝わったのはしばらく経った後の事だった。

 女衆の出払った母屋でアキラたちは、正月の残りの強飯を塩を舐めながら摘まんでいたりしていたが、疲れた表情の尼女御がやってきたのを見て、急いで強飯を片付けた。


「とんだ難産であった」


 ふうと息を吐いて尼女御は腰を下ろした。


「あの……」


「どちらも生きておる」


 良かった。

 この時代、死産は実に多い。夏の頃の北郷党の妻の出産では二児が死産だった。帝王切開など無く、難産になると母親も死ぬことが多かった。


「乳母付けてまこと良かった。アキラよ、妻子よく労われよ」

 

「男子か、女子か」


「女子」


 頼季様の問いに尼女御が答える。

 アキラはふらふらと立ち上がった。


「忌み明けは七日後ぞ」


 そう言われて、アキラは再び座り込む。


 出産は出血を伴うため、穢れとされている。

 産屋も本来は穢れを局限するための小屋で、それはもう清潔なんて欠片もない空間で、そして産後七日間のうちに近づくと穢れが移るとされていた。

 ここ足利屋敷に隣接する産屋はうって変わって大きく清潔に作られ、湯などふんだんに使う。しかし七日の忌み日の規定は、特に男を遠ざける為に温存されていた。

 つまり、クワメと吾が子に会えるのは七日後だ。


    ・


 落ち着かない七日間だったが、その間アキラが宿題にしていた作業は思いのほかはかどった。


 子供向けの教科書になる物語、たった紙四枚に教訓話を入れて、初歩の漢字を絵と読み仮名入りで12個押し込む。

 やってのけた。

 物語の筋は簡単、菩薩のお告げで八幡宮に先にお参りしたほうが加護を得られることとなった兎と亀。足の速い兎はあっというまに八幡宮の前まで辿りつくが流石に疲れて一休み、そのまま寝てしまう。その間に亀は兎を追い越し、先に八幡宮への参詣を果たしてしまう。お話なんてこんなもので良いんだよ。


 足尾から持ち帰った透明な水晶を磨く。レンズにするのだ。

 足踏みの回転砥石で削って、レンズっぽい形にするのは簡単だった。ただサイズは半寸ほどまで小さくなった。

 鋳造で使う真土を使って滑らかに磨き、そこから松脂を布につけて更に磨く。そろそろ良い感じになってきた。


 蒸留した酒を、ブナで造った小さな樽に入れる。

 蒸留酒の評判は思ったほどには良くない。足利製の酒は水が悪く良いものが出来なかったが、蒸留すればどうか。

 出来たものは、良く酔いはするが味がなんとも妙である、そう言われた。

 ということで寝かせてみることにした。

 さらにもう一度蒸留したものも作る。これは消毒用だ。


    ・


 七日後の朝、産屋の裏手に廻ると薪を降ろし、足の裏と手を洗う。水が冷たい。早く湯を沸かそう。

 冷たい素焼きタイル張りの床を裸足で歩く。桶に水を汲むと湯釜に入れ、火を熾す。


 板張りに上がると、クワメのいる几帳の陰に行く。


 クワメは寝ていた。

 顔色は落ち着いてはいるが、血の気が薄い気がする。


 羽根入り布袋、要するに布団が上に掛かっている。布団は最近はアキラの発音に引きずられて、布反や布屯と書かれることがある。布団と書くと、これは何ぞと言われる。


 都には既に絹の布団の袋と製法を送ってあった。流石に嵩のある羽根布団を送るのはためらわれたが、袋だけ畳めば何の問題もない。

 狩りでもして水鳥の羽根を集めて、燻蒸して虫を燻し出して、詰めれば布団の出来上がりだ。毎年一つくらいの割で新規品を御堂関白殿に贈れないかというのが都側の考えだった。

 しかし勿論、クワメの上に掛かっているのは麻の布団だ。


 傍には乳母に雇った母子の、娘のほうがいた。

 考えてみるとアキラは人の倍払っていることになる。まぁ、お陰で万全を画せてはいる筈だ。

 抱いているのが、我が子か。


「吾の子か」


 渡してもらう。

 砧打ちした麻布が巻かれていた。受け取る。小さい。軽い。

 よくわからない感慨が押し寄せてきた。


 成長するんだよな、これ。娘、なんだよな。

 ちょっとこれは弱々し過ぎるだろう。どうやって護ったらいいのかすらわからない。

 怖くなって、娘に返す。


「もっと柔らかに扱われよ」


 そんな事を言われる。

 改めてクワメの枕元に座る。そういえば娘の母親のほうはどうした。


「家に少し帰りおる」


 いや、女の家やも知れぬ、と言う。

 父親が通っている簗田の女の家に今頃押しかけているのやも。全く知らなくて良い類の面倒そうな事情だ。

 この頃は吾が母とも思えぬ、と娘は言う。つらき、と。


 アキラは木炭を探すと竹笊の上に幾らか取り出し、長火鉢のそばに持っていった。こう寒くては火だけは絶やしたくない。

 産屋は一人寝かせておくにはちょっと建物が大き過ぎた。夏は過ごし易かったが、冬はこれは寒い。暖房の有る小区画でも作るべきだったのかも知れない。

 しばらくして、娘が言う。


「吾が母いかに思われるか」


「は?」


「目代は母にいとしき情なぞあるか」


 娘の言う事がよく判らなかったが、要するに母親のほうに気があるか、という話らしい。


「吾が情は全て、そこの我が妻に。いとおしきはただ一人ぞ」


 娘はにわかにむずがる赤子をあやしながら、奇妙な顔をした。


「甘蔓噛む心地しおる」


 しかし、赤子はどうした。便か、乳か。


「……うるさき」


 少しがらがら声だったが、クワメだ。

 アキラはクワメの背中に廻って、抱き起こす。


「赤子寄越されよ」


 クワメは赤子を受け取ると、衣の前をはだけて乳を与える。

 声を掛ける。


「心地悪くなきや」


「まだ眩暈ある」


 貧血気味なのかも知れない。色々食わせたいが、まずは粥か。

 ぺたぺたと足音が近づいてくる。


「ここにおったか」


 信田小太郎だ。石鹸で洗ったらしき手を濡らしたまま、アキラの傍の床に座る。


「吾子も人の子になったか」


「吾が妻の方見るな」


 まだ授乳中だ。


「見はせぬ。吾が妻のほうが見栄えするゆえ」


 おや、いつのまに。


「前の年のうちに生まれた。男子ぞ」


 アキラはいつ結婚したのかと聞いたつもりだったが、もう子供がいるとは。


「名は何とした」


 アキラの今最大の悩みは我が子の名前、命名である。

 尼女御に名付け親になってもらおうとしたが、赤子のうちは適当で良かろうと言われてしまっていた。乳幼児死亡率を考えればすぐ死ぬやも知れぬ子に一々凝った名前付けせず、名前は一人前に他人に名乗る前にちゃんと決めればよいというのが一般的な考えのようだ。

 だが人によって生まれてすぐにちゃんとした名前を付けるところもあるという。


 百姓はふつう、生まれた時に付いた名前でかなりの期間を通す。そうして何らかの役目、役職が付いたら、その時改めて名前を変え名乗るという仕組みだった。

 以前は役付きの大人とばかり関わってきたから、皆ちゃんとした名前があるものとばかり思っていた。しかし子供たちと関わるようになって判った話だったが、実はそうでは無かったらしい。


 そして、女の子に名前を付けたという話も、実はあまり聞かない。


「名は言わぬ。アキラよ、吾子の子も、名付けたなら、しばらくは名を隠せ」


 信田小太郎からは思ってもみない方向からの助言が来た。


「小さき子や女子は鬼神に弱きゆえ、まずは名を隠し、出来れば姿も隠すが良い。名も姿も分からねば、まじないも相手がわからぬ道理よ」


 そういえば信田小太郎の用事は何だ。

 アキラは察して、娘に、クワメの為に何か粥を持って来てくれと頼んだ。

 娘が産屋から出ていくと、信田小太郎は腰を上げ、アキラも付いていくと産屋の隅で耳を貸せと言う。


「信太に宿営など作りたい」


 拠点が欲しいのか。ちょっと考えてアキラは、浮島でどうかと答えた。舟づくりで有利な現状を生かすとすれば、島を拠点にすべきだ。

 信田小太郎は顔をしかめた。


「何ぞ良い柵づくりやら工作やら聞きたかったのだがな。そもそも島では馬使えぬ」


「小太郎殿の勢子は、そもそも馬いくら持ちおる」


「……吾子の言うとおりよ」


 騎馬でも武者でも数で劣勢なのはまだ変わらないのだ。多少の要塞化では引き合うまい。


 「浮島で考えよう」


 信田小太郎が産屋から出ていくと、さて我が子の名前はどうしようか、アキラは頭を掻こうとして頭に烏帽子が有るのを思い出した。


 そもそも、名づけた名前に、出番があるかも判らない。

 この時代の女性にとって名前などあって無きが如き、そんな社会なのだ。どこの妻とかどこそこの女房とか、そういう呼ばれ方しかしない。

 一人の人物というのは、夫や職場の付属属性では無い筈だ。そうあって然るべきだとアキラは思うが、社会は違う。

 吾が娘の未来には、そういううっすらとした陰りが最初から掛かっているのだ。


 クワメのもとに戻ると、ああこれは肩が冷えるぞ。布団の上の衣を取って、クワメの背に掛けた。


「ネコにしたい」


 は?


「何が」


「この子の名ぞ。虎のようで、都合よろしく名の尻に子とつきおる」


 いやまて、猫がこの関東周辺にいないから成立する名前であって、どこかから猫が連れてこられたら変なことになるぞ。キラキラネームもびっくりだ。ほら、例えばだ、どこに自分の子に犬と付ける者がおるか。


「よくおるぞ」


 いるのかよ。


「では何ぞ代わりの考えあるか」


 と言われると、無いのが問題である。

 いや、名を隠すという考えで行けば、しばらくはこういう仮の名で良いのではないか。


「まぁ、良かろう。しばらくしたら良い名に変えるぞ。それと、名は他の者に教えるな」


「おー、よしよし、父が良いと言ったゆえ、そなたはネコぞ。

 おう、可愛いのう吾がネコは」


 いかん。やっぱいかんぞ。

#66 乳母について


 乳母はこの時代、少しでも裕福な家であれば雇用した職業でした。能力としてまず第一に重視されたのは勿論授乳することで、産児経験のある女性が雇用されることになります。産後の手助けは授乳だけではなく多岐にわたり、また長期にわたって雇用されました。屋敷の女性や下級職員の差配もその職務のうちで、その分母親の労苦は大幅に軽減されました。

 乳母は事実上の育ての親として、子供に大きな影響を与えました。そのため、貴族の乳母を選ぶ基準は非常に高いものとなりました。優秀な乳母は複数の子供の面倒を見るので、子供たちには、同じ乳母に育てられた乳母兄弟という関係が生まれることになります。ここから生涯にわたる親密な主従関係が生まれることも多かったのです。

 乳母はその育児対象に大きな影響を与えました。近江守藤原惟憲の妻は後一条天皇の乳母として従二位にまで昇っています。親王の乳母は父の位階が低くとも皇族の血筋であることが求められました。藤原惟憲は藤原道長の家司で当時は正四位でした。当然、道長の意向は夫を通じて乳母に伝わることにになりました。

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